幸せはどこ?・シャーロット視点⑩



 この日、屋敷へ来て初めて当主家族が住む居住区の清掃を任された。

 ここへ来て半年経つけれど、わたくしは未だにこの屋敷の当主夫婦に会ったことはない。

 こんな見た目だし、わたくしが犯した罪はご存じないと言っていたから、もしかしたら気付かないままわたくしという面倒を押し付けられた方なのかもしれないと、まだ見ぬ当主夫婦に同情もした。

 近くで普段通り監視している男の存在も気にならないくらい目の前の仕事に没頭していたわたくしは、各部屋のゴミを回収し窓を開けながら部屋から部屋へ移動していると、ふと一室の扉が薄く開いているのを見つけた。

 この部屋が誰の部屋なのかわたくしには分からないが、ゴミを回収する為ドアノブに手を伸ばすと中から誰かの話し声が聞こえてきた。


 その声が聞こえてきた瞬間、一瞬で心臓を鷲掴みされたように苦しくなり、熱くもないのにいつの間にか握りしめていた手に汗が滲んできた。


 (どうして……)

 (嘘よ、そんなはずないわ。だってあなたは……)


 本能でこれ以上先へと進む事を拒否しているのに、わたくしの身体は見えない糸で操られたみたいに自然とドアノブへと手を伸ばしていた。

 元々薄く開いていた扉は少し押しただけで簡単に開いた。目に飛び込んできたそれは、どこまでも幸福が続いているような、そんな優しい光景だった。

 寝台に横たわる相手に向かって声の主は、どこまでも愛おしそうに言葉を紡いでいた。


 「今日は君が好きなガーベラが綺麗に咲いていたから、庭で摘んできたんだ。次にガーベラが見頃になる頃には二人で庭を散策したいね」


 そう言って寝台に横たわる相手の手を両手で握り、声の主はまるで縋るように自分の額に手を当てた。


 「クラリス、どうか目を覚ましてくれ。僕には君しかいない、君だけなんだ」


 叫びにも似た言葉を紡ぎながら、彼は祈るように身を屈めた。

 そんな彼は、私が恋焦がれて壊した相手──テオドア殿下だった。


 (どうして殿下がここに……)

 (貴方が握りしめているその手はエイブリー様の……)


 呆然と目の前の光景を見つめていると不意に頭上から聞き慣れた声がした。


「お前とその友人の感情ひとつで壊したあの二人をその目でよく見ておけ」

 

 いつの間にか側まで来ていた男は、目の前の光景に顔色ひとつ変える事なく淡々と言い放った。

 今まで目を逸らしていた現実を目の当たりにし、咄嗟に逃げようとしたわたくしは、しかし男に無理矢理身体を抑え付けられその場に拘束された。

 これ以上目の前の光景を見ていられなくなった私は、せめてもの抵抗で目線を下げてみたけれど男はわたくしの顔を容赦なく掴み、その乱暴な行動にそぐわない静かな声色で口を開いた。


 「これで満足か?」

 「……っ」

 「お前のくだらない恋慕の結果がこれだ。なあ、あの二人を壊して満足したか?」

 

 そう言いながらもわたくしの顔を掴む手は容赦がなく、爪が食い込むほどに強い。

 顔を背ける事も許されないわたくしは、目の前の光景をただ見ている事しか出来なかった。


 (違う……違うわ)

 (こんな結末、望んでなどいなかった)

 

 わたくしはただ、自分の為に作られた世界で幸せになりたかっただけ。

 前世からずっと変わらない理想の男性像である殿下と幸せになりたかっただけ。

 わたくしはどこで間違えたの?

 ううん、きっと最初から間違えていたのかもしれない。


 あの時、殿下に一目惚れなんてしなければ……。

 あの時、ライアンの誘いに乗ったりなどしなければ……。

 選択さえ間違えなければ、きっとわたくしは身の丈に合った幸せを掴む事が出来た筈なのに。

 それでもわたくしは何度同じ時を繰り返しても殿下を諦める事は出来ないだろう。

 今だって痛ましい彼の姿を見ても、心が躍るのだから。


 (好き……私を見て)

 

 堰を切ったように流れるこの涙が、何を意味するのか今のわたくしには考える事が出来ない。

 それでも、こんなに彼を愛しく想っても、殿下がこの想いに応えてくれる事は永遠にない。それだけは分かる。


 (──ごめんなさい)

 (それでもわたくしは、この想いを捨てられない)


 誰に対する謝罪なのか、わたくしにも分からない。

 だけどひとつだけ分かっているのは、この先どれだけ時間が流れ強く願っても、殿下がわたくしを見る事は決してないという事だけ。

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