隅っこの魔法教室②

 その後も女の子は、分からないところがあると私に聞いてくるようになった。

 フレイの手が空いていても、わざわざ私のところまでやってきて、術式の確認をしたり、魔法を見せてくれたり。

 嫌われるよりかはずっといい。けれど、どう接するのが一番いいのか、というのは私には分からないままではあった。


 授業も全て終わり、生徒の親御おやごさんが一人、また一人と迎えに来る。

 例の女の子は、最後に迎えに来た。これまでの子たちと同じように、私とフレイが横に並んで、玄関で見送りをする。

 フレイと女の子の母親が少し話をした後、母親に促された女の子が一礼しながら。


「フローリンカ先生、今日もありがとうございました。」

「はい。気を付けてね。」


 フレイと女の子が挨拶あいさつを済ませる。そのまま帰ってしまうと思っていたけど、今度は私の方を向いた女の子。


「レミ先生!今日は、いっぱい教えてくれてありがとうございました!先生の魔法球スフィア、また見せてください!」

「あっ、うん。ありがとう、ございました。」


 純度の高い魔石のように、透き通った強い力に圧倒されて、挨拶あいさつがぎこちないものになってしまう。

 女の子の母親にも、お世話になりました、と一礼され、母娘おやこは教室をあとにした。

 閉められた扉越しに、女の子が私の話をしているのが聞こえる。それが遠のき、やがて消えたところで。


「レミ、ありがとう。」


 フレイが、長いブラウンの髪を揺らして私の顔をのぞき込んでくる。

 まだ先生が抜けないのか、少し高い声のままだった。


「私、何もしてなかったけどね。」

「そんなことないよ。とっても助かったから。」


 それなら良かったのかな。

 自分で自分のことを納得させられないくせに、フレイにそう言われると簡単に納得してしまう。


「レミは、今日はこれで――。」

「次の授業の資料、作り終わってないんでしょ?」

「あ~、うん。まぁ……。でも、大丈夫。」

「いいよ。手伝っていくから。ついでだし。」

「……そう?なら、お願いしちゃおうかな。」


 フレイが嬉しそうにニコッと笑った。

 手伝って欲しいのは分かっていた。

 学生時代から数えて八年ちょっと。

 そのうち、寮のルームメイトで三年、同じ研究室で二年。

 喧嘩をすることも、まぁ、あったけれど、それなりに上手くやってきた私達。

 少しそわそわした感じ。琥珀色こはくいろの瞳の裏の期待。

 鈍い私でも、それを見逃さないくらいにはなっていた。

 一度は片付けた大きな机の上。そこに、魔導書、紙束、羽ペンにインクを並べて向かい合って座る。

 授業中は少し手狭てぜまに感じた部屋も、こうして二人だけで作業するには広く感じた。

 顔を突き合わせて、魔導書を見ながら羽ペンを走らせる。

 研究に見切りをつけて外の世界に飛び出した私。

 研究を続けるために、町の隅っこで魔法教室を始めたフレイ。

 ここは、道を違えたはずの私たちに残された小さな接点だった。

 魔導書を読む時の雲のようにふわふわゆっくりと流れる目。

 楽譜を読んでいるかのように、頭を小さく揺らしながらリズムを刻む仕草。

 時折見せる、苦いものを口にした時のような、考え込む顔。

 羽ペンを走らせるときの、優しくさとすように繊細な指の動き。

 その全ては、あの時と何も変わっていなかった。


「ネフィエちゃん、すっかりレミに懐いてたね。」


 フレイは、手を動かしながら話しかけてくる。


「あー……。あの女の子ね。言う程かなぁ。」


 終始、ちゃんと教えてあげられているか不安ではあった。


「私に魔法を見せてくれた時、レミ先生がとっても優しく教えてくれたって喜んでたんだよ。レミ、先生が向いてるかもしれないね。」


 クスッと小さく笑うフレイ。

 向いているなら、こうして手伝うのも悪くは無いのかな。

 また、フレイ相手に単純な思考に陥ってしまう私が顔をのぞかせる。

 

「私は、フレイみたいに教えるのは上手くないし。それに、子供はちょっと苦手だし……。」

「そうかなぁ。その割には、丁寧に教えてあげてたよね。」

「それは、一応、先生って呼ばれる立場だったし……。」

「そう思って教えてくれてるだけでも、十分、先生に向いていると思うなぁ。私はね。」


 手を止めて、顔を上げたフレイが、子供か妹をあやすような優しい笑顔で私を見つめる。

 同い年なのに、と少し悔しくもあり、でも、嬉しくもあって。

 心の中が散らかった部屋のようだけど、それはそれで居心地がいいような気もした。


「それに、資料作りも。レミが手伝ってくれるようになってから、分かりやすくなったって言われたんだよ。『理論立てはレミに任せろ』って言われるだけあって、理路整然としてるなぁって、私も読んでて思っちゃった。」

「フレイが書くものって、細かい部分は全部、発想力で殴り飛ばそうとするからね。」


 この教室で使っていた資料も、かつての研究論文も。


「同じこと、研究室でもまだ言われてる。」

「……そっか。」


 彼女の弱点ではあるけれど、最大の武器でもある。

 そのことは私が一番よく知っている、つもりだった。

 同じ『魔法史』の同じ時代の術式について研究をしていたから。

 そんな彼女が、未だに衰えをしらないということは、嬉しい反面、遠くの存在になったようにも感じた。


「レミは……。」


 何かを言いかけたフレイの唇が、行く宛もなく泳いでいた。

 次の言葉を、少し張り詰めた空気の中で静かに待つ。けれど、フレイの言葉は迷子になったきり、ここへと戻ってくることはなくて。


「なに?」


 知らない風を装って問いかけてみる。

 顔をそらしてしまうフレイ。

 悲しそうに落ちたようにも見えた表情を、首を振り、目を閉じて隠した。


「次の授業も手伝ってもらえると嬉しいなぁって。」

「次も?」

「うん。ネフィエちゃんもきっと喜ぶと思うの。どうかな?」


 ……あの子の澄んだ瞳は、ちょっと苦手だった。

 私が無くした、捨ててしまった光がそこにあったから。

 それでも惹かれてしまうのも事実だった。

 何百、何千と、紙とインクを無駄にしても、新しい何かを知ることをできた感動。それにそっくりなものがその瞳には映っていたから。

 全くおかしな話だ。

 そこら辺の石ころのように、思いっきり遠くへ蹴飛ばしてやったくせに、いつまでもその石ころのことばっかり考えている。

 そして、その石ころが、いつか透き通った魔石になるまで磨き上がるのを夢見て、狭い研究室に肩を寄せて、こんな風に作業をしていた頃をずっと懐かしんでいる。


「レミ?」

「えっ?ああ、ごめん。」

「やっぱり、続けてもらうの、難しいかな?」

「それは……。」

「私、レミが居てくれたら助かるなぁ。」


 穏やかな表情に戻るフレイ。

 頼られて、嬉しくて、尻尾を振っている私が居た。

 さすがにそんなことは知られたくないので、落ち着いて、できるだけ何事もなかったように。


「仕事が無い日なら。どうせ暇だし。」

「ふふっ。ありがとう。何かお返し、考えておくね。」


 その笑顔だけで私には十分だった。

 また先生をする。そう思うと、より先まで見通せるようになった気がした。

 どんな資料を作ればフレイが説明しやすそうか、とか、こういう書き方をすればフレイと生徒たちで上手く話ができそう、とか。

 他にも、フレイが授業を進めるにあたって良さそうなアイデアが頭の中をぐるぐるとめぐっている。

 そして、ふと冷静になって、やっぱり私は先生に向いてないんじゃないかとも思った。

 考えるアイデアがフレイにしか向いていない。

 もちろん、教え子のために、という気持ちもあるけれど……。

 フレイが画期的な目標を立ててくれて、私がそこに道を引く。

 ふたりで研究していた時の延長で授業のことを考えてしまっていた。


「……あんまり期待しないでもらえると嬉しいかも。」

「え~。期待はしちゃうかも。でも、あまり気負いすぎなくていいからね?私のワガママで手伝ってもらってるんだから。」


 私も好きでやっている。

 だからお互い様、というのかな。そんな感じ。

 恥ずかしくて、そんなこと言えっこないけど。


「じゃあ、期待に応えて早速。資料の草稿、考えてみたんだけど、これ、どうかな?」

「うわっ。レミ、仕事が早い。」

「フレイが、のんびり過ぎるだけだよ。」

「もうっ。」


 口先を尖らせたフレイだったけど、私の草稿を手にするとすぐに機嫌きげんを持ち直してくれる。

 そんなに楽しいものではないはずだけど、何かのリズムに乗るように身体を揺らしながら眺めるフレイ。

 そんな彼女を眺める私。

 穏やかな時間。

 しばらくは、こんな風に、研究室の延長で、ふたりで過ごして。


 いつか、彼女が研究者になる夢を叶えて、この町の隅っこから巣立っていくその日まで。

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隅っこの魔法教室 畑根 蓮 @hatane_ren

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