今は未来

夢月七海

今は未来


「△△△・△△△△△編『生死と明暗 —第四次世界大戦写真集―』

 のデータを完全に削除しますか?  ▷はい  いいえ」


「□□□□著『三権分立ってなあに?』

 のデータを完全に削除しますか?  ▷はい  いいえ」


「△△・△△・△△△△△△著『最大幸福の為の生贄たち』

 のデータを完全に削除しますか?  ▷はい  いいえ」


 ディスプレイに浮かんだ文章を、まともに読まずに、ただただ「はい」の部分にカーソルを合わせて、エンターキーを押していく。旧型コンピュータを用いた作業は、二時間ほどしてやっと慣れてきた。

 今日から始まった俺の新しい仕事は、この星のある会社が売っている電子書籍のデータを削除していくことだ。配布リストに載っていた膨大な数の本の名前を、絞り込むだけでも一時間以上かかったのに、これらを一つずつちまちまと消していくので、心を無にして続けていくしかない。


 たった数年前に大量の支持に押し出されるように、この開拓惑星E35の統治者に選ばれた男は、その勢いに任せて、次々と新たな法律を乱立した。その中の一つが、有害なコンテンツの配信を停止させる規制法だった。

 現統治者は政治家時代から黒い噂が絶えないが、一公務員の俺は従うしかない。むしろ、本は読まない方なので、映画や音楽の担当者よりも気が楽だと思っていた。


 しかし、政府が指し示す「有害なコンテンツ」の定義は非常に曖昧で、星内外から、「都合の良い情報統制だ」という批判が寄せられていた。法律が実行された現在でも、強固なセキュリティによって電子図書館は抵抗を続けていると聞いたが、それが破られるのも時間の問題だろう。

 この会社のように、政府から贔屓にしてもらっているのだから、大人しく裏道を教えてくれればいいのにとは思う。ただ、新たな統治者の暴走に、愛想をつかして、まともな会社はこの星から出ていったのだから仕方ないか……とまで考えて、今のは反抗心じゃないと慌ててデリートキーを使うかのように取り消す。


 その時、一冊の本のタイトルが、目に飛び込んできた。


「□□□著『□○△△△』

 のデータを完全に削除しますか?  ▷はい  いいえ」


 この本は、知っていた。初めて、エンターキーを押す指が止まる。

 子供の頃に出会い、今の俺の端末の中に、納まっている本が、今、ここにある。






   ◇






 十一歳の夏を、俺は初めての地球で過ごしていた。人工のものではない空を見上げて、その青さと眩しさに目を細めながら。

 この時代、地球以外の開発惑星で生まれ育った子供というのは珍しくないのだが、両親に付き添って、あちこちの惑星を渡り歩いている俺のような子供は、滅多にいないだろう。有名建築デザイナーだった両親は、今時珍しい現場主義者で、自分たちが作る建築物がどこでどのように立つのかを見たいと、文字通り宇宙中を飛び回っていた。


 そんな、引っ越しが当たり前の半生では、何を見ても驚いたり感動したりすることが減ってきたが、さすがに地球に対しては特別だった。地面に立っているだけで、俺たち人間はここから旅立っていったんだなと、柄にもなく打ち震えるほど。

 地球には、開拓星にはない旧文化がいくつも残っていて、それを見るのも楽しかった。インドアだった俺だが、通信授業以外の時は、家の外に出て、日が暮れるまで町中を回っていたくらいに。


 その中に、紙の本を売る本屋が一軒あった。俺が生まれる半世紀以上前に、紙の本の出版は打ち止めになっていたので、本物を見ること自体初めてだった。

 中古の紙の本を売り買いしている、町に一軒だけの本屋は、周囲の建物の三分の一くらいしかない小さな店だった。それでも本が収まらないのか、本の詰まった棚やワゴンが軒先にまで溢れている。覗き込んでみると、古い本とインクの匂いが、くらくらするほど立ち込めている。


 恐る恐る、足を踏み入れてみる。天井近くまで聳えた本棚が、まるで深い森のように、俺を威圧してくる。

 店内には、客がいなかった。部屋の隅にカウンターが置かれていて、店主と思しき爺さんが、笑っているのか眠たいのかよく分からない顔をして座っている。


 本棚に収まっている本のタイトルは、殆ど知らないものだった。ただ、引き抜いた途端にぼろぼろと崩れてしまいそうな気がして、躊躇ってしまう。今や、紙の本は熱心なコレクターしか集めないような、骨董品となっていたからだ。

 「文庫本・小説」と描かれた棚の前で足を止めた。「文庫本」とは何かは知らなかったが、のちに調べたところ、比較的安価の本のことを言うらしい。それでも、発売当時よりも値段は跳ね上がっているだろうが。


 その中の、自分の目線の先にある一冊が気になった。タイトルが何か、旨そうだったからという阿呆な理由な、そろそろとその本—―□□□が書いた『□○△△△』を手に取る。

 表紙を見るだけだったが、一ページだけのつもりで、捲ってみる。「△△△は激怒した」、その冒頭の先が気になって、一行後を、一ページ目を、そして、この短編の最後までを読み終えていた。


 しまった。今のは、完全に知識の万引きだ。値段を見ると、俺の半年分の小遣い分だった。払えるわけがない。

 そっと後ろを窺うと、店主の爺さんは、カウンターの後ろでにこにこしているままだ。俺が一編を読み終えるのを見ていたはずなのに、怒っていない。


 ただ、このまま逃げるわけにもいかないので、カウンターに近付き、本を読んでしまったのを素直に謝り、しかし、今は持ち合わせがないとも告げた。爺さんは、それでも表情を崩さずに、「いいよいいよ」と首を横に振る。

 「大人になったら、ここじゃなくてもいい、この本を買ってもらえれば、それで十分だよ」—―爺さんの一言を、一文字一句、鮮明に思い出せる。


 感動した俺は、分かりましたと深々と頭を下げて、店を出た。

 しばらくして、また引っ越しで両親と地球を出たため、この本屋には、その後一度も行かなかった。






   ◇






 爺さんとの約束はちゃんと守って、俺はこの本を電子書籍で購入した。そのデータが、今、この中にある。俺が、「▷はい」と押したら、消えてしまうデータが。

 「消してしまうのかい?」と、あの店の爺さんの声が耳奥で聞こえる。いや、それを言ったのは、子供の頃の俺なのかもしれない。


 指を止めていたのは、どれくらいか。一分にも満たないはずだ。しかし、目の前のディスプレイの角から、じわじわと赤い色が侵食してくる。

 はっと我に返った。そうだ、こんなふうに躊躇っている時間もない。俺たちの労働は監視されているため、これを遂行しなければ、逮捕されて拷問される。


 カチッ。


 そんな無機質な音だけが、耳に届いた。

 ああ、押してしまった。「データは削除されました。この行為は元に戻せません」という文字が出ている。後悔と安堵感が、胸中でぐるぐる搔き乱される。


 しかし、すぐに後悔の方が大きくなっていった。今の行為よりも、あの小説を紙の本で買って置けば良かった、という後悔が、ゆっくりと心臓に押されているナイフのように、刺し込んでくる。

 紙の本で買っておけば。別に、この星は現状は変わらなかっただろう。でも、紙の本を持っているからと、俺の気持ちは軽くなっていたのかもしれない。


 だが、どれほど後悔しても、今は変わらない。俺はもう大人で、自ら選んだ未来の上に立っている。この先、どんな将来が待ち受けていようとも、ただただ転がっていくしかない。

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「△△・△△△△△△著『□□×××□』

 を完全に削除しますか?  ▷はい  いいえ」


「△△△△・△△△△△著『××××□』

 を完全に削除しますか?  ▷はい  いいえ」


「□□□□□□著『□□□』

 を完全に削除しますか?  ▷はい  いいえ」


 あとの作業は、とても簡単だった。

 知らない本のデータを、消していく。ただ、それだけ。






































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