第3話 ナイトのようなお兄さん
綾子にとって最近の楽しみは、学校の近くにある交番に立ち寄ることだった。そこには中学生の頃からお世話になっている巡査さんがいたのだ、その巡査は綾子が初めて拾得物を拾って、交番に届けた時にいた「お巡りさん」で、本当に丁寧に接してくれた、
確かに仕事だとはいえ、今までこんなに優しく接してもらったことはなかった。小学生の頃、テレビでウソつき呼ばわりされて、まわりを恨むことは表向きにはなかったが、やり場のない気持ちをどうしていいのか思いあぐねていたのは確かである。
そんな時、優しくされると初めて自分が人間扱いされたような気がして、本当に嬉しかった。学校でも家でも、完全に自分の存在を消すことだけを考え、あるかどうか分からない自分の気配を消す力を必死に押し出そうとしていた日々がやるせなかった。
おかげで誰も相手にしてくれなくはなったが、そのうちに苛めの対象になる時期が来てしまった。
――余計なことをしたからかしら?
と無理に潜在的なことを意識してしまったことが、自分の命取りになったと思ったのである。
だが、苛められていた時期も本の少しだけだった。
――これから本格的な苛めに入ってしまうかも知れない――
と思っていたところを綾子は免れたのだ、
他に苛めの対象が移ってしまったことで、事なきを得たのだが、それは自分の力によって、苛めている連中が綾子を怖がったことで、綾子を敬遠するようになったということで、偶然などではなく、必然だったのかも知れない。
綾子にとって中学時代に味わった苛めが、もしなかったとすれば、高校に入ってからの綾子は何を考えていただろう。
きっとそれまでの人との出会いもまったく違っていただろうし、それによって、人生が百八十度変わってしまっていたかも知れない。
お巡りさんと知り合ったのも、苛めを受けている頃だった。
「捨てる神あれば拾う神ある」
という言葉通り、苛めがなければ、このお巡りさんと知り合うこともなかっただろうし、超能力も封印してしまい、二度と使うこともなかったに違いない。
お巡りさんは、綾子は苛めに遭っている場面に必ずと言っていいほど現れた。学校の中でだけはさすがに入ってこれなかったが、苛めをしている連中は、学校では決して綾子を苛めることはしなかった。
綾子を苛めている連中は、学校で苛めをしてしまうと、先生にバレてしまう。先生にバレると、進学にも困るということで、彼女たちからすれば、ストレス解消のための苛めで、自らの立場を崩すところまではしたくないという。臆病風に吹かれた苛めしかできない小心者だったのだ。
だから、綾子を苛めている時に必ず現れるお巡りさんを、最初はただの偶然だと思っていたかも知れないが、それが偶然ではないと思うようになると、今度は綾子が急に怖くなった。
「あの子を苛めていると、お巡りさんがそばにいつもいる」
という定説が出来上がってしまい、お巡りさんが怖いというよりも、お巡りさんを引き寄せる綾子が怖かったのである。
その心情は他の人に言わせれば、
「そんなバカなことがあるはずないじゃない。バカみたい」
ということになるのだろうが、実際には彼女たちの思っていた通りだった。
綾子の中にある助けてほしいという意識が、そのお巡りさんの頭に予感のようなものとして湧いてくる。
これは超常現象の中でも超能力として一般的に言われている、
「テレパシー」
というものではないだろうか。
自分に襲ってくる危険を、彼女は助けてほしいという気持ちを普通であれば誰ともいえず、不特定多数相手に発信する、
しかし、不特定多数に発信すれば、パノラマ状に広げれば広げるほど、その力は薄くなってしまう。そんな薄い意識であれば、どんなに霊感やテレパシーを持っている人であっても、その意識をキャッチすることは難しいだろう。
万が一、その発信を受信することができたとしても、
「錯覚なんじゃないか?」
と思ってしまうと、まず、そのどこの誰からの発信かということすら分からず、一度きりの意識であれば、完全にスルーしてしまうだろう。
そう、不特定打数なのだから、相手を限定していない。だから、キャッチした相手が動くことができないのだ。
不特定多数に自分のピンチを発信するということは、何も綾子のような超常現象をもっていなくても、ちょっと練習すればできることである。しかし、それを一人の人をターゲットにして送ろうとすると、そこには普通の人間では難しい力の存在を必要とする。
綾子は、それができる数少ない人の一人だった。相手をお巡りさんに絞って意識を送り続ければ、お巡りさんはその意識を察してくれて、苛めが行われる寸前のところで回避させてくれる。
もし、苛められている部分を目の当たりにすれば、それこそ警察沙汰である、なるべく苛めを未然に防ぐというやり方をしないと、意味がないのだった。
しかも、苛めの前にお巡りさんが出現するということで、苛めっ子たちの方で、自分たちがまるで見張られているのではないかという疑心暗鬼に捉われるのではないだろう。
そう思うと、綾子にとって、その巡査を利用することは、本当は忍びないと思いながらも、
「背に腹は代えられない」
という自己防衛のための、一種の緊急避難のようなものだったのだ。
苛めが次第になくなってくると、お巡りさんへの発信もおのずと少なくなる、しかしその分、テレパシーではなく、実際に知り合いたいという気持ちに駆られるようになり、財布を拾った時のきっかけを利用して、学校の帰りには必ず交番に寄るようになっっていった。
時には差し入れを持って行ったこともあった。
「おいしいよ」
と言って、ニコニコ笑いながら食べてくれるのを見るのが好きだった。
その巡査は決して恰好がいい「イケメン巡査」というわけではない。どちらかというと愛嬌のある顔をしていて、笑顔になると、顔をくしゃくしゃにして、不細工にも見えるくらいのその表情が、綾子には癒しになった。
差し入れしたお菓子をおいしそうに食べるお巡りさんの姿は、まるで頬袋をいっぱいに膨らませ、目をこれ以上ないというほど、閉じるでもなしに、目を細めているハムスターの様子に似ていた。
「ここまで満足した表情の人間を見たことがない」
そう思うと、綾子はお巡りさんにそんな表情をさせているのが自分であるということに気付いて、これが無意識の中の自分の力なのか、それとも超能力などというものではなく、ただ単に好きな人を意識することで、相手がそれに気づいて喜んでいるという、恋愛小説に出てくるシチュエーションのようなものなのか、気持ちとしては、後者であってほしいと思っていた。
正直綾子が自分で分からないのであれば、まわりの誰にも分かるはずもない。もし分かるとすれば、それは当の本人であるお巡りさんしかいないだろう。
お巡りさんは、綾子にとって、
「ナイトのようなものだわ」
と思っていた。
巡査という職業からしても、自分を助けてくれる力を持っている。ただ、それは警察としての権利があるというだけで、本当は公務員として、いろいろ縛りがあることなど、中学時代の綾子に分かるはずもなかった。
それでもミステリーなどを読んでいると、そのうちに巡査という職業の辛さも分かってくるような気がして。そのうちに、
「あの人の癒しになれればいい」
と思うようになった。
綾子は自分がお巡りさんをかつて自分が苛めから逃れるために利用した相手であるということを忘れかけていた。
ただ、それだけ自分の中で余計な能力を使わないようになっていたのは事実で、それは自分がその超能力を意識することなく使えるようになった証拠でもある。
つまり自分に危険が迫った時、本能が働いて、誰かがその人にとっても無意識のうちに綾子を助けるような行動を取るようになったことだった。
しかし、それを実証することは今のところない。それほどの危険を幸か不幸か、まだ綾子は味わっていないということだ、
だが、実際には彼女の中の、
「超能力の発展形」
とでもいうべき状態は、実は他の誰もが持っている能力でもあった。
本能は誰にでもあるもので、その本能を意識して使うか、それとも無意識に使うかの違いであって、意識して使えるのが綾子の能力だったはずだ。
しかし、それを封印してしまい、本能だけになってしまうと、結局は他の皆と能力としては遜色のないものになってしまっているだろう、
そんなことを綾子は分かっていない。
そういえば、小さな頃超能力を持っていて、綾子と同じように天才少女などと言われてちやほやされていた子供が、大きくなると、何の能力もなくなってしまうということを何度となく聞いたことがあるだろう。
それは、綾子と同じように、意識せずに本能が働くようになったことを本人が、
「超能力の発展形」
と思うようになったことで、勘違いからか、本能というものが一番の超能力のように思うからではないだろうか。
綾子は、そこまでハッキリとした考えを持っていたわけではないが、漠然と考えることで、
「私は他の、超能力を持った天才少年少女と言われた人たちとは違うんだ」
と思うようになった。
それは、意識と本能に気づいたことによって、会得した感情なのではないだろうか。
そういう意味で、テレビに出れなくなったことは、必然だったのかも知れない、ただ、ウソつき呼ばわりされたということは、自分の中にトラウマを生むという、取り返しのつかないことになってしまったのは、もうすでにどうしようもないのだが……。
綾子は、お巡りさんと仲良くなったことで、それが恋愛感情に結び付いているのかどうか分からなかったが、それが綾子の初恋であったのは間違いないだろう、
いわゆる初恋のお年頃ということになると、その頃の綾子は、
「天才少女」
と呼ばれて、それどこではなかったではないか。
それを思うと、今が初恋だと自分でも認識できなかったとしても、それは無理もないことのように思えた。
天才少女が普通の女の子になって、人を好きになった。いいことに違いない。
彼の名前は真田武彦と言った。警察に入ってから最初に知り合った頃は本当に新人だったようで、研修期間中だったかも知れない。綾子のことは、
「お財布を拾って、ちゃんと警察に届けてくれた善良な一市民」
というだけの意識だったが、毎日のように差し入れなどを持ってきてくれることで、まるで妹ができたような気がして、真田自身も嬉しかった。
武彦は自分の中学時代を思い出していた。中学時代は剣道部に所属し、真面目一本鎗の性格で、どちらかというと、勧善懲悪的なところがあった。そういう意味では融通の利かないところがあり、悪だと分かっていても、相手に権力があることで、その権力にしたがって、
「長いものには巻かれろ」
という風潮に嫌気もさしていた。
警察官になろうと思ったのは、小学生の頃から出、小学生の頃から警察に顎がれを持っていたので、県道を始めたのも、当時警察署内で、県道教室が行われていたのに参加したことがきっかけだった。
交番しか見たことがなく、警察署というところには縁がなかったのは、小学生であれば誰でもそうなのだろうが、警察署のどこか昔からの歴史ある建物にも重厚なイメージを抱いており、制服の格好良さ、さらに、規律正しく背筋を伸ばしての敬礼など、真田少年の正義感を刺激した。
「どうすれば、僕もこんな警察官になれるんだろう」
と、小学生の頃は漠然としてしか思っていなかったが。中学生になれば、その思いも次第にリアルになってきた。
まずは小学生の頃からやっていた剣道に磨きをかけることを目指した。中学二年生の頃には、すでに県大会への出場も果たしていて、三年生になって、県大会で三位に入るまでになっていた。
剣道選手を目指していたわけではなかったので、三位でも十分満足だった。特に武彦は別に一位にこだわるタイプの人間ではなかった。少しずつ順位を上げていくことに喜びを感じ、最終的に一位になればいいと思っていた。逆に一位になってしまうと、
「そこで目標を失ってしまうのではないか?」
と考えるようになり、一位という最高位を維持することは、苦しみでしかないのではないかとも思うようになっていた。
リアルに考えるようになったというのは、そういう意味で、それ以外のことも何でも現実的に考えるようになり、子供としては、実に夢のない性格になりつつあった。
それでも警察官になるという夢だけは持ち続けていて、高校卒業後、警察学校に入学し、卒業とともに巡査を拝命、そのまま巡査として、綾子の街にある交番勤務とあっていた。
リアルな発想からなのか、武彦は昇進試験をほとんど考えていなかった。それは別に巡査のままでいいという思いというよりも、巡査の立場からもう少し見てみたいという思いがあったからだ、
街のお巡りさんという印象は決して悪いものではなかった。交番というまるで仮の建物のような場所で、市民の人たちと接することが貴重な体験にもなるだろうし、今後歩んでいくうえで決して忘れてはいけない時間になるだろうと思っていた。
その頃には、元々あった勧善懲悪という考えは少し心の奥に閉まっていたが、綾子は巡査の中にある心を読むくらい簡単なことだった。それは綾子だけに限らず、誰にでもできたことかも知れない。それだけ武彦は単純で、思っていることが顔に出やすいタイプだった。
まさに刑事ドラマなどに出てくる、
「街のお巡りさん」
そのものというべきであろうか。
そんな武彦を綾子が好きになったのも無理のないことかも知れない、綾子にとって、今の自分に必要な人は、
「信頼できる相手」
だったのだ。
それも中途半端な信頼ではダメだった。いくら信頼できると言っても、裏表のある人はダメだった。しっかりすべてが見えていないと安心して信頼することができない。裏表がある人に限って、裏を必死に隠そうとするのだが、隠そうとすればするほど、見る人が見れば、すぐにボロが出てしまう。
武彦のように、隠そうとしているわけではなく、単純な人がいいのだ、裏表がないというよりも、自分に素直な人、そこに綾子は信頼を感じるのだ、あの小学生の頃に自分のことをウソつき呼ばわりした連中はそのほとんどが裏表を持っていて、その裏の部分を隠そうという意識が、綾子をウソつき呼ばわりすることで、正当化しようと企んでいたのかも知れない。
綾子が思ったのは、
「この人だったら、他の人誰もが笑って何も信じようとしないことであっても、私のいうことであれば信用してくれるかも知れない」
ということである。
まわりからあまり信用されることのないと思っている綾子は、今はほとんど人と会話もしていない。ただ、自分で意識していなくても予知能力は働くため、本来であれば、知ってしまった以上、教えてあげないといけないこともあるのだが、下手に話をしてバカにされるのも嫌だったし、さらにバカにされるのをよしとしたとしても、当たってしまうのだから、そのことでまわりから怖がられるのも嫌だった。ましてや、これがウワサになって、また小学生の頃のように話題になどなってしまえば、まさに本末転倒。なんのために今まで黙ってきたのか、分かりはしない。
そんなことを考えていると、本当は誰でもいいから、心の底から余計なことを考えずに話ができる相手がほしいと思った。この人になら何を話しても自分の損得に関係を及ぼさないそんな相手、まるで肉親のような、例えば、両親のような、そしておばあちゃんのような、そして、兄弟のようなそんな人たちである。
武彦はお兄ちゃんと呼ぶにはふさわしい人であった。つい、いつものくせで、武彦の気持ちを探ってみたが、裏に当たる部分が見えてこない。こんなことは今までになかったことだ。
綾子は知らなかったが、自分が心を読んで、その気持ちを読み込むことができない場合、それは相手も自分と同じような考え方を持っているで、本当は分かっているのだが、自分と同じものを写し出しているので、その比較ができないため、まるで自分には見えない、あるいは本当に相手にその部分がないのではないかと思うのであった。
綾子は、他の人よりも少し優れた能力を持っているというだけで、別に特別な人間であるわけではない。あくまでも普通の女の子なのだ。そのことは本当は一番強く自分が持っていなければいけないはずなのに、そう感じることができないのは、綾子にとって可哀そうなところであり、まだ大人になり切れていない部分なのではないだろうか。
ただ、綾子は子供の頃に、まわりからの誹謗中傷を受けたことで、大人の世界の知らなくてもいい部分を小学生というまだ子供の間に知ってしまい、大人になるということを怖がるようになった。だから、大人になることを決していいことだとは思っていないのである。
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