第2話 時代の流れ
綾子は、普通の女の子に憧れていた。
「あなたは、他の人の持っていない不思議な力を持っているの。あなたは、他の人とは違うの。ちゃんとそのことを理解していなければいけないのよ」
と言われ続けた。
小学生の低学年の女の子に、しかも親が諭すのだから、その信憑性は疑うまでもない。完全に信用してしまっていたとしても、それは無理もないことだ。
それを洗脳といい、マインドコントロールということは高校生になってから知った。いい表現としてではなく、イメージとしては、宗教団体などが行う信者を団体にとって都合よく操るためのものであるということだ。
綾子が生まれる十年くらい前に、テロ集団とも言われた宗教団体が存在し、彼らが国家転覆をも視野に入れたテロ計画を画策していた時期があったということは、本で読んで知ることとなった。
親に聞くわけにはいかない。親は綾子を自分たちに都合がいいように洗脳し、それでテレビ出演をさせていたという、動かすことのできない過去がある。綾子はそれを罪だとして親を追求することは自分にはできないと思ったが、一線を画しておかなければいけない相手だということをずっと感じて生きてきた。
そういう意味で、綾子は自分が普通の女の子になりたいという意識があるにも関わらず、親には自分の気持ちを悟られてはいけないと思うようになっていた。
それに、親が何を考えているのか、自己保身のために、それくらいは理解していないと、今後自分がどんな目に遭うか分からないと思っていた。だから、この能力に嫌悪を感じながら、決して手放してはいけないものだという意識は持っている。
だが、昨日出会ったおばあさんのそばにいれば、
「私は、この能力を失うことなく、普通の女の子としていられるのかも知れない」
と思うようになった。
人にはない能力を持っているからと言って、それが特別な人間という意識を持つ必要などないのではないか。きっと自分と同じように、人にない能力を持っていることで、その人もまわりから謂れなおない迫害のようなものを受けていて、世の中の理不尽さを感じている人もいるかも知れない。
そう思うと、綾子は自分をこれまでのように、自己嫌悪に無理に貶める必要などないのではないかと思うのだった。
世の中には、もっと自分の知らないことがあり、自分一人だと思っているこんな感情を持っている人がたくさんいるかも知れないと思うと、気は楽になってきた。それを与えてくれたおばあさんが、綾子には神様のように見えた。神様というのが大げさであれば、本当は親に感じるべき思いを感じてもいい相手だと思い、
「やっと、探していた人を見つけた」
という感覚になっていくのを感じていた。
綾子は、その日学校が終わってから、おばあさんの家に早く行きたくてたまらなかった。その日一日は、自分で今までに感じた一日の中でも初めてと言ってもいいくらい、時間が気になって仕方がなかった。
「五分おきには時計を気にしていた」
と言ってもいいくらいなのだが、本当の自分の意識としては、
「もう三十分くらいは経っただろう」
と思い、見た時計がまだ五分しか経っていないことに愕然としたというのは正直なところであった。
今まで時間の感覚が違ったことなど一度もない。それが当たり前だと思っていたので、自分の頭がどうかしてしまったのではないかと、少し不安になって恐怖を感じたくらいだったが、そんな感覚が一度のみならず、二度も三度も怒ってくれば、
「前にも感じたことがあったはずの感覚」
と感じるようになると、何が錯覚なのか、分からなくなっていた。
そう思うと、さっきまでの不安が急にスーッと楽になり、不安が少しずつ消えていった。今まで不安を感じた場合、こんなに簡単に不安が取り除かれたこともなかった。何もかもが初めてであるということを感じる一日であった。
学校の授業が終わり、急いで教室を出ると、後ろを一切振り向くこともなく、校門を出た。それはいつものことであり、誰も意識していないだろう。それだけ綾子は学校にいてもいなくても、誰も意識することのない存在になっていた。
綾子は、一度図書館で天体の本を読んだことがあった。ギリシャ神話などが好きなのだが、元々は小学生の時に学校から社会見学でプラネタリウムに行ったのが天体を好きになったきっかけだった。中学に入り、ギリシャ神話の存在を知り、それが星座と密接に関わっていることを知ると、星座を神話から見ることを覚え、それに関しての本をよく図書館で見るようになった。
その時に見た本で興味深いものがあった。
「星というものは、自分で光を発するか、それともまわりの光を受けて反射することで光って見えるのどちらかである」
というものである。
しかし、星の中には、
「自ら光を発することもなく、またが他の星の光を浴びても、光を発しない星がある」
というのである。
「その星は、決して光ることはなく、真っ暗な宇宙空間でまったくその存在を知られることはないので、そばに近寄ってきたとしても、誰も気づかない」
という、本当に恐ろしい星が存在するという。
「気が付いた時にはもうすでに遅く、衝突している」
というのである。
どんなに小さな星であっても、地球くらいの星であれば、衝突してしまうと、ただで済むことはないだろう。
「生物はすべて死滅するのではないか」
と言われている。
もし、生き残ったとしても、一部の生物しか生き残っていないのだ。生態系のバランスが崩れてしまって、餌になるものがなかったりして、そのために死滅を待つだけになってしまうのは、生き残ったとしても、何の意味があるというのか、何しろもう地球は地球ではない状態になっているのだ。生き残ることにどんな意味があるというのか、教えてもらいたいものだ。
それはさておき、宇宙にはそんな恐ろしい星が存在するという。あるミステリー作家は、それを、
「邪悪な星」
として自分の作品に描いていた。綾子はその場面を後から教えてもらったが、それを聴いた時、
――私は、そんな邪悪な星と同じ運命なのかも知れない――
と感じた。
自分は人と関わることをせず、誰からも意識されずにただ存在しているだけ、道端に落ちている石ころ、これだって、誰にも意識されることなく、ただ存在しているだけである。
そんな存在に綾子は憧れている。邪悪と言われてもいい、一人でいても、寂しさを感じさせることはない。学校でも家でもそんな存在をずっと意識していた。
それでいいと思っている。必要以上に目立たなければ今の自分であれば、勝手にまわりが存在を意識しないでくれる。
ひょっとすると、これも自分の持って生まれた能力の一つなのかも知れない。今までの自分の能力は、持っていれば皆からすごいと言われるだけのものであったが、綾子にはそんな能力はいらなかった。人の前から存在を消すというようなどうでもいいような能力の方が、綾子にはよほどありがたかった。
今までの能力は、他の人に対してありがたいと思えることなのかも知れないが、自分にとって何の役に立つものではない。むしろ自分を苦しめるだけのものになってしまう能力などいらないのである。
そんな気持ちをずっと持ち続けていると、自分がどんどん内に籠っていくのが分かる。だから余計に人から気にされないことを望むのだった。
綾子はいつもより早く学校を出て、急いでおばあさんの家に向かったのだが、学校からおばあさんの家までは歩いても二十分くらいのものなので、本当は急いでいく必要もないのである、
――こんなにも、どこかに早く行きたいなどと思ったのは、いつ以来だろう?
学校が終わっても、すぐに家に帰って宿題をこなせば、後はテレビを見たり、ゲームをしたりする程度、ネットのゲームでは数人の友達がいるが、皆他県の人で、会える教理というわけでもない。中には、
「夏休みになったら、どこかで落ち合ってみたいような気もするな」
と言っている人もいたが、綾子はそこまで考えたことはなかった。
ゲームは中学時代にするようになったのだが、最初はクラスメイトの女の子から進められてやったものだった。そのゲームはロールプレイングであったり、カードゲームであったりしたが、カードゲームはどうにも好きになれなかった。カードゲームは、昔テレビに出演させられて、その時によくやらされたものと似ていたからだ。
ロールプレイングも似たようなものであったが、テレビで実演させられなかっただけでも全然意識が違った。特にネットでやっているといこともあって、
「誰か知らない人に見られている」
という意識が強くなった。
それは不特定多数の人というイメージが強いだけにネットであってもテレビで見られているような自分の知らない人が自分だけを注目しているような気がして気持ち悪かった。最後の頃はカードゲームをすると、吐き気を催してきそうで、辛かったくらいだ。
高校二年生になると、ゲーム自体をしなくなった。飽きてきたというのも事実だが、本を読むようになったのも、その理由かも知れない。本を読んでいると想像力が増してくる。小学生の頃、よく学校の図書館に通っていたのが懐かしいというのもあったが、星座イメージすることで昔の小説を読むことが多くなった。
明治の文豪のと呼ばれる人たちの作品であったり、大正ロマンなどの作品などもよく読んだ。
本を読んでいると、自分が作品のヒロインになっている気分になり、しかも時代の違いが、想像力を豊かにしてくれる。
実際に知らないはずの世界なのに、読んでいると勝手にイメージが浮かんでくる。それこそ持って生まれた自分の能力であることを、いまさらながらに思い出していた。
明治時代など、映画でシーンを見たことはあったが、本を読んでいると、明治時代の街の風景が頭の中に浮かんできて、自分がその中にいるような気がしてくるのだ、だが、自分がヒロインになったという印象ではないヒロインとは違う存在の別キャラクターであり、しかも小説の中に出てくる人物ではないのだ、つまりは、架空の話の中で、勝手に想像したキャラクターが物語の中に入り込んで、ただ、物語の進行を妨げるわけではなく、まるで「邪悪の星」のごとく、誰にも意識されることなく、自由に立ち回れる立場として存在しているのだ。
昨日知り合ったおばあさんであるが、いくら年齢がいっていたとしても、昭和であることに間違いはないだろう。大正だとするのであれば、生まれが対称十四年だとしても、年齢としては優に九十歳を超えている。百歳近いと言ってもいいだろう。
ただ、綾子の中の意識としては明治晩年と昭和初期とではさほど街並みが違っているという意識はなかった。
実際に昔の街並みを写した写真集などで見る、明治終盤と昭和初期とでは、どこが違うんだと思うほどで、本当に差を感じることはない。ただ、帝都ではその間に大震災があり、街並みは一変してしまったところもあるであろうが、今の時代から見れば、そこまではないような気がする。
それにしても、帝都東京はすごいものだ、大正十二年に関東大震災が起こり、帝都は廃墟と化したにも関わらず、その三十年後の東京大空襲までに復興はほとんど終わっており、今度は東京大空襲でまたしても、帝都である東京市は廃墟と化した。それが、二十年も経たずに、十数年後には東京タワーの完成、されに戦後二十年で、東京オリンピックの開催と、まさに奇跡の復興を遂げているのだった。
それを思うと、現在の二十年の間にどんなに化学が進歩したと言っても、あれだけの廃墟から何度も復興を遂げた帝都東京市は、すごいとしか言えないだろう、
綾子は、あのおばあさんの生まれがいつの頃だったのか分からないが、戦時中くらいだったのではないかと思っている。まだ八十歳くらいではないかと勝手に思ったからだった。
綾子はおばあさんの家に着くまで、これだけのことを考えていた。
「たった二十分くらいなのに、よくこれだけのことを考えたものだ」
と思った。
気が付くとおばあさんの家の前についていて、
「こんにちは」
と声を掛けると、おばあさんが中から待ってくれていたのか、そそくさと出てきた。
その様子がまるで小さな子供ようで、見ていて微笑ましさを感じた。
「年を取れば子供に戻るというが、あのおばあさんもそうなのかも知れない」
と綾子は感じた。
「おやおや、いらっしゃい」
とおばあさんは喜んでくれた。
「また来ちゃいました」
というと、おばあさんは喜んで、顔をくしゃくしゃにしていた。
こういうのをかわいいというのだろうとm綾子は感じた。
綾子は、昨日夢に見た内容を話して、その場所を探してもらうことにした、すると、
「あったわ、あった。どうも私が探した時は思い込みからなのか、一方方向からしか見ていなかったので気付かなかったんでしょうね。それにまさかそんなところにあるなんて思ってもいなかったので、余計にそれ以上を探さなかったのかも知れないわ」
と言っていた。
それを聞いて、最近読んだ探偵小説の一節を思い出した。
「ここは一度警察が調査しているので、今では絶対に安全な隠し場所なんですよ」
というセリフだった。
凶器の隠し場所を探すという場面で、探偵が指摘した場所を警察が掘り起こすという場面であったが、その場所は先日、警察によって一度掘り起こされた場所であり、その時には何も発見されなかったという場所だった。
一度調査した場所をもう一度捜索するというようなことを警察は普通はしない。よほど確信があれば別だが、今では捜索令状が必要だったりと、手続きという意味でも面倒くさく、手間もかかるため、警察は安易にそんな手間は掛けたりしない。そういう意味で、犯人が証拠を隠しなおすであれば、一度捜索されて何もないと分かった場所ほど安全なところはないのだ。
そんな時の探偵の意見は、まず間違いなく確信を掴んでいるという場合が多い。何しろ警察力を動かし、再度捜査令状を取る手間を考えれば、
「すみません、勘違いでした」
では済まないであろう。
そんな捜査をしていれば、探偵としても、信用問題になりかねない、しかも警察とはお互いに協力し合う立場にあるので、捜査の妨げになるようなことは基本してはいけないのだ。
これも最近読み始めた探偵小説の受け入りであるが、ちょうど大正時代から昭和初期にかけて、探偵小説が一世を風靡した次回があったのだ。
その時代の探偵小説で今も読まれ続けている小説もあり、そこから逆にその時代を顧みようとする感覚は、想像力を?き立てるという意味でもよかった。
想像力というのは、掻き立てるものなのか、それとも自然と浮かんでくるものを感じるものなのか、綾子は最近分からなくなっていた、小学生の頃まではわざわざ掻き立てなくともイメージが湧いてくるものであったが、中学生以降からは、湧き出てくるものがなくなってしまった。テレビで叩かれてから、次第に忘れられるようになると、自分が普通の女の子に戻ってくるのが嬉しくなっていった。
それは、まるで苛めの相手が自分以外の女の子に移った時の喜びに似ていた。別に自分に得になることではなかったのに、嬉しく感じるなどという感覚を初めて知った時だったのかも知れない。それまではずっとまわりからちやほやされて、
「できて当然」
「あの子は他の子とは違う特別な子なんだ」
と思われていたことで、有頂天になっていた。
実際にやれば何でもできてしまうことが自分を有頂天にし、まわりが勝手に持ち上げてくれたことをできてしまうのを自分でも当然と思っていたのだから、自分が得をすることは、
「当たり前で、損などありえない」
という状態である、
おばあちゃんも、
「どうして分かったの?」
と聞いてきたが、それにはさすがに綾子も即答はしかねた。
実際にどう返事をしていいのか分からないからだ、自分に特殊能力があるからだなどと言うつもりはなく、きっと説明を要することになるのが分かっているので、誰に聞かれても言わないようにしている。
下手に自分の意見を、自分の意見として述べると、相手によっては、反対意見を容認しない人などがいれば、話がこじれてしまい、その話をしてしまったばっかりに、せっかく育んできた仲を壊しかねないということになりかねないのを恐れているのだった。
――おばあちゃんとは、昨日が初対面のはずなのに――
と思った。
まるで前から知り合いだったと思うのは、自分が昭和初期のおばあちゃんが生きてきた子供の頃を知っているかのような思いがするからだった。
「ねえ、おばあちゃんはいくつになるの?」
と聞くと、
「そろそろ八十歳になるんだよ」
という。
戦後七十数年だから、生まれがちょうど戦前が戦時中ということであろうか。綾子と同じくらいというと、昭和三十年くらいのことではないだろうか。
よく考えてみると、その時代の雰囲気を思い浮かべることは綾子には難しかった。たぶん、まだ舗装もされていない道が繋がっているイメージが強く、昔のいわゆるバラックと呼ばれる住宅街が軒を連ねているようなイメージである。これが東京であれば。東京タワーの建設途中の鉄骨が見えている風景を思い浮かべることができるのだろうが、今ではスカイツリーが東京の天空を掴んでいることを思うと、どこか味気ないイメージがするのは、綾子の年齢では考えにくいことであろう。
綾子にとって、今まで年齢の違う人の過去を想像してみるなどなかったことだった。今までしたことがなかったことをしているのだから、無意識だったに違いない。だが、おばあさんほど年齢が離れているからこそできるというもので、もし相手が自分の親と同じくらいの年齢であれば、果たしてできたかどうか分からない。
綾子の親は年齢的には四十歳代中盤くらいだ、そうなると、生まれた年は、高度成長を抜けての、公害問題などが出てきた頃であろうか。両親が自分と同じくらいの年齢ともなるとすでに時代は平成に入った頃になる。いわゆるバブルが弾けて、その影響が経済的に出てきた時代ではないだろうか。
綾子は自分の両親が自分と同じくらいの年齢がどんな時代であったのか、考えたことがあった。
バブル経済というものが存在し、時代の流れの中で、国営だったものが民営化された時代としても意識されていた。いわゆる、国鉄であったり、電電公社などがその代表例であろう。
「やかった。見つかって」
と綾子がいうと、
「ええ、もっと私がしっかりしていればよかったんですが、やはり年ですかね。自分でも思っていたよりも忘れっぽくなっているようでね。でも、忘れっぽくなったおかげで、今までになかったこともできるようになったものですよ」
と、おばあさんは曖昧な話を始めた。
「どういうことなんですか?」
「この歳になると、何か予感めいたことが急に分かるようになるんですよ。虫の知らせとでも言えばいいのか、それも悪いことばかりが分かる気がするんですよ。例えば知り合いが亡くなるとかね。特に離れていて、ずっと会っていなかった人にいえることだったりするんだけど、ただ、それは年老いた我々のような老人に限ったことではなく、若い人の死も分かる気がするんです。でも、いつも会っている人であればそれも何か伝わるものがあるのかと思うんですが、実際になかなか会ったことのない人ばかりなので、自分でも不思議なんですよ」
きっと他の人が聴けば、
「そんなこと信じられない」
と、話を聞いても一蹴するに違いないが、綾子は無碍にそれを否定することはできなかった。
自分の考えていることと、どこかに類似点があるような気がするのだが、どのあたりがその類似点なのかが分からない。
ただ、
「人が死ぬ時が分かる人がいる」
という話を聞いたことがあったが、
『人が死ぬ時が分かるようになってきた』
という話は初めて聞いた。
死が近づいてくると、
「自分の死期が分かる気がする」
という人はよく聞くが、人の死に関して分かるというのは不思議な気がしてくる。
綾子は少し怖かったが思い切って聞いてみた。
「誰かが本当に死んだのを予知されたんですか?」
と聞くと、
「ええ、最近、親戚の甥がなくなったんだけど、まだ年齢は五十歳くらいだったんだけど、どうやら交通事故だったんだよ。私は前の日に夢を見たんだけど、その甥とはずっと会っていなくてね。十年以上は会っていなかったはずなんだけど、急に夢の中に出てきて、急に馴れ馴れしく家に入ってきたんだよ。一緒に食事をして、泊っていくだろうと聞くと、うんというんだ。だから布団を敷いてあげて、いつでも寝ていいよと言ったんだけど、甥は結局そこで寝ることはなかったんだ。そして夢が覚めたんだよ」
「寝ていないってよく分かりましたね」
「ええ、それが自分でも一番不思議に思っていたので、何か気持ち悪さを感じていたんだけど、その日の夕方に、甥が交通事故に遭って亡くなったって聞いた時、正夢なのかなって感じたのが、最初だったかな?」
とおばあさんは言った。
「でも、さっき、忘れっぽくなったおかげって言っていたけたけど、おかげということばは、いいことに使う言葉だと思うんで宇sが、おばあさんがそんな予感を持つのは悪いことじゃないんですか?」
と聞くと、
「そうだね、若い人が聴けばそうなのかも知れないけど、私たち年寄りからすれば、棺桶に半分足を突っ込んでいるようなものなので、死というものに対して必要以上の意識を持っていないんですよ。しいて言えば、覚悟をしているので、それほど死に対して悪いことだという意識もないんだよ」
「それは、死というものに感覚がマヒしているということなんでしょうか?」
「それとも少し違うような気がする。一つ言えることは、ここまで生きてくると、今まで一緒だった人が次々といなくなるということを身に染みて感じてきたというのかな? 極端な話が、ずっと毎日会っていて、いつもくだらない話に花を咲かせてきて、昨日まで一緒にこうやって話をしていた人が、今日は姿を見せないと思ったら、脳溢血か何かで帰らぬ人になっていたなんてよくあることになってくるんだよ。それが、死に対しての感覚をマヒさせたというのであれば、そうなのかも知れないけど、感覚がマヒする前に、何か別の感覚が生まれるようなきするんだよね」
「なるほど」
「だから、その感覚が何かの力を持っていて、虫の知らせを呼ぶんじゃないかって思うと自分で納得が行くんだよ。きっと自分の死ぬ時も、誰か予感してくれる人がいるんだろうなって感じているよ」
「おばあさんのまわりに同じような力を持った人がいるということですか?」
「私はいると思っているんだよ。類は友を呼ぶという言葉があるだろう? まさにあの言葉通りの感覚だね」
綾子はおばあさんと話をしていると、自分の中に眠っていた何かの力が芽生えてきた気がした。その力というのは今までに感じたものではなく、何か別の力が影響しているように思えた。
――ひょっとすると、おばあさんと仲良くなったことで、おばあさんの力と自分の力が共鳴したのか、おばあさんによって、潜在していた力が意識として目覚めようとしているのか、久しぶりに意識のある予感めいたものが生まれてきた気がするのだった……。
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