第12話 飛び出し注意
金属音に息をのみ、馬車を飛び出し辺りを見渡す。
そこに広がっていたのは、不自然な光景だった。
森の奥から次々と現れる黒いマントの集団。
仮面までつけて素性を隠している。
皇女襲撃なんて後ろめたい事をしてるのだから、顔を隠すのはまだ分かる。
目を疑ったのはそれ以外の装備ーー特に敵が持っている剣だ。
ギンッ、ギンッと重い音が響いてくる。
しっかりと鍛えられた鋼同士がぶつかる音だ。
当たり前だが王族守護を勤める近衛兵の装備は一級品。
それとぶつかり合っていい音がしているとなれば、敵の装備も相当の一品ということになる。
野盗の装備にしては随分と金がかかっている。
そして野盗の動きはそんな装備に遜色ないほど洗練されていた。
目を轢かれるほど、集団戦法が様になっている。
お互いの隙を補える絶妙な間合いを崩さず、確実そして迅速に動いてくる。
激しい戦闘の中で、それをあっさりと。
こちらの近衛兵が苦戦しているほどの戦いぶり。
俺の周りで敵を圧倒しているのは、ただ一ヶ所だけだ。
「おい貴様ッ‼︎何をボーッとしている戦え‼︎」
圧のある声はルーク。
敵を一刀両断し、振り向きざまに俺に叫んでくる。
他の近衛兵は目の前の敵に手一杯の中、ルークだけが俺に声をかける余裕を持っていた。
脳天から一本の芯が通っているような姿勢に、落ち着いた戦いぶり。
流石は隊長といったところだろうか。他の隊員とは鍛え方が違うようだ。
「分かってるよルーク……ってバカッ‼︎何してんだッ⁉︎」
ルークがとったのはこの場において当然の、しかし最低の行動だった。
俺と共闘しようとしたのか、あるいは囮にしようとしたのか、距離を詰めるべく俺に向かって歩を進めてきたのだ。
「やめろッ‼︎俺に近づくんじゃねぇッ‼︎」
「貴様、一体何を……ッ⁉︎」
言葉の途中で、ルークが足元の石に躓く。
そこへタイミングを図っていたかのように、ルークの後ろから矢が迫ってきている。
狙われたわけじゃなく、完全な流れ矢。
だがそのコースは、後頭部から額を貫通する文句なしの一筋だ。
「危ねぇッ‼︎」
矢が迫るより先に、ルークを勢いよく蹴り飛ばす。
軽く蹴る程度でも十分だっただろうが、なぜか腰に力が入ってしまった。
ゴロゴロと地面を転がっていくルークの綺麗な鎧が、どんどん土にまみれていく。
ハハハッ、ざまぁみろとか思ってない。
首輪を付けた仕返しだバカヤローとかも思っていない。
近衛隊長を矢から守れてよかった。
そんな綺麗な心しか俺にはなかった。
「おいおい信じられねぇなルーク。もっと綺麗に受身が取れると思ってたよ。さぁ、俺にありがとうは?」
「貴様ッ‼︎今すぐ剣のサビにしてやろうかッ⁉︎」
とても面白い冗談を言うルークに、俺は笑顔を返す。
紳士的な対応だ。これならさらに報酬を上げてもらえるかもしれない。
しかし……。
「こっちは、紳士的に対応できない連中だよな」
音もなく目の前に集まって来たのは3人の黒マント。
前に2人の黒マントを、その間から数歩下がった位置に1人を配置する逆三角形の布陣だ。
前の仮面2つはこちらを向きつつも、剣を持っていない方の指を複雑に動かしている。
ハンドサインか。
声まで出さない徹底した身元の隠しっぷり。
少なくとも、寄せ集めの集団じゃないらしい。
それどころか熟練と呼べるレベルに達している。
魔法なしで勝てる相手じゃない。
「仕方ねぇ、使うか」
俺に限らず、ボディガードというのは自分の能力を隠したがる。
それは手の内を広く知られ、悪人に対策されるのを防ぐためだ。
正直にいえば、こんな人目の多い場所で自分の魔法をさらしたくない。
だがもう、そうも言っていられない段階に来ている。
出し惜しみして護衛失敗では、いい笑い者だ。
「……フゥ」
頭の中の雑念を、小さな吐息と共に外へ出す。
空っぽになった頭に思い浮かべるのは、真っ黒な紋章。
油のようにベットリとした、おどろおどろしい黒だ。
「影魔法ーー影刀」
自分の影に手をつき、魔力を込めて勢いよく振り上げる。
地面から抜いたのは、柄から鋒まで真っ黒の刀。
影を抜き取り、刀の形に具現化させる魔法だ。
「さぁ来いよ」
敵に向かって顎を上げ、あからさまな挑発を仕掛ける。
一気に敵へ向かって踏み込んでいく、なんて真似はできない。
馬車から一定の距離以上離れてしまうと、りーちゃんを抱えて脱出するという最終手段が取れなくなる。
目的はあくまで護衛。敵を殺すことではないのだ。
「…………」
俺の挑発に対して、敵は相変わらず無言。
だがそれは大人しいという意味ではない。
前の1人が動いた瞬間、横の黒マントも合わせて動き出した。
攻撃のタイミングはハンドサインを使わず、お互いの雰囲気を察して合わせられるらしい。
やはり只者ではない。
そして個々の動きも、普通ではなかった。
「おいおい、こりゃあ……」
黒マントたちの蹴った地面が音を立ててえぐれる。
疾風を置き去りにするような凄まじい速度で距離を詰められる。
そして残像を残しながら、銀の刃が喉元に迫ってきた。
「身体強化魔法か」
人間の限界を超えた速度だが、正直言って予想通りだ。
こちらも一歩踏み込んで、下から敵の手首へ向けて影刀を振り上げる。
黒の残像が天に向かって昇り、銀の残像を斬り捨てた。
「イッ…ギィアアアァアッ」
一瞬の間の後、轟く悲鳴。
噴水のように激しく噴き出る血に、続く2人が足を止めてくれた。
「「甘い‼︎」」
その隙は逃さない。
左の敵を俺が、右の敵をルークが袈裟斬りにする。
ボトッ、ボトッ……ドサッ、ドサッ。
2人の敵は4つの肉塊になり、無造作な音を立てて地に落ちた。
1人で3人を相手にするつもりだったのに、まさかルークが助けてくれるとは。
思いっきり嫌われてると思っていたが……
「フンッ、貴様に貸しなど作らせるか」
嫌われてるのは間違いじゃなかったようだ。
まぁ別にいいんだけど。むしろ大好きとか言われたらゲロ吐く自信あるし。
……なんだコイツ?
なんで俺から視線を外さないんだ?
「おいルーク。ちゃんと前を見て」
「こ……皇女、様?」
ルークの固まった表情に、呼吸が止まるほどの衝撃を受ける。
俺の後ろは、リーちゃんの乗った馬車だ。
後ろから敵の気配は一切ない。
それでもルークが固まるほどショックな出来事があるとすれば。
「まさかッ⁉︎」
前への警戒を放棄して馬車へ視線を向ける。
そこにいたのは……扉が開いた馬車だった。
そこから走ってどこかへ行こうとしているドレス姿が目に映る。
振り向くこともなく、馬車から離れようと走っていた。
「馬鹿野郎ッ‼︎」
自分の影をヒモのように伸ばし、リーちゃんの腰に絡める。
そして伸びたゴムが戻るように影を縮め、俺の腕の中に引き戻した。
「何してんだッ⁉︎急に馬車から出るなんてッ‼︎」
「ご……ごめんなさい。怖くなってしまって」
冷静な娘だと思ってたんだが、まさか外に出るとは。
自殺しにいってるようなものだ。
「落ち着いて深呼吸して。大丈夫だ。俺もいるしルークもいる。絶対に死なせねぇ」
当たり前だが、ここでリーちゃんを責めたりはしない。
日常とはかけ離れた状況では、自分でも思いがけない行動に出てしまうことが往々にしてある。
俺はともかく、か弱い女の子が襲撃に驚くのは普通のことだ。
今すべきはリーちゃんに安心感を与えること。
そして次に同じ状況になった時、俺らボディガードがいれば大丈夫だと信頼してもらうことだ。
「ほらリーちゃん。左を見てみろ。俺の部下は頼もしいだろ。下手に外に出ると、あれに巻き込まれるぞ?」
俺の言う通りに首を回したリーちゃんが一瞬で固まる。
そりゃ驚きもするだろう。
なにせ隣からは……。
「ヒッ、ヒィィィッ‼︎」
情けない声がひっきりなしに聞こえてくる。
あれだけ素晴らしい連携を見せていた黒マント集団が、バタバタと無様に動いていた。
そしてその声を狩りとるように、ビュンビュンと風が唸る音がしている。
ミラの魔法だ。
人の指が、腕が、顔が、風の刃で切り飛ばされていく。
空中には紙吹雪のような肉片。
そしてミラの周りの地面には、赤黒く染まったマント達がゴロゴロ転がっていた。
まるで蟻でも殺しているような、何の感情も湧かないといったミラの顔には、味方の俺でも背筋が寒くなる。
リーちゃんには刺激の強い光景だろうが、これで多少は血が冷たくなっただろう。
次にパニックになりかけても、この光景を思い出して思いとどまってくれるはず。
荒療治だが、死なれるよりはマシだ。
そして敵はリーちゃん以上に血が冷たくなっているのだろう。
その動きにもはや統制はなく、皆がバラバラに動いている。
周りをキョロキョロと見渡す者。
背を向けて逃げようとする者。
自暴自棄になり特攻する者。
パニックになった人間がどうなるのかを示す教材のようだ。
そんな中、比較的落ち着いていた1人の黒マントが、震える両手を自分の口に当てる。
そして……。
ピィィィィィッ‼︎
突如鳴り響く甲高い音。
その音に一斉に反応した黒マント達は、蜘蛛の子を散らすように森の奥へ走り出した。
こういった時は味方が撤退する時間を稼ぐため、何人かは残って戦うものだが、1人残らず四方八方へ逃げている。
先ほどの指笛は、おそらく緊急脱出を知らせる音色なのだろう。
ものの数秒で、黒マントたちは跡形もなく消え去ってしまった。
あとに残ったのは命が流れていく沈黙。
黒マントと銀の鎧が、地面を赤く染めていた。
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