第6話 作曲と時間
作曲家である新宮晴彦が殺されたのが発見されるまでの、まだ生前にお話を戻してみよう。
電車の中で気分が悪くなって、恭介に介抱されたのが、彼が殺される半月前のことだった。その日から晴彦は仕事はいつも通りこなしながら、それまで少し休んでいた作曲活動を再開させた。
それまで休んでいたのは、少し自分の中で、
「スランプだ」
と思っていたからだ、
「スランプなどという言葉は、本当のプロが使う言葉で、俺たちのようなアマチュアには向かない言葉だ」
と思っていたことから、なるべく自分ではスランプなどということを感じないようにしていたが、それでも、何も浮かんでこない時はあるものだ。
逆に、何をやっている時でも、勝手にアイデアが浮かんでくることがあるように、一つのことからいくらでもイメージが湧いてくることもあった。まるで自分が天才にでもなったかのような錯覚であるが、そんな時のアイデアなど、誰も認めてくれるものではなかった。
精神的に鬱状態になりかかっているのを何とか堪えながら、気分転換に躍起になっていたのだが、立ち眩みを起こしたのはそんな時だった。
自分を助けてくれた相手との再会は、それから少ししてのことだった。
――二度と会うことはないんだろうな――
という思いが強かったのに、よく出会えたものだ。
もっとも、あの時彼が助けてくれたおかげで、何か自分の中の違和感が取れたような気がして、その日から作曲を再開できるようになったのは、彼の中に作曲という意味で、同じ匂いを感じたからなのかも知れない。
あの日、見たつもりはなかったのだが、途中で眠ってしまって目が覚めた時、瞼の裏側に花火の残像が残っているような気がした。
確かに花火を見たという記憶はないが、潜在意識が過去に見た花火を今見たかのように思わせているのかも知れない。それはデジャブに似た感覚であったが、同じ過去に見たかも知れないと思うことであっても、微妙に違うような気がした。
根拠はないが、もし、自分が花火を意識して見にいっていれば、見たかも知れないソックリの光景を、潜在意識が見せてくれたのかも知れないと感じたのだ。
潜在意識という言葉を聞くと、まず思い浮かぶのは夢である。
「夢というのは潜在意識が見せるもの」
というのをよく聞くが、果たして潜在意識というのがどういうものなのか、漠然としてしか分からなかった。
しかし、心理学を研究していると、潜在意識というものが無意識と同意語であるということを学ぶ。
夢というものの定義にしても、
「人は睡眠中にその日の記憶や経験を、過去の記憶と照らし合わせ、いるものといらないものに整理する」
というもののようだ。
それを行っているのが潜在意識であり、無意識の意識であった。
考えてみれば、夢で覚えていることというのは、自分に都合のいいものだとは限らない。逆に都合の悪いものの方が多く、特に怖い夢の方が、強烈に印象が残っているため、
「残さなければいけない」
と判断するからであろうか、記憶として残すことになる、それが封印されるかどうかは、潜在意識が無意識ということなので分からない。
つまり、
「夢というものは、無意識という潜在意識が見せるものなので、自分のものであるにも関わらず、自分の思い通りにならないことなので、不思議な感覚として頭が考えてしまうことになる」
と言えるのではないだろうか。
「ひょっとすると、同じことがデジャブにも言えるのかも知れない」
デジャブというのも、理論的に解明されていない部分が多く、
「初めて見たはずのものを、過去に見たような気がしてしまう」
という現象で、これも潜在意識が見せている夢のようなものだとすると、一定の理解ができる気がする。
つまりは、
「寝て見るのが夢であり、起きている時に感じるのが、デジャブなのではないか」
という解釈も成り立つのではないだろうか。
そんなことを考えていると、自分に起こっている不思議なことは、そのすべてを潜在意識のせいにして、解釈すればいいように思えるが、果たしてそうであろうか。
ただ、思いが成就することもあるようで、そうなると、これは潜在意識とは別の意識が働いていたと言えなくもないだろう。もっとも、同じ路線を使っているのだから、出会わないはずもないとも言えるのであって、意識していればどちらかが気付くかも知れないというレベルには、発想が達していたのかも知れない。
気が付いたのは、恭介の方だった。
「やあ、この間は大丈夫だったですか?」
本人とすれば、
「助けてやった」
という自負があるのか、気が付けば声も掛けやすい。
それとも、普段からあまり人と接触することのなかった恭介が、
「この人なら」
と感じたことで、再度会ってみたいという思いが相手と共鳴し、その実編を果たしたのか、どちらにしても、恭介からすれば、
「都合よく出会えた」
と言ってもいいだろう。
「確かに、わざとではなかったはずだ」
と本人が後から再認識してみたほど、偶然というには都合がよかったかも知れない。
なぜなら、出会った場所は、前と同じ電車の同じ車両であり、ただ、今度はゆっくりと座れたので、まったく同じ環境というわけではなかった。
だが、同じ車両にわざと乗ったわけではない、ただ、あの時と同じで、電車に乗る時はいつも降りてからのことを考えるので、降りた時、階段や改札に一番近いところに乗るようにしているが、この間もそうだったが、その日のように、電車にギリギリで乗ってくると、どうしてもこの車両になる。
実はこの車両。晴彦にとっては、恭介のいう、
「いつもの車両」
だった。
つまり、晴彦が降りる予定の駅では、この車両がちょうどよく、いつもこの車両だった。だから偶然という言葉を使うのであれば、恭介にしか使えないのではないかと思えた。
「いつもの車両でいつもの電車」
である、晴彦には当てはまらないからだ。
だが、見つけてもらった晴彦の方も嬉しかった。
「この間はありがとうございました。おかげさまですっかりよくなったみたいです」
「それはよかった。私も心配してましたからね」
「ええ、しかも、あの日まで少し気が滅入っていたりしたんですが、あの日を境にいろいろ吹っ切れたみたいで、それもあなたに助けてもらったおかげではないかと思えているくらいなんです」
そう思っているのは事実だった。
確かにあの日から音楽への創作意欲も増してきて、鬱状態を脱したかのようだった。だが、本当の躁鬱症ではなかったので、軽い鬱からの脱出だったことは、その日のうちに分かるわけではなかった。
自分が鬱状態から抜けたと意識したのは、朝目が覚めてからだった。会社で一日過ごしてみると、明らかに前の日とは精神的に違っていた。躁鬱と繰り返していない時の鬱状態から抜ける時であっても、普段であれば、抜けるということは分かるものだったが、その日は分からなかった。やはり少しとはいえ、酔いが残っていたからであろうか。
自分も予知できないほどの鬱状態からの脱出を演出してくれたのが、あの時助けてくれたおじさんだと思うと、あの時だけの知り合いではもったいない気がした。別に利用しようという意識があったわけではないか、せめて、もう一度話をして、鬱から抜けることができたのが、この人のおかげだと意識したいという気持ちがあった。しばらく出会えなかったが、自分から探そうとまでは思わなかった。やはり偶然の出会いという演出がなければ、自分が確かめたいと思っていることは成立しないと思ったからだ。
もし、これが友達の少ない人だったら、わざとを装ってでも出会いたいと思ったかも知れない。それは友達が多いと思っている晴彦だから思うことで、実際に友達の少ない恭介などは、
「友達が増えるのは、億劫だ」
と思うことだろう。
友達を自分の中で精査しているわけではないが、好きになれないやつと一緒にいても、それは友達ではない。億劫なだけで、相手も同じように思っているに違いない。実際に躁鬱症を必要以上に感じているのは恭介の方だけに、鬱になったことをまわりに知られたくないという思いがあることで、その時は、
「友達などいらない」
と思うのだ。
足が攣って痛くてたまらない時、まわりの人に知られたくない心理、それに似ている。下手に知られて、心配な顔をされると、余計に痛みが増すからだ。
――こいつ、人の気も知らないくせに――
と感じるからで、その思いは、時々感じることだった。
いつも同じ心境の時だとは限らないくせに、その気持ちに陥る時が分かる気がする。それはまるで鬱状態から躁状態への入り口に立った時と似ているような気がした。つまり、時g九のトンネルから解放されるイメージを逆に感じるような印象だった。
恭介にはあの時の晴彦が、鬱状態にいたのではないかと思っていた。一緒にいる時には分からなかったのだが、彼と別れて一人になり、真っ暗な車窓を見ながら、孤独を感じていると、その原因が先ほどの男性にあることに気付いた。
最初こそ、
――余計な気分を与えやがって――
と、せっかく助けてやったのに、災いを残していくなど、最悪の極致に、苛立ちがあったのだ。
だが、そのうちに、その苛立ちが膨れることもなく、次第に収束していくのだった。人を助けたという満足感のようなものがあったからだろうか。いや、今までにそんなことで満足感など味わったことはなかったはずだ、
年齢的にももう五十歳近くなっているというのに、最近では先が見えてきているとまで感じているくせに、どうかすると、まだ二十代と精神的に変わっていないということをふと感じさせられ、その思いが却って自分の実年齢を意識させることに繋がるという負のスパイラルに陥らせていた。
――やはり、一人だけでいることでm比較対象がないから、そんな風に感じるのだろうか――
と思えてならない。
もし自分が誰かを求めているのだとすれば、今出会った人は、死ぬまで友達でいられる人なのかも知れない。それがこの間の彼であればいいのにと思ったのだ。
恭介が今まで友達を億劫だと思ったのは、離婚が原因だったのかも知れない。
二十代で結婚し、三十五歳の時に離婚した。子供はいない。それが唯一の救いだったのではないか。離婚するまでは、自分が人生の高みに向かって、ゆっくりだが、徐々に上っているように思えた。そして、このゆっくりという上り坂が実に心地よかった。
上り坂はを上るのは、下り坂を下るよりも楽だと思う。なぜなら、下る時は、一気にいかないように、セーブする必要があるからだ。上り坂にはセーブの必要がない。下りが楽だと思うのは、見せかけに騙されているからではないだろうか。
晴彦が元気になってくれたのは、恭介にとって何よりであり、友達になれたら、もっといいのにと思っていた。
晴彦の方がまずそのボールを投げたのだが、
「あの日まで精神的にきつかったんですが、あの時助けていただいたおかげなのか、鬱状態から抜けれたような気がしているんですよ」
「おお、それは何よりです。私も躁鬱症には悩まされることが多かったので、その気持ち分かるような気がします。躁鬱症の時は、入る時も抜ける時も、その前兆のようなものを感じるからですね」
「ええ、まさしくその通りなんです。あなたにもそれが分かるんですね?」
「ええ」
晴彦はその感覚は自分だけだと思っていた。
他の人にも言えることなのかどうなのか、気になるところではあったが。こんなことを聞いて、変な目で見られるのが嫌だった。だが、この時の晴彦は決して嫌な顔をすることもなく、同じことを感じている人の出現に、素直に嬉しそうな表情を浮かべていた。
「こんなことを考えているのは、僕だけなのかなって思っていました。でも、そうじゃないと分かると気持ちのいいものですね。もっとその人の話を聞いてみたくなります」
「うんうん、その通りなんだよ。ある日突然、躁鬱症のような状態に陥ってしまったという意識はあるんだけど、後から思い返すと、それがいつのことだったのかって、ハッキリと認識できているわけではないんだよ。だから、勘違いだったんじゃないかなって思うこともあった。でも、そんな時に限って繰り返すんだよ。躁鬱の状態がね。しかも、来る帰す時の節目が分かるんだ」
というと、
「ええ、分かる気がします。僕は大学で心理学を専攻していたので、それらしきことは分かる気がするんですy。ただ、学説の中には本当に自分にも当てはまるのだろうかと緒もyことも結構あって、ハッキリと信じられないところが多いですね」
と晴彦は言った。
「やっぱり、趣味を持っているというのはいいことなのかな?」
と恭介がいうと、
「そうですね、趣味はいいですよ。私もあの日、助けていただいたあの日から、また趣味を再開しましたからね」
と晴彦がいうと、
「どんなご趣味なんですか?」
と、話の流れで恭介は聞いただけだったが、
「曲を作るのが好きなんです」
と晴彦が言い終わる前に、ビクッと自分が反応したのが分かった。
「おお、曲ですか、それはいい。実は僕もそうなんですよ。映画音楽のようなものが作れればいいなんて、大それたことを考えていましてね」
と、相手に他の人が作曲するような歌詞があって、曲があるというそんな普通の作曲だとは思われたくない一心で、最初から、聞かれもしないのに、自分から答えたの。
「実は僕もそうなんですよ。映画音楽のような壮大なものではないんですが、何か組曲になるようなものであればいいような気がしてですね」
と晴彦は答えた。
「やっぱり音楽っていいよな」
恭介は少し遠くを見るようにして答えた。
「ええ、そうですね」
きっと、この時の晴彦の視線も、同じような高さだったにだろう。
同じようなものを見ようとしていたに違いない。
「クラシックが小学生の頃から好きで、ちょうど僕たちの頃の小学校って、授業の合間とか、給食の時間とか、クラシックを流していた学校も結構あったと思うんだ。その影響からか、よくクラシックを聴くようになって、かといって、歌謡曲は聴かなかったんだ。皆が聴いているのを一緒になって聴くというのはあまり好きじゃなくてね」
と恭介がいうと、
「僕もそうなんですよ。僕の場合は、組曲というのが好きでしてね。バレイ音楽なんかにあるじゃないですか。例えばチャイコフスキーのようにですね。一つの曲の中で、まったく違うような曲があるところに魅力を感じるんです」
というのが、晴彦の発想であった。
「僕も映画音楽に凝ったのは、組曲で構成されているものもあったからなんだけどね。アメリカのSF映画だったと思うんだけど、壮大な宇宙をテーマにした映画でね。それが素晴らしかった」
「なるほどですね。でも、僕の興味は少し変わったところにあるんですよ」
と晴彦は言い出した。
「どんなところだい?」
別に深い意味などないだろうと、タカをくくって聞いてみたが、
「何分何秒という時間が、曲において絶対的なものであるというものを証明したいと思っているです」
「どういうことかな?」
「曲って、リズムがあるもので、表紙もある、だからある程度決まった秒数の倍数になると思うんですよ。その中で作曲に適している秒数を見つけ出して、その秒数の曲をいかに作れるかというのを自分で立証し、立証できた秒数で、どんどん作曲をしていきたいという思いですね。きっとその秒数を意識すれば、作曲も考えているよりもスムーズにできるんじゃないかって思うんです」
「でも、その考えは危険じゃないかな? 何か束縛されているような気がするんだけど」
と恭介がいうと、
「いいえ、僕は客に作曲は難しいという固定観念を払拭させたいんです。そのためには、一つの目安になる何かを見つけることが大切だと思うんです」
「それが、何分何秒という時間だというのかな?」
「ええ、その通りです」
「発想としては確かに面白いと思うね。僕も同じように時間を意識して作曲してみようかな?」
と、恭介は思った。
最近の恭介は作曲から少し離れていた。
毎日やっている時はそんな気分にならないが、一日しなければ、ずっとやっていないような錯覚に陥り、すぐにできる状態にならなかった。これは作曲に限らず、他の創作活動全般にいえることではないかと思うのだった。
「そういえば、ジョン・ケージの四分三十三秒という名前の曲があるって聞いたことがあるな」
と晴彦は呟いたが、
「知っているよ。名前だけだけどね。何か無音の音楽らしいんだけどな」
名前だけなので、どんな音楽なのか分からない。無音というだけに、そもそも音楽は存在するのだろうか?
ただ、晴彦は別のことを考えているようだ。
「曲には最適な秒数という者が存在するとすれば、それを割り出して、割り出した秒数の曲を作れば、最高の音楽ができるのではないかという発想と、最適な秒数を目指せば、音楽は苦もなく作ることができるようになるかも知れないという考えが存在すると思うんです。僕は後者を証明したいと思っています」
「じゃあ、君は、前者と後者とで違う発想なので、秒数は違うと思っているのかい?」
「ええ、僕はそう思っています。まずは後者を見つけたいと思っているんですよ」
と、晴彦は自信を持って答えた。
「僕は前者を考えたことはあったけど、後者はなかったかな? 実際に探してみたこともあったんだけど、意識として自分しか信じていないことだと思うと、気合が入らなくて、結局すぐに探すのをやめてしまったんだ」
「それはもったいないことをしましたね。今からでも遅くないですから、探してみればどうですか? 僕も後者を探しますので」
と、晴彦がいうと、
「そうだね。競争のようなものだね。何か楽しみになってきたな」
と二人は、いつの間にか、音楽談義をするつもりが、目標設定に変わっていた。
「でも、やはり目指しているのは、クラシックなんでしょう?」
「僕はクラシックが音楽の始まりのようなもので、最終的にはまたクラシックの世界に音楽が集約されてきそうな気がするんだ。もうあちこちのジャンルで、限界が見えてきたんじゃないかって思うんだ」
「音の開発よりも、人間の耳が慣れてくる方が数段早いから、そういうことになるんだろうね」
「そうだと思います」
二人は、時間を忘れて音楽談義をしていた。
この日は気分を変えて、バーでの食事となった。
「一度前に寄ったことがあったので」
と晴彦の紹介での店だった。
ワインでは恭介は物足りなかったが、晴彦にはちょうどよかった。
「さっきの音楽の話なんですけどね。僕は中学の頃からいろいろな音楽を聴いてきたんですよ。クラシック、ジャズ、日本の音楽から、ワールドミュージックまでですね。もちろん演歌も聴いたし、軍歌も聴きました。それぞれに時代があっていいなとは思いましたが、それは他の人が聴く、その音楽が好きだという感覚とは違っているんです」
と、晴彦が言い始めた。
さらに続ける。
「そのジャンルが好きだというのは、他の音楽を知らないからではないかというのが私の意見なんですよ。演歌しか聴かない人は、最初から演歌だった。クラシックを好きな人は最初からクラシックしか聴いていない。少し乱暴な言い方になりますが、他の音楽がまるで敵であるかのように思っているから、好きだと思えるのではないかと思うんですよ。例えば軍隊の士気だって、仮想敵があればこそ、盛り上がるものではないですか。つまり、自分の好きになる音楽というのは、他の音楽を否定するところから入っている人が多いと思っているんですよ」
その話を聞いて、恭介は少し驚いた。見た目穏やかに見える晴彦が、こんなに語気を強めて、しかも何かの批判に走るというのは、果たしてどういうことなのだろう? それを考えていると、すぐに返事ができずに戸惑っている自分がいた。
「なるほど、そうかも知れないですね。でも。音楽というのは、生物と同じで、最初は一つの何かで、そこから派生していったものが、クラシックであったり。ジャズであったり、演歌であったりするんじゃないですか? それが歴史であり、そう考えると、敵対というのは、少し乱暴すぎるような気がしますね」
というと、
「確かにそうなんですよ。その音楽の進化論に関しては私も賛成ですし、実際にそう思っています。だけど、私が言いたいのは、自分の聴いているジャンルが好きであるならば、他のジャンルの音楽にどうして興味を示さないのかということなんですよ。演歌が好きな人は、音楽が好きなのではなく、演歌が好きなんですよね。きっと演歌が与えてくれるものが自分にマッチするという感覚、それが好きだという思いの本質ではないかと思うんです。だから否定はしないんだけど、見ていると、演歌を好きな人は若い連中が聴いているロックやポップスを毛嫌いしているように思えるし、逆にロックやポップスを聴いている人は、演歌などカビが生えているかのように思っているところがあって、偏見を抱いているように思えてならないんですよ。だから、私は学生時代にいろいろなジャンルの音楽を聴きました。今では珍しくなっているレコード専門店なるところに行って、廃盤になったレコードなども買ってきて、聴いてみたりしました。完全に音楽のジャンルを網羅したとはいいませんが、レコード専門店や、中古CD屋などのマイナーなジャンルまでも網羅したので、ある程度までの網羅には自信があります」
「それはすごいですね。それで何か分かりました?」
「はい、音楽の歴史、系譜というべきか、大体分かった気がします。実際に広義のジャンルや狭義のジャンル、さらには曖昧なジャンルなどもあって。私はそれらを結構聴いて、自分なりに歴史を感じていました。音楽の歴史は人間の歴史とあまり変わらない気がします」
「人類の歴史と音楽の歴史が近いということは僕も感じていました。僕も歴史という視点で音楽を見たことがありましたが、あなたのように研究するというところまでは行っていません。どちらかというと、歴史が好きなので、歴史という学問から入った感じですね」
と恭介がいうと、
「そうですね、私も歴史は好きです。だから余計に音楽の歴史にも興味を持ったんですよ。心理学を専攻したのも、音楽とのかかわりが大きかったような気がします」
「音楽と心理学ですか?」
「ええ、そうですね。いろいろな実験に音や音楽を使うこともあります。何と言っても聴覚は人間の五感の一つなんですからね」
「いろいろな音楽を僕も聴きましたが、さすがに網羅するほどではないですね。私はクラシックから入ったものですから、クラシックの派生に走りました。でも考えてみれば、今ある音楽のほとんどはクラシックからの派生でしょうから、僕が網羅したと言っても知れているのかも知れません」
「私は、いろいろな音楽を聴いてきて、すでに限界に近づいている音楽もあると思っています。それらの音楽がどうなるのか、興味深いのですが、基本的には複雑化しているというのが、基本的な進化ではないでしょうか? リズム、メロディ、コードなどどんどん複雑になっていっているような気がするんです。そこで私は最後にはお経に走りました」
というと、さすがに意表を突かれたのか、急に相手は脱力感に見舞われたようだ、
「お経ですか?」
「ええ、お経です」
というと、彼はさらにため息交じりで、
「お経というのは、果たして音楽なんですかね?」
という答えが返ってきた。
これが他の人だったら、腹を立てていたかも知れないが、相手が恭介だというのは、腹を立てるものと次元が違っていた。
「もちろん、音楽ですよ、リズムも抑揚もあります。そもそも音楽というのは宗教色が強く、儀式や祭りの時に音楽が演奏されることが多かったではありあせんか。つまりは奉納という意味もある音楽は、神や仏を呼び出したりする意味もあったはずです。お経だって、仏前で唱え、人類の平和を祈ったり、自分たちの都合よく祈りを捧げるという儀式的な意味で、お陽はれっきとした音楽だと思っています」
晴彦の説得力は結構なものだった。
圧倒されてしまった恭介は、
「そう言われてみると納得できる部分は十分にありますね」
と言ったが、その言葉から受け取った本心は、
「理屈は分かるが、自分には承服しかねる」
と言っているように感じる。
「そこで考えたのが、音楽の演奏時間という考えです。お経も規則正しいスピードで、淡々と歌われます。これほど淡々と演奏される音楽はありません。だから、これを音楽として認めようとしない人が多いのではないかと思うんです」
と晴彦は力説する。
「なるほど、僕も演奏時間の話には興味がありますね。確かに最適な演奏時間があってもよさそうですよね。新宮さんは何か見つけましたか?」
と恭介がいうと、
「私が興味を持ったのは、やはり、ジョン・ケージの四分三十三秒という曲が何か引っかかる気がするんです。その秒数何も演奏されないのに、どうしてそんな演奏時間が算出されたのか、それをかんがえると、実に面白いのではないかと思いました。それで、私はまず、四分三十三秒という時間を分析して、そこから作曲に取り掛かろうと思っているんです。この秒数には何か大きな秘密があるんじゃないかと思ってですね。もちろん、決まっているのは秒数だけですから、どんな曲を作ろうともそこは自由ですよね。最適な秒数に最適なメロディを当て嵌められるか、そんなところから初めてみようと思っています」
という晴彦に対して、
「じゃあ、僕はまず秒数を考えずに自由に作曲してみて、次第にその秒数に合うように調整していく方を選びますよ。そもそも僕の作曲方法はどいうところから初めていきましたからね。大まかなところから固めて、次第に核心部分に落としていく。漠然としているように見えますが、絵を描く時の感覚がこんな感じだと聞いたことがあります」
と恭介はいうと、
「なるほど、絵を描く時の考えですね。実は私も絵を描く時の感覚を画家の人に聞いたことがあったんです。その人は逆に中心から広げていくそうです。ただ中心からとなると、目安や遠近感という意味でバランスが非常に取りにくい。だから、最初に理論的なことを詰めるんだって言っていました。なるほどと思いましたよ。しかも、その考え方が自分とそっくりなので、さらにビックリしました。でも、同じような考えの人が寄ってくるというのは、これは伝説としてもよくあることで、心理学でもよく話に出ますが、以心伝心、言葉にしなくても分かりあえる何かがあるんでしょうね。私はそれも音楽の一つであり、温覚も言葉だと思っています。そういう意味で言えば、言葉も音楽だと言えなくもないと思いますよ」
恭介は、晴彦の話を聞いていて、どこか気狂いしてしまうのではないかという気がしてきた。
音楽というものを突き詰めていき、最後にはお経に辿り着いたと言ったが、ここからは理論に挑戦しようと考えているようだ。
その最初が演奏時間について。ジョン・ケージという人だけではなく、演奏時間に注目する人もいるんだということを当のジョン・ケージは知っているだろうか・
彼が無音音楽をどうして作ろうと思ったのか分からない。晴彦のように、音楽を網羅し、最終的に行き着いた場所だったのか、時代としては、さほどまだ音楽が複雑化されていなかった時代だったろうから、却って選択肢が少なかったことだろう。そうなると、彼には選択肢など関係なかったのだ。彼の中の理論が自分の中の組み立てた独自理論を忠実に建設していき、そこから生まれたのが、この曲だったとすれば、晴彦の考えている発想はまさに、
「現代のジョン・ケージ」
と言えるのではないだろうか。
ここで一つ、ジョン・ケージの有名な言葉を紹介しておく、
「私が死ぬまで音はあるだろう。それらの音は私の死後も続くdあろう、だから音楽の将来を恐れる必要はない」
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