勇者様!推しのままでいてくださいっ

BELLE

第1話 勇者様!推しのままでいてくださいっ

「勇者よ、よくぞ戻ってきた。そなたに褒美をやろう。何がほしいか申してみよ」

 俺はこの言葉を待っていた。仲間とともに、魔王討伐の旅に出て5年。魔王軍との死闘を各地で繰り返し、先日、魔王を倒して故国に戻ってきた。

 俺のパーティの一員でもある、魔法使いのイサーク王子から、『父上からどんな褒美がほしいか聞かれるはずだ。よく考えておくように』と言われていた。俺が欲しいもの、それは一つしかない。

「申し上げます。アン王女を私の妻に賜りたく存じます」

 よし!ついに言ってやったぞ。彼女の笑顔に俺は何度癒されたことか。

 勝ち目のない戦いを前にして思わず身がすくんだとき、彼女が笑顔で送り出してくれたからこそ、闘志が漲った。魔王との激闘で死の淵に立たされたときも、あの笑顔を思い浮かべたからこそ現世に戻ることができた。

「……。ふ、ふむ。そうか。…どうしたものか。」

 あれ?何か雰囲気がおかしいぞ。

 俺の言葉を受けて、陛下が口ごもる。陛下の隣に座っている王妃殿下も何か言いたそうにしているが、ぐっと我慢している顔に見える。

「あの、まさか。アン王女は既にどなたかとご結婚をされているとか、ご婚約をされているとかなのでしょうか?」

 それだったら、仕方がない。

「いや、それはないんだが。何と言ったらいいのか。難しいな」

 陛下が苦しそうな表情を浮かべる。俺を少しでも傷つけないように言葉を選ぼうとしているのだろうか。

「では、私の身分の問題でしょうか?」

 魔王を倒した勇者とはいえ、平民の男に娘はやれぬということだろうか。

「そこも爵位と領地を与えるつもりであるから、問題はない」

「では何が問題なのでしょうか?」

 身分以外の点で俺の明らかな欠点があるかと言えば、思い当たる節がない。自惚れになってしまうが、俺の外見は決して悪くはない。それに性格も行く先々で『アンタ、人がいいね』と言われているくらいだ。

「強いて言うならば、アンの気持ちの問題か…?」

 陛下は、首をかしげながら答えた。

「……っ!考えが足りず申し訳ありませんでしたっ!」

 それはそうだ。アン王女にだって感情はある。本人の意志を確認しないで勝手なことを言ってしまった。褒美にアン王女を欲しいだなんて、実に傲慢な願いだった。

「既に想い人がいらっしゃるなら、諦めますっ!」

「確かに想い人はいる…な?」

 陛下は王妃と顔を見合わせ、王妃はコクリと頷く。

「そうでしたか。では、アン王女のことは…」

 諦めるしかない。

「待て待て待て!勝手に諦めるな!」

 勇者パーティの一員として、俺の横で控えていたイサークが俺のマントを引っ張る。

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

 5年間行動を共にしていたせいか、陛下の前でも思わずイサークにはぞんざいな口調になってしまった。謁見の場で王子に対して無礼な物言いだったかもしれない。言動には気をつけないと。

「お前の願いは、私も両親も反対しない。妹がちょっと面倒な性格だからどうしたらいいのか、家族としても困っているんだ」

「面倒?アン王女が?あんな女神のような慈愛と王族の鏡のような勇敢さを持ち合わせている彼女が?」

 俺自身、直接会う機会はあまりなかったから、アン王女の人となりの全てを知っているわけではない。もしかしたら、俺がアン王女に会えない間に勝手に美化してしまっているかもしれない。

「お前の認識は概ね間違ってはいない!私の妹は神が与えたもうた最高傑作だ!この世に存在しているのがまるで奇跡のようだ。だが、ほんの、ほんの、ほんのちょっと変わったところがあるから…」

 うん、相変わらずのシスコンだな、コイツ。妹のアン王女のことになると、異常なまでの美辞麗句を並べ立てる。まさか、コイツの話を聞きすぎていつの間にかアン王女を美化どころか神格化してしまったのだろうか。

「ワシから言えるのは、ここまでじゃ。後でアンに会うがよかろう」

 国王陛下は王妃を伴って謁見の場を退出した。陛下の去り際の苦笑いは何だ?



 国王陛下との謁見を終え、俺はアン王女の私室の前に立っていた。王女専属の侍女によると、王女は部屋にこもっているらしい。

 あとはドアを叩いてアン王女に声を掛けるだけだが、それができずにかれこれ1時間近く経ってしまった。一人の女の子に声を掛ける勇気がないとは。これでは勇者失格だ。

「あ、アン王女。私だ。少し話ができないだろうか」

 勇気を出して発した声は、上ずっていて恰好が良くない。

「……ゆ、勇者様?」

 愛らしい少女の声が返ってきたが、部屋の扉が開かれる様子はない。

「もし、良ければ部屋の中に入れてもらえるか、それが無理であれば…部屋から出てきてもらえると、あり、ありがたいのですが…」

 あーーー、だめだ、うまく話せない。

「勇者様、申し訳ありません。人にお見せできる状況ではないのです」

 なんと、着替え中か何かだったのだろうか。私が声を掛けられずにもじもじしている間に王女は就寝の準備に移ってしまったのか。まずいな、これでは俺が夜這いに来たみたいになってしまう。

「もしかして、これからお休みになるところでしたか?」

 だとしたら、日を改めてアン王女の元に訪れよう。

「いえ、そうではないのですが。部屋が少々散らかっているのと、服装も作業着なので人にお見せできる姿では…」

 作業着?そういえば、イサークから、アン王女は絵画を嗜まれるとか聞いたことがあるな。素人が部屋に踏み入れたら、道具を落としたり、制作中の作品を汚したりしまいかねない。それに、俺は全く気にしないが、年頃の女性は簡素な服を着た状態で人を招きたくないというのは分かる。

「そうか。では、この扉越しで構わないから聞いてくれないか」

「はい」

 少女の小さな返事が聞こえた。

「アン王女、私と結婚してくれないだろうか」

 私の言葉の後にしばらく沈黙が続く。これは、聞こえなかったのか、無視されたのか、王女の様子が見えないだけにどうしたものだろうか。

「……アン王女?聞こえなかったのならば、もう一度言った方がよいだろうか?」

「だ、だ、だ、大丈夫です。聞こえています。ゆ、ゆ、ゆ、勇者様との結婚は無理です!」

 国王陛下らの反応から断られる予感はしていたが、アン王女本人から言われるとと心臓がえぐられたような痛みが走る。

「やはり、想い人がいらっしゃるからでしょうか」

「……っ!そ、そんなことは」

 アン王女はその後に続く言葉を発しなかった。俺としても、ここで引き下がりたくない。せめて、気持ちだけでも伝えてからしっかりと振られたい。

「アン王女、聞いてください。私はあなたの笑顔に救われたのです。そして、あなたの勇敢さにも。5年前、この国が魔王軍に包囲されたとき、私は情けなくも今すぐにでも逃げ出したい気分になりました。たまたま、伝説の剣に選ばれただけの若者に過ぎず、大した剣術も身に着けていない普通の若者でしたから。ですが、あなた様の笑顔と励ましの言葉に、失いかけていた戦意が戻ってきたのです。当時のあなたは、まだ10歳を過ぎたばかりの子供でした。本当は怖くて仕方がないのに、王族の一員として必死に震えを抑えて、笑顔を振りまくあなたの強さに惹かれました。あぁ、私が守りたいのは、この笑顔だと思いました。あなたのおかげで魔王軍を撤退させることに成功しました。戦いを終えて、あなたは献身的に兵士たちのけがの手当てをし、孤児となった子供たちには子守唄を唄ってあげていました。その姿はまるで天使のようでした」

「…そ、そんなの買い被りです!」

 弱々しく、扉を叩く音が聞こえる。

「3年前のあなたは、過労から倒れた国王陛下の名代として、国家元首たちの会議に参加しました。魔王軍の恐ろしさを知らない他国の元首たちにあなたは現実を突きつけました。そして粘り強く説得をし、協力体制を構築させました。自分よりも何十歳も上の人間を相手にひるまず、感情的にならず、辛抱強く対応しました。この若さであのような対応ができるとは!あなたの人間としての底の深さと将来性を感じました」

「私は勇者様に褒められるような人間ではありません」

 俺は旅をして、様々な王侯貴族に出会う機会があったが、アン王女のような立派な王族はほんの一握りしかいない。俺が勇者と呼ばれているというだけで、群がる王女や貴族令嬢を腐るほど見た。彼女達は、俺の人となりなど全く見ていない。魔王討伐を終えた後は、俺を取り巻く環境がさらに質が悪くなった。故国に戻る途中、城や屋敷に立ち寄ると、あの手この手で俺を手に入れようとするわがまま王女やお嬢様を大量に見過ぎて胸やけを起こすレベルだ。

「いや、それだけじゃない。数か月前のあなたは、国内の兵士を指揮して、魔王軍に立ち向かった。イサークは無謀なことをするなと言っていたが、私たちが助かったのは事実だ。あなたのおかげで魔王城への潜入が容易になったのだから。兵士たちを率いるアン王女のお姿はまるで戦女神のようで…」

「や、止めてくださいっ!これ以上は…」

 扉の向こうで、何かが倒れる音が聞こえた。

「アン王女!?大丈夫ですか?」

 声を掛けたが扉の向こうから返事はない。

「仕方がないっ!アン王女、失礼するっ」

 扉の取っ手に手をかけると、鍵はかかっていなかったのですぐに開けることができた。

 扉のすぐ近くに、作業着のアン王女が倒れているのが見えた。

「アン王女、お気を確かに!」

 俺はアン王女を抱き上げた。

「ゆ、勇者様?」

 俺の呼びかけに一瞬反応したが、アン王女はすぐに意識を失った。

「ベッドはどこか…な?なんだこれは?」

 俺は彼女をベッドに運ぼうと歩き出そうとしたが、眼の前に広がる異様な光景に足を止めてしまった。

 先ほどまでは王女に気を取られていて気がつかなかったが、壁という壁に、非常に見慣れた男の絵が飾られ、部屋の真ん中には、同じ男がモデルと思われる絵が制作途中のままイーゼルに立て掛けられていた。

「どう見ても、この絵の男は全部、俺だ…」

 アン王女の画力はとても高く、まるで自分のドッペルゲンガーがいるかのようだった。しかし、こんなに大量にドッペルゲンガーがいたら、気持悪いが…。

 城下に並ぶ商店で、勇者パーティの姿絵を売られているのは知っている。勇者パーティの面々はそれぞれ違ったタイプのイケメン揃いだったせいか、それぞれに熱狂的なファンが存在している。

「まさか、アン王女は俺の…」

 ファンなのだろうか。しかも、かなり重度の。姿絵を集めているファンの存在を知っているが、ここまで本格的に自作しているファンは知らない。

「勇者様、降ろしてください。作業着に付いた絵の具が勇者様の服に付いてしまいます亅

 アン王女は顔を赤らめた。年頃の少女らしい可愛らしい反応だ。

「気にするな。君さえよければ、このまま散歩したいくらいだ」

「推しにそんなことをされたら…」

「推し?」

 アン王女からよくわからない言葉が出てきた。貴人を前にしたときに失礼のないようにイサークからマナーや教養を教えてもらったつもりではあるが、俺の勉強不足だったか。

「え、えと。推しというのはですね。崇拝の対象と言いますか、魂を捧げた相手と言いますか。と、とにかく私にとって勇者様は尊い存在で気軽に触れてはいけないのですっ」

 アン王女は一気にまくし立てる。

 うん、これはどこかで見たことがあるぞ。彼女は俺の熱狂的なファンでしかもオタクというやつだ。

「勇者様、私のようなものにこのような過分なファンサはおやめ下さい。他の勇者担の皆様に恨まれてしまいます」

「ファンサ?勇者担?」

 また、王女から謎の言葉が出てくる。

「ファンサとはファンサービスのことです。推しがファンに与えるもてなし?みたいなもので。普通はファンに向かって手を振ったり、ウィンクしたり、指を指してくださったりする程度なのですが…。自室で抱き上げられたなんて、他の勇者担の皆様に知られたら…。あ、勇者『担』というのは、崇拝しているグループの誰を推して…応援しているかということで、私は勇者様を…いやっ、恥ずかしいっ」

 アン王女は両手で自身の顔を覆う。

「…つまり、アン王女は私に好意を持っているということでいいのか」

 彼女の表現方法が特殊な気がするが、これまでのやり取りから俺を嫌っているわけではないだろう。

「わ、私は、勇者様とどうこうなりたいわけではなく、少し離れたところから眺めて『ハァ、今日も勇者様が尊い』と呟ければいいんです」

 一国の王女からただの平民(俺)が崇拝されるのはおかしい。偶然に偶然が重なって俺は勇者になっただけだ。確かに、俺と仲間たちは魔王を倒すために努力を惜しまなかったが、それだけでは倒せるわけではなく、神の気まぐれで奇跡が起きて、人ならざる力を手に入れて魔王を倒せたに過ぎない。

「私は君が私の傍で微笑んでくれると嬉しいのだが…」

 アン王女が俺の抱き上げた腕から離れようとするが、俺は腕に力を込めて王女が降りられないようにする。

「それはいけませんっ!私は推しである勇者様の幸せを祈りたいのです。いつか、勇者様が見た目も心もきれいなどこかの王女様と結婚して、たくさん子供を作って、幸せな毎日を送ってもらいたいのです」

 アン王女は恍惚の表情を浮かべる。

「その、何だ。見た目も心もきれいな王女様が君であってほしいのだが」

 勇者担とか、推しとか変なことは言っているが、それを差し引けば間違いなく彼女は『見た目も心もきれいな王女様』に該当する。できることなら、彼女との間に子供をたくさん作りたい。

「私なんかが恐れ多い!本来、私のような一般人はお兄様の妹でなければ勇者パーティに一切近づくことなんて許されないのです。私なんて、物語の序盤に王子の妹として主人公である勇者様に労いの言葉を掛けて、その後一切出てこない登場人物なんです」

 一般人?どこが?どのあたりが?物語?駄目だ、混乱してきた。

「イサークとはべったりくっついているようだが…」

「あれはイサ担、お兄様のファンの人がお兄様のシスコン要素も含めて推しているんです。だから、お兄様と私のベタベタはファンサなんです。もちろんお兄様のことは家族として愛していますから、嫌々しているというわけではないのですが」

 あー、そういえばこの兄妹推せるとか言っている令嬢を見たことがあるな。あの時はどういう意味か分からなかったが。正直言って、今も正確に理解しているわけではない。

「ちなみに私は違いますが、こういう方もいらっしゃいますよ。勇×魔(勇者×魔法使い)とか、戦×司(戦士×司祭)とか、その逆とか」

 俺たちは4人パーティで全員男だ。どうしてそのように組み合わせようとする。イサークはシスコンだし、他のメンバーは俺も含めて異性愛者だ。司祭に至っては、教会の教義で同姓愛を認めていない。

「その組み合わせは置いといて。アン王女はよく私に手紙を送ってくれていただろう。あれは好意の表れでは?」

 俺たち勇者パーティは冒険者ギルドの支部に立ち寄ると、滞在期間、滞在場所の登録をするため冒険者ギルド本部に手紙を送ると転送される仕組みになっている。手紙も場所によっては到着に日数がかかってしまうことがあるため、俺たちが別の場所に向かった後に、滞在していた冒険者ギルドの支部に手紙が送られてくるというすれ違いもないとは言わない。その場合も遅れて次の冒険者ギルドの支部に転送される。

「あれはファンレターです!読んでくださったんですね。ありがとうございます」

 アン王女の目がキラキラと輝く。アン王女には申し訳なかったが、俺は手紙を書くのが苦手であまり返事ができていなかった。

「特に最初の頃は、ストレートに『勇者様大好き』と書いてあったような」

 成長するにつれて、俺や勇者パーティの活躍を応援する内容に変わっていったが文面から溢れる熱量は増していたように思う。

「申し訳ありません。あの当時は私も幼くて表現が稚拙でした。勇者様とは一人のファンとしてお慕いしております。もちろん、この気持は他の勇者担に負けるつもりはありません」

 キリリとした表情でそんなことを言われても。

「あー、もー、面倒くさいっ!俺は君を一人の女の子として愛しているんだ。今すぐ認識を改めろと言わないから、妻になってくれ」

「だめです!私はファンのままでいたいのです」

 王女は首を大きく横に振る。

「なら、ファンのまま妻になってくれ」

 本当のことを言うと、この部屋の絵を今すぐ撤去してほしい。自分に囲まれているようで不気味だ。中には裸で色っぽいポーズを取っている俺の絵もあり、恥ずかしい限りだ。

「そんなことをしたら勇者様のファンが減ってしまいます亅

「君が手に入るのなら、そんなもん減っても構わない。劇場の役者じゃないんだから、人気なんて求めていない」

 究極をいえば、魔王を倒した俺ははっきり言って用済みだ。陛下から賜った領地でゆっくり余生を過ごした方がいい。

「そんな!勇者様、ファンを大事にしてください」

 なぜ、泣きそうな顔をする?

「さっきから思っていたんだが、どうして俺の名前を呼んでくれないんだ。俺の名前を知らないわけではないだろう?」

「だって、私達、勇者担は勇者様のお名前を呼んではいけないことになっているんです。恐れ多くて…」

「なんだ。どこかの世界の危険な魔王みたいな扱いは!」

 王女だけでなく、他のファンもヤバイ奴ばっかりだ。

「分かった、今日のところは出直そう。君が俺の妻になるまで諦めないからな」

 俺はアン王女をベッドにそっと運んだ。

 王女は不安そうな顔を浮かべる。ベッドに年頃の男女というのは、何かされるかもという不安は分かる。

「大丈夫だ。今日はこれで帰るよ」

 だが、これくらいさせてもらってもいいだろう。

「おやすみ、アン王女。うぐっ亅

 王女の額にキスしようとしたら、手で顔を押しのけられてしまった。

「勇者様、お願いです!推しのままでいてくださいっ!」

 彼女が俺の妻になるのにかなりの年月を要することを、このときの俺は知らなかった。

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