第7話 川本晋三

 川本晋三は、近くの大学を数年前に卒業し、別に成績がよかったわけでも悪かったわけでもなく、ごく普通に就職活動を行っていて、就職できたのがこの会社だったということで、それほど目立つこともなく入社してきた。真美やあいりからすれば、数年先輩であるが、本当に平凡で、まったく目立つことはなかった。

 あまり目立たない人の中には、目立たないことで却って目立つような人もいるが、彼の場合は本当に存在感が消えているような目立たない男性だった。

 容姿も別に特記することもなく、誰も彼のことをウワサしない。

 ウワサになるようなこともなく、彼女がいるのかいないのか、それすら関心がなかった。

 そんな晋三だったが、学生時代はそれなりに彼女もいて、一年くらいは交際が続いた相手もいるというが、本当であろうか?

 あいりには信じがたい気がしたが、それを疑って、気にするほどの相手でもない。

 つまりは、誰が見ても、

「どうでもいい人」

 という雰囲気が滲み出ていたのだ。

 だが、これも不思議なことなのだが、人によっては彼のことがどうしても気になって仕方のないという人もいるようだ、

 それも女性にである。

 ただ、それも彼を男性として好きになるなどというものではなく、人間として認めたくないというほどの毛嫌いであった。

 まるで害虫か何かのようなイメージで見ている。

 特に分かりやすいのは、会社の中で、外人が嫌いな女性がいた。最近は会社にも国の方針か何か分からないが、外人が増えてきた。

 我が物顔で、まるで自分たちの国のように振る舞っているがそれが許せないという。

 真美もあいりも、正直、外人が嫌いだった。昔の差別のあった時代をとやかくいうわけではないが、今はその時代に立ち返らないようにと、差別をなくすという名目で外人を擁護しているようだが、見ていて甘やかしているようにしか思えない。

 コンビニでも飲食店でも店員といえば、外人ばかり。言葉もまともに分からないくせに、愛想もくそもない連中が溢れている。

 しょせん、あの連中は、留学生などという名目のくせに、ロクな教育も受けず、日本の文化を理解もせずに、我が物顔だ。

「郷に入っては郷に従え」

 という言葉を、あの連中は分かるはずもない。

 どう見ても、日本人をバカにしているとしか思えない。

 そんな外人どもを見ているような感覚が、川本晋三にはあった。

 川本晋三という男は、どう見ても女にモテるというう雰囲気はない。もし女と一緒にいるということがあれば、それはオンナの弱みでも握って、従えているだけではないかなどどいう下衆な考えを抱いてしまうほどだ。

 彼の内面から溢れる暗い雰囲気は、まさに気配を消していて、わざと人から意識されないように仕向けているのか、ぱっと見では分からない。

 だが、まるで日本人離れした、あの外人のような目は、気色悪いという以外の何者でもない。

 そんな彼の似顔絵を真美は描いた。

 何を思って描いたのか分からないが、その表情にはまったく感情が感じられないようだった。

「なあ、真美ちゃんは、この人を知っているの?」

 記憶さえしっかりしていれば、こんな質問はおかしい。

 同じ職場の人間なのだから、

「知っている?」

 というのは、おかしく、まだ、

「覚えているの?」

 という方が正解である。

 それをわざわざ、知っているのかと聞いたのは、彼女がこの絵を描いたのが本当に無意識からなのか、それとも無意識の中に純粋なものだけではない何かが存在しているのかが知りたかったからだ。

「ううん、知らない人。でも、ここに被写体になる人がいなかったので、イメージで描いたらこんな人が出来上がったの」

 というではないか。

 これを額面上、素直に受け取れば、あくまでも彼女の理想の男性なのかも知れないと考えられるが、何かを知っていて、無意識の中で覚えている意識が彼を描かせたのではないかと思うと、この自殺の理由も分かってくる気がした。

――そういえば、イニシャルが「K」さんではなかったか?

 という思いがあり、ここでいよいよ川本晋三がクローズアップされてきた。

 あいりにとってどうでもいいタイプの男だったが、真美には何か引き付けられるものでもあったのだろう。彼には特定の女性を引き付ける「蜜」のようなものがあるのかも知れない。引き付けられる人に何か共通点があるのか、それとも不特定多数なのかは分からないが、少なくとも彼の発する何かに反応する人もいるということであろう。

 もっとも、この感覚は彼だけではない、男性一杯、いや、むしろ男性よりも女性の方にその傾向があるのではないか、女性が特定の男性を引き付ける魔力のようなものを持っていると言われ、小節やマンガのネタになることは、昔からあったではないか。それはまるで人類の理想郷、その人にとってのハーレムというものである。その本人が望む望まないにしろ、引き付けられた人は、まるでハーレムにいるような感覚になるのだろう。

 そのハーレムでは嫉妬などという感情は存在しない。ただご主人様に従う、忠実僕と化しているのだ。もちろん、正気ではそんな状態に入ることはできない。僕として主人に仕える気持ちをその蜜が振りまいていることだろう。

 川本晋三は見ていると、いつもまわりに側近を従えているように見える。それは男性であるが、最初はブレーンのような存在なのかと思っていたが、彼のような意思h部の人間を引き付ける人にブレーンというのは似合わないような気がした。疑問を持って見ていると、そばにいるのは、別に川本のためになる男性というわけではなく、

「ただ、近くにいる」

 というだけの、影のような存在。

 それを思うと、川本晋三は、

「ひとりぼっち」

 というイメージしかなかった。

 ただ、孤独というわけではない。孤独と言うと、まわりに人がいないといけないと思っている人が、引き付ける力もなく、孤立していることだ。確かに、男性に関しては、女性相手のように蜜のような引き付ける要素を持っていない。それが川本晋三という男であった。

 しかも、彼のそばにいる人間は、自分でも分かっていないようだが、川本晋三に影響を与えることはないのだが、川本晋三から影響を受けているようである。これが何を意味しているのか分からないが、今まで感じていた、

「どうでもいいやつ」

 というイメージはなくなっていた。

 あいりは、ふと最近感じていた、

「緊急避難」

 をこの男に当て嵌めてみた。

 ボートの中に、いつも自分のそばにいて、川本から影響を受けている男性が二人、乗り込んでいると考えると、普通に考えれば、この二人は川本が生き残るための、

「人柱」

 にしかならないように思えた。

 だが、果たしてそうだろうか?

 あいりには、最後に川本一人が生き残っているというイメージがどうしても湧いてこない。川本という人間が、聖人君子のような人間で、他のふたるが、

「川本さんのため」

 といって、

「生贄」

 となろうとしても、それを断るというようなタイプではない、

 かといって、ありがたく受け入れる感覚にも思えない。川本という男、緊急避難の場面では、想像することすらできないほど、あいりの中で、

「どうでもいい存在」

 となっているようだ。

 川本晋三を見ていると、無性に腹が立ってくる。その感覚は街に溢れだした外人連中を見ているようで、ルールを守らず、我が物顔で蔓延っている様子。

「日本ももうダメだ」

 と思わせるこの感覚が、あいりを川本に近づけさせようとしないくせに、なぜか相手の方が近寄ってくるようで、気持ち悪いのだった。

――まさか、私の中に、あの男を引き付ける、いわゆる「蜜」のようなものを発散させているのではないか?

 と思うと、その蜜が引き寄せるのは、川本という男だけではなく、他に十人近くはいるのではないかという危惧があった。

 そのすべてが、ロクでもない連中であり、それこそ、

「一匹見れば、十匹は潜んでいる」

 と言われているような、悪名高き、あの害虫と同じレベルに思えてならなかった。

 あいりは、いまさらながらに、自分が男性恐怖症であるのを思い出していた。普段はあまり意識していないが、まわりから時々感じる急な視線に、ゾッとするものを感じ、その視線がいつも同じ男性からであることを意識すると、害虫をイメージし、外人どもをイメージし、さらには、そのイメージの根底にいる誰かをイメージしようとするのだが、そこまでは行きつくことができなかった。

 今回その正体の一人が川本であるということを意識した。さらにその視線がいつも同じ男性だと思っていたが、種類があるように思えた。数人くらいの視線をたまに感じる。時には一度に二人以上という時もある。

 この視線は、誰もが受けているもので、あいりが気付いているだけで他の人は気付かないものなのか、あるいは、皆気付いていて、それを口にしないだけなのか、それとも、そんな視線を浴びせる相手はあいりだけなのか、それとも、まったくの勘違いなのか、今のところはあいりにも分からなかった。

 しかし、少なくとも川本晋三の存在で、最後の、

「まったくの勘違い:

 ということはないような気がしてきた。

 あいりは、晋三のことを、どうでもいい相手と思っていたことで、それ以降、

「石ころのような存在」

 になるのではないかと思っていた。

 それは、まったく相手の存在意義をあいりの中で否定して、見えていたとしても、見えない感覚、そこにあるのが当然のごとく、散らばっている石ころに一つに対してまったく存在を意識させないそんなもの、いわゆる「物質」としてしか見ていないということだ。

 近くにいても、近くに来ても、その感覚にはかわりはなく、下手をすれば何かの拍子に触れたとしても、別に気持ち悪いとも思わないような究極の存在。そんな感覚になるのだろうと思っていた。

 だが、実際にはそんなことはなく、真美のこともあってか、余計な意識を持つようになった。

 ただ、どうでもいいという感覚は消えたわけではない。どうでもいい相手であるにも関わらず、土足であいりの中に入り込み、引っ掻き回していく。しかも、それを相手も自分も意識していない。そんなことってありうることであろうか?

 まったく、どうでもいい存在だと最初に感じたことで、今のあいりの感覚があるのだとすれば、あいりが感じた直感は何だったのだろう?

 あいりは、自分の直感を信じる方だ。たまに、

――間違っていたかな?

 と思うことでも、最後まで様子を見ていると、決して間違っていなかったと思うことの方が断然多かった、

 あいりは出会った人と別れを迎える確率は結構高い。出会ってから長い期間友達関係を続けている相手といえば、真美が今では一番長かったように思う。

 友達と別れるというというのも、今から思えば、自然消滅が多かった。別にお互いに相手が明確に嫌いになったから別れるというわけではない。どちらかというと、

「一緒にいる意義がなくなった」

 という思いからの別れではないだろうか。

「それくらいなら、別に別れなくてもいいのでは?」

 と思われるだろうが、ハッキリとした別れを区切りとしないと、お互いに何か気持ち悪い意識を持ったままになってしまいそうなので、キッチリと別れることにしていた。

 そういう意味では一般的な自然消滅とは違うのだが、ハッキリとした理由がないという意味では、自然消滅という言葉が一番別れの理由としてふさわしい。それを思うと、自然でない消滅がどういうものなのか、今まで味わったことがなかったような気がして、あいりは消滅という言葉に違和感を抱かないではいられなかった。

 あいりは、真美を見ていて、

――記憶を失うって、どんな感覚なんだろう?

 と思った。

 最初に感じたのは、孤独感が襲ってきて、まるで鬱状態が永遠に続いてしまうような、不安しかない世界を想像していた。

 基本的に躁鬱症になれば、鬱状態と躁状態を定期的に繰り返すようになる。あいりもいつもではないが、どうかすると躁鬱症を発症してしまうことがある。どちらから入るかはその時々で違っているが、鬱状態から躁状態に移行する時は、その前兆が分かるのが特徴だった。

 だが、なぜか躁鬱症が消える時は、その前兆もなければ、気が付けばいつも抜けている。予感もなければ、実感もないのだ。-

――記憶を失ってみたい――

 と感じたことが今までに何度かあった。

 何が理由だったのか、ハッキリと覚えていないが、その何度かのうちの一度は、ただ記憶を失うとどうなるのか、それを感じてみたいと思っただけだったような気がする。

 記憶を失うというリスクがどういうことなのか、まだ学生だったあいりにはピンとこなかった。

 もちろん、記憶を失いたいと思っているくらいだから、ロクな記憶しかないと自分で思い込んでいる時であり、本当であれば、失いたくない記憶もあったはずで、ひょっとすると、そんな記憶は喪失しても、消えることのないフンインしている場所に格納していることで、記憶の内容までは覚えていないが、その部分が消えることはないという思いの元だったのかも知れない。

 そう思うと、今度は、

――真美が記憶を失ったことは、彼女にとって良かったのだろうか?

 と、考えるようになった。

 真美は、記憶を失ってからというもの、無表情になっていった。元々感情が顔に出るタイプではなかったが、あいりが見ていれば、その時の感情の喜怒哀楽くらいの基本的なところは抑えることができた。

 記憶を失ってからの真美に、喜怒哀楽は感じられない。笑顔もなければ、悲しいような表情もない。いつも明後日の方向を向いているのだが、その焦点は合っていない。つまりは、

「見えているようで、見えていない」

 という感覚だ。

 それは、まるで、

「道端に落ちている石ころ」

 を見ているようなものではないか。

 孤独を感じるわけでもなく、見えるはずのものが見えない。何を見たいのかすら分かっていないのだから、見たくないものを見なくてもいいだけ、マシなのではないだろうか。そう思うと、真美が記憶喪失になったのは、自殺をしたショックからではなく、

――記憶を失いたい――

 という意識がハッキリとそこに孫座していたのではないかと感じた。

 そう思うと、

「記憶喪失に陥るためには、その本人が、記憶を失いたいということをハッキリと意識しない限り記憶喪失になることはできない。だから、記憶喪失から戻る時は、記憶を失いたいと思っている感覚を消し去るか、記憶を戻したいと自分で思うしかないのではないか。記憶を失いたいと思っている感覚は、今は潜在意識の中、つまり本能の中にあるので、それを意識するには、夢を見るしかないのではないか」

 とあいりは感じてきた。

――記憶喪失の人って、夢を見るのかしら?

 と思って、真美に聞いてみると、

「夢? そういえば見たという記憶はないわ」

 と言っていたが、真美を見ているとあいりが考えている夢と、聴かれた時に感じた真美の中での夢とは、

「果たして、同じものなのだろうか?

 と感じるのだった。

 晋三のことを、

「道端の石ころ」

 と考える根拠は、街に蔓延る外人どもと違った意識として、

「何でも人のいうことを『はいはい』ときく、イエスマン」

 という意識が強かった。

 普段は人とまったく接することがないのに、すべての人が関わらなければいけないことの場合には、完全に相手が自分よりも立場の強い人であれば、まったく抗うこともなく、悪いことであってもしたがってしまう。そんな男であった。

 女性の中にはそんな男に対して母性本能を抱くという人もいるようだが、あいりは気持ち悪いだけだった。考えてみれば、晋三のような男に対して、一番虫唾が走るほど毛嫌いしそうなのが真美なのに、どうして真美が晋三の似顔絵などを描いたのか、不思議で仕方がない。別に二人は付き合っているというわけではなく、無意識のうちに描いたのだとすれば、毛嫌いしている雰囲気が絵に現れていそうだが、そういう雰囲気でもない。

 ただ、絵を見ていて、やはりまったくの無表情で、

「この人は、これ以外の表情をすることって、あるのかしら?」

 と思うほどのポーカーフェイスだった。

「何を考えているのか分からない」

 まるで外人どもに感じる感覚で、気が付けば、歯を食いしばって苦みばしい表情になっていることだろう。

 まったく無表情なくせに、イエスマンであるという矛盾した態度が嵩じて、

「道端の石ころ」

 をイメージさせるのかも知れない。

 本当にどうでもいいやつだと思うことが石ころであり、外人を思わせることで、苦み走った感覚に陥るのであった。

――それにしても、私もどうして、こんなどうでもいいと思っている相手を、こんなにも気にしてしまうのだろう?

 あいりは、今まで誰かを意識すると、その過去において、何かがあったのではないかと感じることが多かった。そのほとんどは勘違いなのだが、晋三に関してはそうでもなさそうだ。

 会社に入ってから初めて出会ったはずなのに、以前にもどこかで会ったような気がしていたのは、気のせいだったのだろうか?

 それを感じさせたのは、本当に最近のことで、

――何を根拠に?

 と思っていたが、それがどこから来るものだったのか、少しして分かってきた気がした。

――そうだ、真美が描いたあの絵。あれを見ていると、以前にも見たことがある顔だ――

 という意識になってきた。

 しかも、それは虫唾が走るほどの厭らしさで、まるで血管を無数の虫が這いまわっているかのようなゾッとしたものだった。

 そこに寒気を感じることで、まったくの無表情な中に、この男に対しての口では言い表せないような恨みと憎しみすら感じられた。今までに何も関係がなかった相手にそんな感情を抱くはずもない。

 あいりは、

――まさか、私も記憶を失っていたのではないか?

 と感じた。

 一時的に記憶を失ったことがあって、その記憶を失っている間に培われた記憶が、元の記憶が戻った時にm飛んでしまったのか、それとも記憶の奥に封印されてしまったのかのどちらかではなかったか。その時は自分が記憶を失っていたということを意識していたのに、時間が経つにつれて、自分が一時期でも記憶を失っていたということを忘れてしまったのではないだろうか。

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