観測記録の破片2 最高の人生への道中(2)

 週末、夜遅くまで遊べるという華の金曜日ではなく。明日の学校に対する準備をしなくてはいけない日曜日、もしかしたら週末ではなく、週初に当たるかもしれない日曜日。芽生は約束通りに日程を決めて、運河公命の自宅に赴いた。


「ごめんくださーい、公命君の恋人の出雲芽生と申しますー、本日は公命君を手玉に取ろうとする浮気相手から、彼を取り戻すためにやってきましたー」


 ピンポーンとインターホンを鳴らし、相手が応答する画面に移った事を確認してから、きっと家の中に居るであろう、運河公命の浮気相手(詳細不明)が居るという事を確信して、敢えて彼女は、相手の気に触れそうな言の葉を紡ぐ。


「はぁ…はぁ…、日曜の日中に馬鹿みたいな事しないで…、なんか噂されるのは俺なんだから」


 息を切らしながらドアを開き、急いで口を手で塞ぎ、家の中に連れ込む運河公命の姿は、間違いなく家に監禁しようとする不審者の様な手際であったが…その可能性が存在しない事を芽生は知っている、だからこそ彼女はこのような軽口を叩く事ができる、というか取っ組み合いになったとしても芽生の場合は相手を完封できるのも理由なのかもしれない。


「いやーん、そんなに身動きを取れない様に抱き着くなんてぇー、ダ・イ・タ・ン♡でも安心して私は君が望むのであれば幾らでも監禁してくれていいよぉー」


「そんな事しない…、そもそも俺くらいの力ならすぐ解けるでしょ?それよりちゃんと紹介するから…早くリビングまで歩く、ホラさっさと歩く」


 歩く気のない芽生を、運河公命はその非力な力で彼女の背中を押して進む。芽生は疑問に思う、運河公命の力が弱まっている気がするという疑問、もともと非力な方ではあったがここまで弱かっただろうか?と、だがその疑問もすぐに頭の外へ放り出し、芽生の望む事をしてくれるかという賭けに時間を使う事を取る。


「えー、君との時間を見せつけるのが効果的だと思うんだけどぉ、君の部屋で君との逢瀬を楽しみたいのにぃー」


「ハイハイ、ちゃんと紹介したら俺の部屋で好きなだけゆっくりしていいから、自分で歩いてくれぇー」


「本当?ラッキー、それじゃあ約束ね?はい自分で歩きまーす……、そしてこんにちはー、最近はどうも公命君がお世話になりましたー、公命君のたった一人の彼女出雲芽生でーす」


 彼が自分に時間を割いてくれる約束を取り付けてくれた事が、やはりどうしようもなく嬉しくなり、放り出しても保管して置けたはずの運河公命の非力さという疑問を完全に忘れ去り、彼女は一階リビングの扉を勢いよく開けた。いつもの芽生とは違いまるでギャルの様なキャピキャピ感を演出するほどに、彼女のテンションは高まっていた。


 この怪物だった人間が、この男に惚れた理由は分かる。けれども、どうして彼女はここまで運河公命と居られる時間を嬉しいという気持ちで溢れさせる事が可能なのだろう?どうして彼女はここまで彼を想えるのだろう?そしてその不自然さを彼女は自覚しているのだろうか?私もそんな疑問を抱いたか、直後に起こった事が愉快でそんな事は頭から抜け落ちた、決して傍観者たる私には記憶、もしくは観測データというモノが抜け落ちるなんて事はありはしないという事を私は理解している。それは記憶の抜け落ちではなく、知らぬふりと言う事も知りながら…、ではあるが。


「これまた、意外な人間連れてきたね公命…、公命がこういうタイプが好きだとはちょっと考えた事がなかったから…本当に意外だよ、ねぇお母さん」


「いやぁ?私が知ってる芽生ちゃんはもう少し、どこか子供らしさがありながらも、お淑やかさも抱えていたとは思ったんだけど…」


「あり?お母さん?あー…、公命君、公命君」


「なぁに、出雲さん?言いたい事があるのであれば、簡潔にどうぞ?今なら謝罪も受け付けているよ」


「私が浮気相手だと思ってたのって…君のお姉さん?あー…その…ごめんなさい」


「わかればよろしい」


 恥ずかしいさの余り顔を真っ赤にさせて、運河公命の胸の内に芽生は飛び込んだ。だが感覚的問題だが、恋に生きている、恋しか見えていない、完全無欠の少女に抱き着く姿を見せ、その後「出雲さんには悪いと思ってる」なんて勘違いさせる気があったのかと思う程の言葉を放った、運河公命サイドにも問題はあるのではないだろうか?


「その通り…、じゃなかった…、君が『悪いと思ってる』なんて言ったから、無理やり関係を迫られて断れなかったんじゃないかって私は思ってぇ、あぁ…よかったぁー」


「それはお前が悪いよ、なんでそんな言い方したのよ…全く」


「あれ?俺が怒られる流れになるの?いやだー」


 芽生がした誤解を解く為に作った時間が、まさか自分の女性経験の無さを責められる時間になるとは公命は思いもしなかったであろう、私はそもそもヒトではないし、交友関係というモノにも無縁だが、特異点(お気に入り)を通して見てきた私にはわかる。出雲芽生程の異常的発達、才能を持った者は多くは無いが観測をした事がある、けれど彼ほど人並に夢を持ち、人並の目標を糧にし、普通に生まれた筈なのにも関わらず、生きるという人として当たり前の生活すら踏みにじられ、諦めざるを得なかった人間を私は知らない。


 勿論争いが絶えない場所、そして明日の食べる物さえ保障されていない場所、あるいはそもそも生きる為の機能が初めから壊れている者、欠陥を抱えて産まれ出でた者そういう人間も特異点として観測した事もある。


 けれどやはり、彼ほど争いや飢餓など殆どない場所と家庭に恵まれ、親族には目立った病歴も無いという遺伝子にも恵まれた、その恩恵を間違いなく受けていた筈の公命が全てを諦めたが故に、公命は人付き合いが不得手であった。それが発覚するまでに築いた関係ではなく、諦めた後に新しく繋がった関係であるからこそ、公命はどうしようもなく口下手であった訳だ。


「わかった?そういう所がダメなの、初めての彼女で色々分からなかったっていう事も理解はするけれど、それでも相手に寄り添ってあげなきゃダメなの、自分が理解していても相手に伝わっていなければ、それは自分も理解していないと同義なの?」


「ふぁ…、ふぁい……、ワカリマシタ……」


 頭の中に大量の処理できない乙女心というモノを実の姉に叩きこまれ、ショート寸前になりながらも何とかその言葉の雨を凌ぎきった公命がその場に立っていた。立って気絶していたと言っても過言ではないかもしれない。


「ごめんね?出雲さん、コイツが恋人とか作らない質なのは知ってたけど、まさかここまでだったとは思わなくて…つい貴方の前でもガミガミ言っちゃって恥ずかしい所を見せたね」


「あー、いえいえ大丈夫ですよ?なんか公命君のご家族は面白い人が多いんだなって思いましたね、それと公命君の事をご家族の皆さんがどれ程大切に思っているかも、言葉の端々から伝わってきました…」


「まぁ…弟だし大切には思ってるかな?」


「それだけですか?なにかそれ以外の理由もあるように見えましたけど…。あっ、やっぱり弟に恋人が少し気まずい感じでした?先を越されたような感じっていうんですかね?」


「おぉい!公命!私がまだ恋人出来てないって事、何勝手に出雲さんにバラしてるんだ!この野郎!」


「その豹変する態度のせいじゃないかって出雲さんは言っていたよ、よかったねアドバイス貰えて(笑)」


「コイツッ……、泣かす!」


 客が来ているというのに、床で取っ組み合いになりながら客の目の前で姉弟喧嘩を始める二人、それを出雲芽生は少し羨ましそうな表情で見つめ、隣に居た公命の母に質問をする。


「公命君のお姉さん、顔も性格もいいと思うんですけど、本当に彼氏できた事ないんですか?」


「あー、第一印象だとそう思うかもしれないけど…。うーん少し芽生ちゃんと似てるかもしれないかな?下手な男よりなんでも出来ちゃうから、近づいては来ても離れられちゃうのよね」


「あぁ、そういう事だったんですね。私も言い寄ってくる人は居ても私についてこれない人しかいなかったので、少しわかるかもしれません」


 仲睦まじい姉弟の取っ組み合いを意にも介さず、出されたお茶を啜りながら雑談を続ける出雲芽生と公命の母を後目に、公命は防戦一方の劣勢を強いられていた。


「出雲さぁーん、助けてぇー」


「あ、すぐそうやって人に頼る、せめて彼女さんの前で位はシャンとしなさい!」


「そうだぞぉー、私に君の格好いい所を見せるチャンスだぞー、でも公命君の卒アル見せてくれるなら考えるかも?かもかもー?」


「見せる!見せるから!この馬鹿姉を退かしてくれーい」


「りょーかい」


 公命の上に乗っていた、公命の姉に対し出雲芽生はにじり寄る。まるでその様は暗殺者の様にじっくりとゆっくりと、出雲芽生は誰が見ても悪い顔をしながら、指先をわちゃわちゃと動かし、運河家長女のスリムな横腹にそっと指先を当てた。


「ちょっと、それは勘弁して……、や…やめ…」


 運河家長女の大笑いがリビングに響き渡った。それでも公命から離れようとしないならばと出雲芽生もくすぐりを止めずに数分の時が経った時、へにゃりとその場に倒れる事で勝負は決した。


「それじゃあ、公命君の部屋に行こうか?」


「おーい、姉ちゃん?大丈夫?」


「……はひゅ……かひゅ……ぜぇ……出雲さんが帰ったら覚えてろよぉ…」


「こっわ、逃げとこ」


 息を荒げながら意気消沈している様を見ても、まだ姉の瞳には好戦的な意識がある事を公命は悟り、恐らく勝手に卒業アルバムを探し当てているであろう出雲芽生が待つ二階の自室へ足を動かした。


「はい、お待たせーってやっぱり読まれてる…というか、どうして奥底に隠して置いた小学校の頃の卒アルまで、はぁ」


「私はいつの卒アルかは指定してないよ?だから君の卒アルを最初から最後まで読む気だったけど?」


「サイですか、好きなだけ読んでてください、俺は読書でもしてるよ」


「読書で思い出したけれど、君の部屋ってなんか随分つまらないんだね」


 ペラペラと卒業アルバムを、公命の根幹にも関わる部分を出雲芽生は口にした。普段の出雲芽生であれば公命の顔や仕草を観察して、公命がひた隠しにしている事実を見抜けただろうが、今の出雲芽生は大好きな公命の過去にしか目が行っていない状態であるからこそ、またもやこの言葉が適応される、やはり恋は人を盲目にすると。


「それは悪かったね、残念ながら俺の部屋に娯楽っていう娯楽はないよ、姉ちゃんの部屋にはあったけど、もう全部東京に持っていてないから、多分父さんの漫画くらいかな?」


「公命君は興味ないの?私は結構いい物だと思うよ?アニメも漫画もゲームも息抜きや、自分が考えもつかない世界感に触れられるのは凄く新鮮だからね、まぁその考え方の所為で劣化模倣品は楽しめないんだけれど」


「俺もゲームとかは持ってたよ、まぁもういいかなって思ってやらなくなったってだけで」


「ふーん、そういう物なのか、まぁそういう意欲をいつかは失うとは言うけれど、君の場合は随分早すぎるんだ」


 そんな話をしている間に出雲芽生は、公命の中学卒業アルバムを読み終え、小学生のアルバムを開き、そのページを捲る手が一度止まった。公命としてはその事から何かを察せられる可能性があったからこそ小学生の卒業アルバムを隠したという理由かもしれない。


「公命君って5年生の頃病気でもしてた?殆ど写真に写ってないけど」


「あぁー5年生の頃は、ちょっと一定期間だけ転校してたからね、ていうかその先はあんまり見ないで欲しいんだけれど…。俺だけじゃなくて、皆の赤裸々な想いが載っている訳だし」


「皆って?……あー、そういう事か、そう言えばいおりん達も小学校から同じって話してたっけ?良い事聞いた、色々見てからかってやろーっと」


「嫌われても知らないからね」


「大丈夫、大丈夫。怒られない範囲でからかうからね」


 出雲芽生が卒業文集のページを開き、望みの相手を探している間に公命は一度部屋を出て、階段を下る。一歩踏み出すのも厳しそうな様子で、それでも決して出雲芽生には気取られない様にしっかりとした足取りでリビングへと戻る。


「お?公命、彼女さんの目の前で私の裁きを……受け………る…、お、おかっ……ムグッ」


 ドアを開き、公命との再戦を楽しもうとしていた姉が挑発してきたと思えば、公命に抱き着くように近づき声を荒げようかという勢いで母を呼ぼうとし、それを弟である公命に口を押えられるという、なんとも強引な方法で静止される。


「姉ちゃん……、黙っ……はぁ、はぁ、出雲さんにバレる訳にはいかないんだから…」


「そんな事言ったって、アンタそれ…もう一人でなんとかしようって域とっくに…」


「公命…、お水と薬これでいいのよね…」


「ありがとぉー、母さん…すぐに効く訳ではないけれど、多分プラセボ的なモノできっと…、出雲さんの前に戻ればいつも通りに振る舞える筈…、でもちょっと休ませて…」


「わかった、もし起きる前に階段の音が聞こえたら叩いてでも起こすからね」


「あー、うん、それでよろしくぅー……」


 眠りにつくというよりは、意識を失うかの様な形で公命は瞼を一度閉じた。静まり返ったリビングで、何も言えなさそうな表情をする公命の母の姿と、聞かされていた、理解していた事とはいえそれでも納得できていないような姉の姿が二人の間に重く圧し掛かる。


「お母さん、これが本当に公命が望んだことなの?もしそうじゃないなら…、私っ」


「これが公命の望んだ終わり方よ、私達が幾ら言っても意見は変えなかったわ。『病に振り回された人生だから、最後くらいは普通に』ってそれだけ言って、自分に言い聞かせるように何度も何度も繰り返して言ってたわ」


「確かに…、公命はいつも体が弱かったけれど…、それでもせめて痛みくらいは軽減させて上げれなかったの?それすらも公命は拒んだの?」


 長らく家を空けていた公命の姉だからこそ声を荒げてしまう、だが今公命が自身の状況を一番知られたくないのは、出雲芽生だという事ハッと思い出し声のボリュームを下げる、それでも姉として公命の苦しむ姿はできる限り見たくはない、それが願いであるからこその魂の叫びだった。


「私達もね、最初はそう思ってたの。学校に通えても公命の苦しみは増すばかりなんじゃないかって…、だからやっぱりあの子が望んでなくてもせめて痛みを取れる医療機関に移す事が親としての責任じゃないのかって。でもそれは違うと気づかされたわ」


「どうして?」


「だってあの子が楽しそうなんだもの、それも芽生ちゃんとお付き合いしてからね…何が公命を変えたのか私にはわからないけれど、それでも芽生ちゃんとの時間をきっと一分一秒たりとも無駄にしたくないっていうのが、きっと公命の本音だから」


「だからお母さんは公命が苦しむ方を選択したの?出雲さんだってどんな人間かもきっと公命は分かっていないよ、私も詳しくは話してみないと分からない、でもそれで公命が裏切られるような事があったら…、私はお母さんを憎むよ?」


「いいのよ、その場合は私とお父さん両方を恨みなさい、でもきっと彼女は公命にとっての希望だから、多分大丈夫…。お父さんや貴方みたいに頭が言い訳ではないから主婦の感でしかないけれどね…、でも親が子の行く末に多分なんて使うのは親失格かしらね?」


「そこまでは言ってない。でも…、わかった、一先ずはそれで納得するよ、その感があっているかも今日の帰りに確かめる、少なくてもしばらくはまた会えなくなっちゃうから、今しか機会はないしね」


 公命が寝ている間に、公命の一進一退を決めるような家族会議が開かれ、そして本人が何も語る訳でも無く、各々で勝手に理解し家族会議は終結する。


 しかし少しだけ私は運命と言いう物が解せない、私が触れる事を禁じられているその事象が納得できないと思ってしまうのは、傍観者として人々の物語を盗み見ている者の性だろうか?自身が手を下せばこんな物語は作らない、もっと誰しもが笑える世界を…、私はそう思わずにはいられなかった。


 けれど私はやはりただ観測する為だけの傍観者だ。全能な存在であっても、そこに自身にとっての不都合があったとしても、私は課せられた職務を遂行するだけ、それ以外は許されない。


 こんなに人間らしく美しいと思える物語でも、私は彼らを想うだけで、動きはしない。やはり私は人間には程遠い、いい意味でも悪い意味でも人間には程遠い存在だった。




「公命くーん?トイレー?」


 卒業アルバムを読み終え、恐らく部屋に居ない事にようやく気付いた出雲芽生が1階に足を運んでくるが、なんとかプラセボもしくは薬が効いたのか、しっかりとした足取りでリビングの扉を公命は開き。公命は何もなかったようにいつも通りの軽口を叩きながら、出雲芽生は少し心配したような声色で、今一度数十分ぶりに二人は相まみえる。


「部屋から出たなら教えてくれてもよかったじゃん…、後ろを振り返ったら君が居ないんだもん、流石にビックリしたよ」


「ごめんごめん、姉ちゃんが買ってきたお土産を出雲さんに振る舞おうと思ってたんだけど、この馬鹿姉がそんなもの無いって言ってきたから喧嘩してただけー」


「公命君のお姉さんは上京してたんですよね?有給取って帰ってきた感じですか?」


「あぁ、うん、3月まで大学生やって今年から新社会人だね、それがどうかしたの?」


「あー、いえ、単純に結構公命君と歳離れてるんだなぁーって思っただけです、じゃあ公命君貰ってきますねー」


 手を差し出し、公命の手をしっかりと握る出雲芽生の顔は、その才能を疑う程に初心な少女の顔だった。その表情を見た公命は、少し悔しそうな顔を一度浮かべ、すぐにどうしようもなく嬉しそうな表情を浮かべる。好きな人と手を繋ぐというのは、彼らを中心に観測してからも余りなかったことにも思える、だからこそ嬉しかったのだろう。


 そして、その表情を見た家族は。


「確かに、公命にあの顔をさせるのは…病院に入っていちゃまず無理だし、きっと出雲さんだけか…、まだ完全に納得はできないけれど、少しだけお母さんの気持ちもわかったよ…」


「あの子のあんな表情はもう何年も見ていなかったから、本当に芽生ちゃんには感謝しなくちゃね」


 全てを諦めざるを得なかった公命という少年の心を扉を開いた、出雲芽生という少女。


 出雲芽生との出会いは勘違いで、付き合うきっかけギブアンドテイクの関係になる為に、そしていつからか公命はとてつもない才能を持った全能な少女に残りの人生全てを託せる存在に、出雲芽生はどうあがいても自分の思い通りに進まない唯一の世界のイレギュラーにどうしようもなく心惹かれて行ったのが今だ、だからこそ彼らは恋をしたのだ。


 この世界にたった一人のみ存在する特別な人間かの様で、まるで運命と言うかの様にだ。


「そうだ、卒業文春みて思ったんだけどサ、君の目標って教師なんだね、なんだか以外だったよ、今もそうなの?」


 階段を上りながらも、出雲芽生がふと気になった事を公命に質問をする。彼の夢というモノを意識した事は無かったが、教授の父を持てばその姿に憧れるのも無理はない、けれども同時に以外でもあった。彼は人になにかを与えるというのは苦手な部類の存在というのが私の認識であるし、その考えに狂いはないと思ってはいたが。


「あぁー、それは昔だね今はそういう夢は無いかな?将来…将来かぁ…どうするんだろ?」


「なにそれ?君は、進学組じゃないんでしょ?いい加減決めないと幾ら実家が太いからってニートでもやるき?」


 部屋の扉を開き、公命のベッドに飛び込みながら出雲芽生は質問をする。これから先はどうするの?という学生、それも高校3年生であれば誰だって一度はする様な質問を彼女は公命に問うた。


 しかしこれからが無い場合の人間は、どうやって皆と同じ様に将来を悩むのだろう?これ以降は存在しないのにも関わらず、これからを掴み取るのだろうか?それは迷惑にはならないのだろうか?彼もきっとその問題に一度はぶつかった筈であろう。


「うーん?お寺、葬儀場、火葬場。大穴で協会かな?」


「なにそれ?公命君ってそんな宗教信仰あったの?そういうのと無縁な気もしてたんだけれど、案外人は見かけによらないね」


「まぁなんとでも言ってくれ、自分も柄じゃないとは思ってるけどまぁ決めた事っちゃ決めた事だからね、今更変えるつもりはないよ」


「まぁ私も否定する事はしないよ、そんな事をできる程、私は偉くないしね」


 出雲芽生は意外と簡単に引き下がった、理解できないなりにも推測したのだろうか?公命の言葉には、何一つの意味も込められていない。きっと理解できないからこそ、理解するべく他の思考を再現し、もっともらしい理由を考えたのだろうが、彼の言ってる事は最初から最後まで、自分は死ぬのだからこそ、そこに逝きつく。ただそれだけだった。


「それで?出雲さんはどうするの?大学には進むんでしょ?北大とか東大?」


「んにゃ、アメリカ行こうって思ってるよ。公命君と一緒に居る為なら日本の大学で満足しようと思ったけど、どうも君を納得させるのは難しそうだからね。精々自分の全力を出し切れる場所を受験するよ。9月入学だから多分それまでの間日本の大学で暇つぶしするかもしれないけれどね」


「アメリカかぁ、なんだか出雲さんが手の届かない存在に感じるよ。でも君ならきっと何処へでも行けるんでしょ?ハーバードとか?」


「まぁギリギリまで考えるよ、レベルの高い所なら正直どこでもいいけれども」


「でもアメリカの大学って、お金かかるし、寄付とか無駄に高いボランティアとか何かを続けるというをやってたかどうかを重視するとかって、なんか記事とかで見た気がするけど大丈夫?お金は…まぁ出雲さんの頭なら奨学金とかもでるかもしれないけど」


「そこら辺は気にしなくていいよ、この選択肢は昔から考えていたのもあって中学生の頃からまぁ色々手広くやってたし、まぁ継続性はちょっと問題かもしれないけど」


 規格外の話に公命の脳がパンク寸前になり、ベッドでうつ伏せに横たわる出雲芽生の隣に仰向けで倒れ込んだ。人より少し頭がいい程度の公命からすれば、出雲芽生は正しく雲の上の存在だ、良く知っているのであれば彼女ならばできると後押しする事もできるだろう。良く知らないならばそんな事出来はしないと馬鹿にしたかもしれない。けれど公命は出雲芽生の事がどうしようなく好きなのだ、出会って半年も経っていないので相手もこちらを完全には知りえない様に、公命自身も出雲芽生の全てを把握出来はしない、けれど決して知らぬ仲ではない。だから彼はこの言葉を出雲芽生に送る、嘘偽りも無く正真正銘の心からの気持ちを、二言に分けて口に出す。


「頑張ってね、信じてるから…」


「……うん、任せて。君を大好きな女は、君の知る限り一番凄い人って証明して、君を納得させて、婚姻まで進んで見せるから」


 顔をこちらに向け、少し赤らんだ頬をしながらも、恥ずかし気もなく出雲芽生は宣言する。その二言は途轍もなく、出雲芽生にとって大切な言葉だ。大好きな人間から送られる、偽りの無い言葉、信じているという信用ではなく信頼の証明。


(俺も出来る事なら、君といつまでも…、でもこの心地いい日もいつかは…)


 口には絶対に出さない。公命は出雲芽生に憐れんで欲しい訳ではない、同情をして欲しい訳ではない、対等な関係で最後まで恋人で居たい。


 それがきっと出雲芽生の願いであり、公命が迎えたい結末だ。


 けれどその願いは、出雲芽生を悲しませるという事を公命は理解している、だからこそ公命は彼女に捨てられたいのかもしれない、そうすれば未来永劫進む事の無い苦しみを味わうのは、ここで死にゆく自分一人で済むのだからと、そう心で思っているのだろう。


「それよりさ、時間大丈夫?夜ご飯いつも出雲さんが作ってるんでしょ?」


 公命を向かい合わせた顔を、少し上へと逸らし机にある時計に指を指し、出雲芽生に確認を取った、一人暮らしをする人間は毎日家事をしないといけないのだから、家事というモノに縁がない私は感服すら覚える。


「そうだね、名残り惜しいけれど今日はここでお開きかな?」


 家庭に置いてそれは基本親がやるべき事という認識を持ってはいるが、場合によっては娘、または息子がすると言う事も不思議ではないのかもしれないが、まぁそれでも家事を全て熟すというのは、普通は重荷であるのだろう、けれどもそれを熟せて、努力もできるからこそ、出雲芽生という存在は何処までいっても全能の少女なのだ。


「別に見送りしなくてもいいよ?なんか疲れてそうだし、昨日夜更かしとかした?」


「まぁちょっとだけ、本読んでたかな、夜更かしらしい夜更かしではないよ」


「そっか」


 味気の無い会話しながら、階段を下るとそれを読んでいたかのように、玄関前で車の鍵をぶら下げ壁に寄りかかっている、運河家長女の姿がそこにはあった。


「決まってますねぇー、これからお出かけですか?」


「無駄にカッコつけているだけでしょ、絶対出雲さんに第一印象を変えようと必死なだけだよ」


「うっさいぞ、弟よ。まぁ帰り送るよ、ついでにラーメン食べに行きたいし」


「公命君の家来たら、何かに理由付けて送ってもらってる気がするけども、いいのかな?」


「いいよいいよ、どうせ父さんは出雲さんが美人だから、母さんは単純に上京した娘替わりに、そして姉ちゃんは包み隠さずラーメンのついでだから。ほいじゃ、また学校でね」


「そっか…、それならお言葉に甘えさせて貰うとして…、うん…また明日」


 そそくさとリビングに戻る公命の後ろ姿に言葉を残し。お邪魔しましたと運河家に別れを告げ、芽生は乗り慣れたといってもいい運河家の乗用車に乗車する。いつもであれば後部座席に乗るのだが、今日は比較的近しい年齢と言う事もあって姉の方から助手席に案内される運びになった。




「そう言えば、公命君のお姉さんって新卒なんですよね?どちらの大学行ってらしゃったんですか?」


「あー、私?東大だよ、勉強は好きだったし。お父さんも勉学に勤しんだ人で、教えてもらうって事で不便は無かったからね、高校もレベル高い所に通わせてもらったし、出雲ちゃんも難関校目指しているの?」


「私はアメリカのハーバードかスタンフォード、あとがマサチューセッツ工科大のどこかに行こうと思ってます。お金の方は中学生から色々してたので大丈夫ですし、学力やそれ以外の項目も殆ど満たしてはいると思うので」


「淡々と話すね、お姉さん少しびっくりしちゃったよ。でもそうかアメリカか、お母さんの話は半分くらいで聞いてたけど、その感じじゃ本当にお母さんの言った通りの子なんだね」


 そこを目指すにしては、レベルが低いという訳ではないが随分向いていない高校だと、運河公命の姉は一瞬思ったのだろう、一瞬の横顔から見れるその眼差しが、芽生の言う事が決して冗談でも、背伸びしている訳でもないという事を知らしめていた。


「少し私達は似ているのかもね、出雲さんも結構めんどくさい…なんて言えばいいんだろ?才能、それとも欠点って言えばいいのかな?持ってるでしょ?」


「あれを才能と言うのは違う気もしますね、けれど欠点ではない。強いて言うのであれば無駄な成長を遂げてしまった技術ですかね」


「それもそうだ、無駄な成長を遂げた技術か…本当にそうだ…、持っていても全くいい事は無い。その技術を報われるどころか、気味を悪がられる。きっと出雲さんにはこの会話が退屈でしかたないんでしょ?私も退屈だ、こんなに綺麗な夕日で久しぶりの故郷の風景だって言うのに、全く感動しない」


 芽生が技術と呼ぶそれは、きっとなんでも再現できてしまうという事を指していて。そして出雲姉の持つ技術は、絶対記憶とも言うべき、汚れの様にこびりつき剥がれない記憶を指している。だからこそ同じ様な運河家長女の彼女は、芽生が公命に執着する理由もなんとなく察している。


「弟の恋路に口を挟む訳ではないけれど、きっと特別に思えるそれは特別でも何でもないよ、恋は盲目って奴サ。いつか公命を客観的に見る時が来る、その時になって公命がつまらない人間になり果てても出雲さんは公命を捨てない?」


「これは盲目ではないと、私は思っているんですけどね。でもきっと公命君はつまらない人間にはならないと思います。だって彼はいつだって私の再現を越してくるか………」


「なら別れるべきだ。公命を特別な人間だから好きというのであれば、公命と別れるべきだ」


 芽生と同類の人間が放った、たった一言で車内は冷蔵庫の様に凍えてみせた。車の窓から入ってくる風で髪は靡く、風の音、髪が靡く音、すれ違う車の音、エンジンの音、地面とタイヤが生み出す音、そこに会話は存在しない。互いが喋れなくなったかのように、二人だけが静かだった。


「まぁこれは言い過ぎたね。出雲さん…、ただこれは覚えておくといいよ、君がどれだけ公命を好きなったとしても、公命が君の事をどれだけ好きになったとしても、君がその感情で接する限り…、いやこれは関係ないか、でも二人が納得できるハッピーエンドは来ないよ」


「そのご忠告、胸にしまっておきます。ですが私は公命君と結婚したいと思っています、それだけ彼を好いて、そして愛しています、その気持ちだけは本当です」


 車を家の横に付ける、いつの間にか芽生の家についていたらしい。それだけあの沈黙の時間が長かったのか、それを確認するのは面倒だ。けれど公命の状況を知るからこそ彼の姉は、芽生に今一度忠告する。


「公命がきっと、それを望まないよ。お母さんもお父さんもそして私も、君のその気持ちを公命の家族として嬉しく思うし、それを応援したい。けれどその様子じゃ、公命自らそうする気はないって言われたんでしょ?決して公命に関わるなとは言わない、けれど公命の気持ちは最後まで変わらないよ、だってアイツ馬鹿みたいに頑固だからね、その頑固さを壊してくれることを私は出雲さんに期待してるけども……、……なんか説教じみて悪かったね、それじゃ」


「いえ、いい話を聞けて良かったです。今日は送っていただいてありがとうございました」


 車の窓が閉じ、その場から離れる車を芽生はその瞳で追う。言われ事が理解できない訳では無かった、芽生は運河公命を特別視している。人間との対話をその相手の全てを再現する事で事前に成立させるという彼女の言葉を借りるのであれば常軌を逸してしまった、無駄な技術。その技術で再現できない人など芽生の前には一人たりとも現れなかった、だからこそこの世界に彼女は失望した、誰もかれもが再現可能なヒトならば個人なんてものは必要が無い、だから芽生のどんなに性格が違っても、顔が違っても、声が違っても…。


「それが再現可能なヒトなら、全部同じ……、だけどなんで君だけは再現できないんだろう?凄く不思議だ。でも私はもし公命君が再現可能な皆と同じになったら、どうするんだろうか?それでも私の胸の内は君にときめくのかな?」


 住宅街、アパートの前、目の前を通り過ぎる車の中にもう彼女を乗せてきた車は見えない。芽生は顔を上げ、空を見上げた。


 夕日が綺麗だ、一番星も見つけた、周りに居る芽生と顔と声、そして性別が違うだけの同一存在達が考えている事が考えている事が、彼女には手に取る様に分かる。けれどやはり同じ空の下、同じ景色を見ている筈なのに、運河公命の事は何一つ分からない。


 だからきっと、運河公命の事はいつまでも再現できなくていいと芽生は考えた、再現が出来てしまう事でこの恋が終わってしまうのならば、彼女の中に存在する運河公命は再現不能の特異点として観測する方がいいのだ。


「やっぱり、私って少し性格悪いかな?まぁいいやこんな私を受け入れたのは君だしね…、でも君は私と居て幸せを感じてるのかな?それだけ少し気になってきちゃった」


 芽生はその場から足を動かす、何故ならばきっと腹を空かせた父が、もう限界だと抜かし栄養も考えずに好きな物をお腹に詰め込むと分かっているから。殆ど同一存在であったとしても、実の親にくらいは情が湧く。早死にされるのは困る、早死になんて誰も望んでいないのだからと考え、足早に自宅アパート、2階の右から三番目の部屋に帰るのだった。


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