第8話 命をかけてもらいましょう
野営地の中心にある一番大きな天幕。
その頂点でなびく王家の旗を背に、ドレス姿の皇女様は人形のように綺麗な直立を見せていた。
凛とした雰囲気に、場の空気が引き締まる。
顔を覆っているベールが、その雰囲気に拍車をかけていた。
顔を拝めるのは許された者だけ。
そんな言外の主張が、身分の違いをありありと示してくる。
エイス王国の王族は、婚姻前の女性にベールを被せ、みだりに顔を晒さないようにする習慣があるらしい。
何の意味があるんだ?と思っていたが、なるほど確かに、触れがたい高貴さを醸し出すのに一役買っているようだ。
「とりあえずこちらへ。詳しくは天幕の中で聞きましょう」
こちらの返事を聞く前に、皇女様は天幕の方へ振り返る。
そして天幕の布に手を伸ばした瞬間、俺の目の前で砂埃が舞った。
「お待ちくださいッ」
飛ぶように走り出したのはルーク。
脚の速さに負けないほどの早口で皇女様を制止し、先に天幕の布を掴んで横へ引く。
そのまま深々と頭を下げ、皇女様に道を譲った。
「どうぞ。お入りください」
一瞬固まった皇女様だったが、すぐにありがとうと声をかけ、中へ入っていく。
流石というか何というか。
王族というのは、もはや自分の手で入り口の布を開けたりしないらしい。
もちろん開ける側のルークとしては、布に針や毒を仕込まれているのを警戒する意図もあるのだろうが、普通に見れば雑用を皇女様にやらせないようにという配慮だ。
この一見すると素晴らしい配慮が、実は意外と諸悪の根源だったりする。
周りの者が従うのが当たり前。
そんな環境で育つと、自然と性格が歪む王族も多いわけで。
物語に出てくる意地悪な女王様などは、現実でもあながち多かったりするのだ。
あの皇女様がどうかは分からないが、気をつけるに越した事はないだろう。
その気になれば、国境線の全戦力を俺に向けることすらできる相手なのだから。
「早速、勝負どころだな」
自分の頬を軽く叩き、気合いを入れる。
皇女様、そしてアンが入った後に続いて、天幕の中へ足を進めた。
野営地の天幕なのだから中も簡素な作りだろう。
そんな予想をしていたのだが、目の前に広がる光景は、
「こりゃぁ……」
まさに異世界であった。
まるで王宮の一室を再現したような空間。
床一面は一点の汚れもない赤絨毯。
一つ一つの調度品は、どれも並大抵の物ではないと、素人でも分かるほどの高級感が漂っている。
中央の長いテーブルは白いクロスで覆われ、香ばしい香りを振り撒く鍋が並んでいた。
どうやら食事の前だったらしい。
国境線沿いの紛争地帯だから、簡易的な飯しかもらえないと思っていたが……これは俺も食べていいのだろうか?
「なぁ皇女様?今から俺たちと食卓を囲むのか?」
「えぇ。せっかくですからお食事と一緒にお話を。どうぞお好きなだけ召し上がってください」
「そうか。太っ腹な皇女様で助かるな。それじゃ……ッ⁉︎」
目の前の光景に、自分が完全に油断していたことを自覚させられる。
こうなると分かっていれば、絶対に目を離さなかったのに。
皇女様と話すために、ほんの少し視線をテーブルから外してしまった。
誰も座っていなかったはずなのに。
俺より後ろにいたはずなのに。
なぜお前はそこにいる。
「ちょっ……えぇ」
そこにいたのは、俺よりも早く席についていたミラ。
どんなスピードで移動したのか、既にテーブルの一角を完全に自分の領域にしている。
まぁ、100歩譲ってそれはいいとしよう。
俺たちは皇女様に招かれて天幕に入ったのだし、好きなだけ食っていいと言われたのだから。
問題は、ミラの席が鍋の目の前と言うことだ。
そこは明らかに給仕の人が座る席。
皿に料理を盛るための、つまり客用の席じゃねぇ。
「おいミラ、そこは……」
「み、みなさん。お好きな席に座ってください。早くお話を聞かなくてはいけませんから」
最悪のタイミングで皇女様が気を利かせてくれる。
指摘して恥をかかせるのはかわいそうだから、みんな黙っていましょうという言外の合図だ。
こうなってしまっては俺も大人しく座らざるを得ない。
だがみんな気がついていないのだ。
ミラの正体に。本当の目的に。
「ねぇディアナ」
仕方なく隣に座った俺に、ミラがさも自然に声をかけてくる。
何でコイツこんな冷静なんだろうか。
俺の方は顔から火が出そうなのに。
「なんだミラ?席をかわる気になったとか?」
「そうじゃない。何で座ってない人がいるの?」
そう言ってミラが視線を向けたのは皇女様の横。
食事の邪魔にならないよう、テーブルから少し離れた位置に立っているルークだ。
「立場の違いがあるからだよ。皇女様と同席できるのは限られた人間だけなんだ。例えば同じ王族や招かれた客人とか。俺たちはギリギリ客人扱いだけど、近衛隊長は同席するには格が足りなすぎる」
ちなみにアンは当然のように着席した後、ルークが座らないのを見て、しまったとバツの悪そうな顔をしている。
相変わらず抜けていると言うかなんというか。
厳格な皇女様だったら打ち首になっても不思議じゃない失態なんだがなぁ。
まぁ、当の皇女様は全く気にしていないようなので、この2人は非公式の席では食事を共にする、つまり結構仲がいいのかもしれない。
そんなことを考えていた俺の方に、皇女様のベールが向いてくる。
目線が使えないから、これから話けかますよ、と言うサインを顔の向きで示しているのだろう。
手前勝手に話しても皆が耳を傾けるだろうに。言い方は悪いが、王族らしくない気遣いができる皇女様のようだ。
「では、まずはご挨拶を。お初にお目にかかりますディアナさん。エイス王国第一皇女、リーズ・フォン・エイスです。お噂は父からかねがね」
「そうか。皇女様も俺の事を知ってるのか」
だから俺を簡単に天幕に入れたのか。
父、つまり国王推挙のボディガードなら招いても問題ないと判断されたわけだ。
「噂になってるなんて初めて知ったけど、まぁ、もらえる名声はもらっておくよ。……っていうか皇女様って呼びずらいな。リーズって名前なら、リーちゃんって呼んでもいいか?」
「え、えぇ。公の場以外なら……。ってやめなさいルークッ‼︎抜いた剣を納めなさい‼︎」
こちらを睨んできたルークの目が血走ってる。
口の奥からギリギリと歯を鳴らす音。肌がピリピリとするような殺気。
まるで割れる寸前の風船のよう。
これ以上刺激したら爆発してしまいそうだ。
「分かった分かった。俺もキレられるのは嫌だし、早速本題に入ろう。依頼の詳細だな」
「そのことですがディアナさん。お好きな料理を運ばせますから、召し上がった後、アンを連れて帰ってください」
出会って2分で帰れと言われるとは。
この気遣いができる皇女様が、遠回しな言い方をせず帰れと言うのだから、結構強烈に拒絶されている。
とはいえ、俺に対する信頼がない訳ではないらしい。
帰れと言ってもアンを連れてだ。
つまり、大切なメイドを任せられる程度の信頼は得られている。
最初は否定から入られるなんて普段通り。
ここで依頼中止なんて冗談じゃない。
話を盛り返すのはここからだ。
「どうしてだリーちゃん?俺、なんか気に触ることでもしたか?」
「アンは私の大切な従者です。こんな戦場に置いておけません」
まさか、そんな事を言ってくるとは。
思わず目を見開いて、感嘆のため息をこぼしてしまう。
自分よりアンの安全を優先するのか。
この皇女様の人望が厚い理由の片鱗が見えた気がする。
立場が下の者をこんなに大切にする王族なんて絶滅危惧種レベルだろう。
部下としては忠義の尽くしがいもあるというものだ。
そして俺は、そんなリーちゃんの部下である近衛兵と、事故とはいえ戦闘をした。
しかも大切なアンを戦場に連れてきた。
正直イメージは最悪だが、残念ながら皇女様は状況が見えてない。
もう状況は、俺たちを雇わないと話が前に進まない段階まで来ているのだ。
「冷静になってみろよリーちゃん。発想を逆転させれば、これはチャンスだ。それも千載一遇の」
リーちゃんがよく分からないと言わんばかりに首を傾げる。
ベールで顔が見えない分、体の動きで感情を表現してくれるのはありがたかった。
「話はアンから聞いてるよ。護衛が足りてないってな。となれば、敵は迷わず全戦力を投入してくる。こんな攻め時を逃すアホはいねぇ。逆に考えれば、こっちは敵を一網打尽にできるチャンスを手にしてる。だろ?」
皇女様からの返事の代わりに、キンっという小気味いい金属音が鳴る。
音の元は皇女様の横。
剣を抜き放った近衛隊長だ。
「貴様ッ‼︎どこまで卑劣なんだッ⁉︎つまりは皇女様をエサにするということだろう」
天幕の布を揺らすほどの激昂の声に、アンとリーちゃんが体を震わせている。
だがどれだけ激怒しようが関係ない。
もう理屈の上で詰んでいるのだから。
「お前も分かってるだろルーク?敵の親玉を取らなきゃ襲撃は終わらない。俺とミラが空を飛んでリーちゃんを王宮に送ってもいいが、次に外出する時はどうする?永遠に襲撃され続けるか?」
黙り込んでしまったあたり、ルークにも自覚はあるのだろう。
この場を凌ぐだけではダメだという自覚が。
そして、問題はそれだけではない。
「今の戦力じゃ、王宮に帰れるかも怪しいよな?そんな話を皇女様の前でしたくねぇだろうが、もう現実を見る頃だぜ?」
「な……何を根拠に」
最初に襲ってきた兵士を見た時に分かった。
身体強化魔法を使っていたが、素早い自分の動きに意識が追いついてなかった。
明らかな訓練不足。
しかもそんな奴が1人や2人じゃない。
普通そういった未熟な隊員には、ベテランがカバーにつくことで隊全体のバランスをとるものだ。
だがベテランの隊員は一向に出てくる様子がなかった。
となれば、答えは簡単だ。
「ここにくる途中にベテランの隊員を失ったな?それも隊のバランスが崩れるほどの人数を」
苦虫を噛み潰したようなルークの顔が全てを物語っている。
敵が予想以上に強く、未熟な近衛兵に任せられない状況が続いたのか。
あるいは若い芽を摘ませるわけにはいかないと、ベテランが積極的に体を張ったのか。
いずれにせよ、経験豊富な近衛兵が少なくなっているのは確実だ。
一応ルークには、この国境線で戦っている兵士を、一時的に近衛兵にして戦力を補充するという方法もあるが、それは本当に最終手段だ。
そいつらは護衛の仕方について訓練を積んでいない一般兵士。
戦場で敵を殺すのと、1人の人間を護衛するのでは、必要な技術が全く異なる。
下手をすればそいつらが全体の足を引っ張り、隊としての質を下げる事態になりかねない。
何より国境線まで激励に来ておいて、現場の兵士を連れて帰ります、では間抜けすぎるだろう。
となれば、もうやれることは1つしかないのだ。
「俺とミラを頼れ。敵は俺たちの情報を絶対に持っていない。この優位を活かして、敵の親玉の首までしっかり取ってやる。それで万事解決だ」
完全に押し黙ってしまったルークから視線を移し、リーちゃんに答えを求める。
納得してくれたのか、それとも乗り気じゃないのか。
顔を隠すベールのせいで、表情が読み取れない。
ここでハッキリ断られると厳しいが……どうだ?
「いいでしょう。ディアナさんたちを正式にボディガードとして認めます。ですが、そこまで大口を叩いたのです。ディアナさんには命をかけてもらいましょう」
依頼はディアナさんたち、なのに命をかけるのはディアナさん限定なのか。
まぁ依頼が取れた、つまり金が入ることが確定したからいいだろう。
この仕事をしていれば命懸けなんて常だ。
今更なにか特別なリスクを負うわけじゃない。
と思っていたのだが。
「お待ちください。皇女様」
話か決まったと思われたその時、ルークが横から口を挟んでくる。
リーちゃんを驚かせないようにしているのか、先程よりも声音が柔らかい。
だがその目つきは、軍人らしい殺気を失っていなかった。
「この男が敵の間者である可能性は否定できません。そうでなかったとしても、いざとなれば我が身可愛さに逃げる可能性もあるでしょう。保険が必要です」
そう言って俺の後ろに回り込んでくる。
そして。
パチンッ
嫌な音と一緒に、首にひんやりした感触がまとわりつく。
覚えのある感覚に、思わず肝が冷えた。
「おい……これって」
「ほぅ?ボディガード風情がこれを知っているか。ご存知、契約の首輪だ。皇女が命を落とした時、この首輪はお前を締め上げる。皇女が無事王宮まで辿り着けば、外すと約束しよう」
よりにもよって最悪の代物が首にはめられる。
だが、ここで最悪なのは俺ではない。
命の危機が迫っているのは、アンとリーちゃんだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます