第19話 離れて

『空気』


それは当たり前のように周りに存在しながら、その存在を感じさせない不思議なもの。


だから空気が悪いとか重いとか、それはあくまで雰囲気を表した比喩表現だ。

実際にそうなっているわけではない。


馬車に乗る前の愚かな俺は、心からそう思ってた。


「アン。そろそろ元気出そうぜ?」


「………………」


目の前に座るアンは落ち込むという段階を超え、もはや憔悴していた。

心なしか目の下が窪んでいる気がする。


人の死に身近で接するのが初めてなのだろう。

沈んでいる、という表現がぴったりな青白い顔だ。


「なぁアン。切り替えていこうぜ?王宮で暮らしてるアンにとっては、人が死ぬってのは刺激が強いかもしれないけど。世の中ってのは命が軽いからさ」


ヤベェ……なぐさめるの下手すぎるだろ俺。


ちょっと、コイツ何言ってんだみたいな感じ出ちゃってるし。

そんな空気にアンはピクリとも笑ってくれないし。


もし家族が死んだってなら多少は気持ちも分かるんだけど、今回は近衛兵なんだよな。

赤の他人とまでは言わないが、恩人や血縁者でもない奴に、俺はそこまで愛情を注げない。


だがアンは俺と違って、全体を見渡して広く愛情を注げる人間なのだろう。

ここまで価値観が違うと、下手な慰めは神経を逆撫でするかもしれない。


こういう時は変に考えなくていい。

正直に、正面からだ。


「……悪い。俺は5歳の時には両親が死んでて、その後も人が目の前でバタバタ死んでいく生活だったんだ。だから人が死ぬのは当たり前って感じで……アンの気持ちがイマイチ分からねぇ」


「……え?5歳で両親って……」


あぁ、アホか俺は。

心労に心労を重ねてどうする。


アンが俺にまで同情して落ち込んだら本末転倒だ。

ホントに状況がいい方向に転がっていかねぇ。


「い、いや?違うんだよアン。そう、逆に考えようぜ?両親が5歳までは生きてたんだよ。産まれてすぐに両親に捨てられた、なんて子供も珍しくないんだ。俺にしては珍しく幸運だろ?」


「そ、そんな……」


感性のズレを押しつけてしまっているのが嫌でも分かる。


話せば話すほどアンの顔に影がさしていく。

俺に励ますの無理だろ……。


「戦いなんて、愚か者のすることです」


「お、おいおい」


「みんなで手を取り合って生きていくのが一番なのに。そう思いませんか?」


子供のような夢を真っ直ぐな目で語られ、思わず鼻で笑ってしまう。


できるはずがないだろう。


この世に地獄はあっても天国はない。

それだけは俺の感想ではなく、この世の真理だ。


「……『黒猫』さん?」


気がつくと、アンが信じられないって目をしてる。

心の底から『はぁ?』って思ってる時の顔だ。


「何が可笑しいんですか?」


ヤベェ。

普通に笑っちまったのは完全にミスだ。


……今更取り繕っても無理そうだ。

もう、なるようにしかならんだろう。


「そりゃあ、そんな子供みたいな事を大真面目に言われたらな」


「私は大真面目ですよ?心の底から、そう思っています」


どこまでもまっすぐな瞳とよく通る声。


本物だ。


万人に思いやりを振りまくタイプ。

それが子供っぽいとか、非現実的だとか色々あるだろうが、俺の場合、気にすべきところはそこじゃない。


万人に優しいと言うことは、『不幸』な俺も避けようとしない可能性がある。


それどころか放って置けない、なんて言って依頼の後も俺に関わってきたり。


あくまで一つの可能性、と言って放置はできない。

俺がそうならないよう望むからこそ、実現する可能性は高いのだから。


しかも、アンは自分の身を守れるほど強くない。


ちょっとした不幸、極端な話だが転んだだけで骨を折ったり、大切なものを壊してしまったり。

場合によっては命に関わりかねないだろう。


そんな最悪の未来は、避けなくてはならない。


「アンはタチが悪いな。自覚のない悪人だ」


「悪人⁉︎私が⁉︎」


「そうだ。兵士が死ぬのは嫌。でも自分で自分を守れないから人に頼る。そうやって人を死地へ追いやっていく。そんな安全な場所から、戦いなんて愚かですなんて、最悪じゃねぇか?」


握った拳がプルプルと震えている。

あと一歩踏み込めば、心が張り裂けてしまいそうな雰囲気だ。


「どうして……そんな酷いこと言うんですか?」


「酷いのは、家族がいる兵士を戦地に送って、自分は戦わないような人間。アンのことじゃないか?」


「……もういいです。出ていってください‼︎顔も見たくありません‼︎」


涙を堪えているのだろう。

鼓膜にこびり付くような、掠れた声を喉から絞り出している。


もう一押しいこう。


「ほら見ろよ。アンみたいな奴がいるから、こんな体の人間ができるんだぜ?」


胸元を開きアンに見せつける。

いきなりセクハラに及んだわけじゃない。


爛れた肌に切り傷やエグられた痕。

今まで『ギフト』の影響で負ってきた古傷だ。


俺の予想通り、見るに耐えないって顔をしてくれる。

どこまでも良い子だ。


「この腹の傷痕は5歳の頃の怪我でな。熱した鉄の棒を擦られた。左脇の切り傷は……あれ?何だっけ。確か7歳くらいの時に……ダメだ、傷が多すぎて正確に思い出せねぇ」


「5歳……7歳って……」


「みんなで手を取り合えって……俺は絶対に嫌だね。何の傷もない綺麗なアンから、そんなことを言われるのも気分が悪いよ」


何も言い返せなくなったアンが、遂に静かに涙をこぼしてくれる。

馬車の中は、呼吸すらしずらいほどの重い空気に満たされていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る