第7話 皇女様

白い天幕が林立する野営地の真ん中で、4人が輪を作って向き合っている。


ますは俺。そして蒼眼の美女ミラ。

そして気品すら漂う白銀の鎧をまとう近衛隊長ルークと、申し訳なさそうに頭を下げるアンだ。


「というわけで、この2人は依頼を引き受けてくれたボディガードなんです。ルーク様の敵ではございません」


先程の痴話喧嘩の時よりは落ち着いてくれたのだろう。

アンはルークに敬語を使う余裕を見せている。


とはいえ、余裕があるのはアンだけ。

対照的にルークは、不機嫌な様子を隠すこともなく俺を睨んできた。


まぁ、考えていることは分かる。


エリート集団である近衛兵と素手で戦えるやつが、どうして『史上最低のボディガード』などと呼ばれてる?


とか


空を飛べる熟練の魔法使いが、貴族のお抱えではなくボディガード?


とか


まとめると、胡散臭いなコイツら、ってことだ。


やはりと言うべきか、ルークは俺たちを追い出したいのだろう。

眉間に刻まれたような深いシワを作って、俺の方に近づいてきた。


「今すぐアンを連れて帰れッ‼︎貴様さえいなければ、こんなことにはッ‼︎この疫病神めッ‼︎」


「お?帰れって言ったな?ってことは依頼の当日キャンセルだな?別にいいぜ。さぁ、キャンセル料をもらおうか」


俺がおもむろに取り出したのは1枚の紙。

アンに書いてもらった契約書をルークの目の前でヒラヒラ振ってやる。


それを奪うように取りあげたルークは、目を左から右へ、左から右へと動かした。


顔色がナスみたいに紫色になる。

と思ったら今度はトマトみたいに赤くなった。


コイツは顔面で農産物品評会でもやってるのだろうか?

とても真似できない特技だ。


「な、何だこれはッ⁉︎キャンセル料が依頼料の500%だとッ⁉︎盗賊か貴様らッ⁉︎」


「失礼だな。ちゃんとアンのサインがあるぜ。キッチンとした契約書だ。それに……」


ルークが気がつくように、視線を右から左へゆっくりと動かしてやる。


その先にいるのは近衛兵。


先程の戦闘で負傷した、というか俺が負傷させた面々が、不安げな眼差しをこちらに向けていた。


できれば俺たちには味方になってもらいたい。

護衛は多い方がありがたい。


そんな言外の主張がヒシヒシと伝わってきた。


「いいかルーク?ここで俺たちが引き上げたら、敵に協力して皇女様を襲っちゃうかもしれないぞ?機嫌が悪くなって、今からここで大暴れしちゃうかもしれないな?負傷した近衛兵はさらに傷つく。いいのかなぁ?依頼を断っちゃって」


「ひ、卑劣すぎるだろ貴様……。初めて見たぞ?最低という言葉すら裸足で逃げ出すようなクズを」


……そんなゴミを見るような目を俺に向けるのはやめてくれ。


そこまで酷いことは言っていないだろう。


俺はただ、お金がたくさん欲しいだけ。

王族の護衛なんて単価の高い仕事を逃すまいと、か弱い皇女様を襲うぞと脅しているだけだ。


「答えになってねぇよルーク。どうするんだ?俺たちを雇う?雇わない?さぁ決断しろ」


「貴様のような鬼畜を皇女様のそばに置けるわけがない。さっさと帰……」


「ルーク?私を呼びましたか?」


突然の澄んだ女の声に、ルークの首が糸に引かれたように後ろへ向く。

それも折れたんじゃないかと思うほど勢いよく。


その先にいたのは白いドレスを身にまとった女性。


顔をベールで覆い隠しているが、声音からしてアンと同年代だろう。

そして格好と会話の流れからして、おそらく渦中の皇女様だ。


「一同ッ‼︎敬礼ッ‼︎」


突如ルークの喝の入った声が響く。

その場にいた近衛兵全員が即座に背筋を伸ばし、腰を90度に折って頭を下げた。


そんな中、全く頭を下げない奴が俺ともう1人。


「……ねぇディアナ。みんな何をしてるの?」


不思議そうに首を傾げるミラだ。


頭を下げてるんだよ、なんて答えを求めてる訳じゃない。

そんなことは見ればわかる。


要は、この特徴的な礼の仕方に何か意味があるのか、という問いだ。

それも状況を見れば分かりそうなものだが……余計なことを言うのはやめよう。


もうウィンド・アッパーは嫌だ。


「これはエイス王国の敬礼だよ。王族に対してだけ行われる、相手に最高の敬意を示すお辞儀だ」


「ふーん、そうなんだ」


ミラの興味なさそうな直後、近衛兵たちが何の合図もなく一斉に頭を上げる。

見事に統率の取れた動きは、思わず舌を巻いてしまうほどだ。


急な号令に一瞬で反応していたのも素晴らしいが、もっと驚かされたのは近衛兵の態度。


俺との戦闘の後で疲れていたはずなのに、全員が背中に一本の剣でも通しているように真っ直ぐ立ち、皇女様に力強い視線を向けている。


強烈な忠誠心がにじみ出たような雰囲気。


人望が厚い皇女様出なければ、ここまでの空気にはならないだろう。


これが今回のクライアント。

襲撃を受けながらも国境線までやってきた、気合の入った直情型の皇女様か。


「なぁ皇女様。ちょっと話を聞いてくれ。俺は皇女様の護衛を頼まれたボディガードなんだけどさ」


「ボ……ボディガード、ですか?頼まれた?一体誰に……ッ⁉︎」


言葉を切った皇女様が、時が止まったかのように固まる。

顔が見えないから確信はないが、そのベール越しの視線の先はアンだ。


アンも皇女様が絶句したのを察したのか、申し訳なさそうに愛想笑いを作り、皇女無に向けてヒラヒラと手を振っている。

ルークがアンを最初に見た時と同じような反応だ。


たった数秒。

しかし随分と長く感じた沈黙の時間は、皇女様のハッと息を吸う音で終わりを迎えた。


「……は、話が長くなりそうですね。とりあえずこちらへ。詳しくは天幕の中で聴きましょう」


仕切り直しと言わんばかりに声の調子を整え、天幕の方へ振り返る皇女様。


サラリとあり得ない提案をしてくる。

あまりに不自然な展開に、思わず横を通って天幕に行こうとしたミラの手を掴んでしまう。


流石においそれと行かせるわけにいかなかった。


「ディアナ?どうしたの?」


「おかしいんだよ。王族が初対面の俺たちを天幕に招くって。あの皇女様、何を考えてんだ?」


王族と会うというのは簡単な事ではない。


他国の使者ですら、王族に会う際は信任状、つまり、自分は自国の王族の代理としてきました、という書類を持ってこないと門前払いなのだ。


それなりの立場がある人間だと示さないと会うとこも許されないのが当たり前。

それほど王家という存在は重い。


例外は近衛兵やメイドなどの関係者、もしくはパーティなどの特別な場だが、今のところ俺はどれにも当てはまらない。


と、こんな風に至極真っ当な思考を巡らせていたのだが、ミラはなぜか呆れ気味に目を細めている。

さらには小さくため息までついて、俺に視線を合わせてきた。


「ディアナ。大丈夫。何があっても私が守るから」


なんかカッコいいこと言ってるけど……。


今日だけで5回もウィンド・アッパーを浴びせてきた人とは思えねぇ。

ここにきて好印象をとりにきたのか?


それなら俺の部屋を掃除しろ馬鹿野郎〜。


「ウィンド・アッ」


「待て待て待てッ‼︎何も言ってないッ‼︎だけどごめんなさいッ‼︎調子こいてましたッ‼︎」


大急ぎでミラに土下座してから、何事もなかったように皇女様のいる天幕へ足を進める。


あれだけ警戒していた天幕が、安らぎをそなえた避難所に見えた。

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