第8話 異世界転生四回目──道具屋×チートスキルの場合3

 森狼を倒してくれた今日の英雄に無理させるわけにはいかないから、しっかり休憩を取ってもらっていたら、すっかり日が暮れてしまった。

 セミョン君ももう大丈夫ということで、いざ帰ろうと思うと、夜の森は真っ暗でほとんど見えず、目立つ彼の赤髪を追うのも大変だった。

 途中から彼が手を握ってくれたので少しペースアップすることが出来た。彼の手は力強くて、彼に手を握ってもらうことでとても心穏やかに帰れた。


 こんな時間になってしまった言い訳のために、いつも通りわたしも宿屋について行った。彼がターコイズブルーの瞳を不安に揺らめかせながら、こっそり裏口の扉を開けるのを微笑ましく眺めて、わたしも彼の大きな背中に続いて宿屋の中に入った。

 しかし、裏口からキッチンに入った途端、猛烈な違和感に苛まれた。セミョン君の背中からも緊迫感が見て取れる。彼も同じように違和感を感じているのだろう。

 違和感の正体にすぐに思い至った。

 まず一つ目に、竈の火が小さい事。

 夜遅くなったとは言え、ここが宿屋であることを考えると、お酒を出しておつまみを作っていてもおかしくない時間帯なのに。今日はたまたまそういう客がいなかったとしても、セミョン君が帰ってないのに火を落とすだろうか……

 そして二つ目に、やけに静かなこと。

 一つ目と同じく、お酒を出していてもおかしくない、ということはキッチンと繋がっている食堂から声が聞こえても良いだろうに。こちらも、客がいないなら分かるけど、昨日まで客足は途絶えていなかった。

 最後に匂いだ。

 食堂に入ってその匂いは強くなった。何か本能的に逃げたくなるような、焦燥感を感じる匂いがしている。これは異世界に来るようになってから、何度も嗅いだことがある……血の匂いだ!

 その答えに行き当たった時、視界の隅でキラリと煌めくものをわたしは捉えた。立っている位置が悪かったのか向いている方向が悪かったのか、セミョン君は気付かず緊張した面持ちで周りを見回している。その煌めきの出処である二階の暗闇に視線を向けた瞬間、影がセミョン君目掛けて降ってきた!


「危ない!」


 わたしは咄嗟に彼を突き飛ばしていた。

 異世界に来てから魔物に会うことも増えた。森で木陰から魔物が飛び出してくることもあった。だから、咄嗟に反応する術は身に付いていた。それは基本的に避ける方向だったんだけど……影がセミョン君に向かってると気付いた時には、わたしは彼を影から離す方向に押し出していた。

 そうすることで、彼のいた場所には、必然的にわたしが無防備な姿を晒すことになるわけで……影が彼に何かする予定だった場所が空いてしまったので、咄嗟に振るわれた銀光がわたしのお腹を撫でて行った。

 腹部に焼けるような痛みが走った!


「ぐっ…………!」


 声を殺して必死に考える。並列思考スキルが思考速度を数倍に引き上げてくれる。

 何かよく分からないが、誰かがわたし達を殺そうとしている。人影は今のところひとつ。とりあえずこいつさえ居なくなればこの場はしのげる。怪我のことは後で考える。こいつを消すには……ああ、簡単な方法だ。

 わたしはその人影を視界に捉えて、インベントリを発動させた。

 一瞬で人影が消える。


「ジーニャ! 大丈夫か!!」


 お腹を押さえてうずくまるわたしに、セミョン君が駆け寄ってくる。彼は流れ出る血に気付いて、わたしを強引に仰向けに倒して押さえていた手を退かせた。


「酷い怪我だ! 何故だ!? 何があった?!」


「だ、誰かが死角からセミョンを狙ってた……くぅ……」


 わたしの言葉にセミョン君はターコイズブルーの瞳を歪めて、悔しそうに唇を震わせている。

 その誰かは生物でも取り込めてしまうわたしのインベントリに入れたけど……痛みで頭が回りにくい……並列思考さん、もうちょっと頑張って……

 恐らく宿が静かなのはこいつのせい。暗殺者めいた動きだから、客室に忍び込んで全員殺している可能性が高い。理由はこの際どうでもいい。こいつをどうするかだ。このまま入れておいても良いけど、それだとこの事件の犯人が居ないことになる。それは無用な不安を生むことになる。ならば、インベントリから出して殺すしかない。問題はどうやってかだ。

 インベントリは近くなら任意の場所に物を取り出すことが出来るから…………うん。これならいけるかな。

 わたしはインベントリから、最初の転生時に実験で入れることになった剣を取り出し床に転がした。


「っ!?」


「それは……ある人がわたしにくれた剣だ……それを構えて、わたしが言うところを斬ってくれ! 侵入者を倒すために」


 セミョン君は瞳を不安に揺らせ戸惑ったものの、グッと口を引き結んでコクリと頷いて剣を手に取った。彼の瞳に怒りが宿る。赤髪を逆立てながらゆっくりと立ち上がる姿はさせさながら炎のようだった。


「一番近くの椅子と机の間を斬って」


 わたしが指示を出すと、セミョン君は静かにゆっくりと椅子に近付く。間合いに入ったところで天高く剣を構え、迷うこと無く何も無い空間へ剣を振り下ろした。今まで見た中で一番早い。彼が何度も繰り返し修行していた振り下ろしだ。やっぱり、冒険者向いてると思う。

 その剣の通り道に首が来るように、わたしはインベントリから侵入者を取り出した。


「…………っ!!」


 叫び声は無かった。

 セミョン君の剣は見事に侵入者の首を断ち切って、一撃で絶命に至らしめた。

 次の瞬間、斬った侵入者が勢い良く燃え始めた!

 セミョン君の怒りが侵入者を燃え上がらせたかと錯覚したが、これは恐らく証拠隠滅だ。マジ暗殺者だね、死んだら燃えるとか。

 普通の炎ではないようで、有り得ない速度で周りのものに引火していく。

 これはダメだ……


「セミョン……逃げろ!」


 炎から顔を庇いながら彼はわたしの元に駆け戻ってきた。


「ジーニャを置いてはいけない!!」


 セミョン君はわたしを担ごうとして、溢れ出る血を見て動きを停めた。


「わたしは助からない……セミョン、キミだけでも生きてくれ……冒険者になるんだろう?」


 彼はコバルトブルーの瞳が艶めき、泣きそうな顔でわたしを見つめてくる。

 そんな顔をするな……わたしは死んでも次の人生がある。わたしより遥かに若く才能のあるキミをここで死なせるのは年長者のやることでは無い。

 わたしは倒れ込むように彼の背中を押し出した。


「その剣を持って、行ってくれ……」


 彼はよろめく様にキッチンの中に入って、まだわたしを見詰めていた。

 勝手口はすぐそこだ、彼なら一瞬で出ていくことが出来る。幸いキッチンは他より燃えにくい。多少気持ちが迷っても余裕で出て行けるだろう。

 その時頭上で何か音がした。


「ジーニャぁぁぁーーー!!!!」


 彼の叫び声を最後に、そこでわたしの意識は途切れてしまった。

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