観測記録の破片2 最高の人生への道中(1)

 破局という最悪な展開は避け、それでもどこか気まずさを覚えながら芽生と運河公命のデート盛りの夏休みは終わりを告げた。立花巴率いる野球部も甲子園3回戦敗退という、快挙ではあるが、それでも物語の様に決勝へ、そして優勝という訳にはいかなかった。


「ふふーん♪ふーん♪ふーふふん♪たんかたーん♪」


 今日から高校は2学期の開始を告げる、しかし登校にはまだ早く時刻はまだ4時半を回った所だった。


 出雲家には母親が居ない、両親の離婚から芽生自身が父親に付いて行った訳ではなく、芽生が4歳の頃に死別してしまっている。


 父親がだらしない訳でも無いが、娘に不自由させない生活をさせたい一心ではあるのだが、しかしながら娘自身が既に一人立ちできる程の才覚があり、お金も持ってもいる、けれどまだ娘にお金のお世話までは、されたくないというプライドが邪魔をしてか、ワーカーホリック気味の父の為に全面的に家事をする、それが芽生の一日だ。


「お弁当はこんな感じでいいかな?朝ご飯は…ちょっと面倒だから手を抜いちゃったけど」


 朝食、そして昼食までの準備を終わらせ、決して広くないアパートの居間で、ノートPCを起動させ、ついでにテレビをつける。


 PCに写した内容は進学についての事だった、私が確認した中で1,2を争う逸材である彼女が選択しようとしているのは、この国の最高峰…東京大学ではなく。マサチューセッツ工科大学等etc.世界屈指の名門校に彼女は挑む。この事は高校1年時後半には決めており、そこまで高い目標を持っているのならば、なぜ別な高校しなかったんだという教師の問に対しては、家から近いからという一点で切り抜けていた。


「情報を集めるに越した事はないけれど、なんかあんまり気乗りがしない…、なんでだろ?」


 パタンとPCをたたみ、テレビを注視すると、まだ夏を終わりを感じさせない様に、今日も元気に立花巴がニュースとなって登場していた、その姿はまるで世界を救った英雄化の様に、まだまだ子供だというのに、世間は無責任に重圧を背負わせる。


「この街の英雄的な存在なのは分かるけれど、騒ぎすぎじゃないかな?これじゃあ伊織ちゃんがまた手を引いちゃうよ…全く、それにしても3試合でHR4発投げては毎試合5失点。彼の道行は私が決める事ではないけれど、プロ入りは野手でかな?」


 3回戦で去る、ここまでであれば凄いけれど、まぁ凄いだけという話になるかもしれない、だが立花巴は野球特に打者としては、他の追随を許さぬ実力の持ち主であった訳だ。故に彼は甲子園を去った今でも、これからの事をあれやこれやと騒がれている。まだ決勝戦も残っているというのに、彼をどこのチームがドラフトで取るのか、その話題で持ちっきりであった。


「おはよぉー、芽生は今日も早いなぁ…ふぁぁ…」


「お父さんおはよー、まぁお父さんの行く時間に合わせたらこの時間には起きてないと間に合わないでしょ?」


「それもそうか…いつもありがとな芽生。あ、それとお願いがあるんだが、いいかな?」


「法律に反さない事であれば、なんなりとどうぞー、まぁ…」


 まぁ…の後に続く言葉を芽生は口にしない、それは人によっては人を見下す発言であるという事を彼女が理解しているからである。彼女はこう口にしようとした『まぁ言わなくても知っているけど』は他人を理解し、見透かした様な発言はそれが事実であっても良くは思われないだろう。


「同じ学校だし、できたらでいいんだが立花巴のサイン貰えたらお願いしてもいいか?」


「はいはい、貰えたらね。多分断られはしないだろうから大丈夫だと思うけどサ、後はお父さんの贔屓球団が取るといいね?福岡だっけ?」


「あぁ、もしそうしてなってくれたら願ったり叶ったりだよ。実は芽生があの立花と付き合ってるとかだったら、もっと最高なんだが、そこはどうなんだ?」


「残念、私の好みじゃないし、そもそも私は彼の幼馴染を応援してるから、その可能性はないよ、それに私今彼氏いるし…」


 芽生の父親は、何気無い当然の事の様に呟いた芽生の発言を受け、唖然とした顔でその場に立ち尽くし、膝をつく。これが聞くところの娘は絶対にやらんという状態なのだろうか?少し違うきもするが、まぁきっと似たようなものなのだろう。


「あれ?言ってなかったっけ?まぁいいや、それよりお父さんもう出勤の時間だよ、いってらっしゃーい」


「あ、ああ、行ってきます……じゃない!今度のその子を家に連れてくるんだぞ!あの青春ぽい事に無頓着だった芽生を変えた男、少し興味があるのでな…」


「連れてこいって言ったって、お父さんいつも家に居ないじゃん。帰ってくるまで待ってろっていうなら相手方に失礼だよ」


「言ってくれればちゃんと帰るよ!子供じゃないんだから時間は守るって…まぁいい、それじゃあ行ってくる、鍵の施錠お願いなー」


「はいはーい、お仕事頑張ってねー………はぁ…やっぱり君と居なきゃ、つまらないかも」


 実の父親が家を去り、一人取り残された芽生は一言呟く。全能たる彼女は、平凡たる面々の全てを予想ができる、できてしまう、できてしまった。


「練習した訳ではないんだけどなぁ…」


 生まれ持った才能ですらない、彼女の生まれ持った異常な才能は相手を把握する事ではない、もっと人成らざる才能が彼女には備わっている。


「さてそろそろ着替えて、公命君の家に行く準備でもしよう…かなっとと」


 ぐるりとその場で腹筋を使って芽生は体を起こす。まだ学校が始まるのは先の時間だが、それでも暇潰しに街を自分でカスタマイズしたロードバイクで巡っていればいつの間にか時間は過ぎ、学校のチャイムは鳴り響くだろう。


 …………………キンコーン……カンコーン………、ロードバイクに乗るのが楽しすぎて、案の定運河公命の家に行くという本題を忘れて、ギリギリでなんとか校門を潜り抜ける。


「あっぶなー、アラームかけるの忘れてたー、はぁ公命君の家に行くこともできなかったし…なんか今日幸先悪いなー、なんか浮気されそうな予感も…、まぁ気のせいだよね?」


 何故か芽生は唐突な不安感と悪寒を感じ、濡れた犬の様に体を震わせ、ふと学校の方を見る。彼女の記憶の端にあるのは、あの日、夏休み、夏祭りがあったあの日の運河公命と話したあの記憶を思い出す。


『それは無理だ……………だけどその後は無駄だ』


「どうして君は、そんな顔をしていたんだろう?嬉しいというのは本心だった筈?」


 出会う全ての人の思考を予測し、再現する事が可能な出雲芽生という特異な存在を以てしても、運河公命がなぜ自分の思いに応えてくれないかを理解できない。


 間違いなく芽生が運河公命の事を誰よりも好き、愛している様に、同じく運河公命も芽生を誰よりも好き、愛している。そうでなくては彼の瞳がああなる事は無い。


「何か私に隠してる…、でもそれを聞くつもりはないよ…今はそれどころじゃない遅刻するからねーー」


 自転車置き場に鍵もかけずに、自転車を放置し芽生は急ぎ校舎の中へ走る。新学期早々に遅刻とはあまりにも幸先が悪すぎるから、だから出雲芽生は走り出す。彼女にはこれからがあるのだから、過去を振り返らない様に後ろを見ず、家の鍵を落とした事すら気づかずに彼女は急ぎ教室に向かう。


「ギリギリぃー、セーフ―!公命くーん会いたかったよ?あらら?なんで誰も居ないの?」


 教室には誰も居らず、ただ各々の荷物が残されているのみ、そして板書には何時に体育館へ移動など、今日のタイムスケジュールが記載されていた。つまるところ彼女は遅刻したのだ。


「通りで途中だれともすれ違わなかった訳だ、まぁ始業式の一つくらいはサボってもいいでしょ…」


 そう言って自身の机で勉強などをして暇を潰す芽生に後ろから、ゴツンと殴られたような衝撃が響く。不審者が現れた訳でもなく、本当にただ単に頭を小突かれただけだ。ただ芽生という存在にこのような事をできる人間は、恐らくこの世で一人だけだ。故に彼女の表情は明るくなり、誰かも確認せずに小突いてきた本人に抱き着く。


「公命君も遅刻?一緒に始業式サボっちゃおっか?」


「サボらないよ、俺は用事で遅刻しますって連絡入れてるし、後ろ姿見えたからまさかと思ったけど、やっぱりサボる気満々だったんだね、ほら行くよー」


「えぇー、ここの校長話が長いし、為にならないから聞きたくなーい、ツマンナーイ」


 駄々をこねながら。運河公命に首根っこを掴まれ、芽生は体育館まで連行される。単純な遅刻である彼女と、決まっていた遅刻では対処も違い、彼女だけが少しお小言を受け取り、遅れて運河公命の後を追う。


 始業式は芽生が思ったほど、校長の長々しく意味のない誰にとってもツマラナイものではなかったらしく始業式は、現状この街で一番の著名人である立花巴の凱旋を祝う式になっていた。


 けれどやはりこの光景も。


「やっぱり君の事以外は、予想通りの光景だよ…本当に」


 恋は盲目と言うが、何故芽生は運河公命の事は予測できないのだろうか?私は凄く簡単な答えだと、考察する。


 これはきっと彼女の考え方の問題だ。彼以外にもその考えを持つモノが居る筈ではあるが、彼ほどその状況に納得している人間は居ないという事だろうか?


 きっと運河公命の真実を知った時、芽生は納得するだろう、そして彼女はきっと完全になる。その思考を持つモノがいると考えなかったからこそ、そういう人間がいるという事を理解し、彼女の世界は全人類が自分の予想通りの行動を取ってくる、まるでゲームのNPCしかいない、プレイヤーに意志表示の手段がない故に最初から最後まで、誰かが考えたシナリオ通りの動きをする事しか出来ない世界、彼女の行きつく果てはそこだった。


「もし君すらも予測できるようになったら、それでも私は君を好きでいられるのかな?」


 故に芽生は不安に陥る、相手に合わせる必要性がない楽しさ。果たしてその楽しみを失っても自分はもう一度立ち上がれるのだろうかと、一層不安がる。


(だから君はずっと予想外の君で居て、一生傍に居てくれとはもう言わないから、せめて私が見つけられる範囲に居て欲しい。それであればどれだけ離れていようと私は…)


 私は人として生きていられる。そう芽生は心に言葉を残し、皆が居る場所へと向かう、運河公命以外は予め動きを決められたプログラムの様な、行動しかできない自分にも気味の悪さを覚えながらも…彼女は前に進む。




「はぁー…、公命君と一緒に居る時間が昼休みになっても確保できない、すれ違い…これが破局前兆なんだよ、知ってるかい?」


「いや俺に言われても…、どうしろと?」


 サインをせがむ同級生や後輩を押しのけて、学校の英雄を連れ去り窓辺で談話する。学校の英雄がフリーかどうかは皆が知る由は無いが、鬼才と言われる出雲芽生に彼氏がいるという事は、あのべたつき方で皆が知っている事だろう。だからその鬼才出雲とプロ注目の立花巴が何を話すのかと、この二人の会話を気になるのか先ほど立花巴を囲んでいた面々が傍かたわらから覗いている。


「あの野次馬さ、立花君の一言でどっかやれないの?別に近くに居られるのは構わないけれど、会話を盗み聞きされるのは少し頂けないかな…」


「んな事言われてもなぁー、俺が集めてる訳じゃないしなぁ」


「いや君が集めているんだよ、間違いなくね。その点は誇っていいと思うよ、君は客寄せパンダではなく、スターになれる素質を持っているって事だ」


 確かに芽生の言う通り、立花巴はそのルックスも相まって夏の甲子園を沸かせた一役、プロへの道筋も既に確定していると言っても過言ではなく、もしもと言う事がなければ確実にプロとして活躍をするだろう、それほど立花巴は野手としては完成され、そして成長途中であるという事を野球に精通してもいない彼女は既に見抜いていた。


「それはどうも…っと、あらら?もう帰るのか?公命の奴」


「そうなんだよぉ、じゃなかったら立花君の所には来ないさ」


「それはそれで悲しいんだけれども、まぁいいや」


 校門に向かうその背中を、二人で眺める。そしてふとこの学校関係者ではない者が、運河公命へと駆け寄り、そして抱き着いた。まるで恋人の様な姿を確かに芽生のその瞳に焼き付いていた、相手の女が運河公命に抱擁する姿をそれはもうバッチリと。


「は?はぁああああああああ?浮気いいいいいい?」


「うっさい!びっくりしたぁ、隣でいきなり大声出すなよー、ていうかあの人どこかで見た事あるような、ないような?」


「見たってどこで?何時?公命君とどういう関係なの、立花君!」


「ぐわんぐわんしないでくれー、それが思い出せてたら思い出しているってばぁー」


 立花巴の胸ぐらを掴み頭を揺らす、ハンカチを歯で噛みそれを食いちぎらんばかりに引っ張れば、表現的にはよくみる悪役令嬢だろう。ただ芽生は少しだけ普通とズレていた、浮気相手を作った運河公命ではなく、その浮気相手を思い出せない立花巴でなく、今すぐ校門に駆けつけようにも邪魔な立花巴の追っかけでもなく、ただその瞳に映した対象は運河公命の浮気相手(暫定)だけである。


「ふっ………、ふふふふふっ…、今に見てろ…あの女ァ、私の恋人を奪おうとしたらどうなるか、その体に刻み込んでやる…」


「そこまでするか?普通勘違いの可能性だってあるだろ?」


「勘違いならばそれでいい、用意した手札を一枚も使わなく良くなるのだから、私が怒り狂っているのはそこじゃない、公命君とは約束しているんだこの1年は最高のモノにしようってね、そこに寝取ろうとする女が入ってきたとしても、それは場違いってやつだよ」


「てかどんだけ公命の事好きなんだよ…、友人の俺がこういっちゃなんだけどアイツってそこそこ顔と頭がいいだけで、それ以外は大して突出してなくないか?まぁ人の恋に指図できる程恋愛は俺もしてないけどサ、少なくても出雲に告白してる奴って未だにいるんだろ特に後輩とか?」


「確かに立花君には恋がどうとかっていう話はされたくないね、未だに初恋の彼女を告白もできないで告白してもらおうとなんて考えている君には、それはもう本当に」


「痛い所をついてくるな、出雲………」


 立花巴は余りに意表を突かれたのか、持っていた紙パックのジュースを思い切り握り中身を溢れさせてしまう、だが立花巴が小山伊織を好いている気持ちと同じ位、小山伊織は立花巴の隣には立てないと思ってしまっている、両者がどちらも動かない現状進展は無いと芽生は理解していた。


「まぁこっちにも、一応色々あるんだよ…一応、ヒヨって逃げてる訳ではない…筈」


「ふーん、まぁいいや私は君といおりんの恋を応援しているから、勝手にお節介は焼かせてもらうけども。あぁ、あと返答がまだだったね」


「返答?なんの?」


 自分で聞いておいてすぐ忘れるのはどういう了見だと、ツッコミたくなるそんな気持ちを芽生は抑え、ただ一言立花巴だけでなくここで盗み聞きしている全生徒に宣言するように、彼女は声を張った。


「公命君以外の人間なんて私含めてNPCなんだよ。だから同じプログラムされただけのツマラナイ人間(NPC)より、私は行動が制限されていないプレイヤーと恋をするのさ、行動が予め作られた人間(NPC)が、誰にも縛られない人間プレイヤーに恋をする…ロマンチックだろ?」


「人をNPC呼ばわりは、どこかで反感を買いそうだけれど、まぁ出雲らしくトチ狂った思想で納得はできるか…な?」


「あ、そうだ立花君これ書いといてくれない?お父さんが君のファンなんだ」


 そう言い芽生は父から預かった色紙と、父の名前が書かれたメモを手渡す。一体父は誰に対して書いて貰うつもりだったのか、名前を書いた色紙があればそれでよかったのか…それを思案し彼女が導き出し今示して見せた答えがきっと正しい、だって彼女は運河公命の事以外は全て予想できてしまうのだから。


「「出雲…初めからそれが狙いでわざわざ二人の時間作っただろ、一人でも許すと面倒な事に…」ほらね?私が予想した通りの言葉が返ってくる、やっぱり予想できる私も、君も人間(NPC)なんだよ」


「あ、ちょ、え?」


 思っていた事、そして口に出した言葉、一言一句違わずに同タイミングで話てみせた芽生という全能たる少女を前に、立花巴は放心する。彼女が鬼才と言う事は知っていた、だって同じ学校に居れば誰だって彼女の凄さを理解するから。だが彼は思う彼女の凄さは自分が想像するより遥かに上であったと、鬼才と言う言葉でも生易しいのかもしれない人なのだと。


「あ、あとこれは君の恋路にも関係ない本当に私の余計なお節介、立花君がプロをどういう形で望むのかは興味ないけれど、もし打者一本に絞っていくのならもう少し左手をなんて言えばいいのかな?抜く?開く?意識した方がいいよ多分それで君の不得意なインコースも楽になると思うから…」


「ご丁寧にどうも…、まぁ意識するだけしてみるよ、上手くいかなかったらこの色紙は返さないって事でいいか?」


 立花巴にも長年野球をやってきたプライドというモノがある、だからこそ言われたからはいそうですか、という訳ではない。尚且つ野球に関わった事もない無関係な人間からの提案などを鵜呑みするなんてもっての外だった、けれど出雲芽生という人間の言葉であれば一度試してみたくはなる、故に条件を付ける。鵜呑みにしてやる変わりに、間違いだったらこれが責任だと言わんばかりに。


「あぁ、構わないよ、それをお願いしたのはお父さんだからね、最悪無理だったと苦しい言い訳の一つでもしてやるさ、それじゃあまた…私は今からあの女をどう料理してやろうか今から考えなくてはいけないんでね」


「本気でやるつもりなのか………………、あっ思い出した、出雲?」


 大切な事を思い出し、その事を伝えようとしたその時には既に芽生はその場所には居らず、立花巴の周りはまた学校のスターになんとか覚えてもらおうとするミーハーな野次馬が集い始め、身動きが取れなくなる状況はそんなところであった。




 夏休みが終わり学校が始まる、二学期は芽生ら三年の後輩達にとっては至極の学期となるだろう。一年生は高校生活に慣れ始め、サボる事に注力を入れる者、他の追随を許さない様に勉強に注力を入れる者、そして運動部などの部活動では三年生の引退が始まり、自らがチームや競技の中心核になる者もいるだろう、二年生も言わずもがな一年生よりも先ほど挙げた例が適応されるだろう、それに二年生には修学旅行という恐らく多くの学生が一番楽しみにしている行事が存在する。


 だがそんな中、最上級学年である三年生はというと地獄の様な空気感で日々を過ごしていた、それでも一年生、二年生の例通りにサボる事をよしとする人間も多々居る事は居るのだが、多くにとってはその後の人生を決定づけてしまう一年であるからこそ、殆どは死ぬ気で頑張っているという訳だ。例に漏れず立花巴、小山伊織も人生の第一関門に向けてある程度の努力はしている、サボりを極めた者でも嫌でも関心は向いている。


 完全に関心を持っていないというのは、恐らくこの学校では二名のみだ。運河公命と出雲芽生、特異点たるこの二人だけが将来に対しての関心が無かった。


 運河公命は、皆が努力して辿り着く先に着いていくには、自らの足はどうしようもなく壊れていた。


 出雲芽生は、皆と同じ努力はしてもその先に辿り着くという事に価値を見出せずにいる。


 どちらもその先に辿り着くという研鑽は怠ってはいないし、どちらも上に上がりたいという欲が無いと言えば嘘になる。


 だが彼ら二人に存在するのは、諦めと達観。どちらも似てはいるが、その実は全く違う。これは無理だと選択肢を手放す事と、これじゃなくてもいいと選択肢を切り捨てる、どちらも自身から遠ざけている事に変わりはないが、前者は切実な自らとの切除であって、後者は贅沢な選択肢の模索に過ぎない。


 だからこそ、この特異点達は奇異な目で見られる、何故何もしないのか、と。


「おーい、公命君逃げるなよぉー、何か後ろめたい事でもあるのかなぁ?」


「その笑顔を止めろー、怖いんだよー」


「人を盾にするな、人を!ていうかお前まだ説明してなかったのか?あの人は別に」


「あの人ぉ?もう浮気とかそんな話はどうでもいいねぇー、私のかけがえのない君との時間があの女に奪われている。それだけでむかっ腹が立ってしかたないんだよねぇー」


 食堂で痴話喧嘩を始める二人と、その盾にされる哀れな友人が一人が言い争いに巻き込まれていた。実に見ていて痛快だ、一言明言すれば解決するのにも関わらず、それを口にする事を許さない。


 まさに恋は盲目、彼女であれば普通の状態ならば気づく筈だ、公命の発言を許しもする、そうすれば一瞬で解決する問題を、彼女の我慢というブレーキが利かずに、弁明という発言を許可できていない、まさに暴走。台風の様に人々の冷静さを失わせる、恋と言うのは人を変えるというが、ここまで顕著な例は中々ないであろう。


「おーし、公命君、今度あの女が来た時に見せつけてやろうじゃないか、私と君が作り上げた想いの強さってやつをさぁ!」


「えぇー、めんどくさいし恥ずかしいんだけどー…」


「だから人を盾にしないで出雲の顔を見て言え!そんなんだから…」


「うっさい巴!こっちは勉強してるの!騒ぐなら違う所でして、こっちはアンタみたいに進路確定してないの!……シッシ」


「いや、俺が率先して騒いでた訳じゃないんだけど、なんで俺が怒られてるんだ?まぁいいやもう…俺は教室に戻る」


「うぇー、まだ盾になってくれー巴ぇー」


「おーおー、立花君は邪魔だよ。私は公命君と話をしているんだからサ、ほら下がった下がったぁ。それでどうするんだい公命くぅーん、君は私が失ったこの時間をどう取り返してくれるんだい?さぁどうやってホラここで私が望む答えを言ってみてくれよぉ」


 また芽生の悪い癖が出ている、運河公命に選択肢という名の強制を強いている。断るか、それとも芽生が望む言葉を彼女に残すか、どちらを選んだとしても彼女の予想通りの結末を辿る。


 彼女に不都合な選択をしたのであれば、その事実を突き結局は芽生の望んだ通りのエンディングを迎える。芽生が望む回答を答えれば言葉通りの彼女だけが得をするエンディング、違うのは彼女を一度でも否定してしまった自責の念あるいは、彼女が望んだ事をするだけより芽生という存在に心酔してしまう。カリスマ性、そしてそれを可能にする才覚、相手を理解し都合の良い二者択一を迫る悪癖を、芽生はまた恋人になってくれと迫った時、そして卒業したら結婚して欲しいと迫った時と同じように、運河公命の事しか見えていない彼女は二度も失敗した手口を再び使う、だからこそ結果は見え透いているのだが。


「じゃあ、土曜か日曜家に来て、その時に紹介するから…。ちゃんと出雲さんが納得する答えを見せるよ、ほら…約束」


「え?…は?…紹介?浮気相手を?え?………あっ、わかった…よ?うん…約束なら…」


 運河公命が差し出した小指と、自らの小指を合わせて約束事をする。実際に制裁を下す訳ではないが、たかだか痴話喧嘩の収束を図る為に、態々指切りげんまんとは…高校生離れした才能の持ち主と高校生離れした諦めの持ち主、その両方、案外彼女らは子供のままなのかもしれない。


「芽生ちゃんさぁ、なんていうか普段は本当に全てを把握する完璧超人の癖に、公命相手には弱いね、そういう部分を見ていると安心するよ。芽生ちゃんも人なんだってサ」


「失礼だなぁ…いおりん…。人を怪物みたいに言わないでよ、私はただのどこにでもいる才気溢れる女子高生なのにサ」


「芽生ちゃん程の才気溢れる女子高生が居たら、今頃日本は世界一の大国だよ」


 冗談を冗談で返す、芽生は自身を完璧超人だと認識しているし、小山伊織は芽生をこの世でもっとも神に近しい存在と冗談ながらにも思っている。だからこれは謙遜の言い合いだ。


「でも芽生ちゃんなら、日本をもっとよくしてくれそうだね…目指してみれば?日本初の女性首相にして、最年少首相っていう道」


「まぁ…それは目指している道の一つではあるかも…しれないかな?」


「これこそ冗談で言ったのに…、まったく公命が居なかったら芽生ちゃんは欠点を晒さずに世界を掌握していそうで私は少し怖いよ…っと勉強終わり…それじゃあ放課後ねー」


「はーい、放課後りょーかいー。残りの授業も頑張ってぇー」


「芽生ちゃんもあるんだぞぉー」


 予鈴が響きゾロゾロと食堂から引き返す生徒が多数、そんな中痴話喧嘩をしていたのだから、芽生は数々の生徒の気を引いていく。けれど彼女はその視線をものともしない。


「公命君が居ない世界の私かぁ、そういえば公命君と会う前の私ってどんな私だっけ?」


 運河公命と出会う事で、芽生という怪物は人になった、組み込まれた会話以外をする事を許された、言い方を変えれば機械に生命という息吹を与えられたのだ。


 だから彼女は自身の過去を思い出せない。一度起こした結果を再現すれば、必ず成功に導かれる、相手という人間を再現してしまえば自身の頭の中でその時行われるであろう会話が成立してしまう。


 だが再現不能の甘い果実を食し、その味を覚えた彼女に、そんな味のしない果実は二度と食べられない、食べる気力すら湧く事がない。だから彼女は味の無い果実の記憶など保有する意味もなかったのだった。


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