観測記録の断片3 せめて満足いく結末を(1)
「ケッケッケ…、はぁーマジで笑える、巴の表情完全に嫌な球団に指名権取られたような顔してらー、5球団から指名されたんだから別にいいだろうにー、第一印象悪いぞぉー」
誰も居ない病室で、点滴に繋がれた状態の公命は、悪役かの様に高笑いをしていた。その原因が自分だという事も知っているが、それでも笑う。笑っていれば現実の一つや二つ、逃避できると思っていたのだろうが、その考えも空しく数秒後には考えたくもない現実が待っている。
「公命、廊下にまで響いてる!もう少しボリューム下げて話しなさい!」
「いやそういう姉ちゃんの声の方がデカいよ…、ていうかこんな何でもない時期に帰ってくるなんて仕事はどうしたのさ?大事な有給でも使った?もったないなぁ、てか折角いい大学行ってるんだから出世レースは逃さないでねー」
ツッコミと同時に、今この状況だからこそ姉が来ているという事を無視して、神経を逆なでする様な発言を公命は姉にぶつける。今更の現実逃避だと笑うか、それとも公命の為を想って同情をするのか、誰の所為だと怒るか、そんな賭けをするのも一興だと公命は考えて行動していた。そんな事をしなくては、相手を傷つける事をしていなければ、もう自分を保つという事が出来なかった。
「もういい、もういいから。…何も言わない、公命がどれだけ悩んだかもわかったから、私達に最後まで元気な姿を見せようと思ったんでしょう?」
「そんなんじゃないよ、俺は最後くらい自分の好き勝手に生きて見たかっただけ?」
嘲笑でも、同情でも、憤怒でもなく、嫌味と皮肉を混ぜて叩くために紡いだ言葉に対する返礼は、ただ一つ自らに言い聞かせていた事を相手が理解しようとしてくれたという報告であった。
だから動揺した、瞳が揺らいだ、けれど顔には出してたまるかと、張り付けたような笑顔を見せる、そんな事は考えていなかったと見せる為に。
「公命は優しいからね、だからその優しさが報われて欲しかった。長生きして欲しかった、でもそれを私が提案したら公命はその通りにやってくれたんだと思う、けどその選択をした私は公命の最後を見たら私は後悔したと思う。結局公命は何も自分らしく生きる事ができてないじゃないかって、そればかりか痛みに苦しんで延命して、自分かどうかも分からなくなっても生きる事を強制した私が後悔するって事を、わかっていたんでしょ?」
姉は優しく抱擁する、公命が内に秘めていた事は、やはり家族だからか全て言い当てられた。悔しい、必死に考えた、自分だけが苦しめば良かった選択を、結局は大切な人全員が苦しむ選択にしてしまった、それが悔しい。
涙が溢れた、嗚咽が止まらなかった。悔しい、悔しい、悔しいと誰にも言いはしないが、その心からの叫びを私だけか確認する事が出来た。そしてその選択肢を選んだが故の、今後のそしてそれ以前の魂に強制する結末を知ってなお、それでも手を出せない。そんな私が嫌になる。傍観を楽しむ為の特異点(お気に入り)が、余りにも特異点過ぎた故か、それとも魂を自らの手で改変し苦しむただのヒトを見て私は、どうしようもなく悲しい気持ちになった。
「もう、見栄を張らなくていいから、私達の前では弱音を吐いていいから、だから公命が決めた様に最後まで元気に生きよう?私達はそれを応援するからさ…ね?」
「あ……、うっ………、うぐっ…………」
年端もいかぬ子供というには、それは大人になり過ぎていた、大きすぎる子供だった、大きかったからこそ、せめて皆が苦しまない結末を願い、その為に行動した。
その願いは叶う事は無かった、それがどうしようもなく悔しい、けどそれと同時にもう頑張らなくていい、自分を欺かなくていいという事を公命は悟る。
だから年相応に涙を流すのだ、今だけは運河家の末っ子として、見ているのは家族だけなのだから、みっともない姿を見せる事できる、それが家族という枠組みで、それでいて末っ子の役割なのだろう。
一頻り涙を流しきりすっきりとした様子の運河公命が、すぅーと寝息を立てながら病床に就く。泣くだけ泣き、寝床に就く姿はまるで赤ん坊の様、人並以下の負荷しか耐えられないその体で、誰も彼もが不幸にならない、この結末を知った者がこれが一番良かったと思える結末の為に限界を告げる体に鞭を打ち、それだけの為に頭を回し、実行した。
それすらも出雲芽生への、恋心で中途半端な物になってした事は否めない、が、まぁそれはそこまでの事を実行するに至った家族の理解で、ある意味の終結を告げる。
故にこれから始まるのは、運河公命と出雲芽生の決着と、親友達の行く末だ。前者はこれから、後者は彼が関わらない所で決しようとしている。
「あー、あー、随分安心したように寝ちゃって…、こっちはそっちが流した涙でよだれを垂れ流した赤ちゃんみたいになって、着替えを買いに行かないといけないって言うのに…」
公命が垂れ流した、涙と鼻水による少しばかり汚らしい水浴びのお蔭も相まって、公命の姉は前掛けの重要性を理解出来る、これが本人に垂れるのだから世の奥様が赤ん坊に付けさせるのだと。
「あれ?公命君のお姉さんじゃないですか、どうしたんですか?赤ん坊みたいに正面べちゃついちゃってますけど…」
「あはは…、やっぱりそう見える?出雲さん」
珍しくも無い来客、いやこの場合は来院が正しいのか、ここは病院の出入り口であり家ではない、病院が主体であるのなら客ではなく患者か、見舞いの人間だ。
「ここで出会うのは…まぁ意外でもないか、丁度いいや今公命寝入った所だからさ、世間話でもしながら私の服を選ぶの手伝ってよ」
「確かに病室行って公命君と話せないんじゃ、意味無いですね。まぁいいでしょう、どこに行きますか?」
「そこ」
指を指した先には、リーズナブルな価格とそれに見合わぬ機能性、そしてその価格相応のデザイン性、故に全てに置いて適正、リーズナブルな服屋と言える店に入店した。
「歳離れている私が説教臭い事を言うのもアレですが、公命君のお姉さんってファッションに絶対興味無いですよね、化粧はしっかりしてるのに…」
「まぁファッションに疎い事は否定しない、ていうかウチの人間皆そうだよ?公命とデートした時とか思わなかった?無地ばっかだったでしょ?」
「そういえば、確かにそうだった…。公命君と居る時間が楽しくて服なんてそんな気にならなかったです」
「私が服にお金をかけないのも、出雲さんと同じ理由。自分を良く見せるより相手との時間にお金を使った方が有意義、まぁ今の所大体逃げられてはいるんだけども…」
切実な想いを弟の彼女に打ち明ける、姉の姿を弟はどう思うのだろうか?恐らく大笑いするだろう、けれどそれを芽生は運河公命に話はしないだろう。それは今の彼女が運河公命とその話をできる状況には居ないという事が起因するのだが。
「まぁ私はお姉さんと付き合った事は無いので、デートの雰囲気とかは知る由が無いですけど、関係を続けたいのであれば、もっと無能になる事をアドバイスしておきますね。私がそうでしたから」
サイズだけを見て白い無地のシャツを手に持ち公命の姉は会計を済ませる。その後ろにただついてきただけの芽生が、ブラウスを片手に清算を待つ。
「出雲さんって、案外お店に入ったら何か買わないと申し訳なくなるタイプ?」
「いえ?手元のブラウスがちょっと古くなったので、それにもう卒業ですし、少しぐらい綺麗な物で卒業しようかと思いまして、まぁその卒業式に公命君が居ないのは、少しつまらないですけども」
「あぁ、もう知ったんだ、公命の退学届。お母さん達の話だと元から、もう通えないって事が決まったら辞めるつもりだったみたいだから許してあげて?」
「別に怒ったりはしませんよ?ただそのまま逃げようなんて甘え考えの公命君にお灸をすえに今日ここに来ただけなので」
「あぁー、そう。まーた公命の奴、選択ミスったな…、まぁそういう事ならいいや、多分もう起きてるから一人でお見舞いしてきな、私は一旦家に帰るからサ」
「ありがとうございます…、それじゃあ行ってきますね」
芽生は運河公命の姉と別れを告げ、足早に病院へと向かう。どの病室に居るのか、今どんな格好で居るのかなんてモノは、もう既に運河公命を再現して把握できている、だからこそ実際の所直接会う理由はない、芽生が話す事もスマホのメッセージでのやり取りでも結果は変わらない。
けれどやはり惚れた弱みか、それとも初恋の恋心故か、芽生はどうしても運河公命と会いたいという気持ちが抑えられない、けれど会うのが少し怖い、そんな矛盾を芽生は持つ。
運河公命に会うのは嬉しい、けれどそれは大好きな人の生命の終わりを実感する事に他ならない。だからそれは覚悟の上だ、全て覚悟したうえで、それでも芽生はこの恋を終わらせる気が無いらしい。
「にしてもやっぱり病院は少し苦手だなー、子供の頃の予防接種の所為か、それともお母さんがいきなり病院に行って、そのまま帰ってこなかったらか…。今はちょっと違うかもしれないけど」
独り言を口にしながらも、エレベーターを待ち、病棟の受け付けで案内を受ける。場所は知ってはいるのだが、何も言わずに部外者が病室に行くのは、不審に思う人間もいるだろうから、最低限の配慮というやつだ。
「おひさー、まだ泣いているかい?それとも少しはさっぱりしたかい?」
ノックをし、一呼吸置き、扉を開く。一瞬目を背けたくなる光景があった、ダボダボな患者衣、そこからチラリと見せるどうしようもなく痩せこけた体、そして繋がれた点滴に、脈拍、呼吸、心電図などを測定する機器それら全てが、もう運河公命という人間は普通ではないという事を、証明してくる。
「おや?目がまだ赤いね、コスっちゃダメだよ、今は良くても後々苦しい目に遭うのは君なんだから」
「なんで来たの?余計な世話でも焼きに来た?もう俺に出雲さんは必要ないし、出雲さんもいい加減俺を見限ってよ、もう底は見えたでしょ?」
「あー、もう無駄だよ、そんな事言っても。私には人に誇れない特技があってね、異常な再現性っていうんだけども、それが厄介でね、話せば相手がどういう風に言葉を返すかを把握して、会話できるって言う特技なんだけどサ」
芽生は生まれて初めて自らの同類以外で、自らの持ちえた異常性を公表する。嘲笑されようが、疑われようが、今語った言葉は全て真実で今も運河公命が次に何を口にするかが手に取る様に分かる、分かってしまう、ついこの間までは分からなかった筈なのに。
「『そんな特技あるなら、夏祭りの日になんで俺が誘いを断ったかもわかった筈でしょ、その時点で気づいていないような特技なんて』でしょ?」
運河公命が開いた口を閉じる、言おうとしていた言葉をそのまま返されるというのは、思いのほか心地が悪いらしい、自分の全てを見透かされているそのような気分に陥るのだろう事は想像に難くない。そう言えば立花巴も似たような表情をしていた。
これが、私が権能により与えた力でもなく、ただの本人が持ちえた才能と言うのだから、ヒトは面白い存在だと改めて認識すると同時に、やはり彼女も特異点(お気に入り)という名の特異点的存在だった。
「そんな顔しないでよ、私だって別にこれを練習して身に着けた訳でもないんだから、不可抗力ってやつだよ。まぁ公命君が言いたい事はわかるよ、何故今になって分かるのかって話でしょ?」
若干引いている運河公命の表情に、芽生は悲しみを覚えながらも淡々と話しを続ける。ここまではただの前説、ここで終わればただの自慢話をしにきた嫌な奴だ。芽生はそのような事を言い来たのでは無い、三つの目標を持ってきたのだ、この偽りから始まった関係を終わらせる為に、何一つの後悔もしない為に、そして偽りを真実にする為に。
一つのお願い、一つの約束、一つの希望を提示しに来た。
「何度でも言うよ、私が公命君を君が倒れるその日まで再現出来なかったのは、君の事が大好きだから、だから目を背けた、理解をすれば苦しむと分かっていたから、でももう覚悟は決まった。だから公命君、君の最初で最後の恋を、私の一生味わう事の無い恋を…。私が提示する三つ目標を叶えて終わりにしよう」
「……………………」
服を揺らし髪を揺らす、秋というには少し寒すぎる風が病室に入り込み、沈黙が少しの時間続いた。運河公命にとってそれはまさに予想外であった、怒られると思っていたからでもあるが、芽生に話した上辺だけの言葉が嘘だという事は、既に知られているからこそ、最後までその関係を続けるつもりなのかと推測したが、芽生はその関係を終わらせに来たという事を驚いていた。
「なにそんなに驚いているの?公命君が言ったんでしょ?この関係を終わりにしようって」
「いや、それはそうだけど、ちょっと意外だった」
「私が関係を終わらせようとする事が?そうだね私も意外だった、けどこれは偽りの関係でしょ?途中から私も分からなくなっちゃってたけど、だからこの関係を本当のモノにして終わろうよ。君が死ぬ前に残す後悔とか、心残りなんて全部私に任せて君は勝手に逝けばいい、それよりも私は私を皆と同じ人にしてくれた君の想いを、私と同じ想いを持つ君が幸せな気持ちを抱いて死んでほしいよ」
芽生は心から本心を伝える。ずっと伝えたかった事はこれだったのだろう、結婚がしたい、一生一緒に居たいなんて事は、それを伝え損ねた誤った表現でしかなかったのだ。
彼女はただ、初恋の男の子との関係をくだらない事で、くだらない結末で終わらせたくない、それだけだったのだ。
それは少年も同じことで、初恋、そういう気持ちは抱いてはならない、何故ならば自分は先に立ち止まってしまう存在だから、自らの存在そのものが相手の重みになるとずっと考えていた、けれど初恋の少女は言う。
「そんな事ならいくらでも背負う、私はこの初恋を私の事を人とにしてくれたこの気持ちを成就させたい」そう宣言したのだ、それは少年にとってどれ程救いであっただろうか?私には分からないが、それは運河公命の表情が物語っていた。
「なにそれ?もうすぐ死ぬ人間に、勝手に死ねって…冗談にも程があるよ………」
ホロリと、布団に雫が落ちる。同じだった、あの日夏祭りで流した涙と同じだ、けれど少しだけ違う、魂の変質はしていない。だからこれから歩む魂の道筋はもう変わりはしない。その澱んだ色が涙によって洗い流される事も無い、けれどあの時はこの想いを抱くのは許されない事なんだという悲しみの涙だった、でも今はこの想いを叶えてもいいんだという喜びの涙だ、少年の大好きな人が差し伸べてくれた、救いの手であった。
「冗談なんかじゃない、君は死ぬんでしょ?けど最後まで誰かを想う死である必要はない、もう君は一杯苦しんだんだから、最後くらいは幸せに逝こうよ、それ位は許されるでしょ?」
「そう…かもね、許されるかな?何もかも中途半端で、そのくせ全員を納得させるような選択肢を選んだ俺でも…、許されていいのかな?」
「大丈夫、私が許す。許されなかったとしたら、君の死後に私が背負うから」
風が一度止んだ病室で、二人の影が重なった。状況に流された訳でも無く、片方が望み了承を得ずに行った行為でもない、半年とちょっとかかって、二人は初めて想いのままに互いを重ね合わせるに至った。一度離れても、もう一度と望む、二人にこれからは無いのだから、これまでにしかなれないのだから、だからこれから先に思い返すこれまでをじっくりと作る、幸せな時間とはこの時間を言うのであろう、いつぞやの恋愛論理のAに過ぎない行為であっても、けれど二人にとっては待ちわびたCにも近い行為であった。
「それを達成できるっていう保証はないけれど、それでもいい?」
「いいんだ…、君がそれを目標に少しでも楽しく生きてくれれば…、私はそれでいいから…」
非力な運河公命が抱きかかえられるように、自らがベッドの上に上がる。そして再び二人は影を重ね合う、一瞬の様で、無限にも感じられる一時を過ごすのだ。
これからようやく短いが濃密になる予定の計画を目標という形で、相手を再現して相手が望むようなモノではなく、芽生自身が心の底から望み、そして運河公命が納得する形で。
「ちょっと長居し続けちゃったね、じゃあ次にちゃんと会うのは12月、そして3月だ。三つのちゃんと守ってよね」
「うん、守るよちゃんと。最後まで頑張って見せるから、そっちも精々こっちの頑張りを無意味にしない様に努力してね」
「ハッ…、私を誰だと思っているの?私は才能だけで生きている人間じゃないよ?私は努力を怠らずに才能を遺憾なく発揮できる天才だから、公命君の頑張りは絶対に無駄にしない、この事に関してなら私の人生を賭けてもいいよ?」
「ハハ……、その言葉だけでお腹いっぱいだ、それじゃあね芽生、皆によろしく」
「うん、明日も皆と一緒に来るけど…、まぁそういう事で」
元気な姿で明日もまた会おう、そんな軽い約束をした別れ。二人にとって大事な事はそれ以外の三つで、この三つさえ完遂すればきっと二人の関係はいいモノとなって終わる事が出来る、両者が利用し合う関係ではなく、ごく短い時間ではあるが普通の恋人として過ごせる、それだけが二人が望んだことであった。
そして翌日、場所は昼食後の暇な時間を持て余した二人が集う、学校の廊下。相対するは立花巴と芽生、何故か最近顔を見せない小山伊織はさて置いて、二人は雑談を始める。
運河公命が居なければ芽生と立花巴が、芽生がいなければ、運河公命と小山伊織が話すこの場所で会話する。私としては4人で話せばいいのではないだろうか?と思う事もあったが、けれどずっと一途な人間と、恋を気づかされた人間同士であるからか、なにかと相手として話しやすいらしい。
「で、ドラフト1位のスターの卵君は、いい加減前に進んだのかな?私達は進んだよ、かなりねー」
「その自分が上の存在と言う事をアピールしてくるような顔辞めてくれ、マジで殴りたくなるくらいむかつく顔してるから…、今の出雲」
ドヤ顔という名に相応しい顔を、芽生は立花巴に対し放つ。そこには関係が進展していない事への哀れみを、あれだけ背中を押したのに何一つ行動が起きなかった悲しみを、そしてやはり自分達の方はかなり進んだぞという優越感を全身から発しながら、超上から目線で立花巴の全野球ファンの期待を背負うその顔面に叩きつける。
「負け惜しみにしか聞こえないネ、ほらほら私に勝ちたいのなら何をしたのか言ってごらんよ?勝てないだろうけどねー」
「勝つとかまけるとか知らねーよ……、でもまぁ一応ドラフトが終わった後に告白はしたよ」
「うそぉ…………、そんなぁ………ばかなぁ………」
ガクリと窓枠に倒れ込む芽生を蔑むような目で立花巴は眺め、大袈裟に倒れ込んだ為か体を強く打ちイテテと体をさするその姿が酷く滑稽に見えたのか、改めて立花巴は鼻で笑ってみせる。ざまあみろと心の底から送る、その人を見下した笑顔は芽生に対し生まれて初めてかもしれない敗北感を覚えさせ、それと同時にその敗北感はどこかへ消え失せさせる。
「でもでもでもでもでも、それじゃあなーんでいおりんと一緒に居ないのさ?私と話している場合じゃないでしょ?『俺にはもう彼女が居るんだぜ?』ってアピールして周りの煩い蠅を墜としなさい!」
「でもが多いし、出雲が一番うるさいよ…、俺も小学校からの夢をようやく果たして、卒アルに書いた宣言通りに想いを伝えたんだけどなぁー、脈無しだったのかなぁ?」
てめぇの目は節穴か、てめぇは間違いなく朴念仁、てめぇはアホか、数々の罵詈雑言の為の言葉が、芽生が有する非凡な頭脳に凡庸な言葉として舞い降りる…。ここで尻を蹴とばし、発破を掛けるのも確かな一手だと考えたが、それは寸での所で踏みとどまる。もうここまでくればむず痒い景色を見る事も無い、後は彼らが相談してきた時のみ手を差し出せばよいという考えで、脳内の決議が終了した。
「まぁ悩めよ、若人。それさえ超えれば待ち望んだゴールだ、ふぁいとぉー、んじゃまた帰りねーいおりんも誘ってよ?」
「あー?てか出雲が一番誕生日遅いだろ…、あ、そういえば気になる事が、こういう話は家庭の事情があるのかもしれないけど出雲ってアメリカ行くとか言ってたけど金どうすんの?奨学金とんの?」
「本当に余計な心配で、普通は踏み入らない場所だよ…そこは…。まぁきっと公命君経由でしょ?ご心配なく、少なくても君が手に入れる契約金から税金を引いた程度のお金はもう集めたよ」
芽生が一から作りだした会社を設立、会社を崩さない様に発展させ、業績維持し、そして会社が少しでも続くようにアドバイスを残し売却、長期休暇中のデイトレードetc.自らの慧眼と才能を惜しみなく発揮した結果の報酬であり、決してやましい事には何一つ手は染めていない、そんな事に手を染めていればきっと運河公命の事を好きとは決して言えない。
3年始業式、出雲芽生が入学式は後日と言うのを忘れる程はっちゃけ、運河公命との関係を気づくきっかけとなったあの日、お金稼ぎというモノから完全に解放されたが故の、芽生が行なった一世一代のはっちゃけであったのだ。と今過去の状況を観測し直し、私は知った。まぁ確かにあの日の芽生は、明らかにテンションがおかしかった、それこそ何日も徹夜したような努力の成果が実った日なのだから当然かもしれない。
「えっ?契約金の税金……、仮に1億貰えたとして……5千万?…は?」
ポカーンとした表情で固まる、立花巴とは裏腹に芽生は元気に教室に戻る。意表を突いた攻撃は、こちらも意表を持って返す。それが成功し満足と言わんばかりに足軽に着席した、けれどこの教室に戻ると少し寂しさを覚えてしまう。ついこの間まで近くの席で突っ伏していた人間が居た形跡は既になかったから。
「やっぱ、教室で話す相手が居ないのは…少し寂しいかな」
誰も彼もが、最初は運河公命の話をした、あらぬ憶測や、誤解が飛び交った、けれど1週間も経てば、高校生というモノは話題のインフルエンサーの話で盛り上がる。運河公命が望んで関りを持たなかったからこそ、この状況が普通だった。けれどやはり、それでも。
「なんか腹立つなぁ、誰も君の話をしないって言うのは、君がそれを望んだのは、まぁ知ってるし尊重するんだけどサ」
11月中旬、山間部や所によっては平地でも初雪を観測する今日この頃、芽生が大好きない運河公命は、本人が提出した退学届けを持って、学校からまるで初雪が地面ですぐさま溶けてしまう様に姿を消した。
放課後、友人と話をする者、もうすぐそこまで迫っている人生を決める一大事に向け準備を続ける者、その準備が終わっている者、そして既に終わった者。
高等学校までであれば、誰かが居るからなどそのような理由で選ぶことができるだろう、けれどそれが今後の人生を決めるとなると友情で舗装された道から外れ、別の道に進む者も現れる。
付き合いが悪い人間と囃されるかもしれない、先の事など決めているなんて裏切りにも似た行為だと理不尽な怒りをぶつける人間もいるかもしれない、あるいは羨ましいと思われるかもしれない、人によって様々だろう。けれど既に決まっている者と、自らが舗装した道を踏み外す事は無いと確信している人間にとっては、周りとの温度差を感じるつまらない日常なのかもしれない。
「いおりん、先に行ってるって言ってけど、これじゃあ病院でも先に帰られてるんじゃない?なんか私が言うのもアレだけど、いおりん達さぁ初心すぎない?」
「うぜぇー、半年ちょっと早かったくらいで、先人みたいな事抜かしてくるやつ…うぜぇー」
抱えた感情の長さに流されず、ゆっくり進む人間を見て少しばかり出雲芽生は思った言葉を何一つオブラートを包まずに率直に伝え、それが立花巴には癪に障ったらしい、そんな感じでゆっくり集合場所である病院に向かう公命の恋人と親友の姿を想い描いた。
「ねぇ、ちょっとー、公命?話聞いてる?でさどうすればいいと思う?私…」
「あーはいはい、今頃芽生達が話しているであろう内容を想像しながら聞いてた聞いてた」
昼にも似たような会話を私は見た気がするが、きっと内容は少し違うであろう。一応恋に置ける先輩と言っても過言ではないのだが、しかし本当の意味でお付き合いを始めたのはつい先日、公命も恋愛初心者と言っても過言ではなかった。そもそもの話として、公命は自分の命を悟り、隠しきれない想いを必死に隠していた人間で、せめて大好きな出雲芽生の願いは全てを叶えるという行為を行っていた人間だ、故に結論としては告白された…。好きならば付き合う、無理ならば断るのが普通なのではという疑問が公命の脳内に浮かぶが、事はそう単純じゃないらしい。
「それって、ちゃんと聞いてなかったって事?もー、こっちは真剣なんだからさぁー真面目に聞いてよー」
「聞いてるって、聞いたうえでじゃあそれでいいじゃんって答えしかでないだけで…、あとうるさいよ他の病室の人に迷惑」
「あ、はい、ごめんなさい。……いやでもね、私も巴の事は好きだよ?勝手にお姉ちゃん面はしてたけど、きっと心のどこかでは昔からずっと好きだったんだと思う、その気持ちは本…当…の筈…」
後半に進めば進む程、声が小さくなって聞き取りにくい。公命はそう思ったが、心ばかりの優しさをもってそれを口にするのは止めておいた。そして後半に行けば行くほど自信すらも無くなっているのだから、どうしようもない。
「いや、その気持ちが本当かどうかの確証すらないなら、こっちはどうしようもできない無理、自分で考えなよ。それが無理なら今この場で想いをはっきりしなよ、無理ならこの話終わり!はい、さーん、にー…」
「え、ちょ…、いきなり?えーと、うーんと、私は………私は………」
あたふたし、周りには誰も居ないというのにきょろきょろと小山伊織は辺りを見渡す。まるで隠れる場所を探している子供の様だ、けれど彼女ももう大人だ、大人だからこそ覚悟を決める事ができたのか、一度思い切り自身の両頬をビタン!と活を入れた。
「うん…、私は巴が好き。野球を頑張る巴も、勉強は少し不真面目な巴も、朝練が無い時は私が起こしに行かないと中々起きない巴も…、全部好き…、好きみたいだ」
「なら、返答してしゅうりょー」
「いやでも、そうはいかないんだって、もぉー、だってプロ野球選手だよ?ドラフト1位だよ?契約金で1億の年俸は1千万円の世界だよ?私なんかすぐ捨てられて、女子アナと女優とかモデルとかに目が行くでしょ?行っちゃうでしょ?」
「あー、はいはい。つまり自分に自信が持てないと…そういう事ですな?」
「はい…そういう事です。どうしたらいいかな?隣立てる資格を私はどうすれば手に入れられるかな?」
「うーん、資格なんて言うモノは要らないと思うけど。小山さんは大学に進むんでしょ?どこ受けるの?」
「いやぁ、安パイ取ろうかなぁーって……へへ、学力でいうならもう少し上は目指せると思うんだけども…」
「じゃあ、北大受けようか、受かったら付き合いなよ、自信問題もクリア―」
まさに他人事故に、即断即決を公命は図る。学力が足りていないのではあれば今からでは遅いが、けれど足りていて挑戦しないのであれば挑戦させるまでと言う事だろう。少なくても学力が必要な大学に行けば、本人の素養次第ではあるがいい就職先、そして勉強に置いて自身のレベルは上の方という成功体験も重ねる事は可能な筈だという推測のもと、そして小山伊織の想いが本気であればあるほど、彼女は本気で合格を目指す筈だという考え。
小学生の頃からの付き合い故に、どういう場面であれば友人達はいつも以上に力を発揮するか、公命は自らが先頭を立つという事が出来ないと決定づけられていたからこそ、知り得た観察成果であった。
「そー確かに自分に自信はないんだけどサ、だからって受からない可能性もある北大行くってのは、この先の人生と言いますか……、何と言いますか……で……」
話を聞いている筈なのに、内容が頭に入らない、またかと言いたくなるが、確実に意識が遠のく。痛みが激しい、体が震える、自分の体なのにも関わらず自身の下した命令は全て拒絶される。そんな不快感に公命は襲われた。
おかしい、おかしい、おかしい、怖い、怖い、怖い、怖い、まだ、まだ、まだ、まだ、死にたくない、死にたくない。頭の中を短い自身の死を否定する為の単語が支配する、必死に意識に手を伸ばし、想い浮かべる、大好きな人を、その人と決めた目標を。まだなにも成せていないじゃないかと自身の体に鞭を打つ。
「あがッ……、はーぁっ……、ハァッ……ハッァ……、アア……アアア…」
「……も?………へ?公命?公命!しっかりして…、えと、あと、ナースコール押さないと……」
小山伊織が必死に公命の手を握る、けれどもう意識がはっきりとしない。苦しい、痛い、怖い…、体が…、体がと藁に縋る思いで手を握り返す。
公命の体は痙攣していた、尋常ならざる発汗をしていた、先ほどまで元気に話していたその姿が嘘かの様に、公命の内に潜む病魔は公命を蝕んいた。
つい近くまで来ていた出雲芽生は、カバンを地面に落としてしまう。目の前で起きている事を把握し、公命に何が起きたかを出雲芽生は完璧に理解した。
故に彼女は絶望する、もしこれでもう二度と公命が目を覚まさず、別れる事になったら自分は今日この日一分一秒でも早く公命に会いに来なかった事を後悔する事を確信した。
「お願い…、まだ行かないで……」
病室の前、医療従事者の邪魔にならない場所で、ただ無気力に座りながら手を合わせ、出雲芽生は希う。
何一つできていない、別れたくない、本当はずっと一緒に居たい。
全ての感情が公命へと集約される。心の奥底からくるどうしようもない不安で涙が零れた。慌ただしさが遠のき、一先ずは大丈夫との報告を公命の両親と共に出雲芽生は受ける、けれどその瞳には生気を宿らせておらず、願う事しか出来なかった自分への怒り、公命の傍に居てあげられなかったという絶望。また彼女も魂が変質してしまう。
一生一緒に居たい、その願い一つで狂うが如く出雲芽生のどす黒く瞳は澱む。
一生一緒に居たい、この時間を永遠に、似たようで違う事を、魂の変質までさせて願った彼らが辿る道、それを想像し私は少し気分が悪くなる。だってそれは途轍もない程、悲惨なモノである事は観測せずとも理解できてしまうから。
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