観測記録の破片1 これまでの人と、これからの人(2)
始業式が終わり、1時間だけ取られたLHRでクラスメイトとの親交の第一歩にならんとする為の時間が開かれる。勿論公命は今朝会った出雲芽生を知っているが、出雲芽生は未だ運河公命が同年代で同じクラスと言う事を知らない従って、出雲芽生は。
「出雲芽生です、趣味は私が出来ない事を探す事、特技は私がやれる全ての事です。これから1年という短い付き合いですが仲良くできたらと思っています、よろしくお願いします」
曇りなき眼で、一切の嫌味や皮肉は無しで、己に出来ない事は無いと自称した。それに気をされる人間も居たし、妄言が過ぎると鼻で笑う者も居た、けれど挨拶が終わったらやらなくてはと、誰しもが思う同調圧力により、皆がパチパチと儀式的な拍手を送り、出雲芽生は自身の席に戻る。従って彼女は、その時に自身の席の右前に居る人物に目が行った、まさかとは思いながらも、苗字順ならば呼ばれるのは間違いなく彼だという確信を持ち、席に着く。そして出雲芽生の予想通り右前の彼が立つ。
「運河公命です、趣味は……、応援かな?特技という程人に誇れるモノはないです、これから1年よろしくお願いします」
こちらもパチパチと儀式的な拍手を受けて席に戻り、次の出席番号が呼ばれる。だが出雲芽生は次の人間になど一切目は向かずただ一人を見つめる。そして公命と出雲芽生は、互いに目が合い本当の意味での2時間ぶり、二度目の邂逅を果たした。
小さい声で公命が、出雲芽生に囁くように伝える、丁度次の出席番号の人間は目立ちたがりで派手な登場をしようとしていたので、彼と彼女を見ている者は誰も居ない。
「1年間よろしくね、芽生先輩?」
「こちらこそよろしく…、公命…後輩……」
出雲芽生の落ち度で、運河公命の後出しだ、彼はこれを見越して言わなかった訳ではないが、少なくても友人や、顔なじみが居ないこのクラスで会話を作れる人間を一人確保した事は公命にとって大きな一歩だった。一本取られた出雲芽生は耳を真っ赤にしているだろうか?
チラリと目線をずらして正面を見て見れば、やはりやってしまったと言わんばかりに出雲芽生は俯き、顔を赤くしていた。しかし嬉しさもある様に見える退屈さを忘れさせてくれる人間が現れたと言わんばかりに、真っ赤な耳とは裏腹に、その表情は満面の笑みそのものであった。
時期は少し経ち入学式を終え、そして身体測定や、内科検診もこの年齢だと軽々と皆パスしていき、それこそ彼以外はきっと引っかかる事も…、おや?
「ちょっといいかな?公命君、今日の昼休み食堂で一緒にご飯食べない?…ダメ?」
「いいけど?どうしたの課題でも忘れた?…芽生先輩?」
「それいつまで引っ張るの?もういい加減にして欲しいんだけど…、まぁいいか、じゃあ昼、食堂忘れないでねー」
そう言って立ち去る出雲芽生を廊下の窓に寄りかかりながら公命は見送った。最初の出会いがやはり印象的だっただけに、関りを持ち、そして順当に交流を重ね彼らは友人とも言える関係になっていた。
「おー、おー、公命にもついに春が来たのか?それにしても相手があの鬼才出雲とは」
カッカッカと笑って立花巴は公命の肩を叩く、頑丈ではない公命の体が軋む。イテテと公命は大げさにアピールして見せ、やめてくれないと多分本当に壊れてしまうのが今の彼の体。それにしても出雲芽生が鬼才とはなんとも恐れられいるのだろうか?まぁあの身体能力があれば納得と言えばその通りだが。
確かに異常で、フルスペックを発揮すれば世界を取れる人間、そこら辺の天才と称される人間よりも、遥かに完璧なのが出雲芽生という事は、この時代を見るにあたって絞り込んだ特異点(お気に入り)候補の一人の時点で私は知っている。
「鬼才出雲って何?…芽生先輩になんでそんな物騒な異名あるの?」
「お前この学校に居てなんで出雲の名前知らないんだよ…、鬼才出雲、当たり前の様に全国模試で一位を取るわ、暇つぶしで部活のエースを自信喪失させるぐらいにボコボコにしてどこか行くわで、学校に入ってから作った歴史は数知れず…そして付いた異名が鬼才出雲」
「へぇー、その内どのくらいが本当の事なの?」
公命は興味無さげに、立花巴の語る出雲芽生が信じられずボーっと話を聞く。それもそうだ確かにあの身体能力には私も驚かされたが、まさか出雲芽生が全国模試でも1位そんな絵に書いたような万能天才が居て堪るかと、そう私は思うのだ。
「いや、全部本当の事だけど…、流石に男子部活にも圧倒って事は流石に無いけどさ、実際やべー奴なんだって、どれか一個に絞れば絶対世界行くぞ?きっと」
「今の日本にホイホイ世界取れる人居たら、日本はきっとスポーツ大国にでもなってるよ」
「はぁー…、モノの例えってやつだよ、ノリわりーな…。で、その出雲とどこまでいってるんだ?ん?って出雲先輩ってお前ら同級生だろどうした?」
「どこまでって偶に昼食食べるくらい?…出雲先輩ってのはー、なんて言えばいいんだろ?まぁ今日昼食堂で待ち合わせしてるし、丁度いいから巴の事も紹介するよ」
「マジで?サンキュー!出雲ってなんか女子とは仲良くしてる所見るけど、男子と一緒に居るって殆ど見た事ないし、近づくなオーラも発してるから近寄り難かったんだー」
「出雲先輩が?そんな事無いと思うけど…まぁ印象なんてモノは人によるか」
あの日の朝見せた爽やかで明るい表所をした姿は確かに、学校では未だに見た事はない。学友らしき女生徒と談笑する姿を見かける事はあっても、あの日の様なテンションが弾け飛び、出雲芽生らしくない気さくな先輩風を吹かせる彼女の姿は無い。その理由を私は知る気も無いのだが、きっと公命が出雲芽生と交友を深めて行けば聞き出せるのだろう。彼のタイムリミットに間に合うかは私にも分からないが。
授業間の休み時間を終えて立花巴と別れ、今一度教室に公命は戻る。もう暫く授業を頑張れば昼休み、さて一体立花巴と出雲芽生の引き合いを勝手に決めた運河公命の行く先はいかに…、まぁ恐らくいい顔はされない事は確かだろう。
「あ、公命君ここ、こ……」
初対面時に見せた様な表情、声色で出雲芽生が公命を手招きしている、かと思えばその隣に居た立花巴の姿を確認し、すぐさまクラスで見ている様な普段通りの出雲芽生に戻る。
「約束通りに来てくれたね、食事も買っているみたいだし話してもいいかな?」
「おい。公命コイツは同一人物か?一瞬で入れ替わったとかじゃないよな?」
「流石にそれは無いと思うけど…、まぁいいや、改めてこっちは俺の友人の立花巴、芽生先輩に興味があるって話したから友人紹介兼話し相手の補充だったんだけど?邪魔だった?」
「いや?邪魔なんかじゃないよ、ただ事前に話は入れて欲しかったけど…」
「あ、なんか気難しい話をする感じ?俺退けようか?」
「別にいいよ、大した話じゃないだろうし、堅苦しく言っているだけでいつも通りの世間話でしょ?ね?芽生先輩」
「そうだね、今日はちゃんとした話だったから態々確認まで取って約束したんだけれどね」
「……………ん、ごめん巴また今度で」
「あ、ああ…大丈夫、大丈夫邪魔したな、んじゃ」
僅かな沈黙と出雲芽生が発する圧、それに耐えきれず冷や汗を流した公命が、立花巴を遠くに追いやる。彼に悪気はなく、ただ出雲芽生に自分の友人を紹介し、仲良くなって欲しいという善意ではあったのだが、態々前もって公命にアポイントを取った出雲芽生と違い。運河公命は若干デリカシーに欠けていた。
「あー、それで何の用ですかね芽生先輩?あそこまで露骨な態度ださなくても…」
「普段は取らない確認を取った私の行動を見て、今日は二人で話がしたかったという事を感づいていると思っていた、私のミスだから公命君は気にしないでいいよ」
「あー、はい、なんかすいませんでした…」
はっきりと伝えていないのだから、別に公命は悪くないし、確認を取るという行為のみで相手が理解したという気持ちを抱いた出雲芽生のミスだが、出雲芽生には公命が何故それを察してくれないのかという感想と、もう一つ複雑な感情が入り乱れていた。
「うん…まぁいいや、私の読み違いだね、きっと…、今はそうして置くしかない。それで話なんだけど、ご飯食べながらでいい?」
「あっ、はい、大丈夫でふ」
反省しているんだが反省していないんだか、既にサンドイッチの封を開け口に咥えた状態で公命は返事をする。それを分かっていたかの様に出雲芽生もまた食堂で出されたオムライスにスプーンを入れる。
「いきなりで悪いんだけどさ、私の恋人になってくれない?」
「ふぁふぃにふぃいふぇど…………、ん?」
「それは良かった、安心してかこのオムライスが更に美味しく感じる、うん気分が良いね」
彼は口に含んだ固形物をよく噛まずに飲み込んだ。とんでもない事をいきなり口にしたのは出雲芽生、それを何も考えずに返答した運河公命…、いきなり急展開一先ず公命の、脳内キャパシティはオーバーヒートの爆発一歩手前、ストーリーの進捗はまた後日。
『私の恋人になってくれない?』出雲芽生が発した一言を午後の授業中、そして帰宅後、夕食中、入浴そして就寝まで運河公命は考え込む、考え込んだ彼が行きついた先は。
「ブエックシュン…、風邪ひいた…」
鼻水を垂らしながら、鼻にティッシュを詰め込み、公命は布団に包まる。風呂上り、まだ寒いというのに薄着で家中を闊歩しているのが悪い、馬鹿は風邪を引かないという言葉が存在する。
けれど馬鹿も風邪は引く、なぜなら馬鹿だから、ならば馬鹿は風邪を引かないとはどういう意味か、それは馬鹿故に風邪だと気づかないのだ、中途半端に学がある分風邪と気づき、カタツムリの様に丸まった、これが今朝の運河公命の姿である。
「公命―?今日学校はー?」
「休むー、風邪ひいたぁ、怠いから母さんか父さんが電話してー」
「自分で電話しなさい、私もお父さんも今日は仕事、私は昼で帰ってくるから自分で電話しないさい、そもそも昨日リビングでズボン1枚でボーっとしてた公命が悪いのよ」
「うぐっ、それはそうだけど、こっちにも悩みはあるんだっつーの!行ってらっしゃい!」
「あぁ…行ってきます、お昼の分はこうなる事を見越して作り置きしておいたから勝手に食べなよ」
「あーい……、ったく人の気も知らないで…、この歳まで色恋を知らない人間がいきなり告白されたら、誰だってああなるっつーの」
「あ、そうだ、もしかして昨日悩んでたのってもしかして好きな子が誰かに取られちゃったとか?」
「うるせー、そんなんじゃねーっての、出てけ!」
「言われなくても仕事に行くよ、あばよ!」
仲睦まじい親子のやり取りを終え、彼は携帯電話を手に取り学校へ連絡する、喧騒によって起き上がらせた体をベッドに投げ捨てる、無理にはしゃいだ所為か、それとも元々の体の虚弱さ故か、その答えを公命は決して答えない。
「はしゃぎ過ぎた…、ちょっと寝る……すぅ……」
ただ彼はそう言い聞かせ、運河公命の熱を持った体は深い夢という名の泉に落ちてゆく。
結末には関りないし、私が覗き見ている訳でもない、夢に落ちた運河公命の記録だ。
ヒトというモノは誰しも将来の夢を見るだろう。この世界であれば、宇宙飛行士、医者、航空パイロット、大統領に社長、何らかのプロ選手に漫画家、小説家、画家。果ては公務員、パティシエ、自宅警備員と人の数だけ無限に職があるとは言えないが多種多様な夢がある筈だ。運河公命もまた夢を持つ少年だった、年相応の可愛げのある夢、父親の様な大学の教授あるいは先生、人に何か教える立場に立ちたいという夢があった。
その夢が崩れたのは彼が小学生の頃、始まりは体の違和感ただそれだけだった。
違和感だけだったはずの彼の体はじっくりと時間をかけて、痛みや見た目の変化に繋がり始め、その時ようやく運河公命という人間が気づかないフリをしても、家族であれば公命の体が何かに蝕まれているという事を、理解するのにそう時間はかからなかった。
「痛みは前からありました、体重が減ってきたのも結構前からです」
冷静に彼自身に起きた事を医師に説明し、様々な検査を持って原因究明にあたった。原因が分からないなんて事はなく、結果はすぐさま判明した。
学校には両親の長期出張の為という苦し紛れの言い訳で公命は転校をし、彼は自身の療養に時間を当てた、皆の所へまた戻ると心にそう誓いながら彼は体の異常を克服した。
これが運河公命の身に起きた最初の苦しみ。それを私は記憶という名の夢を媒介にして彼の身に起きている一部を知った。
ただ一つ言える事があるとするのなれば、癌という病気は再発する可能性は比較的高い部類の病気だ、5年間は定期的に検査をという話もある、けれど公命は7年も持ったというべきか、そもそも再発なんてしない事が一番なのだが…。
ただ言える事があるとするのならば、これは過去に過ぎず現在進行形で起こっている問題の原因、その可能性の一つと言う事だけだ。なぜならば運河公命は残り少ない命と言われているがまだ生きているそれが何よりの証拠だ。けれど公命にとってこの夢は悪夢に他ならなかったみたいだ。
「ッ…、熱ぃー、汗でビチャビチャになって気持ちわりー…今何時だ?」
公命が眠りについた時、布団に突っ伏す様に眠っていた筈だが寒かったのか、いつの間にか彼は無意識下で布団に包まっていた。
「4時半?8時間も寝てたのか俺?てか母さんなんで帰ってきたら起こしてくれないんだ」
公命は自身の母親に文句を言いながらも、汗で濡れた寝間着を脱ぎ捨て動きやすいTシャツに着替える。体は痩せ細り、腕も骨だけとは言わない、押せば折れそうという見ていて不安になる体付きに変わりは無い。…下も履き替えるのであれば私は、目反らし、目反らし。
ほぉー、へぇー、最低限の体力をつける為に歩いているだけあってそれなりには…おっと。
「なんか悪寒が…、体のだるさも無いし熱は下がったと思うんだけど…」
グーギュルルルと公命のお腹の音が鳴る、朝昼と何も口にしていない当然と言えば当然だ。ほれ一回に君の母親が作り置きしていた昼ご飯が残っているよ、食べに行きなさい?
「腹減ったぁー、母さん帰ってきてるんでしょ?メシ!」
ふぅー、危なかった、覗いているのがバレる所だったぁ、バレる心配はないがなんとなく私は安堵する。それと同時に階段を降りてリビングに向かう公命に視線を戻す、おや?この先には公命が予想していない人物の一人が?
「母さん!メシは?」
ドンっと扉を力強く開いた先には見知った顔が二人程、一人は小学生から馴染深い小山伊織の姿、そしてもう一人は今日公命が風邪を引く原因となった、出雲芽生が公命と視線が合うなりニコっと微笑みかけたと同時に、公命は扉を勢い良く閉めた。
「あいよー、今から温めるからちょいとお待ちー…よ?どこ行った?息子…」
「今来たんですけど、勢い良く扉閉めてどっか行っちゃいましたね…」
「ほら、やっぱり大した事じゃなかったんだって、んじゃ私帰るねー。そもそもなんで私が巴の変わりに公命の見舞いをしないといけないんだか…、全くもう…」
「あら伊織ちゃんもう帰るの?ちょっと待って、これつまらない物だけど、よかったら食べて今日職場で貰ちゃったドーナツ、うちは余り甘いの好きじゃないから」
「わーい、おばさんありがとー、いやーやっぱり友達が風邪を引いたらちゃんと様子見に来るのが友人ってやつですよねー!」
「うわぁー…、あんなに来るときに愚痴を漏らしていた人とは思えないねー小山さん?」
「いいの、ってかそれより今日の話、本当に皆に話していいの?」
「大丈夫だって、きっと私の目論見通りに事は進むだろうし…ね?」
「あ、伊織ちゃん確か巴君の好きなドーナツも入ってるからお裾分けしてあげて…ね?」
「うへぇー、はーい。じゃお邪魔しましたー」
ドタンバタンと公命が二階に駆け上がる音と同時に、先ほどまではここまで煩くなかったはずのリビングは、彼の無事が確認されると嵐の様な会話の暴風が飛び交い、そして小山伊織の退場でまたリビングには静寂が訪れる。
「あー、公命君のお母さん、公命君のお部屋にお邪魔してもいいですか?」
「いいわよー、ついでプリントとかも片付ける様に芽生ちゃんからも言ってやって」
「はーい、言っておきまーす」
何故か一日でここまで運河公命の母と仲良くなった出雲芽生は、一体何を話したのだろうか?凡その想像は付くが、まぁしかしそれで迷惑被るのは公命ただ一人と言う事というのが目に見えている。個人を観測せず、ただの傍観者としての役割通りその世界を俯瞰するだけでも導き出せてしまう悲しい結論だった。
ゆっくりと階段を出雲芽生は上る、部屋の位置は公命の母から聞いている為、後はノックしてどういう返答が返ってくるかの問題だろう。公命が幾ら立て籠もりを決意しても、それが無駄な足掻きと言う事を、出雲芽生が既に母親と仲良くなっているという現実を未だ公命は知る事は無い、数秒後に知るのは間違いないのだろうが…。
「入ってもいい、まぁ断っても入るけれど、一応確認を」
出雲芽生はコンコンとノックし、返答を聞かずにドアノブに手を掛ける。出雲芽生は運河公命の返答に期待をしていないのだろう、誰だって自室は秘密の園で、見られたくない筈だ、それは出雲芽生も理解している、がしかし個人宅にあるモノなどたかが知れているというのが出雲芽生の考えだった。
故に、豪快に、そして100%の悪意を込めて出雲芽生は、公命の部屋を一切の負い目すら感じずに、その先に秘宝があると信じる曇りなき眼で扉を叩き開く。
「あーい、いいよー少し散らかって入るけどね」
だから運河公命の返答は、出雲芽生の予想とは違う言葉だったことは語るまでも無い。
「意外だ、公命君が急いで二階に戻ったのはエッチな本とかを隠す為だと思っていたんだけど、そうじゃなかったみたいだね」
「残念だけど、期待するような物は無いよ。それにこのご時世ネットっていう便利な物があるんだから態々現物を持つ必要はないでしょ?片付けたかったのは事実だけど…」
確かに、そこら中に置いてあったもしもの為の医療器具や薬が見事に隠されている、これをあの短時間で隠すとは中々やるじゃないかと言いたい所だが、要は隠し慣れているだけなのだろう。それと、流石に息が上がっている事が気になる、出雲芽生は気にしていないが、まぁその原因は骨と皮しかない体の形が浮き出ない様に、ダボダボな服に着替えていた事がその理由か…。
「へー、……っという事は……、ほーん…ほん、ほー…、公命君ってこう言うのが好みなんだぁ…。きゃーぁ、だーいーたーんー」
「勝手に人のパソコンを開いてファイルを漁るのは、流石に止めて欲しいんだけども…」
出雲芽生は話を聞きながら、パソコンの四桁のパスコードをいとも簡単に推理し、開きそして中に何があるのかを覗き見る。よくそれで公命にデリカシーを問える人間のする事かと問いたい所だが、けれど出雲芽生あの時も確かに自分のミスと言い張った。
出雲芽生という人間にとって、誰かが行なう行為は全て予想通り、だからこそその予想を逸脱した行為は自分の計算違いとでも言うのだろう、それであれば正しく鬼才だ。
「いいじゃーん、減るもんじゃないよー?きっとさぁ…どうせ恋人になってくれるって了承してくれたんだし、彼女としては彼氏の好みを知りたがる行為なんて可愛いものじゃない?浮気を疑っている訳じゃないんだから」
「その話本当に本気なの?いやまぁ、あの時も大層真面目な顔でお願いはしていたけど、結局は質の悪い冗談で終わらせるものかと思ってた」
「まー、それで終わらせてもいいんだけど、面倒くさい事はこれ以上増やしたくないのも本音な訳なんだよねー。そこで現れた素の私を知っているただ一人の同級生!そして私の実力を聞いても大して何も思わない同級生!これを逃す程、私も馬鹿じゃないよ」
「面倒事って?例えば?」
「恋人になってくれって言われた時に断る大義名分…私って完璧超人の美人だし?あとは私と気兼ねなく接してくれる良き友人。性格はまだよく知らないから確実な事は言えないけれども…、それに私は公命君の顔嫌いじゃないしね」
「それ、俺に面倒事を擦り付けてるって言わない?今の所俺にとって芽生先輩の印象は嫌な奴になってるけど大丈夫?ていうか出雲先輩は確かに顔はいいけれど、胸のソレもパッ………………ヒュェッ………」
「何か言いたい事あったかなー?こーめーくーん?人が気にして隠している事を推察で、当てる事を、悪く言うつもりはないけれど、それも恋人になるような関係でもなかったらセクハラになる発言には気をつけようねー?ていうかどうしてそれをシッテルノカナ?」
空を斬り裂くような速さで、音を置き去りにした右手のジャブが公命の頬を横切った。正確には、公命はそれを認識する事はできなかったし、ファイティングポーズを取った出雲芽生の姿と自分の頬に流れた風を感じ取ったからこそ、そういう状況であったと理解出来ただけなのだが。
「ア…ナンカ姉と同じ雰囲気ガアッタ…カラ……、ハイ…ゴメンナサイ…」
「公命君のお姉さんと私が同じ雰囲気?胸の?……まぁそれは置いといて、それなら大丈夫だよ、何故なら公命君にも決して悪い取引じゃないからねー」
出雲芽生は運河公命に近づいて彼をベッドに突き倒し両手で逃げ道を塞ぐ、これは確か壁ドン?という恋愛テクニックの一つだった気がすると、私はこの世界の辞書に検索をかける、沢山の意味のない言葉の羅列が頭に入ってきて私が壊れそうになる、人はここまで価値の無い言葉を作れるのかと言いたくなる言葉の羅列だ。
床ドン、あるいは股ドン?似たような行為なのに別な名前で呼ばれている、なんでもかんでも、ドンドンドンつけている、どんどんついている、どんだけに…、今のは無かった事にしよう…、私の発言は削除っと…。
「君の願いをなんでも叶えてあげる、私出来る事なら何でも言ってくれ?お金が欲しい?地位が欲しい?名誉が欲しい?それとも先ほどのパソコンの中身の様に私があーんな格好をして君を満たしてあげようか?」
出雲芽生はそう運河公命の耳元で囁く。出雲芽生の言っている事が、私を以てしても理解出来ない、彼女は今正しく「私の恋人になってくれたら、私の全てを使って君に応える」とそう言っている。一七歳の高校生が今行った全てを実行出来るとは思えない、だがその甘露の様な魅惑の囁きは、齢一七歳の青少年をその気にさせるには十分過ぎる言葉だった。
「なんでもいいの?本当に?」
ゴクンと運河公命は文字通りに固唾を呑む、この歳ほどの青少年であれば何を望むか等、出雲芽生は分かっている様にブラウスのボタンを一つ外し、公命の瞳を覗く。
「あぁ、君が望むなら私は、一年契約なんか辞めて、一生君の奴隷にだってなってあげるさ、さぁどうする?」
真っすぐ公命の瞳を出雲芽生が覗き込む様に、公命もまた出雲芽生の瞳をジッと見つめている、二人の情欲に塗れた一部始終を見る場合は、私は少し席を外した方がいいのかもしれない。私は両手で顔を覆い、チラリと隙間から覗く事を選択した…、ミテナイヨ…。
「なら…、俺の高校最後の1年間を最高なモノになる様に協力してよ、その協力をしてくれるのなら芽生先輩の恋人役を演じてもいい、それでどう?」
けれど、これからを考える人間なら誰でも選ぶであろう、当たり前に選択しそうな選択肢なんてモノは、公命にはそもそも無かった。
「へっ?そんな事でいいの?私は公命君が望む通りの人間に本当になってあげられるのに、本当にそんな事でいいの?」
「まー、どれも魅力的な誘いではあったけど、別にそこまで性欲ある訳でも無いし…、なんか下手に言われた通りのモノを選択すると破滅しそうというか、何というか…」
ハッハッハ…、運河公命…、君がそういう奴だったと私は忘れていた。思わず地位も名誉も神に近い傍観者という立場すら投げ捨てて一人で大笑いしてしまう。出雲芽生のポカンとした顔も傑作だが、運河公命という人間の人生最後の一年という覚悟は、君の魅惑でも揺るがないらしい。
「ぷっ…あははははは、はーっはは、あー…面白い!公命君は本当に面白い!悉く私の予想を裏切ってくれる、本当に今年君に出会えてよかったよ」
「そこまで笑う程の願いかな?結構いい願いだと自分でも思うし、それにわかってる?俺は芽生先輩を一年間束縛するつもりなんだけど…」
「あー、ぜんぜん?問題ないよー、笑い過ぎて涙で出てきた…。あー面白い」
出雲芽生の笑い声が公命の部屋に響き渡る、本当に彼女にとっては予想外の返答だったことなのだろう。普通の青少年の心理を読んでそういう方向性にし、雰囲気まで出したのにも関わらず、彼女の予想の範疇なんてモノは簡単に超えていたという事だ。私とは別の意味で面白いという事か…。
「あー、公命君、君ってファーストキスはもうした?してなかったら拘りはあるー?」
「キスなんてうーん…、赤ん坊の時とかの家族以外とは無いと思うけど?でも拘りも無いよ、誰としようが何回目だろうが、その時の雰囲気が大事でしょ?ああいうのって…、それこそそういう芽生先輩が言っていた行為だって本当は売り物ではない…んんっ⁉」
笑い声と説教じみた声が響く部屋から一瞬の静寂の時が訪れる。こういう事は余り傍観者としては注視する事ではないのだろうが、あまりに唐突過ぎて席を外す時間が無かった。
「ぷはっ…、運河公命君。間違いなく、この世界に居るかどうか知らない神に誓う、君が私の初恋だ!私のファーストキス貰ってくれる?」
「そういう事はする前に言って欲しいんだよね?芽生先輩…」
「いやだった?私って結構モテるし、身だしなみにも気を遣っているから嬉しいと思ったんだけど、私の予想を悉く超える公命君にはそうでもないのかな?」
「いや…、まぁされる事に悪い気はしないんだけど…うーんなんだかなぁ、芽生先輩は確かに顔は良いと思うし、体つきもスレンダーでいいと思うけど…、芽生先輩だから?」
「なんだいそれ?まぁいいさ、叶う叶わない、嘘か誠か別にして公命君が私にとっての初恋の人と言うのは変わらないんだし、私にとっては減るもじゃないしぃ?それといい加減その芽生先輩っていうの止めにしない?明日から私達はカップルだよ?芽生ちゃーんとかメイメイーとかそういうのにしない?」
「えー、名前呼びとかあだ名はちょっとまだ抵抗あるなぁー出雲さんでいい?」
「えー、それなら妥協してさ、ダーリンとハニーの方が私は納得できるよ」
「いやそれは俺が納得できないよ…」
「えぇえええー、そんなぁー、折角恋人同士なのにぃー?」
そんな馬鹿な喧騒を得て時は経ち、夕方は過ぎて次第に空が変わり始める、出雲芽生と運河公命の新たな関係性の誕生を示す様な茜色の景色から、二人の心の内にある星一つ真っ黒な見えない深淵へ。
だがしかし彼ら二人の心の中身が深淵であろうとも、空は必ず朝になり雲一つない青空へと変わるのだ。誰にも明かす気のない二人がついている真っ赤な嘘と、誰しもが抱く絶望が人より少し重い、深淵の様な心象もさて置いて、それらが行きつく先は青天白日のきっと穏やかな昼になるのだろう、さてどうやってそうなるのか…、それを見る為に私は傍観を続けよう。
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