第8話 二つの記憶喪失
この記憶喪失は本当に軽いもので、まわりの人であいりが記憶を失っているということに気付いた人が果たしていただろうか?
記憶を失っていた時期というのも、ごく短い期間であり、その間に遭わなかった人も友達の中にも結構いたかも知れない。
確か、夏休み中だったか何かで、しかも、その頃は友達も皆忙しかったか何かで、一緒にいる機会が、本当に減っていたことだった。
それを思うと、記憶喪失に陥った時期に、何か問題があるのかも知れないと感じたのだった。
それにしても、自分のまわりで記憶を喪失する人が、自分を含めて他にもいるというのは、実に不思議な感覚だった。
真美の記憶喪失は、あいりの時に比べると長そうな気がした。あいりが記憶喪失になった理由が分からないのに対し、真美の場合は、
「自殺未遂」
という確固たる事実が存在している。
自分を抹殺しようとしていたわけだから、真美は自分というものがこの世にいることを信じられないのかも知れない。死んでしまったということが事実でない以上、自分が何をもって生きているのかが分かっていないのだろう。
そもそも真美と話しをしていると、時々、何を言っているのか話が支離滅裂で、理解に苦しむとこがあった。だが、そんな時真美は、
「あいりなら、必ず分かってくれる気がするの」
と言って、目が訴えていた。
その目を意識してしまっているからなのか、あいりは真美から自分は離れることができないと思うようになっていた。
真美が一度自分の夢に出てきたことがあった。あいりが自分の夢の中に、友達が出てくることは初めてで、今までに出てきたのは、姉だけだった。
姉が出てきたということは覚えているのだが、いつ、どんな風に出てきて、その夢自体がどんなものだったのかということすら忘れてしまっている。
それは時が経ったから忘れたのか、それとも夢から覚める間に忘れてしまい、ただ、夢の中に、
「姉が出てきた」
という事実だけが残っているように思えてならなかった。
真美に対しても同じである。
どんな夢だったのかも覚えていないし、確か夢を見たと思ったのは、真美が自殺をする前の日ではなかったか。それを思うと、虫の知らせのつもりだったのかと、真美のことを思わないわけにはいかなかった。
ただ、真美が出てきた夢は、ところどころ覚えているところがあった。
真美があいりの似顔絵を描いてくれたのだが、その絵を見ると、自分を描いてくれたというよりも、姉を描いたように思えてならない。確かに姉妹なのだから、あいりと姉は似ていて当然なのだが、どう見ても別人だった。
しかも、あいりには、その別人が誰なのかすぐには分からずに、
「これ、一体誰なの?」
と聞いてみると、真美はキョトンとして、
「何言ってるの、あなたの似顔絵を描いているんだから、あなたよ」
と言っている。
似顔絵と言っても、写生というわけではないので、まったく生き写しを描いているわけではない。マンガチックな要素を取り入れながら、特徴をうまく掴んで全体的に似ているように描き上げる。それが似顔絵というものではないだろうか。
そういう意味でいけば、真美の似顔絵は、まさにあいりを描き出していると言ってもいいだろう。だが、あいりには、どうしても自分とは思えなかった。
他の人に見てもらうと、
「何、訳の分からないことを言っているの。あなた以外の誰なのよ」
と言われた。
考えてみれば、会社の同僚があいりの姉を見たことがあるわけもない。真美があいりを皆から描いたのだから、あいりだとしか見えないのは当然のことである。
確かに、真美だってあいりの姉を知っているわけではないのだから、錯覚があるとすればあいりの方だろう。あいりだけが自分も姉も分かっているのだから、姉に似ていると思い込んでしまったことで錯覚を及ぼしたに違いない。
「ねえ、あいりって、被害妄想なところがあるの?」
と真美に聞かれたが。その意識はなかったので、
「ないわ」
と聞かれた。
その時の返事があまりにも不愛想だったので、まわりよりもあいり自身が、自己嫌悪に陥ることになった。
――たかが似顔絵ということだけで、こんなに気まずくなってしまうなんて――
と、自己嫌悪に合わせて、真美に対しての不信感が募ってきたことに対し、またしても真美に対して疑心暗鬼になっている自分を感じた。
あいりは、これ以上自分を嫌いになるのが、嫌だったのだ。
確かに、冷静になって見れば、あいりの似顔絵だった。しかし、その時は姉にしか見えなかったのだ。それは自分の中で抑えることのできない驚愕として残っていたことであり、その絵を見た時の自分が普通ではなかったということも分かっているつもりだった。
あいりは、姉の顔をいまさらながらに思い出そうと、その時思ったが、なぜか思い出せない。きっと真美が描いた似顔絵に姉を見てしまったからだろう。姉を見てしまったことで、今度は比較対象になる姉の顔を思い出せないという皮肉な結果になってしまい、そうなると、この論争は本末転倒を文字通り絵に描いたようなものだった。
あいりが描いた似顔絵にはいつも驚かされていたような気がしていた。これは自分の似顔絵が姉に見えていたり、記憶喪失状態で描いた絵が晋三を示していたりと、何かあいりには、真美の似顔絵を恐怖に感じるものがあるのを感じたのだった。
――真美には何か、不思議な力でも、備わっているんじゃないかしら?
と思った。
そういう意味でも、真美に死なれるのはもったいない気がしていた。友達として死ななかった彼女を不幸中の幸いだと思い、素直に喜ぶべきなのだろうが、それ以外に真美が生き残ったことに他に意味があるのではないかと思うのは、考えすぎであろうか。
「そういえば、私が小説を書くようになったのは、一過性の記憶喪失だったすぐその後くらいじゃなかったかしら?」
というのを思い出した。
それまで小説を書きたいという思いを、ずっと持っていたような気がしたが、なかなか書けるようにならなったにも関わらず、一過性の記憶喪失状態だったということを意識してすぐくらいから、小節らしきものを書けるようになっていた。
勝手に手が動いて、文章が次々と作られるというような、まるで魔法の手を手に入れたような気がするくらいだった。
「小説を書くというのは、頭が考えるのではなくって。指が勝手に動いて書いてくれるのだ」
というのが、あいりの小説というものに対しての考えだった。
文章が書けるようになると。後はいかに継続して書けるようになるかということだけだったが、これも案外と、
「案ずるより産むがやすし」
だった。
指が勝手に動いているなんて、これこそ一過性のもので、すぐに動かなくなると思っていたが、次第に指が動かなくなるどころか、指が慣れてきたのか、頭がついてくるようになったのか、文章の三つくらい先をずっと見ている状態だったことで、指が休まることもなかった。
「やはり、頭で考えるわけではなく、感じることが先へ進むということへの手管となるのだ」
と思うのだった。
あいりが、小説を書くのに指が止まらないのと同じで、真美が似顔絵を描いている時も、ほとんど指が止まっていないような気がしていた。サラサラと鉛筆を動かしながら、デッサンするように絵筆がキャンバスを彩っていく。濃淡を色で表すというのは難しいことではないかと思っていたが、真美に言わせると、
「そんなことはないわ。色には濃淡を決める色があるの、それを自分で発見することで、そこから先、自分がいかに描こうとするかを決めてくれるような気がするのよ」
と言っていた。
正直、何を言っているのか分からない気がしたが。書いているのを見ているだけで、催眠術にでもかかったかのように、睡魔に襲われることがあった。
だが、真美がじっとこちらを見ている視線に気づくとすぐにシャキッとして、ハッと我に返る自分がいるのに気付かされる。
「似顔絵を描くのって面白いの?」
と、いかにもと思える愚問をわざと浴びせてみたが、真美は冷淡な笑顔を見せ、
「面白いわよ。この面白さは自分にしか分からないと思うところが一番面白いのよ」
と、愚問に対して、皮肉で返してきた真美は、ワードセンスも一流なのだろう。
「私も小説を書いていて面白いのよ。自己満足に浸るというのが、これほど楽しいことだなんて思ってもみなかった。皆自己満足を悪くいうけど、私は。自分で満足もできないことを誰が満足できるのかって思う方なので、本当に小説を、いや文章を書くことを面白いと思うのよね」
と答えた。
真美は、相変わらず冷淡に微笑んでいたが。先ほどと違い、今のあいりの言葉を噛みしめるように何かを考えているかのようだった。
お互いに、どこかぎこちなさがあったが、お互いに芸術を愛でる者として、相手に敬意を表し、さらに自分もその仲撫であることを心底喜んでいるのだった。
真美の自殺を目撃した前の日、きっと虫の知らせだったのか、姉のことを思い出していた。確か、おとといかその前後の夢に出てきたからではないかと思う。ただ、その時自殺を試みた姉の顔にモザイクのようなものがかかり、見えなかったのは、自分でも不思議だった。
あれから、あいりは夢を見たという意識はなかったが、その日は、家に帰ってよほど疲れていたのか、気が付けば眠っていた。ベッドに潜り込むこともせず、服を着替えてはいたので、服を着替え終わった安心感が、緊張の切れ目だったのだろう。
「ああ、眠ってしまっていたのね」
時計を見ると、午後十時だった。三時間くらい寝ていたのだろう。
お腹が減っているので、何かを食べようと思い、冷蔵庫を見ると、あいにく何もなかった。しょうがかいので、カップ麺にポットのお湯を注いで食べることにした。何ともわびしい夕食だったが、とりあえず空腹に関しては何とかなるだろう。
さすがに殺風景なので、テレビをつけてみた。この時間はどこのチャンネルもバラエティくらいしかやっておらず、後はニュースくらいだろうか。ニュースを見る気もなかったので、そのままバラエティをつけていた。
元々バラエティなど、低俗だとずっと思っていた。芸人や芸人よりのタレントが出てきて、身体を張ったギャグをやって人を笑わせる。何が楽しいのか分からない。正直バラエティを見ていると、情けなくてイライラしてくるのだが、その日は、チャンネルを変えるのも億劫で、音を少し小さめにして、気にしないようにした。
するとその日のバラエティには、何やらマジシャンが出てきて、マジックをするようだった。少し診ていると、昔にも見たことがあるような使い古されたネタを、よくも今やっているなと思うほどのくだらなさだったが、マジシャンのピエロのようなその顔を見ていると、急に気持ち悪くなってきた。
ピエロというと、元々の顔が分からないようにくま取りやかつらを被り、滑稽な動作で人を笑わせるが、自分は決して喋ることはない。そして、その顔も昭和に流行ったような耳元まで裂けた口角に、昔流行ったという「口裂け女」をイメージさせる。
ピエロの怖さは何と言っても喋らないことにある。何を考えているのか分からない男が、表情を変えることなく、滑稽な行動を取るという動作に、果たして笑うことができるのかというと、絶対にできないとあいりは答えるだろう。
テレビの中のピエロは、画面の中だけで暗躍しているので、そこまで怖くはないのかも知れないが、その時に見たピエロが、またその日の夜の夢に出てくるのを予感していた。
カップ麺を食べると安心したのか、また睡魔に襲われた。今度はベッドに入り、いつものように眠りに就いた。
眠りに入っていく時というのが分かる時というのは、一度目を覚ましてしまう。そして、我に返った気持ちそのままで、またしても睡眠に入る。
今度は決して目を覚ますことなどない。次第に深い眠りに入っていく。
すると、夢を見ているという自覚があるのだが、どうも、初めて見る夢のような気がしなかった。そう思うと、
「夢にしては、リアルな感じがするわ」
どこがリアルなのかよく分からないが、しいて言えば、まわりの風景にすべて既視感を覚え、毎日見ている光景を思い起こさせるところであろうか。
そしてその夢の中で、
「また、同じ感覚を覚えることがあるんだろうな」
と感じている自分がいるのを悟った。
そう思うとこの夢をいつ意識したのかということが思い出されてきた。
「そうだ、一度一過性の記憶喪失に陥った時、その間に意識していて、記憶が戻った瞬間に記憶の奥に封印されたと思っている記憶なんだわ」
と思った。
そしてそれを感じると同時に、
「あの時、いずれまた同じ感覚を味わうことができるような気がすると感じたのを思い出した」
と感じた。
あの時に感じた思いを、夢として思い出すということは、
「夢というものは、潜在意識が見せるものだ」
と言われているが、それだけではないのかも知れない。
ひょっとすると、
「もう一つ、記憶の奥に封印されたことも一緒に見ているのかも知れない」
と感じたのだ。
だが、この思いが、一過性の記憶喪失が絡んでいるから見ることができるものなのか、それとも実際に気付かないだけで、本当に見ているものなのかが分からなかった。
しかし、記憶の奥に封印されたものが夢として出てくるという感覚は、潜在意識が見せるというよりも、説得力があるような気がする。何しろ一度はこの目で感じ、意識したものを記憶として格納しているからである。
そう思うと、夢の中で覚えている夢と覚えていない夢の二種類があるのも分かる気がした。
覚えていない夢は潜在意識が見せるもので、覚えている夢が、記憶の奥に封印されている夢だとあいりは思った。
「でも、本当は逆なのかも知れないわ」
とも思ったが、記憶の奥に封印されたものを夢に見たという感覚を否定することはできなかった。
そんなことを考えていると、
「記憶って、案外簡単になくしたり、元に戻ったりするものなのかも知れないな」
と感じた。
物忘れの激しい人は、忘れてから思い出すまでに時間が掛かっているだけで、記憶をすべて一つのものとして考えるのではなく、いくつかの種類のあるものだと思えば、すぐに忘れてしまう、つまり捨ててしまってもいい夢もあれば、封印してでも格納しておきたい夢もある。
たまに思い出すことで自分の癒しになったり、生きていく支えになるものであるならば、封印された記憶が、ちょっとしたきっかけでよみがえってくるというのも、あってもいいはずではないだろうか。
あいりは、今までに何度記憶を失ったのか考えてみたが、やはり思い出せるのはその時の一過性のものだった。
「あの時、記憶を失う何かのきっかけがあったのかしら?」
と、そのことを思い出そうと思ったが、思い出すことはできなかった。
まさかいらないものとして捨ててしまったわけでもあるまいから、どこかに格納されているのだろうと思うが、もし思い出すのだとすれば、それだけではなく、その前後に思い出さなければいけないものがあり、一緒に思い出すはずだと考えた。
――しかし――
ここで少し疑問があった。
思い出せない記憶を無理に思い出そうというのは危険ではないかという考えである。
つまり、今自分が本当は過去の記憶を失っていて。自分が持っている記憶はどかかから借りてきたようなものであり、いつわりのものであったとすれば、他の記憶を思い出した瞬間、今の記憶は消えてしまい、また迷走するのではないかと考えたからだ。
この思いは、自分の中で、
「記憶を失ったことがある」
と自覚している人にしか考えつくものではない。
「あなたは、記憶喪失だったのよ」
と他人から言われて、それで自覚するという他力本願的な記憶の回復であれば、考えつくこととできないとあいりは思うのだった。
あいりはその日、テレビを見ている夢を見ていた。そのテレビでは、ピエロが何も言わずにこっちを見ている。そして、気が付けば眠ってしまうという夢だった。
目が覚めたあいりは、その夢が怖くて怖くて仕方がなかった。今までに見た夢で一番怖かった夢というと、
「もう一人の自分」
が出てくる夢だった。
「では、テレビに映っていたあのピエロを、私は自分だと思っていたということであろうか?」
と感じた。
そう思うと、今度は、自分がピエロになり、画面の向こうからピエロを見つめている自分と目が合って。思わず目を背けようとするが、身体が緊張して動かすことができない。幸いなことにピエロの扮装に顔の化粧が、あいりのそんな心境をまるで相手に悟らせることはなかった。
「あの恐ろしく見えるピロだけれど、実際には相手を怖がっているので、あんな扮装や化粧をしているということなのかしら?」
とあいりは感じた。
あの滑稽な行動も、そう思えば分かる気がする。相手に自分の弱さを悟らせないようにするための一つもパフォーマンスだからである。
「それにしても、誰がピエロなんてものを考えたのかしら?」
ピエロというものを考えた人が、実は一番自分に自信を持てずに、怖がっていたことで、ピエロという、
「もう一人の自分」
を創造したのではないかと思うのだった。
もう一人の自分を見る夢が一番怖いという意識を持っていることで、夢以外でもう一人の自分を意識したことがあったような気がしたが、それが記憶を失っていると思われたその間の記憶であった。
たぶん、記憶を失っていた時のあいりは、神的な発想を持っていたのではないだろうか。他の人が、あるいは、普段の自分が持つことのできない発想であり、奇抜という言葉を超越しているような気がする。
確かに普段から小説を書いたりしていると、普段から、
「他の人にはない発想を絶えず抱いていたい」
という願望があり、自分の中でそんな発想をたくさん抱いていたとは思うのだが、普段の中でそれを発揮することはできなかった。
だが、自分では抱いていると思っていた発想がどこへ行ってしまったのか不思議だったが、記憶を失っている間の自分に蓄積されていたのだと思うと、その発想をいつ抱けばいいのかと思ってしまう。普段の自分がどうして抱くことができないのかを考えた時、
「きっと記憶を失っている時の自分を、認めない自分がいることで、表に出すことができないようになっているのではないか?」
と思えた。
「人は脳の十パーセントも使っていない」
というではないか。
その残りを実は使えるだけのキャパを持っているのが、記憶を失っていると思っている時であれば、そして、その時を自分で認めることができれば、その思いは一気に成就するのではないかと思うのだった。
「だが、なぜ記憶を失っている時期を自覚できないのだろう?」
という思うと、一つの理由として、
「ドッペルゲンガー」
という発想が考えられるのではないかと思った。
もう一人の自分がこの世に存在することで、その存在を知ってしまうと、死んでしまうという都市伝説がある。
あくまで自分の身体から離れているところを、自分もしくは他人が目撃することで発覚するものなのだが、そのために死んでしまうというのは、納得のいくことではない。
そのため、ドッペルゲンガーに遭わないようにするにはどうすればいいかと思うと、無意識に、さりげなく、
「意識しないようにすること」
という思いを抱くことで、何とか頭の中から、
「もう一人の自分」
を打ち消そうという気持ちになる。
それが力となって、もう一人の自分を打ち消そうとすると、思い余って、記憶すら消してしまう危険性があることに、普通の人は気付かない。
もちろん、ドッペルゲンガーを気にするということを、無意識の意識で消すというのは、実に難しいことだ。ドッペルゲンガーという言葉を意識したということすら消してしまわないといけないからだ。ここまで協力に意識から消さなければいけないことを消そうとすれば、記憶が消えたとしても無理もないことだろう。
しかし、記憶が消えてしまったとしても、封印していた記憶が蘇らせることで、ここも無意識に記憶が繋がるのだ。封印していただけで、実際にウソの記憶ではない。
「あいつ、最近、なんか変だな」
という感情であったり。
「あんなやつだったか?」
と急にまわりに思わせたりするのは、きっと、従来の記憶が封印していた記憶にとって代わられたからだろう。そして、その封印していた意識もそのうちに元の記憶にとってかわられる。そんなことは一過性の記憶喪失としてその人に起こってしまうことになるのだが、それは意識の中にないので、誰も気づかない。
まさか、記憶を潜在意識がコントロールしているなど、思ってもみないからだった。
この発想はあまりにも奇抜であるが、考えられない発想ではない。
「ひょっとすると、封印していた記憶と、従来の記憶が定期的に入れ替わっているということだってあるかも知れない」
という思いを抱くと、そこに何か類似の感情を思い出すのではないだろうか。
――そう、それこそ、躁鬱症ではないだろうか――
定期的に繰り返すことの代名詞とも言える躁鬱症と、記憶の循環とは、どこか似たものがあるのではないかと、あいりは思っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます