第9話 猛る忠犬は借りてきた猫

契約の首輪


それは契約と異なる行動をした者の首を締め上げる、非常に単純なアイテムだ。

当然、首を締め上げられた者は死ぬので、無闇に契約を破れなくなる。


だが、その効果は絶対ではない。

滅多にないことだが、誤作動が起こることもある。


普通の人なら考慮にも値しないほど低い可能性だが、俺は特別不幸な人間なのだ。

ルークにその気がなくとも、首が締まる可能性は否定できなかった。


「おいルークッ‼︎今すぐこれを外せッ‼︎そんで俺に土下座しろッ‼︎」


自分でもびっくりするほど大きな声が出る。

人間、追い込まれると腹の奥から声が出るらしい。


この世で1番怖いものが迫ってきているのだから当然なのだが、しかしルークは俺の慌てようを見て、意地悪そうに口角を上げた。


「外すわけがないだろう。それとも何だ?裏切る時に邪魔になるから、つけてもらっては困る、とでも言いたいのか?」


「勘違いしてんじゃねぇッ‼︎周りのためを思って言ってんだッ‼︎いいから地面に額をこすりつけろッ‼︎できれば惨めったらしく、大声で泣いてくれッ‼︎」


いよいよ時間がないせいか、俺の舌もどんどん早く回っていく。


流石の鈍感ルークも俺の声が尋常じゃないと思ったのだろう。

ほんの少しだけ、怪しむように目を細くした。


「貴様……さっきから何を」


「早くしろッ‼︎危ないのは俺じゃねぇッ!!ここにいる……ッ」


その瞬間、天幕の中の空気が一変する。


心臓を氷の手で掴まれたような悪寒。

脈打つたび、凍った血が全身を流れるような痛み。

呼吸するたび、肺に針が刺さったような感覚すら覚える冷気


当然、そんな天変地異が急に起こるはずもない。


あくまでも錯覚。

そんな錯覚を感じさせるほどの威圧感を、コイツは1人で放っているのだ。


「ミラ、落ち着け」


そこにいたのは、完全に表情を失ったミラ。

全身から蒼い魔力が噴き出し、髪が揺らめいている。


まさに怒髪天を突く。

氷炎のような怒りが、瞳の奥からあふれ出していた。


「ディアナの首輪を外して。今すぐ」


ルークに対して淡々と、しかし尖鋭な殺気を放っている。

それを正面から受け止め、何とか震えずにいるのは、流石は近衛隊長と言ったところだろう。


だがルークはどうでもいい。

心配なのは、それ以外の奴らだ。


「冷静になれミラ。周りをよく見て、魔力を抑えるんだ」


ここには殺伐とした空気とは無縁であろう2人がいる。


アンとリーちゃん。

この2人にミラの殺気は刺激が強すぎる。


特にヤバいのは


「……ッァ……アァ」


自分の首を抑えて、天を仰ぐアンだ。


肺に空気が一杯に入っているのに、それでもまだ空気を吸おうとしている。

顔がみるみる白くなって、黒目が瞼の裏に隠れそうになっていた。


アンはミラには空の旅をプレゼントしてもらったり、近衛兵の攻撃から竜巻で守ってもらったりと、色々優しくしてもらっていた。

そんな印象と今の雰囲気の差が、恐怖に拍車をかけたのだろう。


冗談抜きで窒息してしまう。


「ミラ、俺は大丈夫だから」


「……分かった」


アンの状況にようやくミラも気づいたのか、放出していた魔力を抑えてくれる。

破裂寸前の風船が一気にしぼむように、刺すような威圧感が一瞬にしておさまった。


「ごめんねアン。大丈夫?」


「ーーーーッハァ‼︎ハァ、ハァ、ハァ……」


アンが肺に溜まった空気を一気に吐く。

荒い息を繰り返しゲホゲホとむせ返っているが、とりあえず無事のようだ。


そして次に心配だったリーちゃんの方は……。


「……フゥ……フゥ」


息にあおられたベールが大きく揺れている。

やはりアンと同じように息を詰まらせていたのだろう。


だがリーちゃんは優しいミラの姿を見ていなかった分だけ、アンのように印象のギャップに襲われていない。


症状はアンよりも軽かった。


「ディアナ……さん。申し訳、ありません。ルークが、無礼を……」


息も絶え絶えといった状態なのに、リーちゃんが謝罪の言葉を口にしてくる。

むしろ無礼なのはこっちなのだが、特にお咎めはないらしい。


こちらを責める余裕などない、というのが正直なところだろうが、とにかく誰も傷つかずに場が収まってくれた。


あとはもう少し空気を和ませれば、脱線した話を元に戻せるだろう。

マイペースなミラがそんな気遣いをするはずもないので、ここは俺の出番だ。


「無礼って……首輪のことか?別にいいよ。不幸には慣れてるから。でも胸が苦しくて耐えられないってほど申し訳なく思ってるなら、報酬を倍にしてもらえるか?」


「それで……水に流していただけるなら」


……通っちゃったよ。

「そ、それとコレとは話が違います」とか言ってもらって、ハハハッて笑い返せばいいかなと思っただけなのに。


いや、本当にこの展開は狙ってなかったよ?


俺はあくまで空気をゆるくしようとしただけ。

決して金が欲しいあまり、どさくさに紛れて報酬を釣り上げようと思ったわけじゃない。


なんかルークが忌々しそうな目を向けてくるが知ったことではない。

俺は聖人だッ‼︎


「さて、色々あったけど、俺を雇ってもらうのは決定だな。それじゃルーク。今の戦力と皇女様の帰還ルート、そして敵の情報について話してくれ。仲良くしようぜ?」


「誰が貴様のような人間と……ッ⁉︎わかりました」


皇女の睨みで借りてきた猫のように大人しくなるルーク。


忠犬のようだったり、猫のようだったり、なんとも忙しい男だった。

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