第3話 ンィーガ&ザルバド視点

 男たちは集落を出て、湿しめった柔らかい草原の上を裸足で歩いた。

 先頭にオウララ、その後に大人たち、後方に成人前の若い者たちが続き、ンィーガとザルバドは二人の大人と二つ年上のフーに守られ、最後尾にいた。


 二人の大人たちはンィーガとザルバドの左右に立ち、油断なく周囲を警戒している。二人とも集落の中でも腕に自信のある屈強な男たちで、大柄な体つきをしている。その手には、敵を寄せ付けないための長い木の槍が握られていた。先端には鋭く削った黒曜石が光っている。


 ンィーガたちのそばを歩くフーもンィーガやザルバドと比べると体格が大きく、骨が太かった。サウザンド族の特徴である色黒の肌は焼けていて、健康的な体つきをしている。

 体格が良いとはいえ、フーの身長は十歳のンィーガたちとさほど変わらない。そのため、フーは槍ではなく取り回しやすい短長な石斧を携えていた。


 まだ周囲に他種族の姿はなく、地平線の先に黒い塊が確認できる程度だったが、サウザンド族の大人たちは皆各々が担当する方角を歩きながら注視し続け、決して目を逸らすことはしなかった。


 それは経験の浅い若い男たちも同様で、彼らの場合索敵を担当する方角が決められていないため、緊張からか全方位に目を泳がせている。


 そのため、狩りをしたことがないンィーガとザルバドは集団から酷く浮いていた。

 他種族の姿が見えないため周囲を警戒するべきという危機感がなく、前や隣を歩く友人の顔しか見ないのだから、当然である。

 小声でこそあったが、二人は他愛もない話で暇を潰した。


 不意に、何かに気づいたザルバドが地面にしゃがみこむ。


「どうかしたか?」


 ンィーガがのぞき込むと、ザルバドの手には拳大の石が握られていた。


「拾った。武器にはならないだろうけど、まぁ無いよりはマシだ」


 ザルバドは早くも石が気に入ったらしく、歩きながら手の中でもてあそんだり、空中に軽く投げてはつかんでを繰り返して遊んだ。


 石斧は十歳の子供が扱うには重く、軽いものでは他種族相手にほとんど意味をなさない。

 かといって軽量な黒曜石を用いたナイフや槍は簡単に指が切り落とせるほど鋭利だ。そのため、遠目から見学するだけで狩りに参加しないンィーガとザルバドは今回、これといった武器を与えられていなかった。


 ンィーガはザルバドがうらやましくなると同時に、心細くなった。歩きながら足元をキョロキョロと見回して、石を拾う。

 ザルバドのものよりも小さかったが、他に手頃な石は見つからなかった。


 直後、前方左側を歩く男が遠吠えのような声を上げた。

 周囲の男たちもあとに続いて真似、あっという間に集団全体に波及する。驚いたンィーガたちは左へ振り向いて目を凝らしたが、まっさらな地平線があるだけだった。


 しかし、大人たちは同じ景色の中に他種族、アズマゾウを見た。

 黒い小さな点としてではなく、アズマゾウの体色である茶色や、湾曲した白い牙までもがうかがうことができる。それはアズマゾウの群れが警戒すべき距離まで迫っていることを示していた。


 オウララの指示ですぐに進路を変更。

 アズマゾウの進行方向を考慮し、右に迂回うかいする。その後も敵対種族である白く厚い肌と同色で大ぶりの角を持つ四足の敵対種族オオシロを避けて左に迂回うかい。小規模なフクロオオカミの群れも発見されたが、こちらは危険ではないと判断され、比較的近距離を横切った。


 最後尾を歩くンィーガたちには距離の問題でオウララの言葉が聞き取れなかったため、二人からすれば左右に逸れながら進む道程どうていは長く退屈なものに感じられた。


 代わり映えのしない平原を歩き続けること一時間以上。いつの間にか、遠目に見えていた小高い丘にたどり着いた。傾斜がゆるかったため、ンィーガとザルバドにはあまり坂道を登っている感覚がなかったのだ。


 先頭のオウララが丘の頂上に立ち、眉の高さに手のひらの側面を当てて目を細める。そのまま少しずつ上半身を捻って、地平線に沿って水平に視線を流していく。


 最後尾にいるンィーガとザルバドからは人垣のせいでオウララの姿が見えなかったが、空気が変わったことを敏感に感じ取った二人は口をつぐみ、緊張した面持ちで指示を待った。


 索敵を終えたオウララはそばの大人たちに何事か呟くと、巻き舌でリズミカルに声帯を震わせる。

 音程の高いその声はンィーガやザルバドにもはっきりと聞こえるほど大きかったが、言葉ではなく発声はっせいでしかなかったため、意味はわからなかった。


 サウザンド族の多くの大人たちは言語を話せず、理解すらできない者もいる。そのため、大人たちはオウララのように歌うような声で意思疎通を行う。

 よってこのときもすでに、ンィーガとザルバド以外の全員が向かう方角や標的とする種族を理解していた。


 安全に狩りを行うことができると踏んだオウララは、ンィーガとザルバド、そして二人を守るために屈強な男二人と同世代の少年フーを小高い丘の上に残し、サウザンド族の男たちを連れて走り出した。


 それはまさしく風のごとき疾走であった。足元が湿ったやわらかい草原からぬかるんだ湿地の地面に変わっても、走る速度が落ちる者はほとんどいない。大人たちの誰もが、泥の中を駆け抜ける足さばきを熟知していた。

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