第6話 Ⅳスクールズ・アウト!
1
舞台上では理事長が、悦に入った顔つきで延々としゃべり続けている。
龍樹はいつもに増して気もそぞろだった……。
――現場にはいなかったんだが、何があったかは聞いたよ。まあ、大怪我する生徒が出なくてよかった。
球技大会終了後、校長が龍樹に話しかけてきた。
――ともあれ、工藤くんもこれで気が済んだのかな。もう何も起こらない、ということでいいのだろうか?
いまひとつ釈然としない様子の校長に、龍樹は「そう願いますけどね」とだけ応じた。
あの形容しがたいゲームが終わったとき――おれは何で工藤に、例の犯行予告文のことを直接問いたださなかったのか。
どこか楽しげにプレイする工藤を見ているうちに、実はこころの奥では悟っていたからだ。
あいつは、あんな陰湿な予告文を、校長室にこっそり置いたりなんかしない。今回は、あいつの計画とたまたまタイミングが重なっただけだろう。
クラウド・キッド(の模倣犯)が本当に何かをやるつもりなら、今この終業式のときをおいて他にない――
「エアコン、効かせてくれるようになったのはいいけどよ」誰かの小声の嘆きが耳に届く。「その分、エロ坊主の話しがすげー長くなったな。汗、かかなくなったもん、あのデブ」
「まったく、責任取ってくださいよ、クラウド・キッドさん」別の誰かが応じ、忍び笑いが起きた。
龍樹は、嫌だなと思った。
不吉な言葉を口にすれば、それを招きよせてしまう――普段、そんなオカルト的な思考はしないのだが。
「……明日から、みなさんは夏休みに入ります」理事長の説法は続いている。「自堕落にならんと規則正しい生活を心がけ、勉強や部活動に励んでください。そんでも、時間を持て余してしょうがないっちう人は、ぜひ何か大きなテーマを決めて、それについて徹底的に考えてみたらよろしい。例えば、自分が持て余しているこの〈時間〉とは何かとかね――普段はきみら、そんなこと考えてへんやろ。きみらは、今を生きてるつもりやろうが、そんなもん幻や。今なんて存在せえへんのや。なぜか――時間は決して静止しないからや。だから正確にいえば、時間には過去と未来しかない。つまり少し前の過去と少し先の未来を便宜的に区切って、今と呼ぶだけで――」
ジャ、ジャ、ジャ、ジャ――
突如として、体育館内に鳴り響くエレキギターの音が、理事長の声をさえぎった。
ああ、やっぱり始まった。龍樹はあきらめを感じつつ思った。
このイントロは間違いなく、アリス・クーパー『スクールズ・アウト』
「――警告! 警告!」すぐ音量が下がり、合成されたような声が言った。「生徒、それに教師のみなさん。絶対にその場から動かないでください――おはようございます。今年も現れました。クラウド・キッドです! 言う通りにしてくれないと、すっごく大変なことが起こります。エアコンに仕掛けがしてあって、有害なガスがあっという間に、この体育館内に拡散しちゃいます! 外に逃げるのは不可能だよ」
龍樹のすぐ横にいた女子生徒が、「いや!」と言ってしゃがみ込んだ。
「ぼくは、みなさんのことを監視できる場所にいます。もちろんぼく自身は、毒ガス対策の装備はバッチリしてますけど」
舞台上手袖、こちらからは見えないが、そこにある階段を上れば放送室だ。視線を右前方に向ければ、放送室があると思しき場所の壁にのぞき窓のようなものがあった。
「ああ! 駄目! 駄目! その場から絶対に動かないでって言ったでしょ! 誰ひとり動くな!」
舞台の下手から飛び出してきた校長が、理事長の背後に来たところで急停止した。放送室に行こうとしたのだろう。たぶん、放送部員は式の始まる前にアンプ等の音量調整だけして、その後は室内に誰もいない状態だったはず。
「みんなー、頼むからあまりパニクらないでほしいな。言う通りにしててくれれば、ホントあっという間に終わるから」
肩を抱き合い、すすり泣いている女子生徒もいた。
「みなさんのことは、基本、無事に解放したいと思ってます――ほんとだよ。でも、それには、ある人物がこちらの指示に従うことが絶対条件」
しばらく言葉が途切れ、皆が不安に満ちた顔を見合わせた。
「――加持理事長」声が言った。「あなた、ことあるごとに、生徒のためならその身を犠牲にできる的なこというよね。その言葉が果たして、真実かどうか、今から確かめまーす……といっても、難しいことはやらせません。いいですか。これから、何かが起きます。あなたはその間、まあほんの数分くらいだね、とにかく、その場で立ったままじっとしてろ! 絶対にピクリとも動くな! もし、それができなかったら、毒ガス拡散させます……じゃあ、スタート!」
再び鳴り響く『スクールズ・アウト』
理事長も校長も、真上を見上げていた。当然去年のことが頭にあって、同じような仕掛けを疑っているのだろう。
もし、そうだとしたら、一体どんな液体を理事長にぶちまけるつもりなのか――
ただ、二人の様子からすると、とくに不審なものは見つけられないようだ。去年のことがあって以来、朝礼や各式典の前には天井のチェックは念入りにしていると聞いた。
理事長が、これまで生徒に見せたことのない鬼のような形相で、背後の校長に何か言った。校長がそれを受けて歩きかける。
――うわっ! やめろって!
――キャアー!
――動くな!
すかさず、生徒の間から、悲鳴や叫びが上がった。校長は、その場で凍りついたように動きを止めた。
能天気なアリス・クーパーのヴォーカルが響き渡っている。
スクールズ・アウト! フォーサマー!
スクールズ・アウト! フォーエヴァー!
……学校はお終い、夏休み。
……学校はお終い、永遠に。
館内の空気は、パニック寸前に膨れ上がりつつある。
恐怖に耐えきれなくなった誰かが、いつ扉のほうに駆けだしてもおかしくない。
「みんな! ちょっと聞いてくれ!」頭脳明晰、冷静沈着で知られる生徒会長の声だ。「こいつの言ってることは、ただのはったりかもしれない――でも、とりあえず、なるべく下にしゃがむんだ! それでハンカチを口に当てろ! このまま、少し様子を見よう!」
女子生徒たちの多くが、すかさず指示に従う。それを見て男子生徒たちも追随し始めた。
「おい、あれ」
「うん? 何だ?」
しゃがんでうつむいていた生徒たちも顔を上げ、指差されている方向を見た。
左手二階のバルコニー付近の上空。
いつの間にか、浮遊している物体がある。
ラジコンだ。
現在、大流行している虫タイプの――あれは蝶か。
フワリ、フワリ――
同じ位置に留まっていたそれは、みんなからの注目をきっかけにしたかのように、上空を動き出した。
舞台のほうへ向かっている。距離が近くなると、それが胴体の部分から何かをぶら下げていることに気づく。真っ黒なビーカーのような形状だ。
あの中に、もしかして何か液体が入っているのか。
龍樹は思った。一体、何が――
本物の蝶のような、どこか心もとない飛行だが、着実に舞台へ近づいている。
理事長を目指しているのは、もはや明らかだ。
生徒たちは息を呑んで、その行方を見つめている。
理事長は前のめりの姿勢で演台の両端をつかみ、目を丸く見開いている。禿げた頭から、大量の汗が吹き出し顔や首筋に流れ落ちていた。
蝶は生徒たちの頭上を通過し、舞台手前で高度をスッと下げた。その位置で留まり、あたかも狙いを正確に定めているようにも見えた。
前のめりの姿勢だった理事長が、のけぞるように身を起こした。表情が、今にも泣きだしそうに歪んでいる。
瞬時に、生徒たちの間にパニックになりそうな空気が復活する。
しゃがんでいた生徒の何人かが、あちこちで立ち上がった。
おそらく、いつでも扉に向かって走り出せるように。
女子生徒たちのすすり泣く声がいっそう大きくなった。
上空に留まっていた蝶が動き出した。その飛ぶ速度が、急に早くなったようだ。
――そして、理事長が逃げ出した。
悲鳴、怒号、肉体同士がぶつかり合う音。
龍樹も扉のひとつに向かって駆けた。
「おう! 早く開けろって! 早く!」
「いってえー! 押すな! 馬鹿!」
「イヤー! 誰か!」
押し合い、もみ合い、へし合い、大混乱の末に外へ――
そこは真っ青な空に蝉の声、誰もいない広々としたグラウンド。
嘘のような平穏が、生徒たちを出迎えてくれた。
2
部屋に入ってきた刑事は、白髪頭を短く刈った五十年配の男で、今までの中では一番年かさに見えた。
「やあ、どう気分は?」
そう言って龍樹の正面に腰かける。人の好さそうな笑みを浮かべていて、目尻に細かいしわが何本もできていた。
「これは一体、いつまで続くんですか? もう帰りたいんですけど」
龍樹は言った。
「向井くん、いま一度、確認しておこうか」刑事は笑顔のまま言った。「ここはきみの通っている学校だよ」たしかにこの部屋は、生徒指導室で、隅には見張り役の体育教官が座っていた。「きみは校長先生の指示で、足止めされているんだ――わたしら警察は、退屈している向井くんの、いわば話し相手になっているだけでね」
「よく、そんなことが言えますね」あきれて怒る気力もない。「何回も同じ話を繰り返させられたんで、もういい加減うんざりだ」龍樹は腰を上げた。「ということは、もう帰ってもいいんですね?」
体育教官があわてたように立ち上がる。刑事はそちらを手で制し、落ち着いた口調で言った。
「校長先生に許可をもらったほうがいいと思うけどな」
「どうせ許可はくれないでしょう。ぼくのことを犯人だって決めつけてるんだから――だけど、強制はできないはずだ。ぼく、逮捕されてるわけじゃないですよね?」
「うん。逮捕されてるわけじゃない」刑事がうなずく。「でも、校長はほんとに若々しい人だよねえ。あれでわたしと同い年だよ――どう思う?」
「いや、どうって言われても――」
「だけど、気の毒だよねえ」刑事はのんびりした口調で続ける。「今回の件で責任を取って、近々、辞表を出すそうだ」
「気の毒だけど、別にぼくのせいじゃない」
「この年で、再就職といってもね。なかなか難しい話ですよ」
「知らないんですか。校長は理事長の弟ですよ――腹違いだけど。どうせ加持ホールディングスのどこかの会社へ再就職するんでしょ。たぶん、重役のポストを与えられて」
「そうはいってもさ。ずっと学校の先生だった人が、いきなりビジネスの世界ってのも、つらい話だよ」
「いや、ですから、元々ここの校長になる前は、加持グループの企業で、たしか社長とかやってたんですって」
「ふーん。そうなんだ――あっ、座ってよ」まだ笑顔のままで言う。「もっと話しを続けようよ。せっかくだから」
「……妹が心配なんです」
立ったまま押し殺したような声で龍樹は言った。
今日は小学校も終業式。朝、家を出るときに、昼食を一緒に取ることを確認したのだ。それなのに自分が帰らず、連絡もないとなれば当然不安になるに違いない。
もう時刻は四時を過ぎていた。
「心配はいらない」刑事は笑みを消し、真顔になった。「別の者からも聞いたと思うけど、子どもの扱いに慣れた婦人警官が相手をしている。その辺は我々を信頼してくれていい」そう言うとまた笑顔が復活した。「……さあ、座って」
3
あの直後――
外に飛び出した生徒たちは、グラウンドの端のほうでひとかたまりになった。とにかく体育館から遠く離れたかった。でも、一人にはなりたくなかった。
――どうしよう! あたし、ちょっと、吸っちゃった!
――やっべえ! おれも何だか、気持ち悪いかも!
――誰か、救急車呼べよ! 警察も!
――おれ、逃げたの最後のほうだったけど、毒ガスなんて出てなかったぜ。
――いや、たしかに、何か臭かったって!
「みんな、落ち着け!」
大人の声がした。教師たちも無事逃げて来たようだ。「とりあえず、クラスごとに集まって全員そろっているか確認しろ! それが済んだら、具合の悪い者は申し出てくれ!」
生徒たちは素直に指示に従う。
「おい、見てみ」
クラスごとの点呼のさなか、誰かが言った。
体育館のほうへ歩いていく者がいる。
柔道部の顧問だった。
「先生! 何を――」
呼びかけを無視して、顧問は開け離れた扉から中をのぞき込んでいる。逃げ遅れて、倒れている者がいないか確認しているのだろう。
「だめだ! 危ない――」
皆が見つめるなか確認を終えた顧問は、扉をひとつずつ落ち着いた様子で閉めていく。
生徒たちのなかには、早速自分のスマホに何やら入力を始めている者もいた。
*
生徒、および教師全員の無事を確認後(生徒の中で体調不良を訴える者もいたが、あとから救急車で搬送された)、校舎のほうに戻りそれぞれの教室で待機ということになった。
ほどなくしてサイレンの音が聞こえ、グラウンドはパトカーや救急車で埋まる。
それほど時間をおかずに、マスコミの中継車両が列をなして到着し、学園周囲の路上を占拠した。上空をヘリコプターが飛び交っている。
防護服を着用した捜査員が体育館を出入りするのを、生徒たちは教室の窓から見学していた。
スマホ等の通信機器の使用を禁ず。事件の経緯を絶対に外部へ洩らすな――そのような指示が、監視役の担任から出されたが、真面目に従う者はむしろ少数派だ。
龍樹もちらりとネットのニュースだけ確認した。(高校内で、毒ガスを使ったテロ発生?)という表題がついている。今のところ死者、怪我人は出ていないようだが、詳細は不明という内容だった。
待機も二時間近く過ぎると、「センセー、いつ帰らせてくれんの?」と不平を言う者も出てきた。教室内の空気が弛緩しかけていると、いきなり扉が開き、四人のスーツ姿の男女が入ってきた。皆やけに目力がある。
「――警察の者です」四人のうちのただひとりの女性が言った。「今回、ご承知の通りこの学園で大変なことが起きてしまいました。わたしたちは校長先生の依頼により、捜査を行っています。それで各教室も調べる必要があります。みなさん、ぜひご協力のほどお願いします」
「あのっ、ちょっと、いいっすか?」つい先ほどまで、率先して不平を垂れていた男子生徒が挙手をした。
「はい、何でしょう?」女性捜査官が言った。
「犯人は、まだ捕まってないんですよね?」
「……はい」
「目星はついてるんっすか? やっぱ、今日、学校に来てないやつの中の誰かなんでしょう? 終業式にちゃんと出てて、あれやるのって無理あるもの」
「無理とは言い切れません」
「えー、例えばどんなトリックを使えば? 警察はどんな風に考えてるんすか?」
「お答えできません」
「えー、じゃあ、せめて、これだけは教えてくださいよ。けっきょくー、毒ガス的なものって、体育館で噴出とかされたんすか? そもそもの話し、エアコンのほうに、犯人が言ってたような仕掛け的なものって、あったんすか?」
「あくまで、今の段階では、そういった事実は確認できていないです」
「あのラジコンのほうは? あのぶら下がってた黒いビーカーに硫酸みたいな液体を積んでたとか?」
「ビーカーの中は空でした」
「なーんだ。じゃ、なんか、大げさ過ぎね?」生徒は同意を求めるように周囲を見回した。「けっきょく、ただのいたずらだったってことしょっ?」
「いいですか」女性捜査官はあきれたような顔で言った。「何の罪もないみなさんに対し、危害を加えると脅して、その行動の自由を奪ったんですよ。これは刑法上はいうまでもなく、一般的な社会通念に照らしても、ただのいたずらとは到底言えません」
「でもさ」生徒は少し気おされつつ言い返した。「事件現場の体育館はもう調べたんすよね。なんで教室まで――」
「それは、こうも考えられるからです」女性捜査官は無表情に言った。「犯人は実際に何らかの危険物を使用するつもりだったが、その点については直前になり怖気づいたのかもしれない――そうであったとしても、これは殺人準備あるいは未遂に該当する行為ですが――その場合、この学園のどこかに危険物が秘匿されている可能性も視野に入れねばなりません」
教室中がシンと静まり返った。
「では――」女性捜査官は言葉を続ける。「これから教室内を調べます。確認しておきますが、教室内ということですから、当然それは」生徒たちを冷たく見据え「みなさん自身の身体および私物も含むということです」
――人権侵害。
――それって、正式な令状とかあんのかよ?
不満そうなつぶやきがいくつかもれた。
「もちろん――」女性捜査官は薄く笑い、「これは任意です。みなさんには拒否する権利がある。ただ、特に不都合がないのなら、ご協力いただくことを強くお勧めします。忠告しておきますが、一時の気まぐれな反骨心など、百害あって一利なしです。後々、お互いに取って、煩わしい状況を招きかねません」
龍樹は、後方窓際の席で頬杖をして外を眺めていた。学園の正門前は人でごった返し、制服警官たちが整理にあたっている。マスコミ、やじ馬、それに子どもが心配で駆け付けた保護者もいるのだろうか。
「率先してご協力いただければ、それだけわたしたちの作業もスムーズに進行します。おそらく、これが終了したら、校長先生から帰宅の指示も出るはずです……ということで、よろしいですね、みなさん?」
――はーい
同意が気だるげに唱和される。
龍樹は、教室のほうに視線を戻した。
と、男の捜査官が二人、近づいてくる。
「……向井龍樹、くんだね?」捜査官が、すぐ脇で立ち止り言った。
「はあ」
「とりあえず、立って」
「はあ?」
「校長先生が、きみのことをお呼びなんだよ」苛立った口調だった。「おれが同行する」
龍樹が腰を上げるといきなり身体検査が始まった。もうひとりの捜査官は机の中をのぞきこむと、無造作に腕を入れ引っ掻き回す。
「きみのロッカーはどれ? はい、指さして――おい、あそこも検めろ」もうひとりの捜査官に指示し、龍樹の右肘の辺りをつかんだ。「じゃ、行こうか」
「ちょっ――どこへ?」
「だから校長先生のところだよ。その前に陸上部の部室に寄る。そこのロッカーも見せてもらうからな」
クラスメイトがみな、こちらに注目していた。
「……調べるのは、前のほうの席の人から順番です」女性捜査官が、こちらのことはまるで目に入っていないかのように言う。「それでは、始めることにします」
部室に寄ってロッカーを調べられた後、生徒指導室に連れてこられた。そこには誰も先客はいなかった。
「校長先生は、お忙しいということで、おれが代わりに話しを聴いておいてくれと頼まれた」龍樹の正面にどしりと腰を落とした捜査官は、どこか退屈そうな視線を向けてきた。「とりあえずはリモコンだな――どこに隠した?」
「はあ?」
「きみが体育館でラジコンを操作し、バルコニーにこっそり置いておいたラジコンを飛ばしてから」捜査官は龍樹の顔をじっと見つめながら言う。「グラウンドに出て教室に行くまで――探さなきゃいけない場所は、そんなに多くない。遅かれ早かれ、我々は見つけるだろう。でも、余計な手間は省きたいんだよ。きみが自分から言ってくれたら助かる。それは後々きみのためにもなることだ」
「ぼくは犯人じゃないです」
捜査官は大きなため息をつくと言った。「校長先生から、大体の事情はすでに聞いてるんだ。この期に及んで、模倣犯の仕業だと言い張るつもりか? 去年きみは、本来のターゲットである理事長に恥をかかせようとして失敗した。だから今年、もう一度試みた――そういうことだろ? わからんのは、校長も言っていたが、理事長になぜそれほど深い恨みを抱いていたのかということだ」
「別に理事長に恨みはありません」絶望の淵に立たされた思いで龍樹は言った。「去年のあれは、事情があって――」
もはや両親の不在を含めて、すべてを明かすより他はなさそうだ……。
4
龍樹が自分の事情を白状すると、若い威圧的な捜査官はすぐにどこかへ消えた。取り調べを引き継いだのは五十年配の刑事だった。
「……放送室に犯人はいなかった」龍樹は、目の前の人の好さそうな刑事に言った。「あの変な声は、実は録音されたものだったんですね。いかにも、生徒たちを見張っているふうだったけど、みんな騙されていたんだ」
「なぜ、そう思う?」
「今まで、ぼくを取り調べてた人たちは、共犯については追及してこなかったから――リモコンの行方のほうは本当にしつこく訊かれましたけど」
「別に取り調べじゃないんだけどな」無精ひげをいじりながら刑事は苦笑いする。
「あれが起こってたとき、ぼくが生徒の列の中に立ってたのは確かですから。それでも犯人扱いするってことは、共犯の存在を想定しなきゃいけない。ひとりの人間が、同時に二つの場所にいるのは無理だから。なのに、共犯について全然訊かれないってことは――」
「うん、正解だ」刑事はあごに手をやり言った。「あれはCDに録音されていたんだ」
「というと、タイマーみたいなものにつないであって、時間になったら鳴り出す仕掛けだったんですか?」
「いや」刑事は首を横に振る。「もっとシンプルな仕掛けさ。問題のCDはスタートから約四十分間無音の状態が続くようになっていた。つまり犯人はCDをセットした後、すぐに再生ボタンを押して現場を離れたんだろうね」
「放送委員の連中は、気づかなかったんだろうか。終業式が始まる前に音量の調整とかで機器は見ているはずでしょう」
「それがね」刑事は少し身を乗り出すと、「CDがセットされていたのは、実は校舎のほうにある放送室だったんだよ。そこから、体育館に音声がいくようにラインがセッティングされていたんだ」
「そうだったんですか……」
校舎の放送室は、一般の教室から離れた視聴覚室や書庫が並んだ一画にある。普段、特に用がなければ、一般の生徒は足を延ばさない場所だ。
「放送部員たちは、昨日の夕方以来そちらのほうには行ってないそうだ。その時点から鍵を掛け忘れたままだったのか、あるいは犯人が合鍵を用意したのか。まだはっきりしない。鍵の管理はそれほど厳密でなかったみたいだし、古いタイプだから合鍵の作製も容易だったはずだ」
「ああ、だから」龍樹は急に思い当った。「今朝七時半頃のアリバイを訊かれたのか」
「犯人はその時刻に、問題のCDの再生ボタンを押しているはずなんだ」刑事はにやりと笑い、「きみは、アリバイはなかったようだね」
「その時間は、まだ学園に到着してません。でも、通学途中で、他の生徒に目撃とかはされてると思うんですけど」
「仮に目撃されてるとしても、それだけじゃ弱いね。例えば、七時十五分から四十五分頃まで、誰かとずっと一緒だったら――それも仲のいい友だちなんかでなく、先生とかだったらね。それなら信頼に値するアリバイだといえる」
龍樹は鼻で笑った。「今日に限って、そんな都合のいいアリバイがあったとしたら、逆に怪しいでしょう」
「(そんなに都合のいいアリバイ)があったおかげで、容疑を晴らすことができた生徒もいるんだよ」
「はっ?」自分以外に容疑を掛けられた生徒がいたのか。「誰です?」
「まあ、間が悪いというのかな」刑事はしかめ面をして、「今回使われたのと同じタイプのラジコンを、学園に持ち込んでる生徒たちがいてね。当然、そのリモコンも所持しているわけで」
「もしかして」二週間ほど前の川原での光景が、脳裏に蘇った。「生物部の生徒?」
「ほう」刑事が目を丸くした。「正解だ――彼らと知り合いかな?」
「いや、知り合いというほどでは。裏手の川原で、ラジコンの操作の腕前を競ってたのを見たことがあります」
「今、大流行してるんだろ。でも、わざわざ学校に持ってきちゃいけないな。だから、余計な疑惑を招く羽目になる……。問題の時間帯、彼ら仲良し四人組は、生物室でだべっていたそうだ。幸い、生物部顧問の小林先生も一緒だったそうなので、これは間違いない」
「別に彼らを犯人だというつもりはありませんが、問題のラジコンの腕前についてはぼくよりはるかに上のはずです。ぼくは一度も触れたことさえない」
「でもねえ、向井くん」刑事は困ったような顔をつくってみせた。「体育館でラジコンが飛んでいる最中、きみの様子が怪しかったという人もいるんだよ。リモコンは横五センチ縦十五センチのサイズ。容易にズボンのポケットに入るスティックタイプだ。向井くんが、ポケットに手を入れ、いかにもリモコンのタッチボタンを指先で操作しているように見えた――そんな風に言っているんだ」
「嘘だ! そんなの絶対」龍樹は思わず髪の毛をかきむしった。
「まあ、たしかに」刑事はなぐさめるように言う。「異常な状況下における証言は、慎重に扱う必要があるな。人間の心は、ストレスに弱い。あるはずのないものを見て、当然見ているべきものを見落としてしまう」
「警察が誘導すれば、ぼくが全裸で踊ってたと言い出すやつだって現れるでしょう」
「ハハハハ。ところで、事件が起きていたとき、床にしゃがみ込んだ生徒が、三分の一くらいはいたようだね」
「ええ」
「きみはずっと立っていた?」
「はい」
「どうだろう――リモコンをこっそり操作したいのなら、しゃがんでいたほうが容易ではないのかな?」
「うーん。そうかもしれませんが、何とも言えませんね」
「しゃがむように誘導したのは、生徒会長だということだが」
「もしかして、彼を疑ってます?」龍樹は苦笑しながら言う。「彼は犯人じゃないと思うな。あの指示は、ほんとにとっさに出たって感じだったけど」
「ふむ……実は、一応、生徒会長のことも調べたんだ。問題の七時半前後の時間帯だけど、完璧とは言えないが、アリバイはある。第一、彼には動機が見当たらない。誰に聞いても、裏表のない品行方正な生徒という評判だ。学園へこんな形で弓を引く理由がない――失礼」
刑事は、携帯電話の画面を確認する。
「ぼくだって、別に、学園に恨みがあるわけじゃない」龍樹は、携帯電話に目を落としたままの刑事に主張した。「去年のあれは、事情があって仕方なくで」
「仕方なく?」刑事は視線を上げて龍樹を見やった。「実際に被害を受けた校長先生にも、そう言い訳したのかね」
「いや」龍樹は思わず目をそらした。
「全く、馬鹿な真似をしたものだ」刑事がため息まじりに言う。「たとえ今回の件で、きみが犯人でないとしても、全く責任がないとはいえない。去年、きみがやったことが、犯人へ示唆を与えたのは間違いないからな」
龍樹がうなだれていると、ノックの音がして出入り口の扉が開いた。
父と母と妹が、部屋に入ってきた。
龍樹が驚愕していると、父はつかつかとこちらに歩み寄り、刑事を見下ろして言った。
「あんた、名前は?」
「県警のヨシナガといいます」刑事は愛想よく応じた。
「ここにいる警官たちのなかでは、一番偉いんだ?」
「まあ、そうなりますかな」
「なあ、こういうのって、まずいんじゃないかな」父は身をかがめ刑事に顔を寄せて言った。「まだ十七歳の子どもをさ、別に正式に逮捕してるわけでもないのに、半日以上も拘束して、取り調べって――これ、大問題でしょ」
「いや、いや、お父さん、かなり誤解をしておられます」刑事は笑顔に程よく困惑をにじませ、「拘束も何も、ここは警察ではない。息子さん自身が毎日通学してる高校じゃないですか。息子さんに足止めの指示を出したのは校長先生ですよ。龍樹くんは自分の意志でそれに従っている……。ご存知のように、今日ここで大変な事件がおきました。我々はそれの捜査をしているのですが、この部屋が待機部屋のようなものになっていましてね。息子さんも校長から、この部屋にいるよう指示されたようです。同じ部屋にずっといて、お互いダンマリっていうのもおかしな話でしょ? そりゃ、会話だって交わしますよ。我々が龍樹くんに対して不当な振る舞いをしていないことは」隅に座っている体育教官を指さして、「――あそこにいる先生が証明してくれます」
父は黙ったまま、刑事をじっとにらみつける。
母が妹の手を引きながらおずおずと近づいてきた。
「母さん。海外に行ってたんじゃ――いつ、帰ってきたの?」
「まあ、いろいろ事情があってさ」
母はどこかはすっぱな感じで言うと、きまり悪げに目をそらした。
先ほどまでピョンピョン飛び跳ねていた妹が、龍樹の耳元へささやき声で言った。「……これから、みんなでサイゼリヤに行くって。お兄ちゃん、何食べる?」
昼に渡されたサンドウィッチや菓子パンを食べたきりなので、確かに腹は減っていたが、今はそれどころではない。
状況が一向に飲み込めなかった。
「まったく、のらりくらりと、ほんとに警察ってやつは」突然、父が言った。「もう、いい。帰るぞ、龍樹――文句はねえな、ヨシナガさん」
「ええ。かまいませんよ」
「――警部!」
出入り口のほうから、非難するような声がした。教室にいた女性捜査官だった。父たちをここに連れてきたのは、おそらく彼女だろう。
「いいんだよ、ノグチくん」刑事、いや警部が疲れた表情で龍樹を見た。「この子は犯人ではない。今、わかった」
さあ、いくぞと肩を叩かれ腰を上げかけた龍樹だが、思い切って言った。
「あのさ、悪いけど、もう少しの間、別のところで待っててくれるかな……この人との話がまだ終わってないんだ」
もちろん父と母に問い質すべきことはたくさんあった。
だがそれ以上に、警部の最後のひと言が、大いに気になった。
5
「別に、もう帰っていいんだよ」
ヨシナガ警部が言った。愛想のよさはすっかり消え失せている。龍樹に興味を失っていることがありありだ。
「そういうわけにはいきません」今度は龍樹が愛想よく言った。「このまま帰ったら、おそらく気になって眠れないでしょう――なぜ、父とのあの会話で、あなたはぼくが犯人じゃないとわかったんですか?」
「いや、会話自体がどうこうって、わけじゃない。きみが犯人じゃないと、わたしが確信したのは、正確に言うとご家族がこの部屋に入ってきた瞬間だね。わたしは、その時のきみの反応を知りたかったのさ」
「えっ、どういうことでしょう」
龍樹はますます訳がわからなくなり、首を捻った。
「フッ」警部が諦めたような笑みを浮かべた。「まあ、いい。最初から説明するか……。きみが犯人だったとしよう。去年のこともあるから、今回実行した場合、最も疑わしい人物とされるのは、火を見るより明らかだ。事件後真っ直ぐ帰宅出来るどころか、そのままずっと、下手すると何日も身柄を拘束されてしまうかもしれない……。そういったことは、当然予測の上で実行に及んだことになるね――どうせ、自分は未成年だ。実際に人が死ぬわけでないし、最終的にそれほど重い罪には科せられない――そんな風に開き直っていたのだろう。多くの警官は、そう考えていたが……」
警部は遠い目つきをした。
「あなたは違う考えだった?」
龍樹は先を促した。
「違うというか、引っ掛かるところがひとつだけあったんだ――妹さんのことだ。先にきみと会った者から話しを聞くと、かなり気遣っている様子だという。実際、きみと対面してみて、わたしも同じ印象を抱いた。そんなに妹さんのことが心配なら、そもそもこんな馬鹿げた真似はしないのじゃないか――そう思った。あるいは、きみがすごく芝居が上手で、こちらが騙されているだけなのかもしれないが。その辺りは、正直、判断が難しかったので、とりあえず自分の中では保留にした……」
警部は、またフッと笑った。
「話しをちょっと戻そうか。こんな事件を起こせば、両親がいないことを隠している事実も明らかになってしまう――きみはそのことも十分予想できたはずだ。ところできみは、なぜ突然、ご両親がこの場所に現れたのか、疑問に思わないかい?」
「大いに疑問です」
龍樹は力を込めて言った。
「……両親が行方不明、それを隠して小学生の妹と二人だけの生活。容疑者であるきみから、そんな話しを聞かされて、捜査官たちはまずどう思ったか? なかには、きみがご両親を殺してしまっているのではないかと疑う者もいた」
「はあ?」
龍樹は思わず目をむいた。
「それも仕方ないと思うよ。だって、きみの話しって、結構突拍子もなかったからね。本当なのか、早急にウラを取る必要があった――まず薄井幸子さんと工藤信長くんに話しを聞いた」
「……そうですか」
迷惑をかけてしまったようだ。
「ふたりともきみの話を否定しなかったよ。ただそれは、きみの話が真実であるかどうかとは、また別の問題だ……今月に入って、井上という男が自宅に訪ねてきたそうだね。きみはその男の連絡先を我々に教えてくれたね」
名刺をもらったのだが、そこに印刷されていた電話番号を一応スマホに入力しておいたのだ。
「捜査員が、井上のところに話しを聞きに行った。その際、どうもちょっと様子がおかしい。怯えた風な感じがある。それで、気になって、少しばかし突いてみたんだが……まあ、経緯の詳細は省かせてもらおう。結論を言えば、井上はきみに嘘をついていたことになる」
「嘘?」
「そうだ。きみに対しては、お父さんにいい話があるって言ったんだろ? 事実は逆でね。どういう事情かというと、お父さんのあちこち散らばっていた債務が、ある人物の元に集められた。井上がその人物に命ぜられて、買い取っていたんだ。つまりその人物が、お父さんにとってただひとりの債権者になったということだ。その人物は、やくざまがいのろくでもない男でね。実は、きみのご両親とは昔からの顔なじみだったそうだ」
警部はいったん言葉を切り、気遣わしげに龍樹を見やった。
「厄介なことに、そいつは、きみのお母さんにずっと横恋慕していたらしい。あと、これもきみが気づいてなかったことだろうが、実はご両親は二か月ほど前からこっそり連絡を取り合うようになっていたんだ。そいつは、そのことを嗅ぎつけしまったようだ。それで、お父さんの債務を買い集める決心した……何のためかわかるね? 借金を払えないのなら、お前の妻を差し出せって要求するためさ」
「なんてことだ……」
驚くことが多すぎてそう言うしかなかった。
「お母さんは、一時身を隠すことにした。ただ、きみには一切の事情を伏せていた。そのほうがきみたち兄妹のためだと思ったんだろうね。事実、井上が家に来ても、下手な芝居をせずに済んだというわけだ。おそらくきみたち兄妹は、両親から見捨てられたあわれな子どもたちにしか見えなかったはずだ。少しでもそこに嘘の気配があったら、ただでは済まなかったんじゃないかな。そう思うと恐ろしいね」
「母は、実際は日本にいたんですか? おれには海外に行くと言ってたけど」
「そうだ。ちょうど一年前は、会社を立ち上げる目的で本当に海外へ行ってたんだろ? その際、きみたち兄妹がしっかりやっていけたので、今回もお母さんは身を隠す決心ができたと言ってた……。以上のような、きみが知らなかった事情を、捜査員は井上やご両親から聞き出すことができた。それもこれも、ご両親を無事保護することができたからだ」
「はあ?」
「結局、ご両親は井上たちに見つかってしまったんだね。都内のホテルで軟禁状態だったらしい」警部は龍樹の表情に気づき、手を振った。「ああ、心配しなくていい。特に乱暴な扱いはされていなかったようだ。少なくとも我々が、発見した時点ではね」
「ありがとうございます」
龍樹は思わず頭を下げた。
「いや」警部は少し照れた様子で、「それは別にいいんだが……こういった事情を把握したうえで、きみの抱いた疑問――なぜ、わたしがきみを犯人ではないと思ったのかについて戻ろう。改めて言うが、妹さんを本当に気遣うのなら、こんな馬鹿げた真似をしないのではないかとわたしは思ったんだ。妹さんが、ひとりぼっちになってしまうからね。だけど、急にはたと気づいたんだ。きみはもっと先の展開を読んでいたのかもしれないと」
警部はいったん言葉を切り、龍樹の顔を見つめた。
先の展開? 龍樹は首を傾げた。
「つまり――」警部が話しを再開する「きみが容疑者となれば、我々はいま説明したように、きみの話しのウラを取る必要がある。その過程でご両親の行方を探さねばいけないということだ。そこでわたしは思ったんだ。もしかして、我々をそのように動かすことこそが、きみの目的なのかもしれない。きみが警察に捕まったという状況を知れば、さすがにご両親も妹さんのところへ戻ってきてくれるだろうからね」
「……いや、すごいな」龍樹は言った。「そこまで深読みするんだ。でも、それなら、こんな大げさなことしないで、万引き未遂とかでもいいんじゃないですかね」
「率直に言って」警部は苦笑いを浮かべ、「たかだか万引き未遂犯の話しのウラ取りに、警察は通常こんな対応はしない。こんな風に世間の注目を集めてしまっているからこそ、今回は人も割いて、迅速に動いたんだ」
「なるほど」
「だから、わたしはあえて、ご両親をここに連れて来るよう指示したんだ。いきなり対面させて、はたしてきみがどんな反応するか、この目で確認するためにね――あの時きみは、本当に訳がわからず呆然自失という感じだった。ほんの少しでも満足げというか、目論見通りにいって(してやったり!)の気配があれば、わたしは見逃していなかった。あれは、演技ではない。そう断言できる」
「警部さんの手のひらの上で、おれたち家族は転がされていたわけだ」
「不愉快に感じるのはわかるが」警部は肩をすくめ、「相手の不意を突いて、反応をうかがうというのは、我々の常とう手段でね。悪く思うな」
「もし、ぼくの反応が、少しでも気に入らなかったら、即逮捕だったんですか?」
「そんなことはない」警部はさも心外そうに言う。「一つの心証を得たということで、捜査の参考にしただけさ」
「捜査の参考というなら、ラジコンやらCDやら、色んな証拠が残されてるじゃないですか? 指紋とか調べないんですか?」
「それはもう当然、確認済みだよ。いまのところ、判別できるような指紋は発見できていない。だが、持ち帰って科学的な鑑定を行えば、犯人に結びつく何かが発見できると期待している」
警部は他人行儀な言い方で締めくくると、腕時計に目を落とした。
「そもそも、犯人は一体どんなやつなんでしょうね」
龍樹はまだ話を終わらせたくなかった。
「それは言うまでもない、理事長個人、もしくは学園によほど恨みがあるやつだろう」警部は目つきをややきつくして、「ラジコンが近づいたとき、理事長はその場から逃げ出したんだろう? しかし、それを誰が責められる? わたしだって、同じ状況だったら、どうするか自信がない。きみはどうだ?」
「すぐ逃げます」
「正直だな」警部は鼻で笑い、「ドラマや映画に出てくるヒーローのような行動なんて、現実にそうできるもんじゃない。大人はそれがわかってるから、他人の臆病な行為を安易に批判などしない。だが、ガキは、そら見たことかと腹を抱えて笑うんだ」
「まあ、そうですけど、理事長は普段の言動が――」
「ふん。きみもガキってことだ」警部はにべもなく龍樹の言葉をさえぎると続けた。「きみの知りたいことは、もうすべて話したはずだ。そろそろ家族のところに戻って、一緒に家へ帰りなさい」
「わかりました」
腰を上げる龍樹を、警部がいぶかしげに見た。
「どうした? それほど、うれしがってる感じじゃないな――せっかく、ご両親が戻ったというのに」
「いや、とりあえずホッとはしていますよ。ただ、またすぐにいなくなる気がします」
「大丈夫だよ」警部は龍樹を見上げ、「お父さんだけど、債務のほうには覚悟を決めて向き合うと言ってたそうだ。弁護士に相談して自己破産も視野に入れてね」
「以前も同じようなことを聞かされた気がします」
「ハハハ。今度は信じてあげようよ」
「おそらく、父も母も、自分が一生若いままでいられると思っているんです。そういう人間を、親として信じられますか?」
「ふむ。見た目こそ立派な大人だが、中身は子どものままなんて例は世の中にいくらでもある。きみのご両親が、実際のところどうなのかは知らんが……。なあ、龍樹くん」警部が改まった顔つきで言う。「きみが色々と苦労してきたのはわかる。でも、少しだけ言わせてもらう……。子を持つ親は常に怯えているんだよ。自分は一体、子どもからどう思われているのだろう――それを考えると怖くて仕方がない。ちゃんとした親であろうとするあまり、おかしな方向に行ってしまうこともままある。お父さんの価値観では、自己破産というのはものすごくカッコ悪いことなのかもしれない。逃げ回ってでも、とにかく時間を稼いで、何とか最終的にはきれいに清算しようとしていたんじゃないかな。きみやお母さんからしたら、ふざけるな、だろうが」
「ええ。まさに、ふざけるな、です」
「でも、いいお父さんだと思うよ。さっきは、きみのことを守ろうとして、わたしに食ってかかってきたじゃないか」
「ああ。そうでした」龍樹は笑う。「あれは、今思うと、ちょっと泣けるな」
家族は、営業していない学食内のカフェテリアで待っていた。
「さっさと脱出だ」父が宣言した。「ハイヤーに裏の駐車場まで来てもらおう」
妹が「サイゼリヤ、サイゼリヤ」と唱えながら、くるくる回転している。
「もう、マミ、いい加減にやめなさい。サイゼリヤには行くから」母はそう言うと、いきなり龍樹のほうに振り向いた。「ねえ、ここだけの話し――あんたがやったの? 今回のこの大騒ぎ」
「やってないよ」
龍樹は首を横に振った。
「……そう」母はホッとした感じで肩の力を抜いた。「そうよね。よりによって、まさか龍樹がって思ってたけど――でも、あんたがほんとは犯人でも、あたしは別にかまわないわ」
「おい、なんてこというんだよ」と父。
「この子がやったのだとしたら、それだけの理由があったってことでしょ……龍樹、安心なさい。もしものときは、お父さんがお金を工面して、超一流の弁護士を雇ってくれるから」
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