地球から目薬

突然だが、俺の友人の話をしよう。そいつと俺は、幼稚園に通っていた頃からの腐れ縁だ。運動神経が良く外見も整っていて頭も悪くないのだが、とにかく変わった奴だった。おかしな所を列挙していけばきりがないほどだが、中でも或るものへの執着が異常なのだ。

 眼球を愛しちゃってるのである。とにかく目ん玉が好きなのだ。

 恋人を選ぶ基準は目。瞳さえ美しければそれ以外の部分がどんなに醜悪であっても気にしなかった。リアルに君の瞳に乾杯した回数を数えるのに両手の指だけでは足りない。

眼球を模ったインテリアで部屋を装飾し、壁、窓、天井には目玉が描かれたグロテスクな絵を散りばめ、目玉柄の服を着る。好きな妖怪は百目、好きな卵料理は目玉焼き、鮪は目玉を煮つけにして食べる。等々、目玉好きエピソードを語るには枚挙に遑がないほどである。

 詰る所、目玉に目がないのだ。生粋の目玉ニア《めだまニア》なのである。

 俺達が高校生だった頃の話だ。そいつは朝起きてすぐに顔を洗った。そして、鏡で自分の顔を見、次の瞬間には自分の瞳に恋をしていた。そいつは十数年の間無自覚でいられた、自分の瞳が湛える静謐なる美に心を奪われてしまったのだ。黒目の奥に潜んでいた美しさという名の小宇宙に心を吸い込まれた彼は、少しずつ狂気へと駆られていく(ネタバレ)。とまあ、幾分か過剰なレトリックで表現したがとにかくそいつは自分の瞳に恋しちゃったのである。

 それからのそいつはとにかくきもかった。毎朝毎朝学校で顔を突き合わせる度に「今日も俺の瞳は美しいか?」と俺に問うのだ。ギリシアの偉大なる先人ナルキッソスも吃驚のナルシストっぷりで、自分と自分との間で無限ループ両想いの永久機関を形成して、頭の中がお花畑と麦畑の二毛作だった。クリスマスとイースターと土用の丑の日と節分と残りの日が全部いっぺんにやって来たかのように、騒々しくて鬱陶しい奴へと転生を果たしちまった(元からそうだったかもしれない)。どうせならそのまま異世界にでも行ってくれりゃあ良かったのに。事ある毎に鞄から手鏡を取り出しては、自分の瞳を見つめて嘆息を漏らし、ちょっと良い目薬を滴下する。繰り返し繰り返し、飽きることなく何回でも。完全に目薬の用量用法を守ってなかった。

 そんな日々を繰り返していくうちに、そいつに恋心とお花と麦以外の感情が芽生えた。

自分の目がたまらなく欲しくなってしまったのである。自分の目で自分の目を見たくなっちゃったのだ。この小さな衝動は急斜面を転がる雪玉のように膨らんでいき、ある時何の前触れもなく、弾けた。

 そいつは自分で事にしたのである。

 授業中に突然立ち上がったかと思うと、眼窩へと指をグイグイと食い込ませていく。傷口から鮮血が溢れ出すのも構わずに、指先を奥へ奥へと侵入させていく、させていく、させていく! そして眼球の裏側まで回り込ませると、何の躊躇いもなく、一気に引き抜いた。眼球に追随してと視神経やら血管やらが引きずり出され、と気味の悪い音を立てながら千切れていく。教室のあちこちから女生徒の悲鳴が上がる。衝撃的な光景に嘔吐する生徒もいれば血を見て気を失う生徒もいた。当の本人も気絶していた。

 絶対に命が助かることはないだろうと誰もが確信していたが、神様は何を間違えやがったのかそいつを生きて返した。「奇跡だ」と、医者と看護師と清掃のおばちゃんが口々に語り、薬剤師は目薬の正しい用量用法について説明した。

 そいつがいよいよ退院するという日に俺は病院まで迎えに行った。

 病院から出て来たそいつの左目はガラス製の義眼に変わっていた。

「大目玉食らっちまったな。これでもう懲りたろ。もう眼球を愛することはやめろ」俺はそう言ってやった。

 するとそいつはこう返してきた。

「いやいや、むしろ逆だ。目への愛が深まったよ。Eyeだけにね」

 おあとがよろしいようで。


      *


 朝。俺が出社すると事務所はなんだか魚臭かった。臭いの根源を探すと俺のデスクの上に、そいつは置かれていた。直に。

「おい、何なんだこいつは」俺は声を荒げた。

俺の問いに答えたのはこの会社の社長兼俺の古い友人兼目玉ニアの男だった。名をジョージという。その左目は眼帯で隠されていた。

「何だとは何だ、失礼な奴め。紹介しよう! こいつは俺の新しい恋人のキャシーだ」

 俺はデスクに乗っかっているそいつをまじまじと見つめた。色々な角度からよく観察した。隅々まで舐め回すように見た。ついでに舐めた。これは鯵だ!

「晩飯の間違いじゃないのか?」

「おい、何を言っているんだ、よく見ろ! 綺麗な目をしている!」

 そう言われて、再び視線を鯵に向けた。死んだ魚のような目をしていた。

「死んだ魚みたいな目をしてるな」

「パッチリお目目だろ?」

 そう言われて、俺は再度鯵に目を向けた。死魚は目を完全に見開いている。

「パッチリだな」


「おい、悠実夏!」ジョージは声を張り上げた。

すると、奥の部屋から「はーーーい!」という返事と共に悠実夏が飛びだしてきた。

悠実夏はこの会社の事務員である。超ドジっ娘で、天然で、そして恐ろしく仕事が出来ない。だが、ジョージがえらく気に入り雇い続けている。気に入った理由は、彼女の目である。彼女の目は右目がグレー、左目がブラウンのオッドアイで、採用面接の時にジョージが一目惚れしたのだった。

「いいか、悠実夏。落ち着いて聞けよ。今からお前はキャッシーだ。いいな?」そう言って、悠実夏の手に鯵を握らせる。

「はい! 分かりました! 頑張ります!」

「よし、いくぞ!」


「やあ、キャシー! 今日はいい天気だね」

ジョージは悠実夏の手に握られた鯵に話しかける。

「ハァイ、ジョージ! そうね、いい天気過ぎて鱗が乾いてしまうわ! こんな日はエーゲ海をのんびり泳ぎたいわね」悠実夏が裏声を使ってキャシーを演じている。

 俺は何の寸劇を見せられているんだ? あと今日は朝から雨だ。 

「ダメだ、ダメだ、悠実夏! そんなんじゃあ、キャッシーの魅力を引き出せていないぞ! 発声練習からやり直しだ!」

「はい、監督!」

「良い国作ろう、鎌倉幕府! 良い国作ろう、鎌倉幕府! 良い国作ろう、鎌倉幕府!」

「ダメだダメだダメだ! もっと胃袋の中から油蝉が飛び出すような感じで!」

「はい、監督!」

「東京特許許可局東京特許許可局東京特許許可局東京特許許可局東京特許許可局」


 ジョージの熱血演技指導が続く。監督と新人女優のようである。俺は一体何を見せられているんだ?

 二人の遣り取りについていけなくなった俺はテレビをつけた。

 丁度、〝本日の目玉〟コーナーの時間だった。タイトル通り、十分間目玉が映り続けるだけの番組である。クレーターで凸凹の月面と、見開かれた眼球が織りなすコントラストは、初めのうちこそ異様な印象を与えたが、今となっては見慣れた日常の一コマになっている。

 一か月ほど前の事だ。突然、あの眼球が月面に現れた。

眼球は月の表面に張り付き常に目線を地球に向けてきた。まるで我々人類を監視しているかのように。目玉を神とするカルト宗教が新興したり、様々な反応があった。しかし、これらの反応は今や消え失せた。この一か月の間に、目玉は日常風景に溶け込み、ついにはお茶の間のアイドルになりおおせた。目玉グッズは、きもカワイイと評されて、主に女子高校生や女子大生の間で流行した。ジョージもそれらを買い集め、事務所の至る所に展示している。悠実夏でさえ携帯のストラップにしていた。

いつの間にかジョージも悠実夏もテレビ画面を見つめていた。

「目が充血してないか?」ジョージが言った。

 俺と悠実夏はテレビ画面を凝視した。

 言われてみればそんな気がしないでもないが、いつもと変わらないようにも見える。そもそも目玉を真剣に眺めたことなんてないのだ。些細な違いに気付くはずもない。

「いつもと変わらないんじゃないか?」

「私もそう思います」悠実夏が俺の意見に同調した。

「フン、まあいい」

ジョージは、賛成意見が得られずがっかりした様子だった。

ナレーションが番組の終わりを伝え、映像がCMに切り替わる。

花菱製薬が販売している目薬のコマーシャルが流れ始めた。

花菱製薬は花菱グループ傘下の製薬企業である。花菱グループは日本では知らない者がいないほど有名な企業だ。宇宙産業、AI産業、医薬品、銀行、保険、自動車、コンビニエンスストア、貿易、等々数えきれないほどの事業を展開しているマンモス企業だ。実際、この事務所に置かれている物品の九割ほどが花菱グループ関連企業の製品だ。花菱なくして日常生活は送れないといっても過言ではない。

「花菱の業績は相変わらず好調のようだな?」ジョージが言う。俺に向けて発せられた言葉であるのは、明らかだった。

「さあな。なんで俺に聞くんだ」

「別に」「唯一のお得意様だからな。好調でいてもらわねば」後半はほぼ独り言だった。

「なんだか目が痒いな……」ジョージが目薬を差した。

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