第2話

 放課後となった。


 窓から覗く夕焼け、鐘の合図、そして教室での最後の挨拶。それら全て、北村にとっては一日の中で至高を感じる瞬間である。もちろん理由は帰宅できるから。


 だが今日は、おいそれと気分よくはいられない。

 髪のうすい先生に怒られてから、気分は落ちに、落ちた。

 こういう時ほど妄想に入りにくく、よりによって席が教室の中心ということも相まり、周囲の声がよく聞こえてくる。


「てかさっきの北村まじ笑えたな。授業潰してくれてサンキュー的な」


「それな。あー毎回あの感じで授業潰してくんねぇかな」


 くすくすくすと、話が耳に通るたびに体が鉛のように次第に固まり、沼に陥るように沈んでいく。

 帰宅への動き出しができない状態に陥った。


 そんな状態を解決してくれたのは意外な方向からだった。




 ——キャぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!




 唐突の金切声。


 一同の注目が教室の後ろへと瞬時に集まる。

 北村も例外ではなかった。


 鉛と化していた体は急激に溶け、後ろへと振り返る。

 余計な思考やストレスといったものを手短に解決する一つの方法に、案外体育系、つまり体に刺激を与えることがあったりする。


 と、そんなことを考える暇もなく、北村、及びクラスメイトの視線の先、そこにはクラスの女子一名が腰を抜かしたように倒れ込んでいた。

 尋常ならざる状況である。

 北村とは一定の距離が離れているにも関わらず、体が震えているのがはっきり見てとれた。一体何があったのか。

 すぐに周囲の生徒が駆け寄る、が、その場に行き着くと瞬時に呆然と立ち尽くす形になり変わるのだ。

 全員が床に目を落とし釘付けとなった状態。その目は全員、何か怯えるような目つきだった。


 こうなると北村にとって問題なのは、周囲に野次馬が集まった時現場を直接目にすることができないことだ。

 北村は鉛だった体のことなど忘れ、立ち上がった。


 一歩一歩着実に近づいていく。

 近くなれば余計にわかる。周囲のただならぬ雰囲気に。

 誰もが悲痛な表情を浮かべているのだ。

 まるで先の妄想時の、新たに現れた悪魔を見た時の周囲の兵士のようだ。

 つまり今目の前の現場は、ただの高校生たちにとって、とてつもなく悲劇的な何かが存在している、必然的にそう直感した。


(あれ? なのに僕、なんでこんなにドキドキしてるんだ?)


 ふと自分の口元に手を当てると、自らのそれが、歪んだ三日月模様へと変態していたのだ。

 鼓動が早い。自分にとっても、何かとんでもないことが待っているんじゃないのか。

 現実と妄想の世界がまさに目の前で一致したような、そんな雰囲気に北村の心は包まれていた。



 (時限爆弾、血痕付きナイフ、細切れされた異臭を放つ死体。全て想像に難くないぞ、グフフフフ……。)



 妄想が膨らんで仕方ない。


 そんな宝箱も、もう目の前!


 集まり始めた野次馬の中から皆が眺める視線の先、見える範囲の床に視線を泳がせる。


 しかし、赤と青の線は見えない。

(時限爆弾ではないのか。フッ、期待値が上がる……)


 一歩前に出る。


 どうやらナイフも見当たらない。

(ナイフでもないのか。そうなると……)


 力を振り絞り、最前列に飛び出た。


 最後の希望である細切れされた異臭を放つ死体、はしかしながら存在していなかった。

(いったい何なんだ?)


 北村は僅かばかりに落ちたテンションそのままに隣の者の肩を突く。


「ねぇ、一体みんな何に驚いているの?」


 隣に立っていた、見るからにちゃらそうな茶髪の男。

 北村がそう聞くと、その男、どこっかギョッとした表情を浮かべた。

 先ほど自らの悪口を言っていた人間なのだから当たり前であろう。しかしそんなことは今の北村には考えもない。


 若干、鳩に豆鉄砲感は免れないが、仕様もなく茶髪の男はそのまま指を差した。


「あれだよ、あれ」


 新たに急騰した好奇心そのままに、舐めるように指から向けられる見えない線を追った。


 そこには、




——リコー、ダー……?




 (……??????)


 北村の脳内には具体的な疑問が浮上するわけではなく、ただ? だけが浮かんだ。


 こちらの考えを推しはかることもなく、茶髪の男は尚も続ける。


「流石のお前でも知ってんだろ? 出たんだよ。あいつが。このクラスにもな……」


 脳死状態さながら、北村はただ物体を眺めた。


 唄口うたくち部分、水の付着。


 どうやら見た限り純粋な水ではない。

 何かどろっとした透明なものでべちょっとしているような……。


 腰を抜かしていた女子生徒はすでに大量の涙をこぼしながら、周囲の女子から体を支えてもらいなんとか立ちあがろうとしていた。


 周囲の生徒たちもこの光景に深い憤りを感じ始めているようであった。


 やがて北村の隣の茶髪の男は、何かを悟ったような険しい表情を浮かべ、口を開いた。



「間違いねぇ、蓬高の迷宮入り犯罪者。女子生徒のリコーダーの唄口だけを唾液でしゃぶり散らかすという、あの『DAEキング』 だ!!」


 

 その発言がまさに火に油を注いだようで、立とうとしていた女子生徒は再度尻餅をついてしまい泣き叫び始めた。

 周囲の生徒は彼女のサポートしつつ、なんとかこの場を離れようと試みる。

 だがしかしざわめきはさらに拡張し、他クラスの者たちも顔を覗かせるに至り、事態は悪化の一途を辿っていた。


「ついにこのクラスまでDAEキングのやつが……」


「やはり去年から出たとなると、犯人は我らと同学年ってのは免れないだろうな」


「いや、ここは特定せずに慎重に探っていこう。まだDAEキングの仕業と決まったわけじゃない。まずは唾液の毒味からだな。よし、俺が行こう」


 彼らの初期の悲痛な心は、若干時間を空けたことによってエンタメ心をくすぐり始めたのか、男子を主軸に稚拙な犯人討論をし始めた。


 どうやら確かにリコーダーの唄口に付着しているのは唾液のようだった。

 そして常日頃妄想ばかりしている北村には、そんな変態犯罪者の噂は知る由もなかったが、中々に有名で悪意のある話なのだろうと、周囲の様子を見ればわかる。


 しかしながら、


(いやでも、これじゃない感!! 流石にこれは僕の妄想とかけ離れすぎてる!!)


 絶望と共に北村は、なぜか体がベチョっとした感覚を新たに感じつつ、初めからそこに存在しなかったかのように、野次馬と体をヌチャっと当てがえながら、なんとか教室を抜け、そして帰路についたのだった。

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