番外編 3 サンドラの場合
番外編 3 サンドラの場合
「ようやっと予約が取れたと思ったら、アグライア先生の弟子による授業となっているらしいんだ。それはそれでどうなんだろうと思ったんだが、弟子の授業でも十分に受ける価値があると言うし、箔付にもなる。しかも授業料は前より安くなっていると言うのだから、サンドラ、お前もマッサージ教室に行って来なさい」
父の執務室に呼び出されたサンドラは、美しく塗り上げたマニキュアを指先で撫でながら、
「え〜、超めんどうなんだけど〜」
と言って、その可愛らしい顔を風船のように膨らませた。
サンドラ・バズマンの薔薇の花のような唇はボテッとして、唇の横の黒子が色気を増大させている。だと言うのに、小ぶりの鼻と少女らしい円な瞳がアンバランスさを引き出して、何とも言えない色香を醸し出しているのだった。
彼女は小柄なのに胸が大きく、胸が大きいというのに腰がくびれている。男たちを大変ドキリとさせるプロポーションを持つ上に、
「私だって決してヒマじゃないのに〜」
喋り方が舌ったらず過ぎるが故に、体目当て、遊び目当ての男ばかりが寄ってくる事態に陥っているのだった。
バズマン伯爵家は商売で成功した新興貴族であるだけに、伯爵家の子供たちは全員、何かしらの商売に関わるようになっている。長男、次男は国外との取引を密に行なうことで、戦後の不景気に煽られない骨太の交易を行なっているし、妻はお抱えのオートクチュールで最先端のドレスを作り出している。
そんなバズマン家の一人娘となるサンドラが手掛けているのが『マニュキュア』で、王都に構えた店舗もそれなりの収益をあげているのだった。
「忙しかろうが何だろうが、とにかく、講習会には参加しなさい!」
「ええ〜?」
「ええーじゃない!」
男に媚を売りまくっているように見える容姿を何とかしようとした時期もあるのだが、最先端のドレスを作りだす妻の技術を持ってしても、娘を『貞淑』な見かけにすることが出来なかったのだ。
灰色や黒の地味なドレスを用意したとしても、特別な趣向を持つ誰かを刺激しそうな容姿にしかならないし、何を着ようが、色っぽい口元の黒子とボテッとした唇が、全てを台無しにしてしまう。
結果、本人に一番似合うドレスを着用することを認め続けた結果、
「一晩だけで良いからお相手して欲しい!」
と、みんなから思われるような令嬢が誕生してしまったのだ。
そんなサンドラは、見かけも喋り方もアレだが、今は自分の店の二号店を開くために奔走しているくらいに根が真面目なのだ。今までは親や二人の兄で強力なブロック体制を築いてきたけれど、結婚適齢期を迎えた娘をいつまでも完璧に守り続けられるわけがない。
そんな訳で、娘を『マッサージ講習会』に参加させることで、見かけと違って中身は真面目なんですよアピールをしようとした伯爵なのだが、
「お父様〜、マッサージ講習会には行ったんですけど〜、爪が長いから参加できないって言われちゃいました〜」
と言いながら帰ってきた娘を屋敷で出迎えて、その場で崩れ落ちてしまったのだった。
◇◇◇
「すみません、お嬢様のその爪の長さでは、マッサージの実地研修を行うことが出来ないのです」
受付の女性は、サンドラの美しく塗り上げられた爪を眺めながら、申し訳なさそうに爪切りを差し出して、
「今すぐ爪を切るか、講習会を辞退するか、どちらかをお選び頂くことになるのですが?」
と、言い出したのだった。
「ええ〜!爪を切るのぉ〜?」
綺麗に整えられたサンドラの爪は、龍を七色の虹で描いたもの。この長さだからこそ表現できる美なのであり、爪切りで切ってしまったらこの作品を終焉させることになってしまう。
「だったら講習会は諦めることにします〜、講習会の費用は返金して貰えるんですよね〜」
「はい!もちろん全額お返しすることになります」
即座に講習会の辞退を申し出たサンドラの後の方から、今回講習会を受ける伯爵家の令嬢が、
「最初からやる気なんてなかったのでしょう?」
と、言い出した。
「男を誑かす技に長けたサンドラ様が、今更、マッサージの技術を習得する必要などありませんでしょう?」
するとその隣に居た令嬢もそう言って、嘲笑うようにサンドラを見る。
「「マッサージはマッサージでも、殿方を喜ばせる別のマッサージはお得意なんでしょう?今更、正統なマッサージを覚える意味もないのでは?」」
令嬢たちが言う、殿方を喜ばせる別のマッサージとは何だろう?と考えながらサンドラが、問題発言をした令嬢に対して質問をしようとしたところ、
「こちらの方でも、参加者様に対して説明不足があったことは認めます。誠に申し訳ありませんでした」
受付嬢が頭を下げて話を打ち切る形となったため、首を傾げながらサンドラはその場を後にすることにしたのだった。
研修会場の外に出たサンドラは、離宮を囲む美しい庭園を眺めながらベンチに腰をかけることにした。父がこの講習会を自分に受けさせることで、他人から色々と言われる自分を少しでも真っ当にしようと考えていることには気が付いていた。
マッサージの講習会一つで世間が言うところの真っ当に近づけるとも思えないのだけれど、受付で断られ、父の思いを無碍にした自分自身が情けなくて、思わず体が伯爵邸に帰ることを拒否してしまったのだ。
「あの・・あの・・・」
誰も居ないと思って頭を抱えて俯いていたサンドラは、まさか誰かに見咎められるとは思いもしない。
「ご気分が悪いんですか?大丈夫ですか?」
「ありがとう〜、たぶん大丈夫だから〜」
サンドラを心配そうに覗き込んでいたのは、夜の帷を降ろしたような漆黒の髪を後一つにまとめた菫色の瞳の女性だった。
心配そうに隣に座る女性を見ながら、サンドラは思わず大きなため息を吐き出してしまった。
「この爪が原因でマッサージの講習会を断られちゃったのね〜。お父様は〜、私が講習会を受けてまともになるのを期待していたのよ〜。だからぁ、お父様を裏切っちゃったのは間違い無いから〜、それで落ち込んでいただけで〜」
初対面の女性だと言うのに、おそらく話しやすい雰囲気だったからだろう。
知らぬ間に、サンドラは自らの思いを吐露していたのだった。
結婚適齢期となって自分は何処かの貴族の家に嫁がなければならないのだけれど、周りの貴族令嬢たちは辛辣だし、集まってくる貴族令息たちはエロでバカの集まりだし、社交界で婿探しと言われても、吐き気がするほど嫌になっていること。
自分が今、夢中なのは、商会で扱っているマニュキアを使って爪の上にアートを作り出すことであり、爪を切ってマッサージをすることは自分の世界を壊されることを意味していること。
「今の世の中って〜、マッサージが出来なければ素敵な夫を捕まえられないって言うんでしょう〜、それじゃぁ爪を切らなくちゃいけなくて〜、そんな短い爪しかない世界って〜、それほぼ地獄って感じだし〜」
「なるほど!サンドラ様はネイリストだったんですね!」
「ねいりすと?」
「爪の上に美しいアートを作り出す人のことを言うのです」
「それじゃあ!私〜!そのネイなんとかだと思う〜!」
菫色の瞳の女性は、そもそもこの世の中の全ての男性がマッサージが好きという訳ではないこと。首周りや背中を触られるのも嫌だという人は一定数いるし、そもそも、自分の肩の凝りや首や背中の凝りを自覚しない人も居るので、絶対にマッサージが生きていく上で必要だという訳ではないと言い出したのだった。
「そんなことよりも、貴女には無限の可能性があるわ!」
「ええ〜?私に無限の可能性〜?」
◇◇◇
バリシュ・ブラウン伯爵は強面だ。
軍人としてラテニア戦でも戦ったし、それなりの戦果もあげて凱旋帰国も果たしたのだが、戦争で活躍した、戦争で勝った、やったー!で終われるほど世の中は決して甘く出来ていなかった。
「バリシュ様、貴方様の疲れた心を私のマッサージで癒してあげたいですわ!」
「首筋がお凝りではないですか?私が今すぐ揉みほぐしてあげます!」
「バリシュ様!バリシュ様!バリシュ様!」
今まで強面軍人の自分になど見向きもしなかった令嬢たちが、手のひら返しで群がってくる。しかも、マッサージ、マッサージ、マッサージと、姦しく騒いで鬱陶しい。
今までは貞淑な淑女たるもの〜という理念から、女性から男性に対してボディタッチをする事はマナーとして禁じられてきたものなのに、
「マッサージですから!」
の一言で、セクハラまがいのボディタッチが許される。
終戦後、父が退いてすぐに爵位を継いだのも目立つ原因になったのだろうが、毎日が苦痛で苦痛で仕方がない。
「ブラウン少将、君、早く嫁を貰わないからそんなことになっているんだと思うよ?」
「殿下にだけは言われたくないです」
直属の上司であるオスカー・ダーフィト第三王子は、書類を受け取りながらしかめ面をするバリシュの顔を見つめると、
「そうだな・・戦で活躍した君のために、僕がお膳立てをしてやろう」
と、突然言い出したのだった。
部下の婚活のお膳立てをするくらいだったら、まずは自分のお膳立てをしろと苦々しく思ったものの、あっという間にバズマン伯爵家の令嬢、サンドラとの顔合わせの場がセッティングされてしまったのだ。
サンドラ嬢といえば夜の蝶としても有名で、あっちの男性こっちの男性と移動をしては浮き名を流しているという噂話をバリシュは聞いたことがある。つまりは、この強面を使ってバスマン家の問題児を調教しろとでも言うのだろうか。
「まあさ、かなり面白い令嬢みたいだから、まずは彼女の話を聞いてやってよ」
と、殿下に言われてしまえば否はない。
王立植物園内にある貴婦人たちが利用する豪奢なカフェの個室へと移動をして、問題のサンドラ嬢とバリシュは顔合わせをすることとなった。
木々の木漏れ日が差し込む個室は小さなサロンとなっており、ガラスで四方を囲まれていることから、鮮やかに咲き乱れるラナンキュラスの花を眺められるようになっている。
問題の令嬢は・・確かに胸は大きい、小柄なのに胸が大きい。胸が大きいのに腰が異様にくびれているので、男たちが涎を垂らすほどの魅力のボディの持ち主だという事には気がついた。
この魅惑のボディは彼女の武器である。口元のホクロも、ぼってりとした魅力的な唇も彼女の武器だ。そこには目を向けずに、少女らしいつぶらな瞳のみに視線を向けた。
「私はバリシュ・ブラウン、ブザンヴァル王国軍陸軍所属、最終階級は少将となるが、近々陸軍を退役して、伯爵家の領地の内政に力を入れようと考えている」
バリシュが椅子に座るなり、ぶっきらぼうに自己紹介をしたものだから、給仕が少し驚いた様子で視線を左右に動かした。
もちろん、あまりの無礼に令嬢も辟易としたに違いない。さあ、どんなヒステリックが飛び出して来るのだろうかと、覚悟を決めてバリシュが視線を固定させると、
「ええ〜!本当に来てくれるなんて思わなかった〜!嬉しいです〜!」
と、サンドラが嬉しそうに手を叩きながら言い出したのだった。
「幾らラメの種類を増やしたいからってぇ、ブラウン領の鉱山に入りこむのは難しいって皆んなから聞いていたから半分以上諦めていたのね〜。だけどアグライア様がきっと大丈夫とか言い出すし、ウルスラさんがブラウン領にはコネがあるとか言い出して〜、半信半疑でここに来たんだけど〜!本物のブラウン伯爵にお会いできて本当に嬉しいです〜」
と、言いながらサンドラはまだ拍手を続けている。それにしても、彼女の台詞の中には聞き捨てならない言葉が含まれていた。
「鉱山というのはどういう事なのか?」
「それじゃあまず、私の仕事について説明させてね〜」
バズマン伯爵家は商売に成功して出世した家なだけに、子供たち全員に商売のイロハを教えるしきたりのようなものがあるという。サンドラは子供の時から夢中になっていた『マニュキア』を扱う店舗を立ち上げたのだが、アグライア先生に出会うことによって、マニキュアを売るだけでなく、女性の爪の上にアートを作り出すことを始めたという。
アグライア先生の離宮のサロンには高位貴族のマダムたちが多く訪れるので、そのサロンにサンドラの『ネイルサロン』を併設したところ、斬新すぎる爪のアートが王妃様や公爵夫人たちのお気に入りになったという。
そういった関係から、日々、爪をどうやったら鮮やかに美しく出来るのかと研究を続けていたのだが、最近、サンドラが特に夢中になっているのが『ラメ』と『パール』なのだという。
「ブラウン領は宝石の産地として有名だと思うんですけど〜、貴婦人たちの宝石の加工の途中で出た屑石とか粉とかを加工させて私のアートに取り入れたいと思ったのね〜。ブラウン領の宝石加工場は完全なる領主様の持ち物でぇ、門外フッシュツ?絶対に見られないって言われてたんだけどぉ、私が欲しいのはクズとか粉でしょう?捨てるのは勿体無いとか思わな〜い?」
「うー〜ん」
正直に言って、加工途中で出たクズ石や粉などゴミ以外の何物でもない。回収した業者が何かに転用している訳でもないし、爪のアートに利用されることに何の問題も生じない。
「一つ聞きたいのだが、私は君と、今後、結婚を前提とした付き合いをする事も含めて、この場をセッティングされたという理解で居たのだが?」
「誘き出すための理由付でしょ〜?」
美しい仕草で紅茶を飲んでいたサンドラはあからさまにため息を吐き出した。
「私ってぇ、一応、格としては同等の伯爵家の娘ということになるでしょ〜?だから、一応義理を果たすという意味で顔を出すかもしれない、しれないけど〜、全然自信がなかったんだよね〜」
「なんで自信がなかったんだ?」
「だって〜、私は〜、みんなと違うから〜」
「何が違うんだ?」
「スタイルもスットーンとスレンダーでもないしぃ、話し方もこれでしょ〜?頭悪いって思われるのはいつものことだし〜、それで商売の出だしが上手くいかないのもいつものことなんだ〜」
サンドラは控えていた侍女に書類の束をこちらの方に持って来させると、バリシュの前に差し出して説明を始めたのだった。
「一応〜、お父様とも相談して決めたんだけど〜、大体の仕入れ値はこんな感じで〜、月々の取引量としてはこれくらいで〜」
「うちではゴミクズでしかない物に対する支払い金額が高すぎるように思うのだが?」
「私が相手にしているのは太客も太客だから〜、中途半端なものは用意できないんだよね〜。この値段で問題はないんだけど〜、だけどやっぱり実物は見て歩きたいというか〜」
まとめられた書類の形式もまともな物であるし、金額の設定についても、相手が王妃様とか公爵夫人など、錚々たるメンバーだというのなら、確かに理解できる金額である。
購入前に目で見て判断したいという気持ちも良く分かるし、正規のルートで申請していたら、確実に却下されているだろうともバリシュは思ったわけだ。
書類に一通り目を通したバリシュは、この目の前の令嬢が決して噂通りの令嬢ではないという事に気が付いていた。体だけを武器にした頭の空っぽに高位の貴族の相手は到底できない。ただ、キャラクターというか、喋り方に問題があるだけ。
アーティストとはそういった物だろうと受け入れる寛容さが、芸術家のパトロンになることも多い高位の身分の夫人たちにはあるのだろう。
「そういえば、君はマッサージは出来るのか?」
最近の令嬢たちのマッサージ押しを思い出したバリシュが問いかけると、サンドラは何の気負いもない様子で自分の長い爪を見せながら言い出した。
「ああ〜、ごめんなさい〜、私、コレだからみんながやっているようなマッサージは出来ないの〜。だけど、ネイルの関係でハンドマッサージは得意になったんだ〜。試してみる〜?」
「それじゃあお願いしてみようかな」
「オッケー!それじゃあ、ちょっと席を移動するね〜」
サンドラの爪には伝説の神獣が描かれていたが、五本の指が揃って一枚の絵になるような素晴らしい物だった。そんな長い爪でもハンドマッサージは出来るようなのだが、彼女は男性のハンドマッサージは始めてだったようで、
「う・・家族以外の男の人の手って始めて触ったから、加減が分からない。私、きちんと押せてるう?ツボに入っているように思えないんだけど〜」
顔を真っ赤にして奮闘する姿があまりに可愛らしくて、思わず吹き出してしまった。
「ああ〜!ひどーい!いっつも女性にしかしないんだから仕方がないでしょ〜?」
「いやいや、あまりに可愛らしいと思って」
「可愛らしい力加減しか出来なくてごめんなさいね〜!」
その後もムキになってツボを押し続けるサンドラの姿を見下ろしながら、バリシュは一つの決断をすることになるのだった。
確かに、彼女の見かけは馬鹿な男たちを魅了してしまうだろうし、変に勘違いした男たちを引き寄せる魔力があるだろう。だけど、彼女はそんな男たちの見せかけの愛など求めていない。彼女は決して男に媚を売るわけでなく、自分の力で歩いて行こうとする人なのだから。
そんな彼女の露払いをするのには、自分くらい無骨で強面の軍人上がりは、丁度良いのに違いない。
◇◇◇
無骨で生真面目なブラウン伯爵が結婚するという話題が社交界でもちきりとなった時、王妃マリアは自分の息子を呼び付けた。
「オスカー、バスマン伯爵令嬢とブラウン伯爵が結婚するという話は聞きましたね?」
「はい」
「貴方はブラウン伯爵の元上司、今すぐ伯爵が領地に戻らなくても良いように差配なさい」
「はい?」
「貴方の魂胆はすでに分かっているのです」
「・・・」
「ブラウン伯爵夫人の生活の拠点が王都になるように差配なさい」
「・・・はい」
ブザンヴァル王国でも爪染めはその人の地位や品格を示すものであり、貴族女性の間でも身嗜みとして浸透していたものの、ここ数年で大きな進化を遂げるようになったのだった。
バーズ・ブランドから出されるマニキュアは発色が鮮やかで色持ちをするということで貴婦人たちに好まれたが、このバーズ・ブランドのオーナーがサンドラ・バズマン令嬢であるという事は公然の秘密となっていた。
サンドラは社交デビュー以降、その容姿を年若い令嬢たちに嫌悪され、馬鹿にされ、令息たちにはその容姿ゆえに邪な眼差しで見られるようになったのだ。
社交界デビュー後、才能がありながら隠れた存在となっていたサンドラを見出したのがアグライアであり、彼女のサロンで働くようになったサンドラは、多くの貴婦人たちをパトロンとしてゲットするようになったのだ。
身だしなみの一つであったネイル、それが鮮やかであればあるほど男性の目を惹きつけると若い令嬢たちは誤解をして、貴婦人たちに愛されるサンドラのネイル技術を自分たちも傍受しようと考えた。
そんな彼女たちにノーと叩きつけたのが王妃であり、公爵夫人を筆頭とした貴婦人たちだったのだ。
「今まで散々、馬鹿にして貶してきたサンドラに対して、利用価値があると判断した途端に手のひら返し?そんなはしたないことが良くもまあ、出来ますこと!」
「未婚の若い子相手に、サンドラのアートは勿体なさすぎるのは間違いないわ!この素晴らしいアートに値しないわよ!」
貴婦人たちはアート、アートと主張するが、確かにサンドラのネイル技術はアートなのだ。特注で作った何種類もの細いペンを駆使したネイル技術は他の追随を許さぬもので、いつの時でも貴婦人たちは自分の爪を眺めて、
「はあ・・・」
と、感嘆のため息を吐き出すのだ。
自分たちの枠を取られないようにするために、邪魔者(未婚の令嬢(メスガキ))の排除に成功した貴婦人たちは、サンドラがブラウン伯爵と結婚するという話を聞いて焦りまくったのは言うまでない。
この完璧なアートはサンドラしか作り出せないもの。もちろん、弟子に技の伝授も行ってはいるが、なかなかサンドラレベルまでは育たないのが現状。そんな中での結婚?もしも領地に引っ込むことになってしまったら、どうすればいいの?
「特上の宝石屑の確保はしなくちゃいけないので〜、結婚後も領地との行き来はしなくちゃなんですけど〜、夫も仕事は続けて良いって言うので〜、このまま続けちゃおうかなって思っているんです〜」
サンドラは今日も特注の筆を持ちながら貴婦人たちに笑顔を浮かべるのだった。
「普通〜、伯爵夫人になったら〜、社交とかお茶会とか〜しなくちゃいけないのかなーって思ったんですけど〜、夫はそこの辺りはしなくても良いから、仕事に邁進してくれって言ってくれていて〜」
「さすがブラウン伯爵だわ!」
「素晴らしい夫ね!」
そもそも、職場で最高ランクの貴婦人たちを相手にしているのだ。サンドラに茶会などの社交は必要ないだろう。
そんなサンドラの惚けた性格と才能を貴婦人たちは愛している。
いくら第三王子が、アグライアをサンドラに取られまいとして、領地送りにしようと画策したとしても、絶対に!絶対に!領地送りになどさせるわけがないのだ!
「アグちゃんがさー、前世でのネイルアートがこうだった、あーだったって言って、サンドラ嬢にベッタリ、ベッタリだったでしょ?下町の店はどうするの?って聞いても、ダーフィットさん、それは後にしてくれないですかって言って聞く耳を持ってくれないんだもの」
「だからってサンドラ様を排除しようとしたのは悪手でしたね」
呆れた眼差しでウルスラが自分の主人を見つめると、ダーフィトはまるで悪びれない様子で自分の長い足を組んだ。
「やっぱりアグちゃんの目利きは凄いよね〜。男としては女性の爪って『綺麗だね』くらいで三秒見ればお腹いっぱいの代物なんだけど、女性にとっては幾ら金を積んでも惜しくはない芸術品になっちゃうんだもんね〜。爪なんか伸びすぎちゃったらいつかは切らなくちゃいけないわけだし、絶対に永遠のものではないのに、なんで満足するのかが僕には全然理解できないんだよね〜」
「確かに、男性には理解できないものだろうとは思いますよ」
ウルスラはそう答えて、パールで鮮やかに染め上がった自分の爪を眺めて密かに笑みを浮かべていた。爪はいつでも視界に入るもの、だからこそ、それが美しければ美しいほどテンションが上がるのである。
ウルスラはサンドラにも師事しているので、いつでも自分の爪は鮮やかでピカピカなのだ。
「ところでダーフィト様、いつまでアグちゃんに自分が第三王子であることを黙っているのですか?」
「うん?」
「そろそろ、嘘をつくのも限界だと思うのですが?」
「えええ?僕は嘘なんかついているつもりはないんだけどな〜」
アグライアはダーフィトのことをただの(・・・)商会の会頭だと思い込んでいる。これだけ王家に近い場所で働いているのに、未だにダーフィトが第三王子であることに気がついていないのだ。
「うーーん、それって言う必要があることなのかな?」
「後で困っても知りませんよ」
ウルスラにすげなく答えられたダーフィトは、後になって死ぬほど後悔することをこの時は知らなかったのだった。
〈 サンドラの場合 完 〉
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