第17話 シノザキ現る
坪内さんの運転する車に乗って、まずはわたしの家に送ってもらう。全員後ろの席に座って、右にスズちゃん、左にわたし、真ん中が葛葉君だ。
家まで送ってもらったことは今までにも何度かあったから、道はわざわざ教えなくても大丈夫。
と思ったら、途中で別の方向に曲がっちゃった。
「あれ? 坪内さん、道が違いますよ?」
「すみません。いつもとは違う道なので、間違えてしまいました。すぐに戻りますね」
いつも車で送ってもらう時は、学校からうちまでだから、こっちの道はよくわからなかったのかな?
だけどその後、ここで曲がれば大丈夫って思ったところでも、そのままグングン進んでいく。かと思ったら、全く関係ないところで曲がったりして、どんどんうちからはなれていく。
「あの、大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。慣れてない道を走るのは、苦手なのです」
坪内さん、方向音痴だったの? わたしが道を教えてあげた方がいいかな?
どうしようかと思って、葛葉君とスズちゃんを見る。そしたら、スズちゃんが目を閉じたまま、コクンと頭を下げていた。
「一条? 寝てるのか?」
葛葉君も気づいて声をかけるけど、スズちゃんは眠ったまま、ちっとも起きる様子がない。
「あら。お嬢様、眠ってしまったようですね。夕べ、はしゃぎすぎたのではありませんか?」
そうかな? 確かに昨日はちょっぴり遅くまでゲームやってたし、夜中にお父さんお母さんと会わせるため、少しの間起きてたよね。
けどそのすぐ後、人間だけを眠らせるお香で、ぐっすり寝ちゃったはずなんだけどな。
……ん?
お香のことを思い出したところで、車の中に入った時から感じてた、甘い匂いが気になった。
この匂い、なんだかあのお香と似てる気がする。
もしこの匂いがあのお香と同じなら、スズちゃんが寝ちゃったのも納得。
けどあれは妖怪の道具だし、だいいち、そんなの使う理由なんてないよね。
気のせいかなって思ったところで、葛葉君からグイッと袖を引っ張られる。
「なあ、変じゃないか?」
何がとは言わなかったけど、なんとなくわかる。坪内さんの様子に、急に寝ちゃったスズちゃんに、この匂い。一つ一つはたまたまかもしれないけど、こう気になることがいくつもあると、なんとなく不安になってくる。
そんな時頭の中に浮かんだのは、さっきのお父さんからの電話だった。
もしかしたら、シノザキってやつがこの街にいるかもしれない。そして、わたしを狙ってるかもしれない。
シノザキは葛葉君と同じ妖狐だっていうし、色んな人に化けることができるはず。ってことは、坪内さんに化けてたって、おかしくはないかも。
もう一度葛葉君を見ると、葛葉君も緊張したように顔を強ばらせてる。
もしかしたら、全部勘違いかもしれない。ここにいる坪内さんは本物で、本当に道を間違っただけかもしれない。だけどそう思っても、不安は消えなかった。このままこの車に乗ってるのは、どうしようもなく怖かった。
「あの、すみません。わたしたち、やっぱり自分で家に帰ります」
勇気を出して言ってみる。だけど坪内さんは何も答えない。今までは、何か話しかけたらちゃんと応えてくれたのに、今回はそれすらない。
車はさらに家からはなれ、人通りの少ない道に入っていく。
「あの、わたしたちここで降ります!」
今度はもっと大きな声で言う。
けど坪内さんは、相変わらず何も言わないまま。こんなの絶対おかしいよ。
いよいよ怖くなって、手が震えてくる。
するとそんな震える手に、暖かいものが触れた。
葛葉君の手だ。
「えっ?」
葛葉君はわたしの震えを止めるように、手をギュッと握る。
そして、坪内さんを睨むように見ながら言う。
「あなたは、シノザキってやつのこと、知ってますか?」
シノザキ。葛葉君の口からその名前が出てきた時、手を握る力が一瞬だけ強くなる。
やっぱり、わたしと同じことを考えてたんだ。
「どうなんですか!」
相変わらず返事のない坪内さんに、もう一度聞く。って言うより、ほとんど怒鳴りつけてる。
それでも坪内さんは、すぐには答えてはくれなかった。だけど少しの沈黙の後、背中を向けたままため息をつく音がして、それからようやく声が聞こえてくる。
「シノザキ、か。俺がそうだって言ったら、どうする?」
それを聞いて、わたし達はギョッとする。
言葉の内容にも十分驚いたけど、もう一つ。今の坪内さんの声は、普段とは全然違ってて、とっても低い、男の人みたいな声だった。それに、自分のことを俺って言った。
「やっぱり、あなたがシノザキなの!?」
ここまできたら、答えなんてだいたいわかってる。それでも、聞かずにはいられない。
するとそれに答えるように、わたし達の目の前で、坪内さんの姿がみるみるうちに変わっていく。
細身だけど、全身に筋肉のついた、スマートな体型の男の人。チラッとこっちを振り向くと、その顔はとても整った形をしていた。
それと大きな特徴がもうひとつ。その男の人には、太くて大きなシッポが生えていた。
葛葉君と似た、狐のシッポが。
「ああ。俺がシノザキだ。知ってるなら話は早い。こいつでみんな眠ってくれたら楽だったのにな」
坪内さん、いやシノザキはそう言うと、わたし達にむかって、何かを放り投げた。
見ると、それは夕べわたし達が使ったのと同じ、眠りのお香だった。
「君、大江幸太郎の娘だろ。そっちの少年も、眠ってないってことは妖怪か」
どうやらシノザキは、葛葉君のことは知らないみたい。
それにしても、シノザキの口調はとっても軽くて、とても凶悪なやつには思えない。だけどこいつにわたし達は見事騙され、どこかに連れていかれようとしている。これって、誘拐だよね。
「わたし達をどうする気なの?」
「さあ、どうしようかな。君のお父さんには、ずいぶん困らせられているんだ。君を殺すって言って脅したら、少しは大人しくなってくれるかな」
冗談じゃない!
なんとか逃げられないかと思って、外を見る。車はいつの間にか街から出ていて、建物の少ない田舎道を走ってた。
もしかして、ドアを開けて飛び降りたらなんとかなるかも。一瞬、そんな考えが頭をよぎった。
だけど……
「車から飛び降りるつもりなら、やめた方がいいよ。鬼は体が頑丈だから平気かもしれないけど、他の二人はどうかな?」
「──っ!」
わたしの心を読んだみたいにシノザキが言う。
確かにわたしだけなら、走ってる車から飛び降りてもなんとかなるかもしれない。葛葉君だって妖狐だし、普通の人間よりは丈夫だと思う。けどスズちゃんは違う。
普通の人間の女の子だし、おまけに今は眠ってる。そんな状態で飛び降りたら、どんな大ケガするかわからない。
けど諦めかけたその時、葛葉君が呟いた。
「いや、それだ」
「えっ?」
「大江、今すぐドアを開けろ。それから一条を抱えて、俺と一緒に飛び降りろ!」
「えぇぇぇっ!?」
たった今、危ないって言われたばかりじゃない。
これには、シノザキも驚いたみたい。
「やめろ。ケガしたいのか!」
初めて怒った声を出すシノザキ。けどそれを打ち消すように、葛葉君が叫ぶ。
「いいから早くやるんだ! 俺に考えがある!」
「う、うん!」
葛葉君が何を考えてるかはわからない。けどモタモタしてる暇はなかった。
「やめろ!」
シノザキが怒鳴るけど、覚悟を決めたわたしには関係ない。ドアに手をかけると、鍵がかかっているのか、開かなくなってる。けどそんなの、鬼の力があれば大丈夫。
力を集中させるイメージをして、頭にツノを生やす。わたしは普段からものすごい力持ちだけど、ツノが生えれば、もっと強い力を出せるようになる。
その力を使って、鍵がかかってるドアを一気にこじ開けた。
「えいっ!」
けど、本当にスズちゃんと一緒に飛び降りて大丈夫?
シノザキは飛び降りるのをやめさせるため、一気に車のスピードを上げる。
一瞬不安になるけど、その時葛葉君が、わたしを押し退け、ドアから身を乗り出した。
「いいか、俺に続いて飛び降りるんだ! 」
「わ、わかった!」
怖いか怖くないかって言われたら、すっごく怖い。けど、葛葉君を信じる!
シノザキがもう一度、やめろと叫んだけど、もう遅い。葛葉君と、わたしと、それからわたしが抱えたスズちゃん。三人とも、一気に車の外に飛び出していった。
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