観測記録の破片1 これまでの人と、これからの人(4)

 翌日、天気は日差しが強すぎるほどの快晴、絶好のスポーツ日和と言うには熱すぎるのが少し問題ではある。


 紫外線が人の体に及ぼす影響は、馬鹿にならないという話をこの世界では解明していたが、私は日差しというモノを浴びた事が無い為、どのような影響があるのかはわからない。くだらない前置きは置いておいて舞台は球場そして、集うは49分の1の椅子を賭けた、野球少年の夢の舞台の、最初の一戦に立ち向かう為の最後の一戦。


 下馬評では全国でも指折りの4番、そして投手としてもまぁまぁ優秀である立花巴が率いる後攻めのこちらが有利。だったのだが、人間がやっているだけあってスポーツにも絶対は無いらしいく、下馬評通りにはいかず点が動かない正しく接戦であった。


 試合は中盤を迎えて2対1、勝っているのではなく1点差で負けている。それもただの負けではなく、立花巴の本塁打その一本に抑えられている。故に今日この試合に限って言ってしまえば立花巴以外に期待ができない、つまる所今から迎える立花巴の打席は。


「フォアボール!」


「案の定、勝負しないんだね。私なら勝負するんだけどなぁ、私が性別の壁を越えて男性と同程度の出力が出せるなら、立花君を打たせることも無いだろうし」


「出雲さんが言うと、強がりに聞こえないのが質悪いよ。まぁ高校球児が夢見る場所こそが甲子園で、今日がその椅子を賭けた最後の一戦、なら投手個人の意地よりチームの勝利でしょ、実際に巴以外誰も打ててないだし、しょうがないね」


「ふーん、そういうモノなの、団体競技は遊びでも殆どやった事無いから、そう言うの良くわからないな」


「確かに出雲さんは個人競技のイメージはあるかな?」


 独りよがり、独善的、そして極めつけは自身に対する圧倒的自信と、それを可能にする才能とレベルアップする為の努力、この性格で団体競技は無理がある。ハッハッハ…おっと。


「ッチ…なんか苛ついた、誰か私の悪口言ってるのかな?」


「悪口って…、出雲さんは独りよがりを可能にする圧倒的才能があるから団体競技は無理って?」


 よく言った!これで傍観者たる私が一個人に陰口を吐いたなんて、ホラ話でもしなければ誰にもバレる事は無い、もし誰かに噂されようものなら、それはデマと言い切るか、それともこの国の政治家御用達と言われる記憶にございませんで乗り切るか…。


 そんな事を基本一人のこの観測のみ許される時間は存在せず空間は無限、そして星を縛り付ける重力もない、ただ傍観をする事のみが許される終わりのない空間で考えていると、いつの間にか試合は動きを見せていた。


 回は終盤戦に突入し、立花巴が歩かされる事には変わりないが、その後のバッターは続き2アウトながら満塁のチャンスで迎えるは9番バッター…が、やはり打撃を期待されていないからか9番なのか、いとも簡単にツーストラクノ―ボール。


「三振かな?」


「さぁ?バッターに聞いてくれないとわかんない…、ていうか小山さんは?」


「いおりんなら、お手洗いに行くって言ってたよ?あの様子じゃ、この場でプレーしているどの選手よりも緊張してるだろうねぇー、負けたら負けたで素直に励ましてあげればいいのにサ、どうしてあんなに立花君の事になるといつもの気の強さが無くなるんだか」


 確かに小山伊織の立花巴に対する感情は恋心も確かにあるのだろうが、それにしても不安感と言うべきか心配性と言うべきか親心にも似ているかもしれない、どちらにしてもそれらの感情が行き過ぎている。


 私の観測は俯瞰的に見る事が殆どだ、目についたモノがあったとしても中心に観測する事は精々目をつけた百人に一人が良い所だろう。故に私は出雲芽生の才能を、立花巴の努力を、そして小山伊織の想いを知る事がない、それぞれの過去を知る事はない。私が知っているのはこの世界の歴史と、そして運河公命の人生だけだ。


「まぁそこは色々あるんだよ、それこそ中学時代に二人にとって受け入れる事が出来ない事があったから、互いにここまで拗らせてる訳でね」


「立花君が、いおりんの所為で、試合に負けて凄い悔しがってる所を見ちゃったってやつ?」


「あぁー?いや悔しがった理由はそういう訳じゃないと思うけどぉー?それはその過程があって、小山さんが巴に必要以上に気持ちを入れてしまう原因の一つかな?まぁこればっかりは、俺から話すべき事でもないし、それこその話を今出すのは余計だよ、聞きたかったら甲子園とかが終わってからにしなよ?」


「あれ?公命君はこの展開でも立花君の勝ちを信じてるの?」


「逆に出雲さんはなんで自分の居る学校を応援してるのに、勝ちを信じないのさ」


「それもそうだね、余計な事言っちゃった、頑張れー!………っと、おりんちゃんが帰ってきた、大丈夫?顔真っ青だけど」


「うぅー、ちょっと緊張で、胃液がいっぱい出てきてぇ、気持ち悪いよぉ…」


「はいはいまた逃げようとしないの、ちゃんと立花君の応援をする!」


「うへぇー…、巴ぇがんばえぇー」


 気の抜けた応援と共に、立花巴率いるチームは何とか8回にもチャンスを作るモノの、そのチャンスを生かす事はできず、試合はラストイニング。つまりは9回を迎えた。


「ツーアウト2,3塁、ここでのミスは命取りだね…、立花君も流石に疲れが隠せなくなってる」


 出雲芽生の贔屓目なしの状況判断は正しく、こちらから見る立花巴の状況も間違いなく限界であった、彼が何を原動力にその限界を迎えても頑張るのか…、限界を越えた先で何をしたいのか、私にはそれが分からない。ただチームの勝利、甲子園、自身の活躍そんなモノは二の次という気持ちだけは伝わってくる。


「よし打ち取った!後は攻撃に全てを注げ!」


 公命の放った言葉通り、打球はファーストに転がり、そのまま一塁を踏むには間に合わないだからこそ、ベースカバーに投手が入るそれが基本の動きだ、なんの変哲もない人生で一回しか見る事の無いレアなケースではなく、何回も練習したプレーの反復をするだけ、ただファーストがトスしたボールはあらぬ方向へ行き、何とかそれをアウトにしようとした立花巴は一塁へ走ってくるバッターと衝突した。


「巴?」


 時間が止まったような一瞬の静寂と、小山伊織の小さな声が微かに残る。ツーアウトで止まるつもりのないランナーは本塁へ生還する。ボールは転がり、すぐ近くに居たファーストは絶句の余り体を動かせない、2塁ランナーも本塁を狙おうとしたがそれは寸での所でカバーに来たセカンドが阻止した。


「巴!巴ぇ!ハァ、ハァ…、ハァッ…、巴ッ……、お願い…」


 三塁側観客席から落ちる様に、一番近いフェンスに小山伊織は駆け出した。誰に対するお願いなのか、立花巴に立って欲しいという願いでは無い事はすぐに理解できた。小山伊織の願いは立花巴が無事に野球を楽しんでくれること、きっとそれだけなのだ。


「うるさーい、そんな衝突ぐらいで死ぬかぁーーーー!」


 歓声やどよめきが残るなか、確かに小山伊織の声が聞こえたのか、小山伊織に返答するように立花巴は心を込めて、最大限の声量で放つ。集まったナインが安堵すると同時に、立花巴が叫んだ言葉の衝撃で再び静まり返った球場から、無事だったことへの祝いを込めてだろうか?拍手が送られる。


 少しよろめきながらではあるが、立花巴は自分の足でベンチへと戻り、フェンスから心配そうに彼を見守る一人の女性に向って、笑顔でこう答えた。


「あの時とは体のつくりが違うんだよ、心配しすぎて姉を気取るな、この馬鹿!」


「ば…、馬鹿って何よ!こっちがどれだけ心配したと思って…」


「うるさぃ!話は試合の後に聞くから自分の席に戻って黙って俺の活躍を見てろ!」


 そう言い残し、小山伊織の反論も聞かずにベンチへと立花巴はそそくさ戻る。だが…、間違いなく今の彼は普通の状態ではない、きっと立っているのもやっとなのに、それでも小山伊織の前では気丈に振る舞う。


「はいはーい、いおりん席に戻ろうねー、皆の注目の的になっちゃってるよー」


 いきなり上から転げ落ちてきて、チームの主役と言い合っている姿は、当たり前だがとても目立っていて、これ以上余計な衆目に晒せない為に出雲芽生は彼女を抱えて元居た席まで戻ってきた。


「お疲れ様」


「どもどもー、アイスでいいよ?」


「勝ったらね」


「君は立花君が勝つ事を信じてるんでしょ?じゃあアイスは確定だ」


「小山さんが払いたそうな目で見てるから、そっちにお願いするよ」


「な、公命!お前…まぁいいか…、なんかどっと疲れちゃった…」


 そんな茶番の裏で試合は9回裏、点差は2点差。疲れが出ている相手校のエースはこの回も投げるが、流石に限界なのか6,7番にを塁に出し8番に送りバントを決められる。ここで相手校の監督もこの投手の限界を悟ったか、投手交代を告げ出てきた二番手が9番にヒットを許し一点差へ、1番もヒットで続くが2番は内野フライ。


「最高は3番がヒットで一先ずサヨナラヒットこれが最良かな?」


「いや、多分ここは3番歩かせるんじゃない?」


「えぇー?でも今日HR打ってる立花君相手にするの?リスキー過ぎない?」


 チラリと公命は小山伊織の方を見る。まるで聞かれたくない事を言うかの様にと言った所だが、彼女の精神を考えるなら余計な事は言わない方がいいとは思うのだろうが、けれどきっと事実を言った方が良い、そう公命は判断し口を開いた。


「多分巴は脳震盪が起きてると思うよ、確実っていう訳じゃないけど、立っているのもやっとなんじゃないかな?」


「そんな⁉なら早く監督に知らせて交代して貰わないと…」


「小山さんのそれが原因だと思うけどね、巴がああまでして頑張るのは…。それに残念だけど相手も薄々気づいていたみたいだね、ほらちゃんと敬遠してる」


 これで塁は埋まり、満塁の大チャンスで、しかしあと1アウトで終わりの大ピンチ、点差は一点取れば同点だが、それでも同点ではきっと、このチームは負ける。私はそう予感させる、だからこれがラストチャンスなのだ。公命も出雲芽生もそれが薄々と分かっていた。


「脳震盪ってめまいとかの印象強いけど、他には視覚の異常とかもあるから、そこまで重症じゃない事を祈るしかないね。ビビッて相手がボールを投げてくれれば楽なんだけど…どうも余りのピンチ過ぎて、吹っ切れてるみたいだ」


「なんで…、どうして…、そこまで頑張るの?」


 立花巴はスイングをしては体に力が入ってないのかバランスを崩し、なんとかファールで粘るのがやっと、そんな状況だ。でも、それでも彼がここまで頑張るのは。


「いおりん…、私はいおりんと立花君の過去を知らないけど、多分立花君は見せたいんじゃないかな?」


「見せるって…何を?」


「いおりんに自分はやれるんだって、そんな心配しなくてもいいんだって、保護者目線の応援なんて要らないんだよ、友人として、腐れ縁として、幼馴染としてずっと一緒に育った、小山伊織の同じ目線での応援が欲しいんじゃないかな?」


「保護者目線か…、そう見えたんだ…、巴も迷惑だったかな、無駄に心配して気を遣い過ぎて…、でも私はあの時…巴の大切なモノ全部奪いそうになって…だから、だから…」


「だからいおりんの応援が欲しいんだよ、もう自分は大丈夫だって証明して見せたいから、君の声援に応える事でいおりんを安心させたいんだ、だからハイ…」


 出雲芽生はメガホンを小山伊織の手にしっかりと握らせる。彼らの過去は彼らが語らなくては、私にはわからない、だが立花巴は小山伊織に証明して見せるのだ。きっと二人は誰よりも互いの事を想っているからこそ、彼は誰よりも小山伊織の抱く苦悩を知っているからこそ、彼女は誰よりも立花巴の努力を知っているからこそ。


 だから彼女はメガホンを掲げ叫ぶ、ならば証明してくれと言わんばかり。保護者ではなく、幼馴染として、そして初恋の相手として誰よりも好きだからこそ、自分の期待に応えてくれと願って、小山伊織は全力で叫んだ。


「行けぇええええええ、巴ぇぇぇええええええ!」


「任せろっ!」


 ハッとしたように瞼をパチリと開き、入らない筈の力を入れて立花巴は、初恋の少女の声援に応えるように自分のできる、最高のスイングで応える。


 快音が響き渡り、打球は失速することなく伸びてゆき、バッターボックスから約120m離れた、バックスクリーンに打球はぶつかった。


 溢れんばかりの歓声が響き渡り、グラウンドの真ん中では投手がショックで立ち上がれない中、勝ちを決めたランナーの生還などどうでも良いかの様に、ゆっくりとダイヤモンドを一周する立花巴が本塁へ到着するのを待つ。


 立花巴が本塁に戻ってきた時、彼の体は既に限界で、気力でやってきた所為もあってから本塁を踏んだと同時に崩れ落ちる様に意識を失った。




 あれは何だったのだろうか、あれを最悪の光景というのだろうかと言うような、目をそむけたくなる現実がそこにはあった。球場内は騒然とし、チームメイトは動揺し動けない相手校のメンバーすら何が起きたのか理解できていなかった。


 しばしの時が経ち、ようやくまともな判断を下す事が出来る人間が現れ、立花巴は急ぎ担架で運ばれる。


 倒れた立花巴に同調したように小山伊織がその場で崩れ落ちる。決して倒れないように出雲芽生が支えた、ここで終わりじゃないという事を彼女は知っているからこそ、小山伊織が今するべき事は、悲しみに暮れる事ではなく、最後の最後まで一人の幼馴染の為に雄姿を見せた少年の傍で、こんどは保護感情なんてなくして、同じ目線でただ寄り添う事だと、出雲芽生は考えて、立花巴が運ばれた病院へと向かう。


「いやぁー、なんて言うか…、心配かけて悪かったって、別に何も異常はないし、ちょっと行き過ぎた疲労と、軽い脳震盪起こしていただけで…」


「このっ……、バカ!バカ!私が…私が、どれだけぇ…、どれだけぇ…」


 うわーんと病院だというのに一目をくれず、周りも気にもせず涙を流しながら立花巴に小山伊織は抱き着く。


 立花巴は痛い痛いと大袈裟に動いてみせるが、恐らく小山伊織が初めて見せる、その姿に何か感慨深いモノを覚えながら、彼は彼女を自らの手で抱き寄せた。


「ごめん、心配かけて…、本当にごめん…、でもそれでも伊織に見せたかったから、俺はもう大丈夫って、それだけを今日の試合で見せたかった」


 ただそれだけを口に出し、二人が抱き合う病室で、彼らの時計はまた新たに止まった時間を取り戻すように動き始める。


 そういえば、ここに来るまで一緒に居たはずの公命と、出雲芽生は何処へ行った?




 夕暮れをバックに二人は何故か帰路についていた、あの場面で自分達は不要だと自ら考えた結果かもしれない。公命と出雲芽生は帰路につき、何らかの事を話し合っていた。


 きっと夏休みの予定だろうが、少し視線を外していた所為で今すぐには彼らの声を聞き取る事はできない。ようやく焦点が合い観測を再開した時、まだ彼らの話が終わっていなくて私は安堵する。


「話は変わるけど、よかったの?一応顔くらいは見といたほうがよかったんじゃない?」


「別にいいよ、巴が無茶した事への制裁は、小山さんが嫌となるほどやってるって」


「そんなもんか…、それにしても甲子園かちょっとうらやましいな、私はちょっと8月に入ると予定が増えていけないから…、公命君は応援しに行くんでしょ?私の変わりお願いね」


「俺も残念ながら出雲さんと同じで、8月に予定があってね、まぁ親戚の結婚式なんだけどサ、デートに付き合って貰うって言ってたけど、8月はノンビリしていていいかな?」


「そうだねー、でも夏祭りは行こう。8月上旬だったよね確か、色々見回って花火を見て、それで夏休みは終わりかな?終わる直前に会えればいいけど、それでどうかな?」


 若干声を震わせながら、出雲芽生は公命に確認を取る。いつも行きあたりばったりでデートをしているが、正式に誘うというのは初めて事だったのだろう。若干汗ばみ震えている、鬼才出雲と言われながらも乙女らしい所はまだまだあるらしい。


「いいよ、行こうか夏祭り、行ったのは小学生まで遡るから案内してくれると助かるんだけど、大丈夫そう?」


「うん!大丈夫、それじゃあまた今度、約束だよ!破っちゃや!だからね」


「もう破らないよ、守れない約束はしない。って家ここなんだ」


 いい意味で語るのであれば趣のあるアパート、悪い意味で語るとボロ賃貸。公命も私と同じ感想を抱いたであろう、なぜならば意外であったからだ、あれほどの才能に恵まれた人間が住んでいる家とは思えない、幼少期から色々な教育を受けてきた人間とも思わせる風格すら、感じさせる若干17歳の少女がここに住んでいるとは微塵も想像できなかった。


「幻滅した?私って思った以上に貧乏なの、まぁ今はそれ相応に色々な方法でお金を貯めたからお金そのものは沢山あるんだけど、お父さんがまだ私にお金の世話までして欲しくないって頑固でね…」


「いーや、全然幻滅なんかしない。でもちょっと意外だった、それだけ。家うちと逆だね、俺はそんな金持っている様に見えないのに家は立派親が凄いだけ、俺は凄くない。けど出雲さんは、親は普通…会った事無いけど…、逆にその年で稼いでる出雲さんが凄い。逆だったらよかった…、出雲さんが金持ちなら何のあとくされも無く羨ましがれたのに…言い訳できたのに、ちょっと羨ましいな…」


「公命君?」


「なんて嘘でーす、出雲さんの事は全然羨ましくありませーん。だから気にしないで…本当にじゃあまた今度…………ゴメン…」


「公命君………、うんまた今度ね…」


 若干シンミリとした空気が漂う。きっと彼は本当に逆ならば良かったと心の底から思っている、もし出雲芽生の様に元気な人間であれば…、貧乏でもいい…、自分で稼げる程出来が良く無くていい、ただ家族を悲しませない事ができればと…、そう不覚にも諦めていた感情が、ふと健やかに勇ましく生きる出雲芽生を見て、思い起こされたのだろう。




 友人が甲子園に行く、それだけで浮かれ気味になるのが高校生というモノだと思っていたが、私の予想は少し外れた。否、外れたのではなく、浮かれる事もままならなかったという言葉が正しいのかもしれない。運河公命の体には紛れもなく隠しきれない限界がある、そして限界を無視してでも彼は出雲芽生との約束を優先した。そして今日もまた出雲芽生との約束を通り、ショッピングモールデートに出かけている。


「ねぇ、公命君この服どうかな?というか君はどういう服が好みなのかな?」


「うーん…、出雲さんは顔が良いから大抵のモノは似合うと思うよ、ていうかどれを買っても着こなせるでしょ」


「そうでもないんだよねぇーこれが、君は真夏だというのに単色そして長袖、THEユニクロって服装ばっかりだからね、私が派手に着飾ったらどちらかが浮いちゃう、だから服を決めるのも大変なんだよ、よく言うでしょ?女はデートの為に化粧や服に金を使ってるって」


「まぁ無地が好きって言うのは否定しないけど…、ていうか何?奢ってほしいの?」


「んにゃ、奢ってほしいなんて事は、全然これぽっちも思ってないけど…、どうして?」


「いやネットだとその後に、だから男は奢るべきって言葉を見るからサ、そういうモノなのかと思って聞いてみただけ」


 確かにこの世界線上、特にこの国では、男女交際において男性が女性の分の支払いをする、いわば先ほど出雲芽生が言った通りに、女性はデートの前にお金を使っているのだからという奴らしい、男性もデートの前にお金は使うと思うのだが、ここら辺はどうなのだろう?


「それは男が女に惚れて、振り向いて欲しい場合の話じゃないの?私が君に惚れているんだからその理論だと私が奢る立場じゃない?そもそも自分じゃ払えないような場所に付いていくなと私は思うけどね」


「そういうモノかね、なんかちょっと違う気もするけど…」


 公命が微妙な反応をしたからか、出雲芽生的に自分の好みに合う衣服が無かったからか、服を元の位置に戻し、店の外へ出て会話を続ける、彼女なりの恋愛観、それを今日見れるのかもしれないと思ったが。


 出雲芽生はどこまでいっても無垢なのだ、たった一つを除けば私欲や邪念が無い。彼女は出来るから、そう思ったから行動するそれだけなのだろう。


「いーや、私の言う事はきっと正しいよ、奢られる事前提の恋愛なんてそれは恋愛じゃなく、ただの貢ぎ物、今で言うとネットアイドルに近いかな?お金をプレゼントという形で送れば、誰誰さんありがとうと言って貰える関係その程度の関係性だよ」


「それはちょっと捻くれ過ぎただと思うけれども…」


「そう?でも私だったらこうするよ」


 ギュッと出雲芽生は公命の手を取り、繋ぐ。往来の激しいショッピングモールのど真ん中で、今ここに居るのは君と私だけだと言わんばかりに二人で同じ歩幅で歩く。手は少し震えて、顔は少し赤いけれどこれが、出雲芽生が今持つ彼女にとって唯一の私欲だ。


「私はこうしているだけ、凄い幸せだからね。お金なんて無くったって君と居ればなにもかも、どんな辛い事だって苦しい事だって幸せに感じるんだ…君はどうかな?」


「まぁ確かに…出雲さんと居る時間は楽しい…かも?」


「そこは疑問形じゃなくて、言いきってほしいけれど…まぁいいや、今日はこの辺にしてもいいかな?ちょっと用事があるから…君からのプレゼントは夏祭りまで楽しみしておくよ」


「そういうのは必要ないって話を今してたんじゃなかったっけ?」


「そうだよ、けど大好きな人に貰うモノは、なんでも嬉しいんだっ!それじゃあね!」


 元気よく手を振りながら出雲芽生は人混みの中へと消えていく、公命もやる事はないのだから一緒に帰ればよかったと若干の後悔をしつつも帰路へ着こうとしたが、それを公命の体が許さなかった。


 急ぎトイレに駆け込み、薬を出して水で流し込む。


「もー勘弁してくれ…、まだ目標まで半年以上あるって言うのに…、はぁきっつー」


「今の人見た?凄い顔つきで薬飲んでなかった?危ない人じゃね?一応報告とか…」


(こっちは文字通り死に物狂いなんだよーだ、でも夏休み中に病院行く話、前倒れた時に決めといてよかったかもしれないな)


 公命は心の中で、隣にいた中学生の様な子供の戯言ざれごとに言い返す。まだ時間は残っている、まだ耐えられる痛みではある、けれどやはり少しずつではあるがひび割れた砂時計から砂が漏れ出していた。本来であれば何度も繰り返し使える筈の砂時計から一日事に砂が抜ける、そんな毎日を運河公命は過ごしている。


「老骨に鞭を打つって訳じゃないけれど、あとせめて7ヶ月は…それが約束だから…」


 出雲芽生を突き動かすモノが、どうしようもない程の運河公命に対する愛であるならば、運河公命を突き動かすモノも、出雲芽生に対する罪悪感と、そして義務感なのだろう。


 似ているようで似ていない二人、死が二人を分かつまで、その間に彼らはどう進み、そしてどう停止するのだろうか?彼の親友の甲子園や親友とその幼馴染の恋模様などではなく、私が気になる事は、とどのつまりそれだけなのである。


「あぁーあ、なんか欲しいモノもあった気がするけど、もういいや残った体力は夏祭りにとっておこっと」


 公命は母親に帰るとだけメッセージを残し帰路につく。一人でもまだ帰られる、そう自身に言い聞かせる様に、まだ歩くことは出来ると言い聞かせ、家へと向かう。


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