第6話 偶発

風を切りながら進む俺の下には、白い雲の平原が広がっている。

綿菓子のようにフワフワとして、触れば柔らかい弾力が返ってきそうだ。


これだけ聞けば羨ましいと思う奴もいるだろう。

夢のような体験だと思う奴も。


だが冷静に考えて欲しい。


俺は今、雲の上にいるのだ。

しかも尾を引くほどの速さで進んでいる。


その体感温度がどれほどのものか、想像に難くないはずだ。


「ミラッ‼︎寒い‼︎寒いから‼︎風魔法で冷気から守って‼︎」


まつ毛についた僅かな水分すら凍りつき、瞬きするたびにシャリっと音がする。


超がつくほどの極寒だ。


「ごめんねディアナ。冷気からは守れない。もう魔力が限界なの」


「嘘つくんじゃねぇ‼︎笑顔じゃねぇか‼︎顔に余裕が滲み出てるじゃねぇか‼︎」


歯をガチガチ鳴らしてる俺とは対照的に、アンは風魔法に守られ空の旅を満喫している。


こちらにひきつった笑顔を見せる余裕すらある有様だ。


「く、『黒猫』さん頑張ってください。もうすぐですから。あ、ほら」


アンの声を合図とするように、眼下の雲が晴れ、乾いた地面が姿を表す。

草の根一つないひび割れた大地には、蛇がうねる様に塹壕が掘られていた。


ようやく着いたのだ。

エイス王国とカードル帝国の国境紛争地帯に。


「あそこです‼︎」


アンが指さす場所は白い天幕ーー大きなテントが林立した野営地だった。

どれも均一な大きさの天幕の中で、1つだけ大きな天幕がある。

その上でなびく旗には、アンに見せてもらった印と同じ紋章が描かれていた。


剣と杖が交差する、王家の家紋だ。


おそらくあの天幕に国王様、もしくは皇女様がいるのだろう。

どうやら2人が王宮へ向けて出発する前に、たどり着けたようだ。


「ディアナ、アン。降りるよ」


抑揚のないミラの声を合図に、3人の体は降下を始める。

その先に鎧を着た兵士の姿があるのに、何の迷いもなく。


「いやいやいやいやッ‼︎待てミラッ‼︎止まれ‼︎」


まずい。

このまま降下したら明らかにまずい。


だが俺の抗議など全く聞こえないかのように、ミラは涼しい顔で降下を続ける。


そして地面が近づいたところで体がふわりと浮き上がり、砂埃が俺たちを中心に円形に押し出された。


全く衝撃を感じさせない見事な着地。


空の旅に続き感動の連続なのだろう。

アンがキラキラと輝かせ、ミラに歩み寄ってその手をとった。


「ありがとうございますミラさんッ‼︎私、空を飛ぶなんて初めてで……。とっても楽しかったです‼︎」


子供のようにはしゃぐアンと、微笑み返すミラ。


一見すると温かい一幕だが、2人にはよく周りを見て欲しかった。

状況は冷え切っている。


ガシャガシャと金属がうごめく音に、刺さるような視線。


そして、アンは全く気がついてない。

その背に迫ってくるものに。


「危ねぇ‼︎」


アンのメイド服を引っ張り、無理やり俺の後ろに避難させる。

同時に勢いよく振り抜いた足の先では、ガンッと鈍い音が鳴った。


音の元は兵士の鎧。

磨き抜かれた立派な銀の鎧が、土埃をつけながらゴロゴロと転がっていった。


「『黒猫』さん⁉︎一体何を……え?」


振り返ったアンが倒れた兵士を見て声を失っている。

何が起こったのか理解できていないのだろう。


周りの天幕から続々と兵士が出てきているのに、ただ固まっていた。


「おい?アン、しっかりしろ」


冷静になれという意味のかけ声が、しかし最悪な方向に作用する。

俺の声で、兵士の殺気だった雰囲気に気付いたのだろう。


幕が降りたように血の気が引いてしまった。


「ど、どうして攻撃されて?私は皇女にお仕えするメイドなのに」


「あのなぁ。ここは紛争地帯で、しかも王族のいる陣営のど真ん中だぞ?いきなり得体の知れない奴が降りてきたら、襲撃だと思うのが普通だろ」


俺の言葉にハッと目を見開くアンと、あぁそういえば、と軽く頷くミラ。


天然を2人抱えるのは辛い。


冷静に指示を出せる俺がいなかったら、戦闘になっていただろうな。


「アン、叫べ。『皆さん‼︎私です‼︎王家に使えるアン・レヴィオンですよー』って。早く」


「え……あ、えぇ」


指示なんて聞く余裕がないほど動揺している。

もう終わりだ。


「侵入者だ‼︎武器を取れ‼︎」

「皇女様の天幕を守れ‼︎」


1人の兵士の怒号を端緒として、次々と威勢のいい声が飛んでくる。

おまけに剣や槍の刃先までこちらに向いて来てしまった。


こうなれば最後の手段だ。


「よしミラ、今すぐ風魔法で飛んでくれ」


「じゃあねディアナ。あとは頑張って」


「え?」


ミラはアンと自分を中心に竜巻を作り上げる。

2人を守る障壁を作るように。


当然のように、俺と兵士は竜巻の外だ。


「おいミラ⁉︎嘘だよな?嘘だと言ってくれ‼︎」


「ディアナ。自分の身は自分で守らないと」


「もっともらしい事言うんじゃねぇ‼︎頼むから中に入れてくれ‼︎」


「頑張って」


武装した近衛兵を相手に丸腰で放り出される俺。


今なら人目をはばからず泣ける気がする。

それも演技なしの号泣だ。


だが俺の号泣に同情してくれる奴がいるはずもなく……


「死ねぇッ‼︎」


前から空気がうねるほどの速度で銀の刃先が迫ってくる。

なんとか上体を反らして避けると、勢い余った兵士はバランスを崩して倒れていった。


速さは人間離れした凄まじさがある。

明らかに身体強化魔法の影響だ。


だが体の動きに意識が追いついてない。


「取り囲んで殺せッ‼︎皇女様と国王様に近づけるなッ‼︎」


立ち上がり、なおも斬りかかってくる兵士。

そして遅れをとるなと言わんばかりに加勢に現れる兵士たち。


気がつけば四方八方から剣戟の嵐だった。


だが反撃はできない。


皇女様の護衛に来たのに、その護衛の兵士と戦うなんて最悪だ。

怪我をさせれば、俺の報酬から兵士の治療費が引かれるかもしれない。


そう、コイツらは金だ。

優しく扱わなきゃいけない金なんだ。


………

……


手を出せない悶々とした状況が5分も続く。


怒り狂った兵士たちも、流石に頭が冷えてきたのだろう。

明らかに手数が減ってきていた。


「そ、そんな……我々を相手に素手で」


いよいよ剣や槍の鋒が下がり、肩で呼吸をしている。

鍛え方が足りない……わけではない。


空から敵が降ってきて、しかも魔法使いとなれば動揺するのが当たり前。

そんな精神的な疲労が無駄な動きを助長し、体力を奪ってしまったのだろう。


そろそろ話を聞いてくれそうな雰囲気になってきた。

今までよく頑張ったなぁ俺。


さぁ解放の時だ。


「なぁ、聞いてくれ。俺たちは敵じゃない。皇女様の護衛に」


「これは何の騒ぎだ?」


凛とした声音が会話を遮ってくる。


声の元にいたのは青年の騎士。

鏡のように輝く白銀の鎧を纏い、右手には青い刀身をキラつかせている。


標準兵装じゃない。

明らかに役職を持っている人物だ。


「た、隊長‼︎賊です‼︎賊が空から降りて来ました‼︎」


まだ20代だろうに隊長?

その歳で近衛兵の、王族守護の最高責任者なのか。


にわかに信じられないが、もしそうなら俺に幸運が巡ってきた証だ。

軍隊とは上の命令が絶対。


つまりこの男が退けと命じれば兵士は退く。


周りの全員を説得する必要があったのに、それが1人になった。

最高の展開だ。神は俺を見捨てていなかった。


「なぁ隊長さん聞いてくれ。俺たちは賊じゃなくて」


「黙れ」


……おや?

おかしいな。会話が成立しない。


しかも気のせいか、声が敵意に満ちあふれていて重さすら感じる。

さらには刀を上段まで振り上げ、青い光を煌々と放ってきた。


「皇女に手を出そうとする者と、交わす言葉などない。ここで死んでもらおうか」


「……もう本当に最悪だよ」


やむを得ないと拳を握り、腰を落とす。


俺が構えたのを見て、向こうも目つきを鋭くしてきた。


空気が張り詰めていくのを感じる。

殺気でピリピリと頬が痛んでくるくらいだ。


明らかに今までの兵士より格上。

力を出し惜しめる相手じゃない。


「……死んでも文句言うなよ?死体は綺麗にして返すから。鎧とか剣は……高く売れそうだから貰っていくね」


「戯言を」


いよいよ空気が割れる寸前の風船のように最高の緊張に達する。

踏み込もうと足に力を入れた、その時だった。


「ルーク。やめてください‼︎この方は私が雇ったボディガードです‼︎」


突如竜巻が消失し、中からアンが飛び出してくる。


近衛隊長ことルークとアンの視線がぶつかり、張り裂けそうだった空気が一気に固まった。


体を硬直させ、我が目を疑うように目をパチクリさせるルーク。

俺の相手などどうでも良いと言わんばかりに、すぐさま剣を納めてアンのもとへ駆けよった。


「ど、どうしてここに……」


その顔からは血の気が引いており、青を通り越して白くなっている。

周りの近衛兵ですら凍ったように動かなかった。


「なぜ来たのです⁉︎こんな危ないところにッ‼︎」


「危険なのは承知です‼︎私1人が王宮で、何もせずに待ってなどいられません‼︎」


アンがこの場にいるのがそんなにショックなのだろうか?

ルークは何か話そうと唇を動かしては、言葉が出ずに口を閉じることを繰り返している。


そんな2人を距離を置いて見守っていると、俺のそばに足音が近づいてきた。


「ねぇディアナ。あの2人仲良しだね。お互いのことをすごく心配してる」


「うん、俺も心配されたいんだけどなぁ。せめて丸腰で兵士の前に放り出されない程度には」


「…………?」


「いや……ゴメン、もういいよ。自分の身は自分で守る」


「『ゴメン』じゃダメ。人に謝るときは、ちゃんと『ごめんなさい』」


「お、おう……ごめんなさい」


あれ?

なんで俺は頭を下げてるんだろう?


何か悪いことしたっけ?


…………もういいや。

いつものことだ。


そうして俺は、考えるのやめた。

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