スキル 言災者



 ——起きて。


 そんな声が聞こえた気がする。幻聴のように不安定で、はっきりと聞こえない声。

 ただ、随分と聞き慣れた声色なのは——多分これも気のせいだろう。


 ——ちょっと! 起きてってば!


 なんなんだこの声は。

 エコーが掛かって聞き取れないほどあやふやな存在なのにとても主張してくる。

 おそらく俺を起こそうとしているのだろう。わずかに聞こえる「起きて」の声が正直鬱陶しい。


 俺の意識はもう起きているというのに、何故こんなにもしつこく「起きて」と連呼されなきゃいけないのか。だいたい、俺は意図して寝たわけじゃない。

 突然教室が光りだしたと思ったら強烈な眩暈に襲われて気を失ったんだ。

 だからこれは仕方ないこと。俺が寝ているとしても、それは俺のせいじゃない。


 ——なんて思っていたところで、気を失う直前に杏理が「異世界転生するお話みたい」と言っていたことを思い出した。

「——はッ」

「あ、やっと起きた」

「おはよう——ってそうじゃない。今の状況は⁉」

 気を失う直前に杏理が言った「異世界転移」が本当に起こったのだとしたら、記憶の中のそういった話は十中八九、転移直後の状況がよろしくなかった。


 魔物の群れの中で目が覚めたり、誰もいない洞窟で一人目が覚めたり、目が覚めた瞬間が処刑される直前だったり——と、パターンはいろいろあるものの、その全てが不穏な始まりだった。


 そんな状況は御免こうむりたい——と思い、辺りを見渡して自分の置かれた状況を把握しようとした時。

「——全員、目が覚めたようだな。勇者たちよ」

 という低い声と共に、思い思いの体勢で座ったままの俺たちの前に一人、王冠を頭に乗せた、いかにもな男が姿を現した。


 これはまさか、本当にしてしまったのか異世界転移。

 夢であるなら早いところ覚めて欲しい。誰でもいいからこの状況を否定してくれ——という願いと共に、俺より先に目覚めていたらしい杏理の方を見る。

「えーっと、こういう状況……って言えばいい?」

 杏理に期待した俺がバカだった。

 これじゃあ、本当に異世界転移したという確信しか抱けない。悲しきかな、杏理のおバカ発言によって異世界転移したと証明されたわけだ。

「あー、終わった。最悪だ……」

 高校三年生という年頃にぶっ刺さるイベントとあって周りのクラスメイト達が歓喜の声を上げる中、俺は現実世界に残してきたゲームに思いを馳せ、もう二度と出来ないという現実に落胆した。




「我はバーリント王国の国王であり、バーリント三世という。此度、そなたらを召喚したのは他でもない、魔に与する者どもから我々を救ってもらうためである」


 いきなり異世界に飛ばされて困惑している俺たちに対して、もはやお決まりの上から目線なお願い——と称される命令。

 異世界の国王に礼儀というものを説いても仕方ないと言えば仕方ないのだが、初対面の相手に高圧的な態度をとるのはいかがなものか——と、思わずにはいられない。

 仮にも頭を下げる立場なのだからそれなりの対応というものがあるだろう。

「——やってらんねーよ。こんなの」

 考えてもみれば——いきなり異世界に連れてこられた挙句、国のために戦えと言われているのだ。

 現実世界に置き換えるとしたら、下校中——いきなりスタンガンで気絶させられ、怪しげな場所に連れ込まれたと思ったら「ヒモになりたい俺のために働け」と人攫いから言われている状況と大差ない。


 それなのにクラスメイト達は興奮冷めやらぬ様子で、熱心に国王の話を聞いている。

「……なぁ杏理、これやばくね?」

「うん、ヤバい。……すごく楽しそう!」

 ——あぁ、ダメだ。

 どうやら杏理は完全に心が異世界転移してしまったらしい。

 いくらバカでもさすがにこの状況のおかしさに気づいてくれると思ったんだが、他のクラスメイトと同様に目を輝かせている。

 宗教信者のように国王の話を熱心に聞くクラスメイト——という目の前の異質な光景を誰かに伝えたい——のだが。

 普段杏理としか話してこなかったせいで誰にも伝えられない。


 ——そう。俺は杏理のことをバカだと言っているが、陰キャの俺に話しかけてくる奴なんて杏理のようなバカしかいない。それ以外にいるとしたら嫌味しか言ってこない委員長くらいしか……。

「質問よろしいでしょうか」

 そんな嫌味な委員長は、異世界においても変わらないらしい。意味のない正座をして、腕をピシッ——と真っ直ぐに伸ばし、国王に質問の可否を聞いていた。

 ここは日本じゃねーよ——と、思わず突っ込みたくなるくらいに。

「……質問、だと? ——構わんぞ。何が聞きたい」

「ありがとうございます。それで質問ですが——私たちは元の世界に帰れるんでしょうか」

 どうやら委員長は心まで異世界転生したわけじゃなさそうだ。というか、俺の代わりにそれを聞いてくれてありがとう——と、お礼を言ってあげたい。


 ぶっちゃけ俺は異世界に興味なんてないし、今も速攻帰りたいと思っている。

 だからこそ、元の世界に帰れるかどうかは非常に重要な訳だが——。


 心まで異世界転生した人間には要らない情報なのだろう。

「いやいや、帰れるかどうかなんてどうでもよくね? そんなことよりスキルの情報でしょ!」

「向こうに帰っても親とかウザいだけだしねー。この国に住めばいいのにさぁ」

「そうだよ。戻ったっていいことないじゃん」

 日本に帰りたくないという奴らによって委員長へのブーイングが巻き起こる。

 その罵声を一心に受けて、心なしか真っ直ぐに伸ばされた腕が震えたように見えた。

「貴様の友らは帰るつもりなど無い様だが?」

「……私は帰りたいので。教えてもらえますか」

 最初に質問した時の堂々とした威勢のよさを全く感じられない、消え入りそうな声で委員長は国王に尋ねた。

「残念ながら、今すぐ貴様を返してやれるわけでは無い。……そうだな、どうしても帰りたいというのであれば、魔族を滅ぼしてから我の所へ来るがいい」

「——ですが! 私たちには何の力も——」

「転移したものは特別な力をその身に宿す。その力を上手く活用することだな」

 食い下がる委員長に国王は見放すように告げて、護衛の騎士と共にどこかへと去っていった。

 そうして国王の姿が見えなくなった途端、あちこちで「ステータス!」という聞いていて恥ずかしくなる言葉が聞こえてくる。


 ——出来ることなら今すぐこの場にいる全員に説教してやりたい。

 お人好しの委員長は、何も考えずに異世界転移という夢のような展開にはしゃぐだけのお前らに代わって重要なことを聞いてくれてんだぞ! と。

 それをどうでもいいと言い、嘲笑うなんて舐め腐っている。


 だが、今俺がそれを言ったところでこいつらは何も変わらない。多勢に無勢すぎる。二対残りのクラスメイトという状況じゃ、出来ても杏理を説得するのが限界だ。


 ——所詮、俺は口が達者なだけの普通の高校生に過ぎないのだから。

「……ステータス」

 そんなことを考えていたから——だろうか。

 嫌々開いた自分のステータス画面に、意味の理解できないスキルが表示されていた。

言災者げんさいしゃ……? なんだよそれ」

 名前を見ただけではどんな能力かすら分からないそのスキルに、俺は何故か妙に見入ってしまった。



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