第3話 使い捨て

テーブルの上の紅茶から、ユラユラと湯気が立ち登る。


そのカップの前にいるメイドは、もの珍しそうにキョロキョロと事務所を見回していた。


「綺麗なお部屋ですね。棚の本も整えられていて。流石は『黒猫』さんがいらっしゃるボディガード事務所『猫の館』です」


「まぁ、部屋の汚れは心の汚れって言うからな。掃除は絶対に欠かさないようにしてるんだ」


横にいるミラから刺すような視線を感じるが全力で無視する。

今はこのメイドから依頼をもらうことが重要だ。


幸い、メイドからの印象はまだ最高を保っている。

瞳の奥のキラキラとした輝きが、それを証明していた。


「あ、申し遅れましたね。私、アン・レヴィオンと申します。史上最高のボディガードと名高い『黒猫』さんとお会いできて光栄です」


どこでそんな勘違いをしたのか。

史上最高のボディガードがこんな寂れた事務所にいるはずないだろう。


冷静に考えればおかしいと思うはずだが、どこか天然が入っているメイドのようだ。


声に出してツッコミたくなるが、なんとか我慢する。


天然でも上客に違いはないからな。

ここで印象を悪くはできない。


だが、


「フフッ」


堪えきれないと言った笑い声をあげたのはミラ。


頼むから大人しくしていてくれ。

勘違いしていると気づかれてしまう。


「ディアナが史上最高のボディガード?誰から聞いたの?」


「わ、私の主人です。困ったら史上最高のボディガード『黒猫』を頼れって」


ミラがいよいよ肩まで震わせて笑っている。

頼むから堪えてくれッ‼︎

せめて契約書を交わすまでッ‼︎


「アン、それは勘違い。ディアナの評判は『史上最低のボディガード』だよ」


……終わった。

まだ依頼人が来てから数分しか経ってないのに。


アンの目が目を見開いて固まってる。

驚きのあまり、感情が無いお人形さんに早替わりだ。


あ〜ロイヤルな依頼が……報酬がぁ。


「な、何かの冗談ですよね⁉︎だって『黒猫』さんは、依頼達成率100%のボディガードだって」


「そうなの?初めて聞いた」


「そ……そんな」


肩を落として俺へ視線を移すメイド。


やめて。


そんなゴミを見るような目で俺を見ないで。

俺が騙したわけでもねぇんだから。


「あの、それなら他のボディガードを探します。時間がありませんので、これで失礼します」


そう言って立ち上がったアンはペコリと頭を下げる。


まずい。

このままでは金が逃げてしまう。


アンの気を引けるような言葉を、なんでもいいから言わなくては終わりだ。


熱が出そうなほど頭をフル回転させる。

アンがこの場に留まりたいと思うような言葉を見つけなくては。


「……まぁまぁ、ちょっと待てよ。言っちゃ悪いけど、アンの依頼を引き受ける奴は、この街にはいないと思うぞ?」


俺の言葉にアンがピタリと動きを止める。

とりあえず引き留めるのには成功した……が、どうやら地雷を踏んだらしい。


こっちを見る目が細く、鋭く研ぎすまされている。


「適当な事を言わないでください。とても不愉快です」


「適当じゃない。その服を見れば分かる」


会った時から気になっていた。

何の汚れも付いていない上等なメイド服。


この薄汚れた街を歩いて、汚れ一つ付いていない状態なんてあり得ない。

上手く風魔法を使って、塵を避けているのだろう。


それほど教育が行き届いたメイドを雇っている家ならば、普通は専属の護衛がいる。

外部のボディガードなんて頼る必要がないのだ。


なのに、わざわざ俺の事務所に来た。

それはつまり


「依頼内容は『身内を使いたくない危険な仕事』じゃねぇか?何かあっても、外部のボディガードならトカゲの尻尾のように切り捨てられるもんな」


「そ、そんな……」


アンが消え入るような声で視線を落とす。


そんな事を言われるとは全く予想していませんでした、と言わんばかりに。

いい家のメイドなら表情の隠し方くらい教わるものだが、子供のような純粋な反応だ。


「そんなの、『黒猫』さんの勝手な思い込みです。そんなつもりは……ありません」


「でも、そう考える気持ちは分かるだろ?なら、他の事務所でも門前払いにされるって想像できるはずだ」


俺の言葉に返事はない。

代わりにアンの黒目は分かりやすく泳ぐばかりだ。


思ったより心が動きやすいメイドらしい。

これなら俺に依頼をするように誘導できる。


焦らず、じっくりと追い込んでいけばいい。

間違っても金にがめつい態度を出すな。それは依頼人の心を遠ざける。


さぁ、その小さな口を開いて話せ。

俺が完璧な答えを返して、依頼をする気にさせてやろう。


「な、内容に見合った報酬は用意しています」


「え?ホント?今いくら持ってる?ちょっとそこで飛んでみようか?」


「ディアナ……ウィンド・アッパー」


ミラの声で、また俺の視界が天井一色になる。


あ、5分ぶりだね天井。

今日はよくぶつかるなぁ。あ、できればそこ退いてくれると嬉し……。


「オ゛ヴェェッ‼︎」


俺の口から潰れたカエルみたいな声が出た後、また視界が床一色になる。


あ、5分ぶりだね床。

今日はよくぶつかるなぁ。あ、できればそこ退いてくれると嬉し……。


「オ゛ヴェェッ‼︎」


肺から一気に空気が抜け、立ち上がる気力すらも同時に抜けていく。


容赦なさすぎるだろうコイツ。

確かにちょっとチンピラみたいな言い方だったけどさぁ……。


そんなミラは俺に一瞥いちべつもくれることなくアンに視線を向ける。

コイツはあまり交渉ごとには向かないのだが、大丈夫だろうか。


「アン。お金を用意して呼びかけても、お金に困ってるボディガードが集まるだけ。儲かってない、大した腕じゃない人たち。そんな人たちに依頼する?」


淡々とした口調と凛とした声に、責めているような圧がこもっている。

本人にその気は無いのだろうが、素の声がそうなのだから仕方ない。


しかも内容が完全に正しいので、尚更にキツさが増していた。


とはいえ、流石のミラも空気の重さに気がついたのだろう。

仕切り直しと言わんばかりに軽く咳払いをしてくれた。


「アン、依頼内容を聞かせて。私たちで引き受ける」


おっと。少し強引な感じは否めないが、流れを引き戻したな。


さぁ言うんだ。依頼内容を。

そして俺に仕事を与え、財布を潤せ。


「……わ、分かりました。ただ、これから話す依頼内容は他言無用に願います」

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