サウザード
羽川明
第1話 オウララ視点
ここではないどこか。人類の、原初の時代。
川に囲まれた大きな円形の大地。マーミアと呼ばれる地の、広大な湿地の平原。その中央に位置する小高い丘に他種族の皮でできた腰巻を纏う男たちがいた。
浅黒い肌に乱れた長い黒髪を生やし、
ある男は、砕いて削り出した鋭利な石を
手にした
最前列に佇むその男、オウララ。
彼だけは他種族の牙や爪に穴を穿って通した首飾りを身につけている。そして、朝日に照らされた右
ツノブエはオウララたちの気配を知る由もなく、
「近くにホウキョクグマやフクロオオカミは見えない。あの群れを狙おう」
軽快かつリズミカルな、言葉にならない歌のような声が響き渡る。それを受け、男たちは得物を点高く
先行するのは石斧を携えた男たちだ。
背の高い木々がほとんどないぬかるんだ地面を
一帯に漂う清廉な雨の香りを肺一杯に吸い込み、地面に浅く沈んだ足を蹴り上げて泥の匂いを混ぜ込む。
散りばめられた黒い塊でしかなかったツノブエの姿が、徐々に
体高約150センチ。黒い
角の中の空洞を震わせて高音が
たちまち逃げ出す
オウララは先頭を走る石斧を持った男たちに舌打ちで呼びかけ、
重量のある石で頭部を殴られたツノブエたちは判断力を失って激昂する。
野太い笛の音があちこちから上がった。
石斧を持った男たちが開けた口を手のひらで叩きながら
その好機を逃さず、オウララは遠吠えのような声を上げて先陣を切った。その手には先端に黒曜石を縛りつけた鋭い槍があった。
速度を緩めず身体をひねって深く振りかぶり、狙い澄まして
槍は目論み通り丸々と肥えた雌のツノブエの尻に命中し、転倒した雌の巨体に後続のツノブエたちが巻き込まれた。
オウララに続く男たちは笑うように吠え、歓声を上げる。
直後に第二、第三の槍が風を切り、いくつかがツノブエの背を捉えた。
仲間たちの断末魔に怯え、ツノブエたちは錯乱してその場で逃げ惑った。槍が命中したツノブエは流血して弱り、次々にその場にへたりこんだ。
サウザンド族に取り囲まれると、ツノブエたちは尻尾を鞭のようにしならせて威嚇したものの、後列にいた男たちが黒曜石のナイフを携えて現れ、その喉を手際よく
男たちは自らその血を浴び、全身に塗りたくった。熱気を
ぬらりと鈍い光沢を帯びた真っ赤な人影が赤に侵された大地に立つ様は異様で、独特の迫力を纏っていた。
血の匂いをかぎつけた敵対種族フクロオオカミたちが集まり始めても、赤く染め上がった男たちは気にもとめない。
体高80センチ。
灰色の体毛を
しかし、ある一定の距離まで近づくとそこでピタリと動きを止め、それ以上進むことはせず、低く唸るだけに留めた。
口から
体高90センチを超える大型の個体でさえ、数で勝るサウザンド族の大人たちを
そこには、大自然の絶対的な
それを知る男たちは無防備に天高く武器を掲げ、絶命したツノブエたちを周回した。
それは彼らなりの祈りであり、ツノブエや、散っていった同胞たちへの
解体が終わる頃には雄のツノブエたちの注意を引いていた石斧の男たちも戻って来て、腰に巻き付けていた縄でツノブエの肉を縛って手際よく槍に結びつけていく。
言葉もなく二人一組のペアが出来上がり、肉をぶら下げた槍の両端を肩に担ぎ上げた。
そしてオウララの高らかな叫び声を合図に列を成し、歩き出す。赤い足跡は後続の者によって
意に返さず、男たちは高い音階で機嫌良く歌う。
意味などなく、言葉ですらなかった。ある者は力強く、ある者は野太く、またあるものはたおやかに喉を震わせる。一見ばらついたそれらは絵の具のように溶けて、ただ一色の重厚な音色となった。
景色は草原から林に変わり、ついに森の入り口に着いた。オウララは男たち一人一人と目を合わせた。目があった者から順繰りに片膝をつく。舞い降りた静寂を、オウララが破った。
「大賢者様のもとへ行く」
それだけ
森の中はツノブエたちを狩った沼地の草原よりもいくらか乾燥していて、湿った地面にわずかな足跡を残す程度だった。十分ほど歩き続けると、大気に含まれた湿り気が増していき、苔むした木々が目立つようになった。
地を這う木の根にまで及んだ苔を踏み締め、オウララは深く深く、森の最奥まで入り込んでいく。
頭上を覆う大木の葉から漏れていた木漏れ日は失せ、薄暗いじめじめとした領域に達する。
光はほとんど届かず、木の幹や根からは
やがて、断層のずれによって生じたと思しき段差が現れる。オウララはその段差の前にひざまづき、頭を垂れて
「大賢者様。サウザンド族の長、オウララ、参りました」
『心得ている』
その言葉は空気を震わすことなく、オウララの中に響いた。頭からではなく、左胸の内部、心臓から全身に伝わる。
オウララは頭を下げたまま平伏する。
そのそばに、
大賢者の顎から垂れた長い
四足で地に降り立ち、
その正体は灰色に近い濃緑の体毛に覆われ、頭部から枝分かれした細く長い左右一対の角を生やした他種族であった。
体高一メートル超ほどの種族。その前に、サウザンド族の長は平伏する。ガラス玉のような丸い眼球から注がれる眼差しを受け、オウララは沈黙を続ける。
『オウララよ。遠くない未来、マーミアの地に災厄が訪れる』
「災厄、でございますか?」
『一言で言えば嵐だ。天からのものではない。強いて言えば、この大地に生きとし生けるものから生まれる、渦巻く
「ハザード? サウザンド族は?」
『壊滅する』
オウララは驚愕のあまり顔を上げる。大賢者の
『案ずるな』
大賢者は右の前足を浮かせ、オウララの背後を指した。その先には、サウザンド族の集落がある。
『夜明けだ。次の夜明けに、ある赤子が生まれる。その赤子こそ、《
「剣?」
『岩を長く削り出した刃を持つ棒のことだ。英雄はその
オウララは、深々と頭を下げた。大賢者の蹄の音が、完全に途絶えるまで。
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