第2話 夢について

 つかさは、今年で二十五歳になっていた。四年生の大学を卒業し、昨年、地元の出版社に入社した。まだ二年目であったが、今年から自分のページも担当することになり、張り切っていた。地元の大学の文学部に入学できた時は、本当に嬉しかった。自分で文章を書くのも好きであったが、出版関係にも興味があった。出版社で出版に関わりながら、自分でも記事が書けることは、大学に入った頃からの念願であった。

 一年目は取材旅行にも同行し、どのようにして取材をまとまるか、あるいは記事にして起こすかということを目の当たりにすることで勉強になった。今年は、

「もう一人でも大丈夫だな」

 と言われて、一人で出かけることになったのだが、半年は経っていたが、編集長からは、

「まだまだだな」

 と言われてしまい、軽いショックを受けていた。

 そもそも、そんなにうまくはいかないという思いがあったのも否めないが、実際に昨年同行してみて、

――これならできる――

 と感じたのも事実だった。

 しかし、実際にやってみると、そんなに簡単なことではなく、どこかがうまくいかないようだった。自分でも、

「何かが足りない」

 と思っているが、何が足りないのか、ハッキリと分かっているわけではなかった。

――同じようにやっているのに、何が違うというのか?

 そのことに気付いたのが、半年経って、秋の声が聞こえては来ていたが、まだまだ暑さの残る時期であった。

 編集長からは、

「まだ、分からなくても仕方がないよな」

 と言われたが、その言葉に甘えてはいけないことに気付いた。

 分からなくても仕方がないというのは、

「経験が浅い」

 ということの裏返しであり、経験は時間が経てば得られるというものではないが、時間も必要であるということを言いたいのだろうと思った。

 そして、その経験がつかさに教えてくれたこと、それが次のようなことである。

「最初の一年目は先輩について一緒に回ったが、それは先輩がしている通りにしなさいということではない。普通の事務処理などの引継ぎであれば、マニュアルに沿って教えを乞えばいいのだが、取材などというのは、マニュアルによるものではない。自分で考えて自分で会得するものを自分のものとしていかに生かすかということ、それ自体を学ぶための同行取材なのだ」

 ということである。

「先輩と同じことだけしかしていなければ、進歩はない。刻々と動いていく時代に則した成長をしなければ、後退しているのと同じである」

 という結論だった。

 つまりは、

「お前はお前のやり方で、新たな自分の顔を作らないといけない」

 ということであった。

 それを学ぶということでの先輩同行だということに気付くと、つかさは自分の仕事に自信を持つようになった。そのことに気付いた秋口になると、急に落ち着いた気分にもなれた。秋という季節も多大な影響を及ぼしたのかも知れない。つかさには元々文章を書くことへの自信はあったのだ。

 一応、編集長からも、その頃からダメ出しもなくなってきて、自由にやらせてもらえるようになっていた。どこに行って、どのような企画にするかということも前もって自分で計画し、編集長からの許可を得るという、一人前として見られる基準を見焚いているのではないかと思えるようになった。

 あれは、尾道に出かけた時だっただろうか。

「坂の街、尾道」

 をテーマにすることで、ちょうど秋という時期にあっていると考え、編集長に進言したが、その進言が通ったのである。

「お前は感じる尾道を取材してこい」

 と言って送り出された。

「お前の感じる」

 という言葉は、編集長の決まり文句で、つかさが認められるようになってから、この言葉が連発されるようになった。

 そのことからも、自分が編集長に認められているということを感じた理由でもあり、やる気を漲らせて、取材旅行に出かけたのだった。

 尾道だけではなく、山陽道には、岡山から倉敷、さらに瀬戸内海の島々、そして中国山地へ続く周辺と、見どころは満載だった。最初は尾道だけの取材のつもりだったが、せっかくだから、山陽道というテーマで出かけてみることにした。

 その思いは間違っていなかったようで、尾道に行くまでに腹いっぱいになりそうなくらい満載の観光地があるようにガイドブックには書かれていた。

 まずは新幹線で岡山まで行って、そこから山陽線で倉敷まで、ここはさほどかかるわけではなく、駅から歩いてもいけるいわゆる「美観地区」が有名である。

 ただ、あまりにも観光化が施されているため、観光客も多く、今までに数えきれないほどの記事が書かれていることだろう。そういう意味で、編集長のいう、

「お前らしい記事」

 という意味では、どうなのであろうか。少し考えさせられtしまいそうだった。

 計画では倉敷の次に赴こうと思っているのは、倉敷からちょうど北に向かって、約五十キロくらいの中国山地の中腹に新見市というところがあるが、そこには井倉同と言われる洞窟が存在するらしい。写真で見る限り、かなりの自然を謳歌できる場所のようで、説明文を見る限りは規模も大きく、さらに最寄りの井倉駅からは徒歩で十五分ほどというちょうどの距離であった。

 しかも、洞窟だけではなく、近くには有名な滝もあるようで、取材するには、自分の味を出せる場所ではないかと思った。

 第一泊を倉敷にしたのは、倉敷から井倉洞を巡って再度倉敷に戻ってくるという伯備線ルートであった。翌日には倉敷から福山であったり、瀬戸内海の島に渡ることも視野に入れて考えていた。

 そこからやっと尾道に入るわけだが、そのあたりに至る頃には、元々の計画が変わっているかも知れないというのも、元々覚悟の上だった。

 それまでの取材にも初めて行った場所で、最初の取材のテーマとかけ離れたことが往々にしてあった。

「それはありえることだ」

 と編集長も言ってくれた。

 岡山駅に着いたのが、昼前くらい。そのまま倉敷に入り、一通りの取材と写真撮影できる場所では撮影を試みたが、よくよく見れば、ほとんどの場所は観光ブックなどに出てきているもので、撮影しても使うかどうか、悩むところだった。

 早々に美観地区の取材を終えて時計を見ると、午後三時を回っていた。このまま井倉洞まで行っても、敢行するには時間を要することを考えると、時間的に無理だと判断し、どうするか考えた。仕方がないので、その日は倉敷の宿に入り、もう一度美観地区に寄ってみようかとも思ったが、辞めておくことにした。

 倉敷の街には別に何も見るものもすでになかったので、とりあえず岡山に引き返してみようと思った。岡山の後楽園には以前にも一度行ったことがあったが、その時はまだ小さい頃だったので、ハッキリとした記憶はない。日本三大名園としては、以前に金沢の兼六園には行ったことがあったので何となく雰囲気は分かっていたが、後楽園のように、公園の天守閣を持った城が存在するのは、日本三大名園でもここだけだった。

 日本三大名園でいう「月」に値するという後楽園は、岡山城を背景に見ると、また絶景で、夕方に近づいた時間に見るというのも悪くはなかった。

「けがの功名っていうのは、こういうことをいうのかしら?」

 と思ってファインダーのシャッターを切っていると、岡山城を沢超えに見つめている一人の男性がいるのが見えた。

 その人はじっとしていて、動こうとしていないように見えた。つかさは気になってしまったが、いきなり声を掛けることもできないだろうと思い、後ろから見つめていると、急に立ち上がったかと思うと、少しまわりを見つめていた。スーツケースを持っているので、旅行者であることは間違いない。ただ、駅やホテルに荷物を預けずに来たということは時間も時間なので、ついさっきにでも岡山駅について、荷物を預けるまでもなく、直接ここまで来たのだろうということを想像させた。

 その男性は気だるそうに立ち上がると、ゆっくりと、つかさから見て、左側に歩き始めた。

「おや?」

 その男性を見ていて、何か違和感を抱いたのだが、それがどこから来るものなのか、分からなかった。

 だが、その違和感がどこから来るのか気付くまでにそれほど時間が掛からなかった。思わずつかさは目を疑い、指で瞼を何度かこすってみたが、結果は変わらなかった。

――あの人、影がないんだ――

 足元から伸びているはずの影が見えなかったのだ。

 夕方のこの時間なので、結構長い影がその人の足元からは伸びているはずだった。思わず、その自分の足元を見たのだが、自分の影も見ることができなかった。

――私がどうかしているんだわ――

 と感じると、急に頭痛がしてくるようだった。

 自分がおかしくなってしまったことで、目の前の人の影が見えなくなってしまったのを感じた。

 ただ、時間的に夕方近くになっていることが、つかさにとって気になるところであった。時間的にはまだ夕暮れというには早すぎるくらいではあったが、夕日が西の空に傾いているのは間違いのないことだった。

 夕方の時間帯というのはいろいろな細かい時間帯から形成されていたりする。例えば、夕方に起こる、

「無風状態の時間帯」

 ということでの夕凪の時間帯であったり、

「夜になるにしたがって魔物に出会う時間帯」

 という意味での逢魔が時という時間帯であったりが存在する。

 夕凪の時間帯では、

「よく事故が起こる時間帯」

 という意味を聞かれることがある、それは都市伝説ではなく、科学的な理由もあるという。

 特に交通事故が多いという点で、

「太陽の光が弱くなってくると、色を形成するスペクトルの屈折は小さくなることで、モノクロに見える時間が存在するが、それは徐々に襲ってきて、気が付けば抜けている時間であるため、人に認識されにくい」

 と言われるものである。

 モノクロに見えるのであるから、当然、カラー映像のつもりで見ていると、事故が増えるのも無理もないことである。

 また、逢魔が時と言われる時間帯が、夕凪の時間帯と同じものなのかはハッキリとはしないが、事故が多い時間帯というイメージと、魔物に出会うという意味合いもあってか、どうしても類似のものという意識が深まるのも当然のことであった。

 そんな時間帯と考えると、やはりこれからやってくる暗闇に対しての恐怖が、いかに人間にとって大きなものであったかということが分かるというものである。今でも光が当たり前のこととして人間に与えられたものだと考えると、そこまでは思わないのだろうが、魑魅魍魎が世に蔓延ったと思われている時代から続く世界が、夕方をより恐ろしく演出しているに違いない。

 自分の影を感じることのできない時間帯、日が沈むまでにはまだあるような気がしたが、風が吹いていないのは気付いた。どうやら夕凪の時間帯だったようだ。

 気が付くと頭痛がしていた。まるで熱が籠ってしまったかのように、おでこに血液が集中していて、脈打っているかのように感じられた。

 額からこめかみにかけての血管が腫れてしまったかのように感じると。さっきまでの黄色から橙色に近かった太陽が赤く静かに光っているのを感じた。

――こんな真っ赤な太陽なんて見たことないわ――

 と思ったが、実はこの真っ赤な太陽を見たことで、今度はそれまでの熱っぽさが轢いてくるのを感じた。

 やはり普段から感じている黄色から橙に関しての色が、一番に目を刺激し、熱を籠らせることになるのだろうと再認識した気がした。

 真っ赤な色を感じたのは、血の色に違いない。血の色を感じることで、却ってそれまで感じていた頭痛が解消してくるということは珍しくなかった気がした。

――考えてみれば、血って自分の中にあるものなのだから、気持ち悪いというイメージさえなければ、何も悪いものではない――

 と言えるのではないだろうか。

 ただ、その日は移動にも時間が掛かったし、取材旅行としてはまだ始まってばかり、実際にはほとんどできていないという印象が深いので、一日目から無理をすることもないと思うのだった。

「今日はこれくらいにして、倉敷に戻ろう」

 ということで、岡山駅まで行って、そこから倉敷までの数駅を移動した。後楽園を出てからホテルまでは、一連の動きだったので、時間的にはあっという間だった気がした。

 移動には結構体力を使うものであって、宿にチェックインして部屋に入ると、空腹も気にすることなく、そのまま襲ってきた睡魔に逆らうことはできなかった。

 気が付けば自分がどこにいるのかすぐに理解できなかった。目を覚ましてからというもの、場所への理解、そして時間への理解、どちらもできていなかった。もっとも、どちらかができていれば、記憶に障害さえない限り、自分の状況は理解できるものであろう。

 少しして、

「ここはホテルだったんだ」

 と気付くと、取材旅行に来ているのを理解した。

 目が覚めた時、自分が夢の途中だったという意識もあった。夢を見ていたという意識はあっても、夢の内容と覚えている時は、

「ちょうどいいところで目が覚めた」

 と感じるものだが、実際には、次第に戻ってくる記憶の中で、若干盛っている部分もあるのではないかと思うこともあった。

 だが、それ以外の時というのは、夢を見たという意識はあっても、どんな夢を見ていたかなど、まったく意識していないことがほとんどだ。だから、夢の途中だったのかなどという意識もないはずなのに、その日は中途半端に夢の途中だったという意識があったのだ。

 それはきっと夢を見たということが先に意識にあって、そこから記憶を呼び起こそうとする普段とは違った意識がもたらせたものだったのかも知れない。

 夏の暑さが少し収まってきた時期ではあったが、疲れは蓄積されていたことは分かっていた。

 疲れというのは、身体を硬直させるようで、しかも身体が硬直してくると、その後に身体に何が起こるかということが分かってくる気がしていた。

 緊張したり、逆に緊張した身体が油断した時など、足が攣ったりするものだが、その瞬間が近づいていることが分かるものである。

 足が攣っている時というのは、誰にも知られたくないという意識が働くもので、必死で耐えようとしている意識がある。そのせいなのか、まわりに誰もいない時でも、なるべく声を出さないようにしているように思えた。ただ、実際には声を出さないようにしているわけではなく、声を出せないというのが本音で、それだけ痛みに耐えがたいものを感じているに違いない。

 硬直した身体はもちろん、疲れから来るものなのだろうが、身体に疲れを与えるのは、外的なものばかりではなく、精神的に内部から溢れ出てくるものがあるのかも知れない。

 身体の疲れは微妙に精神的にも影響してくるものだが、精神的な疲れが身体に及ぼすものはないように思える。しかし、何か目に見えないものが影響してくるのか、身体が攣ってしまう時などは、精神的な異常が影響しているのではないかと思うこともあった。

 翌日になって目が覚めた時は、途中で目が覚めたことを覚えているのだが、それが夢だったとしか思えないような感覚だった。

 夢を覚えているという感覚は怖い夢にしかないものだという思いが強かった。

 しかし、たまに楽しい夢を見たという記憶が残っていることがある。それは意識が残っているだけで、結論まで覚えているわけではない、それはきっとちょうどのところで目を覚ますので、

「夢の続きを見たい」

 あるいは、

「もう一度最初から見たい」

 という感覚になるのではないだろうか。

 しかし、そのどちらもできないことは分かっているので、何とか、

「覚えている部分は忘れないようにしたいものだ」

 ということで、意外と楽しかった夢を見たという記憶は残っているものである。

 しかし、実際に覚えている夢で、後から思い出すのは得てして怖い夢であり。しかも、

「一度以前に見たような気がする」

 と、必ず感じさせるものである。

 それがどういうことなのかよく分からないが、理屈としては何となく感じているような気がする。

 一度自分が見た夢は、

「絶対に現実では起こらないことだ」

 と感じている。

 ただ、それは過去においての言葉ではなく、未来についての話であった。つまり、過去に対しては、

「何でもあり」

 なのだ。

 普通に考えれば当たり前のことなのだが、相手が夢だと思うと、その当たり前のことが、何を意味しているのかとついつい考えてしまう。そのために、

「見てしまった夢は思い出してはいけない」

 と考えるようになり、夢というものが、

「潜在意識が見せるもの」

 という理論に結びついてくる。

「潜在意識とは、無意識の中の意識だ」

 と言われるが、これも理解できるような気がする。

「今日は、井倉洞に最初に行ってみよう」

 と、我に返ると、感じたのだ。

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