第5話 魔法とは
空を埋め尽くす鈍色の雲から、陽光が貫くように降り注いでくる。
その光を浴びているのは俺、ミラ、アンの3人。
出発の準備を整えて、今は事務所の外だ。
準備とは名ばかりに3人とも手ぶら。
まぁ、行き先には王族がいる訳だし、物資に困る心配はないだろう。
何より護衛対象が既に襲撃を受けたという余裕の無い状況だ。
余計な準備に時間をかけるくらいなら、1秒でも早く皇女様の元へ辿り着きたかった。
「さて、行こうか。アンは道案内を頼む」
「分かりました。すぐに馬を手配します。3日もあれば皇女様の元に辿りつけますので」
俺の事務所がある街はフラン公国の領土、それもエイス王国の国境寄りに位置している。
国王様と皇女様がいるのはその反対側。
エイス王国とカードル帝国の国境だ。
つまりエイス王国を横断しなくてはならない。
3日でたどり着く予定なら相当良い馬を借りているし、移動速度はかなり早い方だ。
だがそれでも、3日という時間は長すぎる。
俺たちが到着する前に皇女様は出発してしまう、なんて間抜けな事態は避けたい。
それに、馬代が報酬から引かれるのは絶対に嫌だ。
となれば、手は一つだろう。
「ミラ、頼めるか?」
「分かった」
ミラが俺とアンの肩をポンと叩く。
首をかしげたアンだったが、すぐに自分の足元を見て目を見開いていた。
足がフワフワと宙に浮き、地面が離れていく光景が衝撃的なのだろう。
ミラの姿が小さくなり、事務所の屋根が小さくなり、ついには、街全体が小さくなった。
「え⁉︎えぇ‼︎」
アンの驚きの声は、何に反響することもなく空へ消える。
そして俺とアンの下から、ミラも遅れて同じ高さまで飛んできた。
浮いてきた、ではなく、自分の意志で飛んできた。
「ミ、ミラさん‼︎飛行魔法が使えるんですか⁉︎」
アンが目玉を落としそうなほど瞼を開いてる。
まぁ無理もないだろう。
魔法は誰でも習得可能な技術だが、未だ発展途上。
庶民は当然として、貴族ですら使えない者がいる始末なのだ。
これは魔法という技術の開発史が影響している。
魔法という技術の発端は人間の解剖から始まっているのだ。
きっかけは、物を触れずに引き寄せられるという不思議な少年からだったらしい。
その力に興味を持ったとある貴族は、その少年を買い取って、体の謎を解こうと様々な実験をした。
そして分かったのは、その超常的な力は、脳の魔力核という部位が働くために起こるということ。
この魔力核は特定の図形から刺激を受け、それに合わせた現象を起こすそうだ。
早い話が、ある紋章を頭に思い浮かべれば指先に火が灯り、また別の紋章を思い浮かべれば風を起こせる。
ただし、妄想で思い浮かべる程度では魔法は発動しない。
紙に紋章を書き起こし、それを何度も何度も見て、正確に思い浮かべられるようになって初めて発動できる。
それが分かるまでに、少年の体をどれほど弄ったかを解説する必要はないだろう。
犠牲が1人だったかも怪しい。
今は紋章を探す事が魔法の研究となっているので、いくらか人道的になったものの、時間と金に余裕がなければ研究は難しいのが実情だ。
そんな事ができるのは、人を雇う金を持ち合わせる貴族や国だけ。
しかも貴族は、魔法の研究成果を広く公開しない。
独占しているからこそ、自分だけが使える特別な力だからこそ価値があると考えているのだ。
どうしても魔法が使いたい者は金で解決するしかない。
山のような金貨を差し出して、魔法の知識を金で買う。
つまり魔法学院に入るのだ。
涼しい風を吹かせる魔法ですら習得に数ヶ月かかるし、実用的な魔法が使えるようになるには年単位の修行を要するが、それでも入学希望者は後をたたない。
だが魔法先進国と呼ばれるフラン公国でも、10年前にやっと1校目の魔法学院ができたばかり。
それほどに、魔法という技術は普及が遅れている。
寂れた事務所のボディガードがいきなり空を飛んだのを見たら、仰天もするというわけだ。
アンが金魚みたいに口をパクパクしているのも当然のリアクション。
……ってミラ。
アンの口に何か放り込める物がないか探すのをやめろ。
一応依頼人なんだから。
「うん、私は風魔法を使える。あ、ディアナは使えない。私が浮かせてるだけ。部下に自分の体を運んでもらうなんて情けないよね」
「おい聞こえてるぞミラ。説明のついでに俺の心をえぐるんじゃ……やめてぇ。俺の体をグルグル回さないで。吐くからッ。ホントに吐くからッ‼︎」
随分と楽しそうにしちゃって。
久々の依頼に腕がなっているのだろう。
初対面のアンから見ればほとんど無表情だろうが、ほんの少し口角が上がっている。
その感情の昂りを俺の体を回転させることで表現するのはやめてほしいが……。
「アン、皇女様のところへ案内して。馬で3日なら1日もかからない」
「わ、わかりました。あちらです」
ミラに言われるがまま、アンは目的地への方向を指さす。
3人の体は流星のように尾を引き、風を切って飛んでいった。
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