第1話 闇市(マーケット)
「車、持ってきましたよー!」ユミの声が事務所に響く。
奥の部屋の扉が開き
「うー、眠い。頭痛いでありんすよ。ひっく」和装の女が頭を押さえる。
「おい、アデイル。飲み過ぎだぞ」
「飲まなきゃやってらんれーっすよ」アデイルが答える。
「起こすの大変だったぜ、この眠り姫」ヒワコが言った。
四人は連れ立って事務所から出た。雑居ビルに面した道に旧型の車が停まっていた。車にはあちこちに凹みやかすり傷があり、そして天井がなかった。
「まだ直ってないのかよ、この養殖スポーツカー」
探偵事務所の車の天井は、過去の戦闘で所員の毛髪とともに異空間へ転送された。支払われた報酬は他に回され、車は未だに風通しが最高のままだった。
「あれ? アデイルさん、それ新しい傘ですか? かわいいー!」ユミが目ざとくアデイルが持つ赤い番傘を見つける。
「えへへー。
「へえ。日傘ですか?」
「えへへ。あーしのは
「オレ様の
「ちょっと他の車より風通しがいいだけだ。車は雨風凌ぐためのものじゃなくて、移動するためのものだ、問題ない」
「そっすか……」
「あれ? あんなに晴れてたのに……。一雨来そうですね」空を見上げながらユミが呟く。
先ほどまでの晴天が嘘だったかのように、空は厚い黒々とした雲で覆われている。
ヒイラギの薬指の付け根がずきりと傷んだ。顔を顰める。
「なんだか嫌な予感がする」
「姐さん。古傷が痛むのかい? 奇遇だなあ、オレ様もだぜ」ヒワコが右肩をぐるぐる回している。
「あーしも古傷が痛むでありんすよー」ふらつきながらアデイルが言う。
「奇遇ですね、私も古傷が痛みます!」えへへ、と頭をなでるユミ。
「……ったく、お前らなぁ」ヒイラギは呆れ顔だった。
「さーて、飛ばしますよぉ!!」
ユミはワイシャツの腕を捲って気合を入れた。鍵を差し込んで捻る。
「やっぱいいですねぇ! この暴力的な音! ワクワクします!」
ユミがアクセルを踏みつける。荒い振動とともに車が動き出す。クラッチを踏みつけ、レバーを操作し、ギアをどんどん上げていく。環境に一切配慮しない冒涜的な量の排煙と近隣住民を脅かす爆音。停滞した大気の中を車が突き抜ける。大気が別れを惜しむかのように乗員の髪を押さえつけて結局置き去りにされていく。
アデイルの傘が
「風除けでありんすよー」
爆速で進む車の風圧に耐える傘の耐久力もさることながら、それを支え続ける少女もまた只者ではない。その細腕にいかほどの筋肉が
車は他に走るもののない道を爆速でかけていく。かつてはこの国有数の交通量を誇ったこのハイウェイも今や型無。蟻っ子一匹走っていやしない。がら空きの三車線の中央をオープンカーが駆け抜けていく。道はあちこちひび割れ凸凹している。車体が大きく跳ねた。
「快適なドライブになりそうだな」
***
約一時間の快適なドライブを終え四人は闇市に到着した。
闇市の狭い通路は行き交う人々でごった返していた。
「姐さん、見ろよこれ! コウモリペンギンだぜ! とうとう飛べるようになったんだよペンギンが! 姐さん、ウチの事務所にもさ、
「買わんぞ」
「ちゃんと面倒見るからさぁ。ご飯もあげるし、毎日散歩にも連れてくし、もっとキャワいく魔改造するからさ」
「ダメだ」ヒイラギが、ヒワコの首根っこを掴まえて籠の前から引き剥がす。
「馴染みの情報屋のところに寄ってくる。アデイル、一緒に来い。ヒワコは私の目に繋いでおけ」
「「「はーい」」」
情報屋の主人はスキンヘッドの大男で、左目には眼帯をしていた。その眼帯の裏には幾重にも魔改造を施した魔眼が入っている。それをさらに疑似魔眼を導入した十二体の魔導人形と接続、計四十八の魔眼を操り都市中の生物の眼球を憑依し情報を集めているのだ。
「久しぶりだな」男側から声をかけてくる。
ヒイラギは懐から密入国者の写真を取り出す。
「ああ、この男か。この辺じゃ見かけない顔だったからよく覚えている」
「今どこにいる?」
「残念ながら、そこまでは。まあ、これを見てくれ」
情報屋はカウンターの上に魔水晶の玉を置いた。そこに写真の男の姿が映し出される。
密入国者は闇市の人込みをかき分け進んでいくが、次の瞬間、忽然と姿を消した。
「奴は
「お前の眼をもってしてもか。誰がどうやって攫った?」
「さあな、俺の眼は範囲特化だからな。術式とか魔力の流れとかはさっぱりだ」
「そうか」
ヒイラギとアデイルは情報屋を後にした。
***
「ヒワコ、何か見えるか?」
情報屋をあとにした面々は座標11bを検分していた。
ヒワコは眼を妖しく光らせている。
「んにゃ、何も残ってない。固有波動はここでぱったり途切れてる。魔術使用の痕跡も残ってない。時間を遡ってみても駄目だ。なんの前触れもなく一瞬で消えちまう。こりゃ相当な
「そうか」思案顔で紫煙を吐き出すヒイラギ。「振り出しか」
「所長、三、いや四人ですかね」何者かの気配を感知したユミがヒイラギに囁く。
「お迎えとは痛み入るね。こりゃ、情報売られたな」
信用できる情報屋というのはビジネスに対してのみ真摯なものだ。
「ようは、あれを追ってる人間を消したい連中がいるってことですね」
「ちょうど四人か、じゃあ、一人一倒だな」
「いや、所長、冗談ですよね? 私、ただのバイトですよ、戦えって言うんですかー?」
「そうだったな、ユミ」
「所長……わかってくれますか?」
「ああ、バイト代分、しっっかり働けよ」
「しょちょー、冗談ですネ? あーし、体調悪いですけどー、戦えって言うですか?」
「そうだったな、アデイル」
「しょちょー……」
「しっっかり、キビキビ働けよ」
「所長、冗談だろ! オレ様は、頭脳労働担当で、元研究者の非戦闘要員で、か弱き乙女なんだぜ! それでも戦えって言うのかよ!?」
「そうだったな、ヒワコ。しっかりキビキビ一生懸命可及的速やかに全身全霊で働け!」
四手に別れると何者かの気配も同様に分散した。
「どうやら、あちらさんもやる気みたいだな」
***
ヒワコは雑踏を避け裏路地へと入っていった。フードを深くかぶった男がその後を追う。行き止まりで男を振り返る。
「うら若き乙女のピーチなおしりを執拗に追いかけ回すなんて、このムッツリさんめ」
「……」
「つれねーな。真面目でつまんねー男」
やれやれだぜ、両手を上げて呆れたような仕草をするヒワコ。
刺客はそれを軽やかにシカトして、銃の引金を引いた。銃弾はヒワコの急所を目掛けて一直線にとんでいく。ヒワコの羽織っていた白衣がはらりと宙を舞った。
***
他の三人と別れたアデイルはふらふらとした足取りで路地裏を進んでいく。
「うぉぇー。きもちわりゅぅ。#頭痛が頭で痛い」
その後を追う刺客が一人。
「だれれ、あれですかー、あなた?」
刺客は答えない。
「ちょっとー?」
刺客は音もなく駆け出すと、取り出したナイフでアデイルの胸を一刺しした。
***
偉大な魔術師はその名や姿で記憶されることはない。その存在が人々に認知され語られる時は扱う魔術そのものが魔術師の代名詞になるのだ。
「その緑閃光は、……魔法省の緑閃か……」
「知ってるのか、勤勉だな」
ヒイラギが右掌に
「まさか女だったとはな。相方はどうした? 水魔術使いとのツーマンセルって聞いたがな」
「……」ヒイラギは答えない。
男は多段式杖を取り出す。その先端に小さな
男の杖から焔が上がる。焔が放たれるのと同時にヒイラギの指先から閃光が伸びる。空中でぶつかり合う。緑閃光が瞬く間に焔を呑み込んでいく。
「があああああああ」電送の衝撃に男は痙攣を起こし、意識を失った。
《こっちは片づけた、状況を報告しろ》
***
――こんなことになるなら始めなかったのに。そんな風に考えてしまうのもこれが初めてではない。
今頃、大学の同級生たちは浜辺でキャッキャウフフな追いかけっこに興じているだろう。それなのに、こちとら死とにらめっこの追いかけっこときた。ユミは細い裏路地の角を次々と己字に曲がっていく。追手は一定の距離を保ちながらついてくる。余裕綽々といった感じ。ユミの事を完全になめ切っている。さらに角を折れると行き止まりだった。追いかけっこもここまで。
――ただ、バイトを始めてに気が付いたことが一つだけある。あれはバイト二日目にして、銃撃戦に巻き込まれたり、自慢のアホ毛が車の屋根とともに異次元に吹き飛ばされたりした中でのことだった。
魔術は使えないけど、
――銃撃戦なら得意だ。
ユミは角を曲がるとスピードを上げ、路地の端に置かれたゴミ箱の裏に滑り込んだ。姿を隠して臨戦態勢。敵はゆっくりと曲がってくる。口元にはにやにやと笑みを浮かべている。明らかに、楽な仕事だと油断している表情だ。そこにユミは魔弾を撃ち込んだ。魔弾はヒワコが精製した魔晶石からなり、その内側に冷気の魔術が仕込まれている。弾丸は完全に不意をつかれた構成員の腕に直撃し、手に持った銃ごと氷の中に閉じ込めてしまう。
ユミは胸元のネックレスについた
《生け捕りにしました》
***
ナイフは確かにアデイルの心を貫いた。はずだった。しかし、刺客の腕には何の手応えもない。刺したはずのアデイルの姿形が霧霞のように大気へと溶けていく。
「残念、そちらは
「峰打ちでありんすよ。安心しておくんなまし」
《#アデイルしか勝たん》
***
宙を舞う白衣の下から現れたのは半透明で青白く光る腕だった。それが指先で摘まむように銃弾を止めていた。
ヒワコの華奢な体躯には似つかわしくない筋肉隆々な太腕。ヒワコ自身の体は右肩の付け根で綺麗に切断されている。その切断面から半透明な太腕が伸びているのだ。
男は驚愕の表情を浮かべていた。
「体の霊体化している奴を見るのは初めてかい?」男は何も答えない。ヒワコは自分語りを続ける。「って、そりゃそうか。霊体化技術を持ってるのは世界でオレ様だけなんだった。いけねぇ、ついつい失念しちまった。まあなに、涜神計画の負の遺産てやつだよ」一人語りは止まらない。「軍を抜ける時にチョットね。オ・ト・シ・マ・エってやつ? 右腕、左足、あと皮膚を何%か失うことになっちまってねぇ――」男はまだ状況を呑み込めていないようだ。「――それで名も無き神様から体を借りてきたってわけさ」
男は銃弾を連射する。弾丸は神の掌に受け止められすべて空中で静止した。
「この
「混成って! レディに向かってなんてことを! 失礼しちゃうぜ、ぷんすかぷんすか。せめて
ヒワコの巨腕が伸長し、男の首根に手刀を食らわせる。
《片付けたぜ》
《ヒワコ、そのままそいつの脳みそ覗け》
《ったく、人使い荒いぜ》
ヒワコの魔眼が怪しく光り、男の脳に憑依する。ヒワコの眼球の軌道と
《おっけぃ。アジトは特定できたぜ。そいじゃ、カ・チ・コ・ミといきますか》
***
「うへー、第7階層まであるよ。これ東帝魔技研製の結界じゃないの?
「いいから早く解除しろ」
「つれないなー、所長。ちょっとぐらいかまってくれてもいいのに」
「私はヒワコさんにいなくなってほしくないです」
「あーしも!」
「ユミちゃん! アデちゃん! やっぱもつべきはお硬い上司じゃなくて友達だよなぁー!」
「とっとと解除しろ」
「はいはい、解けたよ」
四人は襲ってきた魔幇連中のアジトへとやってきた。
「ヒワコ、こいつを使え」ヒイラギが気絶させた構成員をヒワコに向かって放り投げる。
「ほんと、人使いが荒いぜ」
ヒワコの眼球が再びぎゅるりと回転して、構成員を
「どうだ、いたか?」
「いや、いないね」
「外れか」
「いや、ある意味大当たりだぜ」
事務所の内部には構成員たちの死体が転がっていた。
「憑依できるか?」
「無理、もう脳味噌死にきってる」
ヒイラギは死体の頭を鷲掴みし、直接電送する。
「これでどうだ?」
「だめだね、こりゃ」ヒワコがお手上げポーズをとる。
「魔弾は溶解しきってるな」ヒイラギが死体の傷跡を検分して呟いた。
「ま、一介の魔幇が扱えるような代物じゃないよな」
続いて密入国者の死体を検分する。体を貫通した魔弾が壁にめり込んでいた。弾は溶解しきっていない。近くに転がっていた構成員が握っていた銃にも同じ弾が装填されていた。
「密入国者は魔幇に殺されて、魔幇は別な誰かに殺された」
密入国者の持ち物を漁るが魔法書の写本は見つからない。「で、その誰かさんが写本を持ち出した、と。余計なことを」
「オレ様たちが刺客と遊んでる間に襲撃されたってことね。相当な手際の良さ。手練れだね、それこそ軍みてぇだ」
「軍……。ヒワコ、軍がロージアの禁書を狙う理由はあるか?」
「ないね。少なくとも、オレ様が軍にいた頃は、そんなもの使いそうなプロジェクトはなかったぜ」
「お前が知らない秘密裏の計画があったのか?」
「おいおい、涜神計画以上のシークレットなんて軍にゃなかったぜ」
涜神計画――神を使役するための研究。涜神計画最高責任者
「軍でないとすれば……」
「姐さんの古巣とか?」魔法省特務隊。
「…………………………………………そうか」
「げ、16文字分の三点リーダー」
「この場は任せた。私は行くところがある」
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