混成都市(コンタミシティ)の魔術師

行方行方

プロローグ

 人類は万物の生命力の源である魔力を発見した。

 生物がその身に蓄積した魔力は死後、土へと還り圧縮され魔鉱石として結実する。魔鉱石からエネルギーの抽出が可能になったことにより産業が発展し、加えて魔術関連技術の研究が進んでいた。

 これは現在の地球とは異なる世界線の地球での物語。


***


 この国は今年も夏の密入国を許した。燃え盛る太陽は我が物顔で青空を跳梁跋扈し、日除け品の売上に貢献している。蝉の公開プロポーズが折り重なり余計に耳障りだ。蝉の声量と夏の暑さの間には何かしら相関があるに違いない、と遽?蜴∈しのはらユミは思った。

(暑っつい‼ サウナか)

 ユミのバイト先であるかなさわ探偵事務所は繁華街から離れたボロい雑居ビルの三階にある。とっても非常に大変ありがたいことにこの雑居ビルには日照権が認められている。つまり日光が直撃する。日差しは窓も日覆いも貫通して室温を上昇させた。マーケットの屋台で売られている蒸し鶏もこんな気持ちでその肉体を変成させていったのだろうか。

「いい加減、冷房導入れましょうよ」ユミは事務所の奥のデスクに向けて声をかける。

「ヒワコにでも頼んでくれ。あいつなら、簡易なものなら作れるだろう。それか、お前をクビにして浮いた経費でな」デスクのチェアに腰を掛けた女が朝刊に視線を落としたまま答える。探偵事務所所長縺九↑縺悶∧かなさわヒイラギ、その人である。ちゃんとアイロンをかけていないのであろう、皺がよったシャツを身にまとい、台襟釦を外していた。ネクタイも緩めている。ネクタイは青色と緑色の四角い図形モチーフが不規則に並んだ柄で、ヒイラギは常に同じものを身につけていた。髪は肩にかかるかかからないかくらいの黒。ただし、向かって右側は緑、左側は青のインナーカラーで染め分けている。左手の薬指にはめている指輪には、小さな蒼玉サファイア翠玉エメラルドが煌めいている。ヒイラギの青と緑への過剰なこだわりの理由を、ユミは聞いたことがなかった。何となく聞いてはいけない気がするのだ。

「心頭滅却すれば火もまた涼しってな」そういう探偵も顔は紅く蒸され首筋には汗の粒が浮いている。

「うへぇ」

「魔力代も馬鹿にならないしな。最近また値上がりしたし」

 魔力は魔鉱石から抽出された後、地中に張り巡らされた魔力線網ケーブルにより、国中に届けられるのだ。

 その時、鈴が鳴った。誰かが結界の中に侵入した合図だ。

 ヒイラギは朝刊から顔を上げユミに尋ねる。

「今日、何かアポあったっけ?」

「今日はないですね。というか、未来永劫予定なしですね」ユミはカレンダーを確認する。

「おい、勝手に未来を確定させるな。仕事の依頼かもしれんだろう」

「借金の取り立てだったりして」ユミは肩を竦めた。

「チッ……。おい、ヒワコ。覗いてみろ、借金取りか?」

 そう奥の部屋に声をかけると背の低い少女が出てきた。薄汚れた白衣を腕に通さず羽織っている。「おっけぃ、あねさん」実験用の保護眼鏡グラスを外しながらヒワコは返事をした。

 ヒワコの左眼が薄い光を発しながらとせわしなく回転する。事務所の周りに配置している鴉型の魔導人形ゴーレムの眼に《憑依ハック》を仕掛けているのだ。これで鴉の眼球を通して周囲の様子を探ることができる。

「んにゃ、借金取りって感じはしねぇな。依頼人、って感じでもねぇけど。お高そうなスーツ着てら。インテリヤクザとかじゃねーの笑。流石に前回、暴れすぎたか」そう言いながらヒワコはデスクの上に置かれた魔水晶の球に触れる。「映すぜ」魔水晶に映った幻像ホログラフィを見て所長が舌打ちしながら顔をしかめる。煙草の火を灰皿でもみ消す。

「一応、幻影ゴースト出しておくか」

 ヒイラギは瞳を閉じ呪文を詠唱する。ユミには、ヒイラギの輪郭が二重にダブって見えた。次第にその位相差が広がっていき、二人のヒイラギは完全に分離。本物と外見上の差異を一切持たない幻影が出来上がった。実物との唯一の違いは、幻影は実体を持たないということである。

 ヒイラギは自身の幻影とユミを残し、ヒワコと共に奥の部屋に引っ込んだ。奥の部屋へと続く扉には特殊な結界が張られており、各所員固有の魔術周波数を感知して開かれるのだ。

 奥の部屋はヒワコの実験室兼所員の居室兼物置になっていた。

 部屋は薬品の匂いで満たされていた。様々な計器や網掻出器ウェブスクレイパーが稼働している。計器に繋がれた《自動記述の巫女ゴーストライター》が、演算結果が印字されたレシートを吐き出した。魔導人形は刻まれた魔術式プログラムに従い実験を行っている。部屋の奥のソファの上では眠り姫がすやすやと夢を見ていた。「#コーナーで差をつけろ #五十米自由形 #アデイルしか勝たん zzZむにゃむにゃ」一体どんな夢を見ているのやら。寝言からは想像もつかない。

机の上の三角玻璃壜フラスコには紫陽花色の溶液が入っている。そこに魔導人形が魔鉱石の欠片を落とすと瞬時に無色透明な液体に姿を変えた。霊水である。ヒワコは玻璃壜を手に取り中身を飲み干した。

 丁度その時、事務所の戸を叩く音がした。

 幻影を通して、ヒイラギとヒワコは応接室を覗き込む。

 入ってきたのはスタイリッシュなパンツスーツの女性だった。スラックスにはパキっと折り目が入っている。やや吊り上がった瞳が冷ややかな目線を投げかける。額には汗一つかいていない。厳格な雰囲気を漂わせていて、ヒイラギ探偵とは真逆の人間に思えた。

 女はヒイラギの対面に座った。

「久しぶりね」女は開口一番に言った。

ヒイラギは答えない。

「ユミ。客人に珈琲を。それとミルクと角砂糖を三つだ」

「灰皿もお願いね」

「吸うのか? 昔は吸ってなかっただろう」

「喫煙所じゃなきゃできない話もあるのよ、省にはね」


「てか、知り合いかよ。なんで幻影」奥の部屋で盗視していたヒワコがヒイラギに聞いた。

「まあ、その、気まず……、いや、気持ちの問題というかなんというか。直接会いたくない相手でな」何となく歯切れが悪いヒイラギ。

「ふーん」

「こういうのは気の持ちようなんだ。魔術師にとって一番重要なのは精神の安定だ」

「……ちな、どういう知り合いで?」

「大学の学部学科、それから魔法省入省の同期だ」

「はぁーん、お固いエリート様ってことね。しっかし、キャリア官僚がなんてったってこんなちんけでおんぼろな事務所に」

「ちんけでおんぼろでみすぼらしくて劣悪で悪かったな」

「そこまでは言ってないけどよ……」

 この事務所は先の大戦中に霙国の侵蝕魔術を受けた地域の端にある。かつては首都の中心地として栄えたエリアだったが、今では見る影もない。砂漠から吹く熱風ギブリ砂嵐ハブーブにより道路や建物は傷んでいる。街全体が砂っぽい。そのぶん、テナント料が格安なのだが。


ユミが机の上に一通り揃えた。女は煙草に火を点けた。

「久しぶりだな、ユクエ」所長は嫌味っぽく役職を強調して名を呼んだ。

「前任者退省により、今は室長よ」

「はぁ」所長は嘆息する。「で、何の用だ」

「仕事の依頼よ」

「そうかそうか。じゃあ、帰ってくれ」

「仕事を選り好みできるほど儲かっているようには見えないけど?」ユクエは事務所内を一瞥しながら言う。「いつまでこんな砂上の楼閣を続けるつもり? 戻ってきなさい。長官もそれを望んでいるわ」

「お生憎様。既存の依頼でスケジュールは一杯なんだ」

「未来永劫予定なし、そう聞こえたけど?」

「チッ……聞いてたか」

「それに相当な金食い虫を飼っているって聞いたけど?」

「チッ……どこでそれを」


「姐さん、金食い虫って?」ヒワコがヒイラギに問う。

「ヒワコ、お前の実験設備の購入維持管理に一体いくらかかってると思ってるんだ?」

「酷い! オレ様のことそんな風に思ってたのかよ!」


ユクエはゆっくりと紫煙を吐き出した。そして、懐から一枚の写真を取り出すと机の上に置いた。写真には一人の男が写っている。

「まだ、引き受けるなんて言ってないんだがな」ヒイラギは写真に目を遣る。「なるほど。浮気調査か」

「そんなわけないでしょ。そいつは、ロージアからの密入国者よ」

「密入国者? それを何故、魔法省が追う? 管轄外だろう」

「その男自体はそれほど問題ではない。問題なのはその男が持ち込んだブツよ」

「ブツ?」

「そう。ロージア国の禁書、その写本コピーよ」

「確定なのか?」ヒイラギは眉を顰める。

「二日前、観測所で当該魔術書固有の波動ピークが観測された。九十九・九%の蓋然性でロージアの禁書よ。多少ノイズが混ざっていたから純正品ではない、つまり写本だと考えている」

「特務隊を動かせばいいだろう」

「最近、省内で怪しい動きがある。長官は特務隊とは別の信頼できる駒を欲しがっている」

「ふむ。ようは魔法省の体のいい使い捨てサテライトってことか」

別働隊サテライト、よ。あなた、確か長官のお尻を追いかけて入省したんでしょ? 今こそ、長官のために一肌脱ぐ時じゃないかしら?」

「尻じゃなくて背中だ。そういう時期は終わったんだ、とうの昔に」

「あそ。じゃあ、本命の情報を一つ」

 ユクエは再び紫煙を吐き出す。

「ロージアの禁書は、例の《聖域》の連中が解散前に手に入れたがっていた。あなた、まだ調べているんでしょう? 《聖域》事件のこと」

 それを聞いて、ヒイラギの目の色が変わった。

「どうやら、引き受けてくれるみたいね」


「男の足取り、というか写本の行方は昨日からわからなくなっている。《闇市マーケット》にて波動ピークが消失した。恐らく遮断されたのでしょう。男の安否はどうだっていいわ。とにかくどんな手を使ってでも写本を手に入れて」

「わかった」

「はいこれ、軍資金」そう言って、ユクエは一枚のカードを差し出す。「好きに使って」

「それと……」そこからユクエはテレパシーに切り替える。

《これが私の周波数、忘れたとは言わせないわよ。何かあったら連絡して》

ヒイラギの脳内にユクエの声が直接響いた。

ユクエは立ち上がった。事務所の扉に手をかけたところで振り返る。「次は生身で会いましょう」

「チッ……ばれてたか」

「あなたが私の前で煙草を一本も吸わないなんておかしいもの」ユクエはこの日初めて笑顔を見せると事務所を後にした。


 奥の部屋からヒイラギとヒワコが戻ってくる。

「うっわ、ゲホゲホ、けむ! オレ様まだ未成年なんだけど!」

「うるさい。居候に発言権はない」

「ひでえ」

「どう思う?」

「ロージアの禁書? あれだろ、ロージアの発狂詩人が書いたとかいう。うさんくせぇ」

「……。ユミ、車回せ。《闇市》に向かう。ヒワコ、支度しろ。あとあの眠り姫を起こしてこい。」

「人使い荒いなぁ」

「うるさい。居候に発言権はない」

「へーへー」



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