第7話 イクメン稼業防止条例
線状降水帯という言葉をよく耳にするようになった。いつ誰がどのような目的でそんな言葉を作ったのかは知らないが、日本語はとかく流行語の移り変わりが激しい。異常気象が頻発するようになってすでに10年。
昨今の夏は入道雲だとか夕立だとかそんなおだやかな言葉では表現されなくなった。
「言葉は人の心を具現化する。どんなに美しい言葉をビブラートを効かせて着飾ってもその人を否応なく映し出してしまう」
音楽や小説、美術に関する知識をご披露する人が多い。楽しむために知識を使える人がいなくなってしまったことに貧しさを感じずにはいられない。
夏祭りも自粛の傾向が強くなっている。それは感染症対策というよりも、騒音とか社会事情の変化を理由とするものが多い。コロナは都合のいいきっかけだったのではないだろうか。
そういえば、三閉免疫症候群に韓国人の朴さんと中国人の張さんという人がいる。最近ベトナム人のグエンさんという友達を連れてきてうちで夕食会をした。
朴さんも張さんも見た目では何人かわからない。グエンさんは少し目が大きくて少し浅黒いから外国人のような気がする。
「三閉免疫にはこの国にきた時からお世話になっているんです」
超高級酒を片手に朴さんが話を始めた。すでに来日して20年以上経過しているけれどどこか韓国訛りが抜けない。そういう人があたしは好きだった。日本に住んでいるからと言って日本に染まりきる必要はない。言葉の端っこに海の向こうが見える気がしてワクワクする。
「私たちの面倒をよく見てくれた。私たちの代わりに怒ってくれた。最近、韓国人は中国人と会うこともできなかった。スカーニーに助けられたのはこれで2度目になる。娘のあなたにもようやく会えた。ありがとう」
張さんが唇を噛み締めて何かを我慢している。終戦という言葉に違和感のあるあたしには張さんの悔しさみたいなものが雰囲気で掴めるものの、言語化はしていように努めた。彼の故郷は中国で、あたしが生まれたのは日本だから「わかる」と言えたとしても言うべきではないと思っている。
「グエンさんはいつ日本に来たの?」
「8年前かな。連れられてきた」
「グエンさん!」
張さんが語気を強める。
張さんとグエンさんの関係もなかなか難しい。ベトナムと韓国は少し似ている。でも中国はそんなベトナムを心配していた。韓国があったからベトナムは踏みとどまることができた。あたしもなんとなく感じている。
分断や分離はそうならざるを得なかったということはひとつもないはずだ。誰かがそうなってほしいからそうなるように道を作る。
道路の舗装をしなければ道は続かない。
戦後間も無く、バラック街が並んだ。隣が誰であろうと構わず助け合うことも簡単だった。瓦礫を超えるように歩んだ日本人は瓦礫を片付けてくれた人々がいたことを忘れている。その瓦礫がどこで処分されたかさえ知らないままに。
「今の日本人にはないものをあなたは持ってるね」
グエンさんが人懐っこくあたしを褒めてくれた。一瞬嬉しくて真顔になったけれど、すぐに育ての親の正宗さんのことを思い出した。人質村であたしを実の娘のように育ててくれた養父は2021年に亜種白路に殺された。
「あたしの養父がグエンさんみたいな人だったから。張さんや朴さんみたいな人だったから」
お盆はアジアという小さな村であたしは過ごした。ルーツの近しい親戚たちが集まると必ず些細な争いは起きる。それも酒席だからと無礼講にできるのは奥さんたちの配慮のおかげだ。器の大きな女性が少なくなったことも言葉が具現化している。
イクメンという言葉があたしは大嫌いだった。なんというか、男として恥ずかしいと感じるべき言葉だとさえ思う。男は仕事をしてナンボだから家事なんてやる必要はない。男妾でもあるまいに。その代わり家族を養うだけ働くべきだと思っている。
「俺が家族を養う。俺の給料で家族に腹一杯飯を食わせてやる。だから育児はお前に任せる。分業だ、お互い家族のために働こう」
正宗さんやスカーニーの口癖だ。あたしはふたりの父親の影響を受けて女性として今ここにいる。どちらも大切な父親だ。
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