続・仮初の夢

Slick

第1話 師と弟子


「可憐なる椿よ——花開き給へ!」


 凛とした少女の声が響くと同時に、その場の”気”に微妙な変化を俺は感じ取った。


 震える手を突き出し、きつく目を瞑る少女の先。彼女が放った"気”に呼応するようにして、花瓶に活けられた椿のつぼみが、ゆっくりと膨らんでいく。


 ある意味で、これは勝負だ。果たしてどちらが競り勝つだろうか?


 ......結果から言うと、先に音を上げたのは少女の方だった。


「——嗚呼っ! む、無理......っ!」


 集中が切れた途端、少女はドサッと畳の床に座り込んでしまう。唐突に和室に訪れる沈黙の中、俺は肩で荒い息をする彼女に歩み寄ると、手を差し出した。


「まぁ、心配することはない。俺がお前くらいの頃は、まだまだずっと下手だった」

「それ、地味に慰めになってないから?」


 俺の手をぞんざいに取ると、スクッと立ち上がった少女——弟子の華流はそう言うと、プッと口を尖らせた。


「ねぇ先生、なんかもっとやる気の出る言葉は貰えないの?」


 いつも通り、生意気な口を利く華流は14歳の少女。『司守』の卵として俺に師事している身なのだが、口だけは一端のものを利く。


「じゃあ訂正しよう。ちゃんと真面目に学んでいれば、今頃は俺さえも超えていたはずだぞ?」

「ひどっ!?」


 まぁ俺は彼女の口の利き方にも、とっくの昔に慣れている。

 ついで、その御し方も。


 プクッと頬を膨らませた弟子を軽く受け流すと、俺は卓上の花瓶を引き寄せた。そして瞬時に思念を集中、口の中で言霊を転がしつつ軽く指をかざす。

 次の瞬間。

 活けられた椿のつぼみはパッと弾けると、艶やかな深紅の花弁が開かれた。


「!」


 華流も思わず目を見開く。

 俺は振り返ると、その一輪の椿を彼女に差し出した。


「いつの日かお前も、こんな風に才能を『開花』させると願っている」

「......ん。分かった先生」


 華流が素直に答えたのと同時に、壁の掛け時計が夜の11時を告げる音を立てる。


「......少し遅くなったな。今日の修行はここまで、早く寝る準備をしなさい」

「はーい」


 お互いに軽く礼をすると、華流はテキストの類を抱え上げ、トトッと階段を駆け上がっていった。急に静かになる和室を見回し、俺は小さく肩をすくめる。

 祖国の街の一角に、俺は小さいながらも家を持っていた。狭い路地裏に位置しており何かと不便なものの、二階の窓からは桜乃島の全貌が見渡せる。古い木造建築ではあったが、いつも各地を飛び回ってばかりの俺に不満などない。

 むしろ常に文句を垂れているのは、同居する華流の方だった。


「先生、今度はいつまでこっちにいるの?」


 二階から彼女が、口に歯ブラシを咥えて戻ってきた。


「......歯磨きの最中に喋るなよ」

「で、いつ?」完璧にスルーした華流。いつものことなので気にしないが。


 俺は部屋の隅のちゃぶ台から手帳を手繰り寄せると、隣に座り込む弟子に見せてやった。


「明日の朝には、また出ることになるな」

「えー! 先生が帰ってきて、まだ一週間も経ってないよね?」


 抗議の声を上げる華流に、俺は呆れた目を向ける。


「俺の忙しさは、お前も分かっているだろう? たった一人で世界中を飛び回って、各地の花々を"目覚め”させるんだ。この『告げ人』の任務に休みはない」


 この世界には、現世に生きる『神』に似た力を宿す者たちが存在する。


 彼らは『司守』と呼ばれ、人目を忍びつつ自然の営みを回す役割を担っていた。人々はその存在を、伝説を通して伝え聞くばかりである。

 司守には多くの属性があり、風を運ぶ者や土地を鎮める者、上位になると季節を巡らしたり、日光を司る者もいる。俺はその中でも特に、花々の眠りを覚まし開花時期を伝える『告げ人』と呼ばれる存在であった。


「ん〜、そりゃそうだけど......」


 華流は憮然とした面持ちで食い下がると、ふとこう言った。


「じゃさ、今回は私も連れてってよ! これも修行の一環ってことで――」

「駄目だ」

「えぇ〜」


 ぐにゃん、と壁に寄りかかり、華流は天井を仰ぎ見る。そしてふと、誰にも聞こえないようにぽつりと呟いた。


「私、いつも留守番ばっかなのに......」


 もっとも人間でない俺には、その小声もしっかりと聞き取れてしまったのだが。


 確かに俺とて、出来ることなら弟子も連れて行ってやりたい。

 しかし平和なこの國と違って、外の世界には未知の危険が多く待ち受けているのだ。行くべき地には軍政國家や戦時中の國もあり、そんな場所にまだ14の華流を連れて行く訳には行かなかった。

 つらい思いをさせているのは、承知の上だ。

 心の中で彼女に謝罪すると、俺は弟子を急かして立ち上がらせた。


「さぁほら、部屋に布団は敷いたか? もう寝ないと」

「......うん先生、おやすみ」


 華流は小声でそうとだけ答え、口をすすぐと、さっさと二階に戻っていった。その後ろ姿が俺には一瞬、とても小さく見えた。

 俺も和室の畳に布団を広げると、自室の明かりを落とす。


「次、この家に帰れるのは......いつになるんだろうな?」


 暗闇の中で俺はふとそう呟き、そしてそのまま眠りに落ちていった。


□ □ □ □


 旅出の朝は早い。まだ日の昇らぬ時刻に、俺は目を覚ました。

 厳密に言うと人間ではない故に睡眠は不要だが、健康に良いので意識して寝るようにしている。

 顔を洗うと『正装』に袖を通した。

 軍服仕立ての黒い上衣を羽織リ、徽章と肩章を留める。右肩には銀の飾緒を引っ掛け、漆黒の軍帽をかぶれば完成だ。代々の『正装』を終え、まだ眠っているであろう華流に置き手紙を書き上げる。

 留守中の家計は彼女に任せていた。華流はああ見えて、結構自立した少女なのだ。

 朝食は駅で済ませる心積もりで玄関に向かえば、これまた昨夜に準備した荷物一式が俺を待っている。これで見納めという風に廊下を仰ぎ見ると、俺は三和土に置いたトランクを持ち上げて――

 そして、大きな溜息を吐き出した。

 まるで壊れ物でも扱うように、俺はソッとトランクを床に下ろす。物言わぬそれを、黑ブーツのつま先で軽く小突いた。


「もう出て来て良いぞ、華流」


 暫くの間、玄関に沈黙が流れる。しかしやがて、トランクがひとりでにゴトゴト揺れ始めたかと思うと、チャックが内側から開かれた。

 ドサッという音と共に転がり出たのは、他でもない華流である。


「あ......あれ、バレた?」


 早起きして忍び込んだのだろうか、その顔は酸欠で赤くなっていた。


「当たり前だ。昨日準備したときより、何倍も重かったからな」

「先生いま、女子に重いって言った?」

「言った」

「デリカシーなさ過ぎでしょ!」

「トランクに潜り込んで密航するような奴に言われたくない」

「あうっ」


 ひとまず弟子を論破すると、俺は開け放たれたトランクの中を覗き込む。昨夜仕舞っておいたはずの着替えや神具は、影も形も無くなっていた。


「おい、俺の荷物をどこにやった?」

「......教えたくない」

「華流!」

「私も連れてってくれるなら、教えてあげても良いけどな?」


 いっそ、うざったいほどの笑顔で華流は挑発的に言った。


「......」

「先生、汽車の時間が迫ってるんじゃないですか?」

「......」

「あ〜残念、今回の旅は取り消しに――」

「よし分かった。荷物を元に戻す所まで手伝えば、連れて行ってやろう」

「え、ほんと!? 本当に良いの!?」

「良いからさっさと教えろ」俺は渋々そう言うと、衣嚢から懐中時計を取り出した。「お前の言う通り、華流の分の切符を買い直すなら時間がないんだ」

「りょーかい!」


 軍服の俺に小粋に敬礼すると、華流は鼻歌混じりで二階へと上がっていく。俺も続いて彼女の自室に入り、言うとおりに奥のふすまを開けてみると、荷物の中身は確かにそこに押し込んであった。

 丁寧に畳んでおいたはずの衣服はクシャクシャに丸まり、神具の小箱は中身が散らばっていたものの。


「じゃあほら、あとは先生だけで頑張って?」


 しれっとそう言って逃げようとする華流の腕を、俺は有無を言わさずガシッと掴む。


「前言撤回、全部お前で片付けろ」




 こうして今回の旅に、華流も付いて来る流れとなった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る