観測記録の破片1 これまでの人と、これからの人(3)

 時期は過ぎて7月、高校生にとっては夏季休暇という待ちに待った7月。ある病弱少年にとっては人生最後の夏の開始時期、ある野球少年とっては最後の晴れ舞台への道そして未来へのアピールの季節、そして野球少年の幼馴染少女にとっては面倒くさい期末テストの月で、ある病弱少年の恋人にとっては約80分の1の再現しようと思えば、いつでも同じ夏を迎える事が可能な夏。誰が一番幸せかを図る事は私にはできないが、誰よりも気持ちを込めているのは前者二人の少年だ。


「いけー、かっ飛ばせー、巴ぇー!、取られた点は自分で取り戻せぇー!」


「余計な一言があった気がするけど?」


「気のせいでしょ、まぁチームも巴にはピッチングじゃなくてバッティングで……っと」


 キィーンと小気味良い快音と共に、立花巴の鋭いスイングに触れたボールはグングンと伸びていき、誰も居ない外野スタンドへボールがバウンドする。ルール上は本塁までの安全進塁権を得る行為…詰まる所ホームランというモノである。


「よっしゃぁー!よくやった!今日は4打点。帰ったら褒めてやる」


「褒めてもらえるみたいだね、良かったじゃないか。彼、確か恋人は居ないんだろう?それにしても隣に産まれた時からの幼馴染が居て手を出さないというのは意外だね」


 確かにこれ以上にない程、最初から用意された相手だ。家が隣なのだけではなく、家族同士の仲も良好、何より小山伊織は着痩せするタイプらしくスタイルが良く、そして顔が良い。これで恋人がいないのはきっと、居ないのではなく、作らないのであろう。


「コールドして当たり前の相手に1点取られた事のダメージは無いみたいだ。出雲さんって案外さ恋愛の話好きだよね…、まぁ巴の場合手を出していないって言うか……」


「おい!そこの一人ではしゃいでる馬鹿女うるさいぞー」


 立花巴が本塁へ帰り、この回で終わりそうだが点が入らない可能性も考慮してか、こちらに近づき投球練習を初め、こちら側で一番はしゃいでいる幼馴染に声をかける。


「今の小山さんじゃ、巴の好みじゃないのかもしれない…かな?」


「そぉーかなー?二人は運命の赤い糸にでも結ばれている様にも感じるけれど、それこそ私と公命君みたいに…っほい」


 出雲芽生は公命と肩を組み、ツーショットを強引に撮る。いい迷惑だと言わんばかりに公命は彼女の手を払いのけたが、出雲芽生のやりたい事は既に完了していて、公命のメッセージにたった今撮った写真が表示される。


「お二人さんいつ間にか、凄い仲良くなってるよね、今から二人は本当は好き合ってないって言っても信じる人居なさそう」


「そりゃあ、私の初恋の人だからね、奪っちゃだめだよ伊織ちゃん」


「奪わないよ、そもそも私は…いや何でもない、公命?芽生ちゃん泣かせたら許さいからね公命が幸せにしてあげるんだよ!」


「俺は別に出雲さんを好いている訳ではないんだけど?ってもう居ないしまだ試合は…」


 公命がふと目を球場に戻すと試合は既にコールドゲームが成立していた。自分に自信があるお調子者というのが、私が見た立花巴の印象だったが、実はそうでもないらしい。野球にはどこまでも真摯で、それでいて他とは一線を画す実力も持っている。その実力を持っている人間さえもが、鬼才と称える出雲芽生の凄さが余計に際立つのは気のせいではないだろう。


「本当に行けるのかな?甲子園、行けたら一生の自慢になりそうだね、も少し先を彼は見てるかもしれないけど…」


「見てるかもじゃなくて見てるよ、巴の目標は小学生から変わっていないと思うし、まぁそう考えたら出雲さんはその先を目指したりはしないの?」


「私ぃー?私は別にいいかな?何かに縛られる将来なんて嫌だなぁ、自由に生きたいし」


 恐らく出雲芽生が男に産まれてきていれば、きっと大抵の世界記録を破ってしまうだろう、それも並大抵の努力ではなく、並の努力で。近くで見ているからという贔屓目ではなく、確実にそうなったであろうという傍観者としての確信が私にはある。


「出雲さんは、何も極めないで一体どういう人間になるのか将来が楽しみだね」


「知りたい?誰にも言った事はないけど公命君には教えてあげるよ?」


「どうせ世界征服に世界統一、そして世界平和でも掲げるんでしょ、知ってる」


「おしー、それも目標の一部分ではあるけど私の夢はね、小さい頃から一つなんだ」


 出雲芽生は誰にも聞かれないよう、公命の耳元に唇を近づけ彼女が抱くたった一つの夢を囁く、どこまでも少女らしく、そしてどこまでも規格外な夢を。


「私は大好きな人と、運命の人と一生一緒に居たい、死んで魂になっても、天国に行っても、もし輪廻転生というモノがあるのなら、その次の人生でも一生一緒に居たい…。その為に世界統一でもして、その為の研究してやろうかな?」


「そりゃ凄い夢だこと、でも…」


 公命のでもから続く言葉は出なかった、きっと彼はこう続けたかったのだ『でも俺はもうすぐ死んで、君は生き続けるから俺は運命の人ではないね』そう言いたかったのだろう、けれど今正面から自分を好きで居続けてくれる少女に公命は、未だ真実を話すことは出来ないけれどきっと、いつかは…と。


「でも?もしかして逃げ切ろうとしてる?ダメだよ…私の運命の人は公命君なんだから、一人で逃げちゃ怒るぞ?」


「逃げる足も体力もないから安心して、そっちが愛想を尽かす事に賭けとくよ」


「無理無理、私が愛想を尽かさない方に賭けておくから当たっても外れても+-0だよ、さぁスポーツ観戦も楽しんだし、デートの続き行こっか?」


「うん、こっちのお金が無くならい程度に、程々に…」


 公命が初めて出会った家族以外で自分を好きでいてくれる人、そして自分の事を何一つ知らない人。公命が出雲芽生の事をよく知らぬように、出雲芽生も公命の事情を知らない、故にお別れのその日までこの事実は隠し通さなければいけない。誰も苦しまなくていいように、すぐ次へと迎えるように、今だけのこの瞬間を楽しむ、きっとそれが人間が持つ本能なのだと私は知っている。なぜなら私はこの世の傍観者であるのだから。


 傍観する事は苦しくないが、この出雲芽生にとって救いのない結末が、せめて美しく儚い記憶の一部になる事を。手を出す事を絶対に許されない私は、少しだけもどかしさを覚えた。




 立花巴率いる野球部が支部予選を越えて、次にあるのは北北海道地区予選ではなく…、恐らく多くの生徒にとっては野球部の進退よりも重要な一年に一度きりの祭り、この日の為にと多くの生徒が準備をしていた文化祭。


 だが今はその前段階、準備期間その最後の最後準備期間。最後の追い込み、運河公命と出雲芽生が在籍するクラスの出し物はただのカフェ。大した出し物では無いが、中身が普通ならばと外見はという事で。唯一無二の内装にするらしい…。


「ねーえー、公命君?君に仕事を擦り付けて私帰ってもいいかな?」


「ダメ、内装をちゃんと皆で作るってクラス全員で決めた事なんだから、一緒にやらないと」


「そういう君も結構帰りたがってない?そもそも普通のカフェにすればいいのに、なんでこんな無駄な事をするんだか…、まぁ真面目ちゃん委員長と、仕切りたがりの能無しちゃんの意見を組み合わせたらこうなるんだもの」


「言いたい事はわかるけど、今は出雲さんも作業して、出雲さんが有能だからこうやって無駄に大変な仕事をしてるんだから、このままじゃ帰る時間が夜になるよ」


 文句を垂れながらも、黙々と目の前の作業をするのがこの偽装カップル二人。文句を垂れても鬼才の名に相応しい手さばきで言われた通りの事を成し遂げ、誰よりも余計な事を考えながら、誰よりも最高率で最高のクオリティを保ちながら物事を完遂する、それが出雲芽生という女だった。


「無駄だ、無駄だと思いつつもやれと言われた事はやってしまう、日本人の性だね」


「無駄に見えても誰かがやらなきゃいけない事を勝手に遂行するのは、日本人の美徳だね」


「そぉーかい、君がそう言うのであれば、私はこの無駄を楽しむよ」


「あの…無駄無駄言わないで黙ってやる事はできないの?貴方達の話は私に対する嫌味に聞こえるのだけれど?」


「安心してくれていいよ、少なくても俺は言ってないから…お連れの言動は知らないけど」


「ちょっとー、そこは彼女を庇う所じゃないのー?変な言いがかりはつけるな―って、私の事を庇ってよぉー、私の事を花よりも蝶よりも、そして家族よりも丁重に扱ってくれよぉー、例え相手が少し顔が良い、仕切りたがりの能無しちゃんだとしても、私は彼女だぞぉー」


「はいはーい、彼女彼女、好き好きー好きだよー?、漸くかんせーいっと」


 自身と彼女の出雲芽生曰く、仕切りたがりの能無しちゃんと出雲芽生の言い合い開始する前に、抱えた仕事を完了させる事で、余計な口論を起こさせずにとっとと帰るに限ると言わんばかりに、公命は手作りインテリアを持ち運ぼうと立ち上がる。


「まぁ俺も文化祭は楽しみではあるけど、前準備は別にどうでも……あれっ?」


 立ち上がったと同時に公命はその場に倒れ込む、その症状を端的に第三者的に見るのであれば立ち眩み、あるいは眩暈と言うべき症状。座り続けたのにもかかわらずいきなり立ち上がったのだから、当たり前かとも思える。が、しかし私は傍観者として彼の現状を知っているからこそその異変が見て取れた。


「あははは、壊れちゃった…まだ修復可能かな?出雲さん先に帰っていいよ、俺が壊しちゃったから俺がなんとか直しておくね」


「一緒に帰らないの?全然待つけど…、って何?この空気ちょっと嫌な空気…」


「運河君が壊したんだもん、それが責任よね…じゃあ私達帰るから、どうせ最後まで残るのは運河君でしょ?よろしくね」


「は?ちょっと待ってよ、自分の片付けくらい自分でしようと思わないわけ?ちょっと、逃げるなって……、公命君ちょっと待ってて、今連れ戻してくるから」


「出雲さん…、別にいいよ。というかどうせ片付けするなら、とことん片付けるから出雲さんは邪魔。うん邪魔だから帰って」


「でも、一人で全部やるのはおかしいって」


「いいから!こっちもちょっとした失敗で落ち込んでいるんだから…一人にして…」


「…………わかった、連絡してくれたらすぐ向かうから何かあったら連絡してね、それじゃ」


「……………ありがとう…じゃあね…」


 初めて彼は出雲芽生に対し語気を強める、まさかこんな些細な事で出雲芽生も公命が怒るなんて想定外だったのか、居心地の悪さを感じ退散した。けれど彼女は私や運河公命が思うよりも本当に運河公命の事を好いているらしい。『何かあったらすぐ頼っていいからね、すぐ飛んでいくから 君の彼女より』そうスマホに一通を残しているのは、自分は決して嫌われないという確固たる自信だろう。


「絶対に君には頼らないよ…、誰にも頼ってたまるか…」


 倒れたままの態勢で動けなかった公命は、なんとか右手を使って体を起き上がらせた。やはりと言うべきか、それとも当然だというべきか、運河公命の体は彼自身が思っているよりもかなり弱っていたという事らしい。


「なんとか時間が経てば動けそう…かな?でも少しだけ休もう、今日中に終わらせないといけない事もある…」


 工具を持とうとした手は震え、握る前に工具を落としてしまう。力が入っていない公命の体が公命の言う事を聞かない、これは病気による症状ではない。それを公命はわかっている、だからこの近くには誰も居ないという事を確認して、それでも、もしもという可能性も考え、公命は小さくうずくまり呟く。


「怖い……」


 外を通る車、校舎外で騒いでいる生徒、普通に話せばそんな遠くの音にかき消されたりなどしない、けれど運河公命の発する誰よりも悲愴な小さな叫びはそんな音にかき消される。


 しばしの時が経ち、頼まれた事を全て完遂した訳ではないが自らの尻ぬぐいだけを完遂させ、壁伝いに公命は荷物を纏めて外に出ようと一歩ずつ、暗い校舎を進む。


「メッセージは何とか打ったから、後は母さんか父さんが家に帰ってきてる事を祈るだけ…、この状態は思った以上にキツイ…、ちょっとの間はまたベッドの上か…」


「公命!大丈夫か?」


「父さん…助かったぁー、母さんはもう俺をおんぶ出来ないだろうし、これで…な…か…」


「公命…?こう……?こ…………」


 父に会えたという安堵からか公命は一度意識から手を放す、誰にもバレないようにとずっと緊張状態を張っていたそれも原因なのだろうが。そんな事で意識から手を放せてしまうという状況が、運河公命という砂時計がもう器すら保てなくなりつつあるという事を少なからず彼とその家族は、その真実から目を背ける事は許されなくなっていた。




 翌日、今日が文化祭の前日、つまりは前夜祭となるこの日、芽生は一緒に学校へ行こうという旨の連絡をしたが返信が無い事に若干の違和感を覚えながらも、目の前に歩く小山伊織と立花巴を発見し突撃する。


「おはよー、珍しい?いおりんと立花君が一緒に登校してるなんて、さては時間計ったね?」


「出雲が期待してるような事は無い!今日は朝練が無いからゆっくり登校しようと思ったら丁度、伊織と鉢合わせした、それだけだよ」


「おはおはー芽生ちゃん、そう言わないであげて…。私の登校時間に態々合わせて私の気を惹こうとする涙ぐましいコイツの努力なんだから…」


「うぜー、ってかいつの間に出雲と伊織は仲良くなったんだ?それにいおりんて…なんか初めて話した時と印象大分変ってる、別人か?」


「そんな事はないよ、伊織ちゃんとは公命君のお見舞い行った時に話して仲良くなっただけ…、彼の友人なんだから私も仲良くなっていた方がお得でしょ?」


「損得勘定で友達を決める様な奴を、公命が好くかねー、ま、いいや……よいしょ」


 小山伊織のバッグからノートを抜き出し、いつぞやの小山伊織の逃げ足とは違い、運動部の脚力を活かしすぐさま遠くへ走り抜けていく。余りに小山伊織に対してのみ発動できるであろう、凄まじく洗練された無駄に無駄のない無駄な動き、まぁ他人にやれば窃盗なのだが…、彼らの仲が故に成立している、遊びの様なものに出雲芽生は目を奪われていた。


「あれいいの?ていうか、この時期に課題なんて出るっけ?」


「あぁ、あれは私と巴あと数人が提出しなかった時の、課題を倍に増やされ今日の朝までに提出しないといけない提出物、全く詰めが甘いね、大事な所でポカ起こして甲子園の道が絶たれないといいんだけど…」


「あぁー、予備?いやあっちがブラフでこっちが本物なんだね、なんて無駄な攻防を…」


「いいの、いいの、私達はそういう関係なんだから。巴は馬鹿だけど、野球に関してはどこまでも全力で、今年一人で甲子園にチームを連れて行く地力を持ってる。私と馬鹿できるのも多分今年で最後、なら精々一緒に馬鹿をやってあげるよ、腐れ縁の幼馴染としてね」


「ふーん、いおりんりんは達観してるねぇー、全然納得してない癖に」


「まぁね、でもいいの、この関係が崩れるよりは何倍も…停滞して進展しない方がいい。そういえば今日公命と一緒じゃないの?いつもならラブラブしてるのに」


「あー、それがね連絡が取れなくて、まぁ寝坊なら一緒に遅刻するのもアレだし、先に行ってようかなって、ていうか呼び方いっぱい変えてるのにそれに対する反応ないの?」


「もう慣れた…」


「あっ、そうなの…、悲しみー」


 下らない雑談を終えて芽生とは違うクラスである立花巴の後を追い、小山伊織は芽生と別れを告げ、学校の玄関へと先へ行く。スマートフォンを起動させ、メッセージアプリを今一度開き確認する。開いた先は案の定、運河公命であり、そのメッセージは『今日もいつもの場所で待ってるね』というやり取りを最後に終了している、彼がそのメッセージを見た形跡はなく、ただ彼女の言葉だけが残っている。


「1日構ってくれないと、私は浮気しちゃうぞぉー…、まぁその可能性はないんだけどサ」


 独り言をつぶやきながらも芽生は教室に足を運ぶ、と言っても今日彼女らは授業を受けに来たわけではない。それは学生としてどうかとも思うが、教室も文化祭模様で、今日一日を使って文化祭の設営を完全に終わらせる、それが本日の目的という訳である。


「おはよー…ってまだなんかやるの?私がやる奴はもう全部終わらせたから設営以外で手伝う気は無いんだけど…」


「違うわよ、あの男がやっとくはずだった掃除をサボって帰ったから私達が変わりに掃除してるの。出雲さんさぁアイツの彼女なんでしょ?やるって言った癖に勝手に帰ったら皆のメーワクになるって言っといてよ」


「そうだね、何一つ片付けしていないなら私もそう伝えるんだけどサ…でも」


「でも?まさか私はアイツの事が好きだから怒れませーんとでも言うの?運動もできない、顔も別に突出してる訳でもない、かといって学力が高い訳でもない。アイツを惚れた出雲さんの好みを私は疑いたくなるよ、鬼才出雲様も案外平凡なのがお好みなのかしら?」


 ピクリと芽生は眉を動かす、運河公命という人間を、芽生本人すら運河公命の事を、まだよくわかっていない。自分以上に何も知らない人が、彼を語るな、彼を愚弄するなという怒りからか、芽生は目の前でご高説を垂れる女の胸元を掴み、片手で持ち上げた。


「私の予想を逸脱しないツマラナイ人間がさ?私の予想を逸脱する公命君を馬鹿にするなよ?……、おっとついつい頭に血が上ってしまった…私も大人気ないなー。でも一つだけ言わせて?お前みたいな仕切りたがりの無能女がしゃしゃってんじゃねーぞ?って、お前が自分達の片付けを公命君に任せなかったら、終わってたんだよ昨日はサ」


 首元を掴み持ち上げ苦しむ、仕切りたがりの無能女(出雲評)を地面に叩き落とし、言いたい事だけ言い放ち、芽生は自身の席に座る。


「はぁ…つまんない、公命君早く来ないかな…、もう少し待てば会えるかな?」


 芽生を勝手に嫌う者、自身に勝手な偏見を持つ者、そして自身にとって不利益な存在、それ以外には基本的に、中立を保ち誰とでも愛想良くという心持の彼女が、初めて誰かの為に怒りをぶつけた。


 訪れるのは静寂と、文化祭前日だというのに険悪的な雰囲気。だが文化祭当日、芽生はクラスの出し物に関与しない、これは公命もだが、その為に裏方の仕事を多く引き受けた、なのにその公命が現れない今、出雲芽生の心は曇天な空模様。


「何してんるんだー、席に着けー、ホームルーム始めるぞー」


 クラス内の一人が休んだところで、さして問題ではないと芽生は考えてはいるが、けれどけれどと何故この時間になっても運河公命が来ないのか、公命という人間がズル休みする人柄ではないという事は、少ない関りながらも芽生は理解している。故に考えられる要因は体調不良か、急を要する用事かこの二択なのは確かだろう、前者はさて置き後者であればこちらのメッセージに返答が無いのを彼女は疑問に思う。


「先生、ちょっといいですか?」


 HRが終わり担任の下へと彼女は向かう、芽生が自分から担任に話しかけるのは少なくても私が重点的に公命らを観測し始めてから初めての事だ、故に担任も少し驚く。


「出雲から話しかけてくるのは珍しいな、勉強の事か何かか?」


「いえ、勉強は間に合ってますので結構です。そんなことはどうでも良くて、運河君がまだ来てないんですけど、先生に何か連絡来てますか?ちょっと連絡を取ったんですけど、返事が返ってこないので…」


「運河?運河と出雲ってそんな事を気にする程仲良かったのか?まぁ仲が良いのは良い事か…組み合わせとしては意外だが…。運河なら内地の親戚が亡くなったから暫く学校を休むと親御さんから連絡があったぞ、アイツ結構文化祭楽しみにしてたのに残念だなぁ」


「そう…ですか、なら…………私も文化祭回る価値は無いかな…」


「ん?なにか言ったか?」


「いいえ?なんとか委員長がクラスを纏めて今日中に設営は終わりそうなので、先生は気にしないで大丈夫ですよ」


「そ、そうか?あ…、出雲…」


「…………まだ、なにか?」


「あ…、いや…、気にしないでくれ、なんでもない」


 出雲芽生は笑顔で担任にクラスの状況を伝え、担任からの分かりやすい好意を感じ、話しを区切り、教室を後にする。


 酷くつまらなそうな顔をしながら、彼女はただ廊下から外の景色を眺める、1年生や2年生の時に見られた少し高い景色ではなく、ほぼ大地に立っているのと変わらない景色、いつも見ている景色と同じだからこそ、何も変わらない故につまらない。


 誰もが想像を越えない学校生活を送り、代わり映えのしない毎日の連続、その考えを払拭した運河公命が居ない文化祭など…、それではもう価値が無い。


 そして運河公命と芽生の文化祭は、終わりを告げる。


 イベントも起こらず、ただのいつも通りの莫大な長さの365分の1として。ただ今しかない365分の1を己が体に邪魔されて失う形で、二人の文化祭は終わりを告げた。




 予期せぬアクシデントで文化祭はツマラナイ幕引きをしたが、夏はまだ始まったばかりであった。たかだか高校最後の文化祭が終わろうと、この夏にはまだ夏休みも、そして他の地域とは何故か時期が違う七夕も、そしてエースで4番として立花巴がチームを率い圧倒的強さで快進撃を続ける、高校野球北北海道大会が始まっていた。


 順調に勝ち進むチームを応援するべく、学校総出での全校応援。前評判通りに進めるのであれば、多くの生徒にとっての貴重な夏休みを応援という名で、兵庫県までの強制連行が待っている訳だが、しかし人間というモノは強制であっても大多数は贔屓が勝っている、友人が活躍している、わかりやすい盛り上がり、例えばそうだ4番のホームランなどでを見れば不思議とテンションが上がるらしく、生徒皆一心不乱に応援を続けている。


 けれどエースの親友の恋人と、4番の幼馴染である、この二人だけが盛り上がれずに、ただ試合を眺めていた。手拍子は合わせても試合を真面目に見ていないのがエースの親友の恋人である芽生で、緊張そして幼馴染の活躍を切望しすぎ、見るのが怖くなっているのが4番の腐れ縁兼、幼馴染である小山伊織だった。


「応援してあげないの?こやりんの幼馴染は今日も人一倍頑張ってるよ?」


「応援はしたいんだけど…、怪我をしたりしないか…、もし何かがあって負けないか…、そうなって巴が悲しむ姿は見たく…ない…かな…」


「そこまで彼の事を想ってるのなら、玉砕覚悟でも突っ込めばいいのに…、あ…打った」


「誰しも芽生ちゃんみたいに、自信を持って生きてる訳じゃないって。それにアイツが負けてる泣いてる姿を小さい頃から何回も見ているから、だから今回もまたそうなるんじゃないかって怖いんだ…」


「その負けの大半はおりんりんに負けた事が悔しかったって、前話していた気もしたけれど…。泣かせた本人なのに、その経験が不安に変わってどうするのさ」


「小さい頃なら、私達の方が成長は早いからね、けど力も身長も体に関する事は何もかも私を越えた筈の中学2年生の頃に、私の所為で怪我させちゃってチームが負けちゃって一人で泣いてる姿を見てから、野球をやってる巴を凝視できなくなっちゃった…」


「なるほどねぇ、まぁ野球なんて一人でやってる訳じゃないんだし、それにこのチームの敗因はきっと彼以外の責任なんだから気楽に見てればいいんだよ、リンリンはサ。それにジャイアントキリングすら起こりえない一方的な試合は見れていたでしょ?」


「負けるかもしれない試合程、あの時の巴の顔が思い浮かんでさ…やっぱ駄目だ、私は応援に来るべきじゃなかった」


「応援はほぼ強制ダヨ、それを言うなら私も公命君が居ないこの時間に価値なんて見いだせないし、文化祭デートの約束もすっぽかされて、おまけに本州からいつまで経っても帰ってこないし、これでついでにディズニー言ってましたとか抜かしてきたら浮気してやる」


「芽生ちゃんに出来るの?傍目から見ても、信じられないくらい公命一筋ラブなのに」


「ははっ、私に浮気が?…できないよぉー、公命君―、だから早く帰ってきてぇー」


 少女達のシリアスな話の裏で、立花巴が率いるチームの試合は佳境を迎える。回は8回裏1点差で勝っている状況、もしもの事を考えるとここは、一点でも多くダメ押しの点が欲しい所、塁は埋まり巡ってきた打順は間違いなくこの大会の主役である立花巴。


 二球見逃して、カウントはボールツー、これ以上点を与えたくない相手投手が四球で押し出しというのは困ると考えた三球目、甘く入ってきたボールを立花巴は決して見逃す事は無かった。


「あ、行ったねこれは、これは現実味を帯びて来たみたいだ、甲子園かぁ凄いね」


「本当に凄いよ巴は…、どんどん私から遠ざかっていく、本当に凄いよ…」


 エースで四番のキャプテンが放った一打により、勢いに乗ったチームは今まで不自然に繋がらなかった打線が繋がり始め、終わってみれば9回の攻防なんて気にする事無くなるほどの攻撃で7点差となり結局は圧勝という結末を迎えるのであった。


「はぁー…、今日も炎天下で疲れた、疲れた…おりんりんは学校にもどって立花君と一緒に帰るの?」


「いや巴は明日の決勝に備えてきっと休みを取りたいだろうから、今日は帰る」


「そうなのじゃあ私も途中まで一緒に帰ろうか…な?」


 出雲芽生がふと時間の確認と半ば諦めつつあったメッセージの返信が無いかを確認しようと、画面を開いた丁度その時ピコンと1件の通知が入る。まだ誰からかは分からないが、可能性として上がるのは親か、大穴で芽生の進学先を知っている中学生の頃の同級生か、しかし彼女はそんな可能性を微塵も考えずに、一目散にアプリを開き確認した、愛しき人からの返信だと、妙な確信を持ちながら。


『本州から帰りました、ちょっと東京と観光とジェットコースターを満喫してたら楽しすぎて、返信をするのを忘れていました。これ写真です、どうぞ。今自宅に帰ります』


 明らかに嘘らしい文章ではあったが、芽生はただ運河公命からの返信が来て、既に自宅への帰路についているという事以外の情報は無駄な情報であったらしい。


「ごめん、りりんりん。公命君が今から帰ってくるみたいだから私そっちに顔だしてくるね、なんか東京観光してたらしいから、ちょっと問い詰めてくるー」


「公命帰ってきてたんだ、また中学の頃みたいにこのまま転校するのかと思ったけど、流石に高3ではしないか…、行ってらっしゃーい、巴が会いたがってたって伝えておいて―」


「ん?今はいいや、今度その話教えてねー公命君の転校の話―」


「りょーかーい」


 恋は盲目という言葉があるが、実にその通りで本来なら感じる筈のそのメッセージと掲載された写真を見ても、芽生は何一つ違和感を覚えていなかった。


 気づけなくても何一つ問題は無いが、けれど気づけなかったという事は恐らく運河公命の術中に嵌ったという事なのだろう。


 真夏であるからこそ夕方を名乗るには、まだ時間が早すぎる、まだ太陽は上を向いている。しかしそれでも着々と西日から夜へ向かう準備は始まっている。まるで誰かの人生の様に、それが誰かを示してるなんて事は芽生が知る訳が無いのだが。


 球場から自転車を漕いで、以前公命が風邪を引いた際小山伊織に案内された道順通りに、道を行く。『東京を満喫しやがって』『ジェットコースターって富士急かな?』『返信が無くて私がどれだけ心配したか』そんな言葉が出雲芽生の脳裏に過るが、言いたい事はそんな事じゃない、彼女が心から思っている事はただ一つ、公命という大好きな彼に抱き着きながらこう言いたいのだ、80年分の1の中で最高の時間である今が帰ってきたのだから。


「おーい、公命君」


「あ、出雲さん、返信できなくてごめっ…うごっ…」


「いいの、いいんだよ、おかえりなさい!公命君…寂しかったぁー」


「母さん、この子は?公命に伊織ちゃん以外の女友達が居たのなら教えてくれても」


「彼女よ公命の、アナタはいつも夜帰ってくるから知らないのも無理ないけど」


「えぇー、なんでそんな大事な事を教えてくれなかったんだよぉー、えーっとお嬢さんお名前は?」


 大袈裟に、驚いて見せるのはあの日、公命と一緒に医師の話を聞いていた一人、運河公命の父である。そして芽生はそんな公命の家族の前でも抱き着き少し寄りかかる、傍目から見ればただのバカップルだが、彼女にとってそれは蔑称ではなく敬称なのだろう。


「あ、出雲芽生と申します、公命君とは節度のあるお付き合いをさせてもらってます」


「何も言わないと一日中ひっつき虫になる奴が言うセリフ?節度あるお付き合いって」


「いいでしょー、それ位私は君の事が好きなんだからぁー、1週間も私を放っておいて、一人で観光してー、肉も肥え?てないね、どっちかというと少し痩せた?」


「そりゃそこそこ親交のあった親戚の葬式なんだから、食事も喉を通らなかったよ、少しでも気分を紛らわせる為の気分転換で色々連れて行ってもらっただけー。ネット速報で見たけど巴が勝ったから明日の試合も全校応援でしょ?休ませてくれーい」


「えぇー、私のこの心の空洞はどうやって埋めるのぉー、元はと言えば君が返信をくれないからこうなってるのにぃさーあ?」


「夏休みは出来る限りデートに応じるし、夏祭りは行く気無かったけど文化祭の埋め合わせとして一緒に行くから、勘弁してくれーもう今日は疲れてるよぉー」


 子供の様に駄々をこねる出雲芽生だが、その彼女の行為は駄々ではなくどちらかと言えば遊びであった、いつもであれば公命は突き放すか、何かと言いつつもで応じるかであったが、その彼が今日は代替まで用意しているという事が、どういう事かを理解出来ない程、出雲芽生という女は浅はかではない。


「伊織ちゃん、ごめんなさいね本当に公命疲れていて、ちょっと今日は遠慮してくれない?」


「軽い冗談みたいなモノで本当に遊ぼうとは思ってないので…、こちらこそ駄々っ子みたいな事して、ごめんなさい。いつもこういうノリで話ては居るんですけど、返答を見るに疲れているのも事実みたいなので今日は帰りますね、実は私も父の夕食作っておかないといけないので…」


「あら、そうなの?……っと、忘れるところだったわ、これご家族と食べて東京のお土産なんだけど…、ご飯の足しにはならない物でごめんなさいね?」


 思いのほか豪勢な、東京ないし東京周辺地域のお見上げと言えばこれ、という詰め合わせを出雲芽生は公命の母から受け取る、しかし問題はどうやって持って帰るかなのだが…、私が彼女の立場であるのなら少し減らしてもらい持ち帰ろうとするのだが…。


「こ、こんなに…ありがとうございます…、あぁーでも私の自転車かご付いてないので…、どうやって持って帰ったら」


「そういう事ならアナタ、車出してあげてウチの車なら自転車も積めるでしょ」


「そういう話になると思って、もう準備しといたよ。ささ伊織ちゃん構わず荷物載せちゃって」


「なにからなにまで…本当にありがとうございます。…それじゃあ公命君また明日ね、もう明日が終われば夏休み本番だからね」


「へいへい、じゃあ気を付けて。つっても気を付けるのは父さんだけど…また明日。…………それと夏休みのデートは、今度は約束として守るから、うん…約束だ」


「…………うんっ!また明日。明日は球場まで一緒に行こっ!ばいばーい」


 運河公命が差し伸べた小指に、芽生は小指を絡ませ満面の笑みを返す。


 芽生は手を振りながら、公命父が運転する助手席に乗り込んだ。そして公命父は思春期真っ盛りの中学生の様な純粋さで、後ろに手を振り、何時までも運河公命を見ていたい芽生の事など考えもせずに、我が子を想う為か単純な疑問として彼女に質問を投げかけた。


「伊織ちゃんに聞きたいんだけど、伊織ちゃんは公命のどこに惚れたんだい?父である俺が言うのもなんだけど、アイツは運動もさっぱりで、頭は俺に似て少しは良いけど…君みたいな活発な子とは、親心ながらにだけど相性は良くないと思っていたんだ」


 一週間離れ離れだった運河公命との時間を埋める為にか、一瞬でも長く運河公命を見つめる芽生を邪魔するように、公命父は話題を振った。


「そうですね、実際相性は良くないのかもしれません。まぁ顔は普通に好みだったって言うのもあります……、けど……」


「けど…?」


「一番の理由は、私の予想を裏切ってくれたから…ですかね?変な理由ですけど」


「答え辛かったら言わなくてもいいんだけど、予想を裏切るってどんな風にかな?」


「うーん、ちょっと私自身人としてどうかと思いますけど、甘美なひと時の誘惑と、長期的に自分だけが得をするであろう誘い、この二者択一を迫ったのに、第三者の選択をしてくれた事ですかね」


 恐らくこの次元に置いて一番見識を持っている傍観者たる私が断言してもいい、芽生という顔で、芽生が持つ見せかけの性格で、そして芽生が全能性で、あの誘惑をされて運河公命と同じ答えを持つ人間は、運河公命と同じ境遇の人間であっても彼以外に存在しえないだろうと、私ですらそう思わせた。故に彼女にとってあれは当然、予想外に相応しかった。


「因みに公命は君の誘惑を振り払って、どんな選択をしたんだい?」


「それはですね…、多分お父さんもビックリなされると思いますよ」


 『自分の高校生活が良きモノになる様に協力して欲しい』してくれではなく、して欲しい。それが運河公命という終わりに向かう人間が、恐らく彼が見てきた世界で最も全能たる芽生望んだ、たった一つの願いであった。


 彼が辿る結末を知るものは今の所、運河公命とその家族以外は存在しない。けれど運河公命を一番長く見てきた、彼の諦めを知っている家族にとっては…。


「そうか…、なら公命をよろしく頼むよ、多分それが今の公命の唯一の夢だろうからさ、その願いを叶えられる力があるのなら、叶えてやって欲しい……大人がこういう事を子供に頼むのは、ちょっと変かな?」


「いえ、そんな事は無いと思います、同年代の方が分かり合える事も多いからこそ、その考えも間違いではないと思います……。けれど…今なんかちょっと?」


 結末を知る当事者以外の彼らが願える事は、それが運河公命の生き様というのなら、せめて最後の最後まで運河公命として生きて欲しい、ただそれだけなのだろう。


 だからこそ、今の言葉に芽生は疑問を持つ、だけれど考えが回らない、頭が上手く働いてないという違和感、その違和感すらも何故か芽生の頭から抜け落ちる。


「どうかしたかい?あ、そうだ、学校の公命とかってどうなのかな?公命は家で学校の事を話したがらないからさ、良ければ教えてくれないかな?」


「あぁー、それならそうですね、例えば公命君の授業態度は………」


 抱いた違和感など、その公命父の疑問で1、2のポカンで頭から抜け落ちた。恋の効果は


盲目だけでなく、IQ低下の効果もあるらしい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る