第5話 『椿之浄土』
同日。
俺は華流を連れて夕暮れ時の帝都を出立すると、郊外にある山地の麓まで馬車を走らせた。
街を少し出ただけで、辺りの景色は急にさびれてくる。田畑のあぜ道や家屋ばかりが目に移り、華やかだった帝都とは対照的だった。帝都郊外の貧民街は華流の出身地でもあるのだが、そこはあえて通らないよう御者に告げる。
誰しも、思い出したくない記憶の一つや二つはあるだろう。
「――ねぇ先生、今回はその刀も持って来たんだね?」
馬車に揺られつつ、好奇心旺盛な顔で華流が指摘したのは、俺のベルトに提げられた一振りの日本刀、俺の愛刀こと『斬華』だった。
告げ人の正装は、正式には帯刀を含めて完全になる。だが何かと物騒なのに加えて、旅先では余計ないざこざの種になりがちなのが困りものだ。なので普段は、あえては携行しないようにしている。
しかし今回は、用心のため持参したのだった。
ちなみに今回は司守の儀式ということで、華流も年少者用の正装軍装である。
「何だかコスプレみたい」とはしゃぐ弟子には、ほとほと呆れたが。
麓で馬車を降りると、今度は夕闇に染まる山を二人して登っていく。この山地一帯は未開発地区であり、自然のままの原生林が残されていた。俺たちは獣道も頼りにしつつ、下生えの茂る急峻な斜面を登っていく。
「――時に、自然こそが最大の道しるべとなる」
獣道を歩みながら告げるのは、司守なら誰でも最初に叩きこまれる教えだ。
だが振り返った先、当の華流はと言うと、登るのに必死で俺の言葉など耳に入っていないようである。嘆かわしい。
やがて山頂にたどり着くと、一気に視界が開けた。すっかり闇に落ちた背後の林間に、梟の声が遠く響く。
「あそこだ」
すっかりへばってしまった弟子に対して、俺は山向こうに広がる広大な盆地を指さした。
座り込んだままの彼女に単眼鏡を手渡すと、眼下の盆地の様子を眺めさせる。
「盆地の周囲を囲っているのは木の柵だな。随所にはかがり火と、それに衛兵の詰め所が点在している」
俺は順次、華流に見えているものを説明してやった。ちなみに俺自身は司守なので、月と星の光で十分に闇を見通せる。
「代々、帝國皇帝の私有地たる椿公園、俗に『椿之浄土』と呼ばれる自然保護地区だ」
「今回の開花対象は、ここの椿全部なの?」
「話が早いな」
華流は単眼鏡をあちこちに向けつつ、首を傾げた。
「公園の周りはどこも、衛兵さんが定期的に巡回してるみたいだけど......? 通行手形なんて持ってないって、先生言ったよね?」
「あぁ、当然ながら不法侵入だ」
「日本刀で正面突破?」
「まさかまさか」
「じゃあ一体、どうするのよ?」
単眼鏡を下ろして問うた弟子に、俺はニヤッと笑みを見せる。
「こうするんだよ」
次の瞬間、俺は華流の腰をグイッと引き寄せた。
「えあ、ちょっ......!?」
抵抗する彼女の背と膝とを強引に抱え上げると、所謂『お姫様抱っこ』の姿勢で俺は彼女に笑いかける。
「さぁお嬢さん、準備はいいか?」
「え? あ、うん......?」なぜか緊張した面持ちで答える華流。
その答えを聞くや否や、俺は地面を強く蹴りつけ――。
そして、次の瞬間。
満点の星月夜へと跳躍した。
□ □ □ □
顔に強く吹き付ける風圧に、華流はぎゅっと目を瞑る。シャープなデザインの軍服が風を切る音が、耳に鋭く打ち付けた。
しかし再び目を開けた時、師弟は煌めく星々に囲まれていた。
「えわ、私たち飛んでるの?」
間近で問うた華流に、俺は微笑んでみせる。
「飛んでいるんじゃない、ただ強く地を蹴っただけだ」
遥かな眼下には今や、衛兵の詰め所やかがり火の光が瞬いて見えた。師弟揃いの軍服カーマが、高高度の乱気流にはためく。
「......こうやって公園に入るんだね? もの凄く大きなジャンプで」
「ご名答。これも司守の力だな」
不意に、腕の中で華流が身をよじった。
俺は弟子を落としてしまぬよう、両の腕に力を込める。だが華流は片手だけを天に伸ばすと、掌を煌びやかな星々にかざした。
「まるで、星に手が届きそう」
もう片方の手で単眼鏡を握りつつ、うっとりとそうつぶやく。
「......あぁ、そうだな」
そういえば、俺が初めてここに来た時。
俺が今の華流の立場だった時も、そんなことを思ったような気がする。
師は、もういないけれど。
師弟二人の影が、翳りに似た下弦の月を横切った。
そして次第に高度を失うと、二人は落下し始める。
「しっかり掴まれ、華流」
俺はそう、弟子に忠告した。
「少々、荒っぽい着地になるぞ」
□ □ □ □
「――ケホッ、ケホッ! ね、ねぇ、もうちょっと格好良く着地できなかったの?」
「だから、注意しろって言っただろう?」
「う〜!」
派手な着地のせいで噎せ、未だに咳き込んでいる弟子のことは一旦置いておくと、俺は周囲を見回した。
自然保護区域『椿之浄土』には、太古より手つかずの椿林が残されている。
ただ故国の桜乃島とは違って、人々の信仰と自然との融和などは見られない。まぁ帝國らしいと言えばそうだが。
とはいえ年に数回、特に冬の開花後には一般公開されるのもあり、公園の一部には遊歩道や、小川には橋が架かっている処もある。
だがそれら一部を除けば、完全にただの鬱蒼とした原生林であった。
弟子の肺も復活したようなので、俺たちは遊歩道を辿ると公園の奥へと入っていく。
「ここの椿を、全部が全部咲かせなきゃいけないの?」
周囲に生い茂る照葉樹の木々を見上げ、華流は訊ねた。
「まぁそうだな。とはいえ、ここの椿はすべて地下で繋がっている。故に公園の中央にある御池の前で開花の儀を行えば、連鎖的に他の椿も花開くはずだ」
「へー、凄いスケール......」
感心したように木々を見回しながらつぶやく華流。珍しく興味を持ったようなので、俺はさらに語りかけた。
「それなら御池に向かうまでの間、この公園の歴史を話してやろうか?」
「ん、じゃあお願――」
「待て」
俺は不意に、痺れるような寒気を感じて足を止めた。
生ぬるい風が吹く。
しかしこの感覚――この身体の内奥が凍りつくような感覚には、遠い昔、幼い頃に覚えがあった。
「――伏せろ!」
「ほぇ?」
俺は皆まで言わずに、弟子の華奢な身体を突き飛ばす。
ダンッ!
――次の瞬間、先程まで彼女のいた空間を貫通して、一本の真紅の矢が遊歩道に突き刺さった。
「!」
思わず息を飲む華流。
俺は瞬時に言霊を叫んだ。
「大地を巡る息吹よ、護らせ給へ!」
直後、周囲の地面より太い幾多の木の根が立ち上がった。それらは互いに絡み合いつつ、俺と華流とを包み込む様に半球状に編み上がる。
木の根で出来た即席ドームの外殻に、再び複数の矢が撃ち込まれた。揺らぐ根を一瞥し、俺は念のためさらに術を展開。
「千面方陣!」
光り輝く防護魔法陣を周囲に張り巡らすと、一息ついて俺は華流に向き直った。
「これで暫くは、大丈夫だろう」
「いや、いやいやいや......!?」
目を白黒させる弟子に、俺は事情を説明してやる。
「どうやら『木枯らし』に見つかったらしい」
「コガラシ? 公園の衛兵さんとは違うの?」
緊張した声色でオウム返しになる華流を正面から見返すと、俺はその問いに答えた。
「『木枯らし』とは、俺たち『告げ人』と真逆の存在だ。花を咲かせる植物からエネルギーを吸収して力を得る、道を外れた司守たち。トレードマークは真紅の装束だ」
俺は心中、密かに舌打ちをした。
「だからこの旅に、お前を連れて来たくなかったんだ......!」
だが、今となっては仕方ない。
愛刀『斬華』の柄を握ると、俺は弟子に告げた。
「さぁお嬢さん、今度こそ正真正銘、日本刀で正面突破の時間だ」
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