第4話

 とある、喫茶店のような一室。

 コーヒーの匂い、はせず、シンプルなテーブルや椅子のみを備えている。

 無駄一切がかき消されたその場所にいる者は、たった二人の高校生と老人だけだった。


 北村は強制され、この場所へと連れてこられたのだ。


 そんな中において北村は、ホコリで汚れた一つの机を雑巾で拭いていた。それも高速で。


「はよせえ! 時間ないんじゃ!」


「わかってる! ちょっと待って、ジジイ」


「ジジイ言うな! あとそんな汚い言葉は人として二度と使うな! わかったか、ゴミクソ野郎!!」


「あんたもじゃん!!」


 お互いの喧嘩腰が止まらない。それもそのはずだ。


 老人は先ほどの喜々とした様子から打って変わっている。額に集まる無数の水の粒がそれを暗に示している。どうやら急ぐ必要があるようだ。北村への鬼指示が止まらない。


 北村も先ほどのことがある手前、この男に逆らうことはできない

 だがそれでもこちらが言葉を荒げるのは当然、そう考えるのが自然だった。

 突然、店員も客も存在しない喫茶店、のような場所に連れ込まれ、直ちに掃除するよう伝えてきたのだから。


 そして何より先ほどの駐車場での、武器商をやれという謎セリフ。

 あれは一体……。


 などと考えていると、老人はいつの間にやら席についていた。



「もういいわい! 早よ席つけ!」


 舌打ちに聞こえなくもないただの唾液音をわざとらしく口内で鳴らし、北村は内情の憤りを静かに表現しながら老人の前に座った。


「よし、今から非常に大切な話をする。質問反論は一切受け付けない。そして一回しか言わない。よく聞け」


「……」


「……」


「……」


 老人は横の窓へゆっくりと目を映すと、それからしばらくして、再度こちらへ顔を向けた。


「よし、今から非常に大切な話をする。質問反論は一切受け付けない。そして一回しか言わない。よく聞け」


「二か——」


「今からとあるヤクザの組長が来る」


「——え? 詳しく」



 軽くツッコミを入れようとしたが、若干の質問が口から漏れた。


 もうツッコミとか悠長なことは言ってられない。


 ヤクザ?

 組長?


 フワフワしたキーワードが急激に脳内で明瞭化する。

 こちらの鼓動が早まっていることを知ってか知らずか、老人は話を続ける。


「ワシは訳あっての、これまでそういった類の者たちに殺傷能力のある武器を供給していた、いわゆる武器商人ってやつなんじゃ」


 すると北村に現実を叩きつけるかのように、老人は足元から何かを取り出しこちらへ向けてきた。


「そ、それ——」


 黒光りするこの世で唯一無二の格好をしたそれ。


 唐突に老人はそれを、窓とは反対方向に差し向ける。



 その次の瞬間、北村の目には一瞬の光が、そして唐突に耳が爆発した。


 いや、本当に爆発したわけではない。だがしかし、そう錯覚するには相違ない衝撃音がマッハスピードで北村を襲ったのだ。


 耳を押さえてから数十秒、本人は数分に感じた。そして否応なく言葉が絞り出た。


「ピ……ピストル……」


 ご名答。

 ニヤリと笑いそう言うと、おもむろに老人は銃口に息を吹きかけ、机の上へとそれを置いた。


 急に目の前の男が自分とは元より離れている、近づいてはいけない非現実的人間だったのだと、そう解釈せざるを得なかった。



「あぁ、まぁ一応本物じゃが、これで、質問なしに、話を聞くことになるじゃろ?」



 北村は自身の手足が震えているのもわからず、ただただ大人しく肩身を狭くした。



「それで今回の話じゃが、ワシの武器を欲しいって人間が出ての。それがさっき言った組長なんじゃが……」


 話が止まる。


 こちらが質問をせず、じっと目を見据えていることに満足したからか、今度は笑みを浮かべ言葉を続けた。本来は質問できない、の間違いだが。



「じゃがわしも今日はこれから別件があっての。それでも今回の取引は時期的に再調整ができないんじゃ。もし再調整などと言った暁には、ワシは組長に殺さ……ん、んん!! まぁ、それで兄ちゃんがおったわけよ。こんな仕事、現代社会の枠組みの中じゃ中々話せる人物なんておらんからのぉ。まぁ、兄ちゃんみたいに弱みを握られた人間、は別だとは思うがの」



 最後はカッコつけたが、途中とんでもないことを口走ったぞ。

 そんなことを思いつつ、意図はわかってきた。

 要は、今日だけ臨時で武器商人として交渉をやれ。なぜなら怖いから、といったところか?


 先ほどの調子ならなんとか口を挟めたであろう。しかし目の前に光る黒い物体がその欲を全て押させこませる。



「そろそろ来る頃じゃのぉ……。とりあえず兄ちゃんに今日、やってもらいたことはたった一つだけじゃ」


 そう言うと自らの萎れた指を一本掲げた。


「それは、その組長さんと仲良くなって『武器これからあげますよ、その代わりお金くださいね契約』 をこじ付けること。なぁに、細かい手続き等は気にせんでええ。今回は仁義を誰よりも重んじる組長さんだ、人を見てくる。兄ちゃんは自分自身が信頼できる人間であることを、余すことなく組長さんに伝えるんじゃ」



 多大なる不安と疑問が途切れることなく浮かぶ中、二本目の指が立ち上がる。


「もう一つの方は絶対に成功させることじゃ。もし失敗したら……わかってるじゃろ?」


 そう言い自然とニヤついた表情で拳銃を見るよう指し示す。


 そう、詰まるところ、失敗したら殺すと言いたいのであろう。


 やってもらいたいことが一つなのか二つなのか、はたまた同様の意味ゆえ一つなのか、判別はつかないが、今の北村では質問できなかった。


 が、そんな話も唐突に終わりを告げた。




「さて、そうしたらワシはちょいと離れるからのぉ。あとは頼むぞ!」





 そう言い残すとその場を立ち上がりそそくさと速歩を進めた。


 北村の、あっ、という吐露とほぼ同時に老人の足が止まる。




「あ、あと、逃げんなよ」



 そう言い残し、老人はその場を去っていった。




 埃っぽい空気。

 ポツンと残るは、今日災難な北村。そして災難を降らす役割、拳銃。


 目の前のブツを眺めるだけで時が過ぎていく。


 会ったこともない、見たこともない、しかし暴力的だということだけは断定できるヤクザの組長。


 想像するだけで足が震えだす。


 これまで一人でいた人間がなんの因果か、次には裏社会の男、それも組長と交渉することになったのだ。それもどんな内容で進めるべきか一切不明なままに。



(無理だ絶対。なんだ、一体なんなんだ。これは)



 すでに疲労は募っていた。

 北村はその場に倒れ込む。

 唾液、汗、涙、それから嘔吐。

 順番に全ての出るものが出始めた。


(次は血かな……もうなんでこんなことばっかり……)


 手を付いた地面を眺め、もはや笑うほか無かった。


 刻一刻と過ぎる時間を前に北村は動かなかった。というより動けなかった。


 それは大方恐怖……しかしその中にわずかに残るは老人の最後の一言、「逃げんなよ」 という言葉。



 ——無理だ無理だ無理だ!



 そう言いながら、ブルブルと震えた手が椅子に置かれたバッグに伸びる。



 ——こんなことしても無理だ、逃げなきゃ、早く! 今なら間に合う!



 そう言いながら、紫色の輪ゴムを取り出す。



 ——僕はまだ高校生だ! 先の人生がある! こんなところで死ぬより、逃げて自分の希望ある人生を探した方が自分のためだ!



 そう言いながら、おかっぱヘアーは持ち上がる。




 ——これで最後だ! 僕はもっと妄想だけで生きていくんだ!! 逃げてもいいんだ!!



 そう言いながら、髪の毛は結かれた。







 カランコロンカラン——。




 カツカツカツ……。




 黒スーツを着た男女の間、40代であろうか、ロングコートを着た短髪の白髪頭に、皺と傷の入った顔。

 合計三名の者が今、北村の前に立ち止まった。


 真ん中の男、かけていたサングラスを外し、疑問を抱くような眼でこちらを見下ろしてきた。



「あんたが、武器商人「メメント」 か? ガキじゃねぇか」



「……」



 北村は黙ったまま、俯いていた



「……確かに新しい武器には興味はあるけどよ、お前みたいなガキがこんな商売に手染めて、俺が協力願いするわけねぇだろ。今だけは見逃してやる。早く店じまいしとけ。次見かけたら……殺すぞ」



 ドスを効かせた一言。

 いつもの北村を鉛の体にするなら十分すぎる効力だ。



 いつもの北村なら。



「テメェら、いくぞ。あぁ、念の為数週間はこの辺張っとけよ。こいつが商売してねぇか見とくために」


「「はい!」」



 すると入室から一分とせず、三人は踵を返し、ドアへと向かっていった。



 ——ドギュン!!



 と、穴が、組長の一寸先の壁に開いた。




 ——!!





 その一瞬、組長の体の前を二人が覆い、どちらもこちらに即座に拳銃を構える。


「おいガキ! なんの真似だ!?」


 部下の男がそう呟く。


「今すぐ下ろしなさい! さもないと本当に撃つわよ」


 部下の女もそう続いた。


 北村のものから煙が尚も吹き続ける。

 二つの拳銃がこちらを向き対峙した時、北村の両手はあっさりと上がった。



「殺してみてよ、俺のこと。わかってると思うけどあんたのこと狙ったんだよ。組長さん。まぁ外れちゃったけども。やっぱり現場での拳銃使用は思い通りにいかないもんだね」


 意気揚々と吐く言葉に、二人の男女の表情に緊迫感が漂う。

 組長は背を向けたまま立ち通した。


 ——提案なんだけど、


 北村はそう口にすると、拳銃を床に落とした。


「もし今、何故か俺のこと、こっちの話聞いてくんない? あんたには絶対特な話だと思うけど。あっ、それでも話聞くつもりないならやっぱりあんたのこと撃ち殺すよ。あっ、でもそうすると部下の二人は俺のこと殺すしかないね。すごい! 堂々巡りだ」



 喜々とし、飄々としつつ、相手を逆撫でするような喋り方。

 普段の北村ではあり得ない。


 結いた紫色のゴムがキラリと妖しく輝く。


「裏社会の大人との折り合い。俺に教えてよ、組長さん?」


 北村の歪んだ笑顔を、初めて組長、神田正義かんだまさよしが捉えた瞬間だった。

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妄想高校生の武器商人ライフ それれちゃん @ShiSi4

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