【小論文もどき】実力とはいかようなものか 2023年現在

伽噺家A

実力とはいかようなものか

 何かしらの目標を達成するためには、持っている実力で挑戦し、可否の審判を受ける。 ある目標のために発揮できるパフォーマンスのことを実力と定義する。目標の障壁の高さと、実力の高さの大小関係により、達成または未達が審判されるということである。

 よって、目標の達成のためには実力が高くある必要がある。

 ではその実力というのはどのような要素で構成され、いかにして高くなるのであろうか。


 私は実力の要素は六つあると考える。ABCDEFと名前をつける。

 六つの中でもABCD の四つは事前のもので、EFの二つは挑戦の場で発揮されるものだ。

 A は「努力」。これは二つの要素から成り立つ。目標達成のための基礎力の養成という要素と、目標達成のための問題をパターン化して解決を図るための、いわば練習的要素である。この努力の結果量を「力量」と名付けることにする。努力の良いところは際限がない。時間と体力の許す限り積み重ねることができる。力量についてはその通りではないのだが、これは後に示す。

 B は「環境」。これは四つの要素から成り立っており、体や手指の大きさや発達段階といった体に関すること。仲間やコーチ、家族といった人間関係に関すること。気候や気温、光量といった自然に関すること。道具や練習場所といった設備に関することである。A と密接に関わる部分もあり、B がなければA がままならない場面もある。また、体の大小のみで優劣の大部分が決してしまう目標もある。

 Cはここでは「センス」と呼ばせてほしい。本来の意味とは違う使い方をすることをご了承願いたい。これは努力により到達できる力量の最高値である。センスを上限として力量の値はとられる。センスの何パーセントかが努力によって到達できる力量である。センスは最初からある一定の値を持つ。そして、伸ばすことができ、努力により伸びていく。しかし、努力と違うのはセンスの値には各人の上限がある。センスの限界以上には伸びることがない。いくら努力を重ねても目標が達成できなくなるのは、センスの上限、同じく力量の上限に起因する。

 Dはここでは「才能」と呼ばせてほしい。こちらも本来の使い方とは違うことをご了承願いたい。これは努力により伸びる力量と、努力により伸びるセンスの上り関数の傾きとその切片である。平たく言えば、切片とは何かを初めた時にできる力量の事である。上り関数の傾きというのは一時間の努力に対して、力量とセンスの各々の上り量の事である。そして、才能は生まれつきのものであることが重要だ。神様からもらったものであり、こればかりは努力で解決することはできない。

 ここまでが事前の準備で獲得することができる力量の要素である。

 次に、Eは「状況対応能力」である。目的の達成のための諸問題に対応する際に、練習通りやりたいがそううまくはいかない。まったく同じ状況で諸問題に向かうことは不可能だからだ。なので、練習とのずれをカバーするためには状況対応能力が必要になる。またこれは三つの要素からなり、自身の心身のコンディションに関すること、環境に適応すること、相手に対応することである。目標達成のための心身のコンディションは事前準備の要素を多く含むが、後の二つは、その場の要素も必要となる。特に相手に対応することは、相手のことを調べ、作戦を練る段階と、実際のその場での対応能力が必要となる。

 最後にFは「運」である。これについては、各人の裁量で解釈していただきたい。

 以上AからDの四つの要素の力量と、EFの要素の合計量が、何かしらの目標達成のための実力として定義される量または高さとなる。この高さが目標の高さを超えている場合、目標を達成することができる。


 目標を達成する必要がある場合については、ABCEの項目について方法論を精査し努力を積み重ねる必要がある。目標が達成できた場合について、ABCDEFのすべての項目についてどの要素がよくはたらき、どの要素が小さかったかを考え、復習することでさらに実力が伸びる。

 では、目標が達成できなかった場合はどうだろうか。目標が達成できなかった場合はABCDEFの項目について実態を把握するする必要がある。

 Aが不十分だった場合は、努力の時間と質を考え直すべきである。努力を作業としていなかったか、時間は十分だったか、内容はすでにできるものを行い満足しているだけではなかったか等、反省をする。

 Bが不十分だった場合は工夫が必要である。自身で改善できるものもあれば改善できないものもある。場合によってはBが不十分なために諦める必要も出てくる。ちなみに諦めるについては後で記す。

 Cが不十分だった場合は、自分の才能を信じて努力するのみである。自分の力量がまだ上限には達していないと信じ、また、上限がまだ上昇すると信じ努力を積み重ねるだけである。

 Dは少し特別で、Dのみが不十分だった場合は現状に満足するか諦める必要がある。どうしようもないことはどうしようもない。

 Eが不十分だった場合は実践練習を積む必要がある。ありとあらゆる場合に対応することは不可能だが、実戦経験により対応力の幅を広げることができる。

 Fについては申し訳ないが私は知りえない。

 実際には複数の要素に起因するが、一つ一つ精査し、次のチャンスがある場合には二の轍を踏んではならない。現状、先人が多くの成功と失敗を積み重ねていただいているので、それを自身の経験として蓄えることも推奨したい。


 加えて、諦めるについてである。人間の三大欲求以外はすべて「くだらないこと」である。自身が大切に思っていることでも、他人から見たら大いに無駄な事である場合が多い。自身が達成したかった「くだらないこと」はどこかの誰かが達成するので、自身はまた別の「くだらないこと」を探すか、「くだらないこと」と「くだらないこと」の間の時間を怠惰に過ごせばよいのである。また、目標達成のための実力の高さが低い「くだらないこと」で満足し続けることも悪いことではない。


 最後になるが、私が、ダサい、しょうもない、みっともない、節操ないと思う恥ずかしい人間について書かせていただきたい。それは実力に伴わない振る舞いをする輩である。自身が出せる結果以上の振る舞いをしてはいけない。すべての行動の前に自身の振る舞いは正しいものであるかを精査したい。また、努力している人間を馬鹿にするような行為は許されざる行為である。

 加えて、最高位の人間になれるのは一握りであり、その人間も最高位であれるのはごく短期間だけという現実を受け入れる必要がある。それ以外の人間はすべて下位互換である。ほとんどの人間は、実力が最高位の華々しい人間とは違い、分相応の幸せを求め、粛々と生きる必要があるのである。


 以上のすべて理解したうえでも、自分はかけがえのない人間であると心から思えた時、目標の達成とは別の次元で、完成された「人」となる。

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