第3話
(なんて災厄日だ今日は)
カポカポ、カポカポ、カポカポ、カポカポ、
(しかしまぁ、今日は愛してやまない漫画版の『純潔へどろ』15巻買えたし、ヨシとするか)
カポカポ、カポカポ、カポカポ、カポカポ、
(てかDAEキングって一体なんだったんだ。てかあれって犯罪だよな普通に。器物損壊とかになるか……?)
カポカポ、カポカポ、カポっっポ……。
放課後、教室での事件から抜け出した北村は帰宅中であり、自身の足とローファーと地面の相まった奇怪な足音に気づくことなく、考え事の最中だった。
踏んだ踵部分そのままに、パッと周囲を見回すと、どうやら屋内駐車場に入り込んでいたようだ。
「まじか」
不意にただそう呟き、北村を踵を返した。
カっポ……。
が、止まった。
脳裏に教室での出来事が過ぎる。
それから即座に四方へと視線を見渡す。
鼓動が鳴り響く。
(やめろ、誰かいるかもしれない。初めて来た場所だぞ……)
理性が己を御そうとする。しかし、北村は意志に反してスマートフォンを取り出す。
(誰かに見られたりしたら?)
指は自然と動きだし、タッチを済ますと、それをコンクリート上へと置いた。
(ダメだって北村翠! あれは家だけって決めてるだろう!?)
呼吸が荒くなる。頬も紅潮してるのか、熱を帯びているようにも感じる。
(誰かに見られたら……でも、素材も揃ったし外であれをやる開放感を味わってみたい)
すると、北村を止められるものは己を含めこの世界から消え失せた。
カバンから紫色の輪ゴムを取り出し、慣れた手つきで自身のおかっぱ頭を後ろで結いた。
——ふぅ。
そして腰を屈め、優しく、そっと、コンクリート上に置いたスマホをタッチする。最後に、自身の羽織っていた制服をゆっくりと脱ぎ始めたのだった。
(よし、これで)
——キミ、何してるの?
はっ! としたように、北村の顔が即座に上がった。
顔は見えない。しかし確実に気配を感じる事ができる。
声のみ、鮮明に聞こえる状況において、警察だと認識した。
今自分のしていることは、絶対にバレてはいけないこと。
警察、そして法外なこと。
その組み合わせを頭で理解させた途端、喉が急激な渇きを覚えるのを感じる、だけではない。体の全身の穴という穴から発汗がマグマのように表出し始めたのだ。
しかし相手にそんなことはお構いなし。
「何してるって聞いているんだけど? そんな格好で」
「いや! これはその……」
「まぁいいから、とりあえず立とっか?」
落ち着いた声ながら、その声質には確実な敵意を感じることができる。
「い、いや、無理です!」
瞬間、ぎゅっと北村は自身の体を両の手で隠す。何も意味がないことは自分でも分かっているのだ。だが、やはりこういった現場になるとそうせざるを得ない。
するとどういうことか、数秒ほどの沈黙が流れる、が、
——どん!!
「早く立てって言ってんだよ!」
「ひっ!」
何かを叩く音と強烈な恫喝。
思わず耳を塞ぎ、さらに縮こまってしまった。
体の震えが止まらない。
嗚咽も感じ始める。
「も、もうダメだ、終わりだ。や、やっぱりやるべきじゃなかったんだ、こんなこと」
小声で後悔を募らせる。
だがもう遅い。
「よし、とりあえず署まで行くぞ」
すると足音が大きく、そして近づくように感じる。
コツコツ、コツコツ、コツコツ、コツコツ。
スッと、息遣いが耳元へと届く。
条件反射。体が別の生物のように動いた。北村の顔がそれからゆっくりと上がり、斜めを向く。
「な、なんでもします、お願いします。助けてください」
無音。
しかし、しばらくすると、ほぅ? とこちらを値踏みするかのような声をかけられた。
なじられる気分を感じつつ、懇願する他ない。
北村はじっと堪えざるを得なかった。
「ほう……よし、お前の名前と罪をまずはお前自身で言え。助けるかどうか、話はそれからだ」
質問の意図が全く分からない、がこの警察に反抗する余力など元より存在していなかった。
そして北村は、重いながらに、はっきりとした口調で呟いた。
「ぼ、僕の名前は、北村翠……。罪は……みんなに隠れて女性のリコーダーの唄口をしゃぶっていた、ことです……。」
「そうか、やはりお前が——」
北村は力無く、頭を垂れた。
「は、い。僕が、DAEキングです……」
ゆっくりとスマホをタッチする。
それから輪ゴムをずらし、すると髪の毛が顔側面を覆い隠し、元のおかっぱ姿へ。
そして……、
「くぅぅぅフォぉぉぉぃいい!! 終わったぁぁ!! 今日のは絶対いつもより再現性高いぞ!! 成功だ、成功のはずだ! ヤッホーいぃ!!」
北村は両の手を天へと掲げた。そして、唯一脱いでいたブレザーを手に掴むと、ライブ会場でのタオルパフォーマンスのように360度振り始めた。
「外はドキドキしたけど、初めての経験としては最高だったなぁ!」
高揚感を隠せず、ブレザーを振りながら独り言が止まらない。
「今回の題名はそうだな……そう! 『DAEキングの逮捕劇』 だな!」
実はこの男、妄想好きが高じて、家内にて己の妄想を一人役者としてドラマのように実演する嗜好があったのだ。
今回は妄想素材としては先ほどの教室でのリコーダーの事件を取り扱った。
また一人演技ゆえ相手先として、常にそういった妄想素材に合ったフリー音源等を携帯には常備しており、丁度、『反社寄りの警察からの尋問』 を音源として使用したということである。
外でやった要因としては、気の迷いという他ない。
その日に、偶然妄想素材を手にいれ、偶然駐車場に入り込み、偶然心が揺れ動いたのだから。
(ただ、音源の返答の間とかまだ考慮しきれてなかったなぁ。何個か失敗したな。まぁもう少し練習か)
若干の反省を抱きつつ身支度を整え、バッグを手に取り、スマホを入れると、北村は立ち上がった。そのまま大きな伸びをすることで、残った体の緊張を絞り出しのだった。
(にしてもやっぱ妄想は、内に閉じてるだけじゃなくて、外界に発揮してこそ愛着を持てるものだなぁ! うん、間違いない! やっぱ楽しい!)
いつも以上のやったった感を感じつつ、北村は歩みを進めた。
スタスタ、スタスタ、スタスタ、スタスタ、
(やっぱ楽しいな! うん、楽しい!)
スタスタ、スタスタ、スタスタ、
(うん楽しい! ……楽しい……)
スタスタ、スタスタ、
「……楽しい……」
スタッっ……。
時々思う事がある。
——こんなことして何になるのか。
それは漠然とした、しかし強大すぎる問題。常に北村を虚無感に誘う。
すると必然的に、周囲にいる人間の勉強に勤しむ姿、部活に勤しむ姿、はたまた友人と関係を築いていく姿が脳裏に浮かび、自らの生産性の無さに絶望するのだ。一度や二度の話ではない。
妄想は愛しているし、本当に楽しい。北村にとっては世界で一番好きなことである。だが満たされない。
それはなぜか。
本当は気づいていた。自分は逃げてきただけだと。
勉強ができるようになりたい、スポーツが得意になりたい、そして、友達を多くなくてもいい、少しでも信頼できる人、信頼してくれる人が欲しい。
そんな、妄想とは別の欲望は最初からあったのだ。
しかし、それら全ては好きじゃないから、得意じゃないから、と理由を作り距離をあけていた。
最初のスタートが切れず、いつもピストルが鳴ったらビビって後ろへ走り出してしまう。
少しも走り出そうと前に進むことはなく、だから好きか得意もわからない。そんなことを繰り返すたびにいつしか自分には妄想だけでいいという諦めを覚え、積極的なチャレンジをしようと思うことはついには無くなった。
「……」
先程まで見えていた景色が霞む。
瞼を閉じるたびに、溢れ出てしまう。
俯き、目を拭うも、状況は変わらなかった。
「ううぅ、あぁ、もう……」
「兄ちゃん、大丈夫かい?」
と、唐突に目の前に黒のハンカチが出された。
それの存在に気づくと、とてつもない勢いで北村の頭が上がった。
そこには、アロハシャツに短パンを履いた、生えた口髭とは程遠いほどに光り輝く頭を持った老人が立っていた。
その男は微笑むと、手元を揺らし、ハンカチを指し示す。
(見られた? いや、泣いてるところだけか? いやまって、普通にこわ)
すると今度は自然と北村の頭は下げられた。
「大丈夫です! ありがとうございます! 失礼します」
流れていた涙がすでに枯れ果てたかのような様相を見せつつ、北村は男の横を通り抜ける。
「ちょ待ち」
と、ぎゅっと、腕を掴まれた。
「痛っ! 普通に、え? 痛っ!」
急な掴みもそこそこに、何より驚いたのはその力、力を込めるも瞬間、抜け出せないと直感した。
「わっと、ごめんな弱ってたところ。でも実はこっちものっぴきならない事情での。急を要するんじゃよ」
なにを、っと北村が口を挟む前に、目の前にはすでにスマホが掲げられていた。
『は、い。僕が、DAEキングです……』
唐突に流れたそれは、入れ込んでいた手の力も北村自身の心も、凍り付かせるには十分の効力だった。
今日は感情の起伏が激しく、体の調子も変わってばかりだったが、なんとかなってはいた。だがしかし、今度ばかりは対処の施しようがなく、文字通り現状、開いた口が塞がらない。
そこには自分が先程まで熱演していた動画が赤裸々に流れていたのである。当然であろう。
「これでわかったかね? ワシの話聞いてもらわないといけねーってことも。にしても兄ちゃん、蓬高なんだねぇ。DAEキングって結構ここらでも有名で出回ってるから、ネットとかSNS? ってのにこの動画流したら真っ先に兄ちゃんが疑われるんじゃないのかい? もちろんうまくプロが編集したりして、にいちゃん犯人って誰もが断定できるように流す前提の話ね。にしてもさっきの演技聞いてるだけじゃ、演技って絶対わかんねぇと思うぜ。鳥肌立ちっぱなしだったもんなぁ……。まっワシはすぐにわかったが、の。あとよ——」
尚も続ける男の話は、うまく北村の脳内に入り込まない。入ってもそのすぐ後には、通り過ぎているのだ。
こちらの事情に気づいたのか、咳払いを一つおくと、老人は続けた。
「無駄話はさておき、ここからが本題じゃ」
そう言うと男はスマホをしまい、ニヤついていた口をそのままに口を開いた。
——ワシの代わりに武器商になってくれねぇか?
「……え?」
この男の話の中で、初めて一言一句脳内を通り過ぎなかった時だった。
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