第2話 新宮晴彦
児玉恭介が、自分と同じような立場の人間が他にはいないと思っていた頃、やはり同じように感じ、同じようにインディーズで燻っている男がいた。
彼の名前を新宮晴彦、彼は児玉恭介が五十歳なのに対し、彼はまだ三十歳ほどであった。一度会社に就職したが、どうも肌に合わないと思い、思い切って退職、派遣やアルバイトで何とか食いつなぎながら、インディーズで活動していた。
恭介は二十代くらいまでは、いつも、
「一人は寂しい」
といい、なるべく誰かにそばにいてほしいと思っていたが、思うようにはいかず、寂しさを感じながら、結局一人でいることが多かった、それでも三十歳を過ぎ、半ば近くになった頃から、やっと一人でいることに慣れたのか、他の人がそばにいることの方が鬱陶しく感じられるほどになっていた。
そのおかげというべきか、
「自分の人生が変わったのは、三十歳になってからではないか」
と思っていた。
その頃に実際に何かがあったわけではなかった、精神的に一人でいることに慣れてきたというだけnことなのだが、そのせいなのか、時間の感覚がまったく違って感じられるようになった。
三十歳くらいまでは、一日一日があっという間だったにも関わらず、一か月、一年という長いスパンで考えると、結構長かったような気がする。しかし、三十歳半ばを過ぎたことから、一日一日が結構長いような気がしてきたのだが、長いスパンで考えるとあっという間のことであった。
「じゃあ、三十代前半は?」
と聞かれると、それがハッキリとはしないのだ。
一日一日も長いスパンも、考えようによっては、長かったかのようにも感じるし、逆にあっという間だったような気がする、ただ一つ言えることは、一日一日であっても、長いスパンであっても、どちらにもそんなに差がなかったということである。つまりその間に感じられる思いは、曖昧だったとも言えるのではないだろうか。
児玉恭介が人生の境目を感じ始めた年齢に、やっと新宮晴彦は辿り着いたのであった。
昭和を知っている恭介と、二十世紀をほとんど知らない晴彦との間では、感覚も考え方もまったく違っているだろう。恭介から見れば、まだまだケツの青い若造にしか見えないだろうが、晴彦にしても、自分が歩んできた道が、その人のまだ半分近くであるという自覚があるため、遠い存在として見ていたことだろう。
ただ、どちらが遠くに見えていたのかと言えば、恭介の方ではないかと思うのだが違うだろうか。
確かに自分が歩んできた人生の時間を途中まで歩んできているので、分かる部分は大きいが、実際に、
「下から見上げるのと、上から見下ろすのでは、どっちが一緒でもどっちが遠くに感じるだろう?」
と聞かれて、どう答えるだろうか?
目の差書くと高所が恐怖であるということとを考え合わせると、後者の方が遠くに感じるであろう。さらに自分が歩んできた道といっても、実際には時代が違っていることを相手よりも分かっているだけに、その感覚はただの勘違いというだけのものではないような気がする。
晴彦は物心ついた頃にはパソコンは普及していて、さらにケイタイ電話も普及している時代になっていた。明らかにパソコンやケイタイ電話どころか、まだCDやDVDなどもなかったレコードの時代で、高校生くらいになってから、やっとビデオデッキを家でも置くというくらいの時代背景の違いがあった。
晴彦は、ビデオは知っているだろうが、レコードがあった時代を知らない。恭介から言わせれば、
「古き良き時代を知らない世代だ」
と言わせる世代だと言ってもいいだろう。
音楽業界においても、晴彦が生まれたくらいから、いろいろな変化があったと言ってもいい。だが、
「時代は繰り返す」
ともいう。
形を変えて、まったく違う音楽ではあるが、似たような風習が再度流行するというのは、一種の世の中における宿命のようなものなのかも知れない。
中学時代には、ユーロビートを聞いた。八十年代前半に一世を風靡したと言われる音楽をまず聴いてみた。小学生の頃はテレビの音楽番組で聞くか、学校で流れているクラシックくらいしか聞いたことはなかったが、小学生の頃は音楽に興味などなかったのだ。その頃緒テレビ番組は、基本的にはアイドルが中心だった。今のようにアイドルグル^ぷやユニットなどというのが出始めたことといってもいいだろうか。ダンスとおりませんた音楽が確立されていくのは、九十年代後半だからだった。
ユーロビートに嵌ったのは、友達に見せてもらったミュージックビデオが最初だった。今までのスタジオでアイドルが出てきて、司会者が曲紹介を行い、スタジオのどこからか観客もいないのに、不自然な拍手が起こる。完全に音声を作っているだけだった。
そんな歌番組とは違い、洋楽のミュージックビデオは違っていた。今は日本のミュージックビデオも洋楽と似ているようなものが流行り始めたが、当時日本にはミュージックビデオなるものがあっても、なかなかそれを放送するということはあまりなかった。せっかく高額をかけて制作したのだから、海外のようにミュージックビデオの専門番組があってもいいと思うのは晴彦だけだろうか。
洋楽のミュージックビデオは、有名な映画監督にお願いして作成したりするものも少なくない、元々曲のプロモーションを基本に製作されたものなので、音楽プロとしても、気合が入っているのは当たり前のことである。
プロモーションビデオの格好良さが晴彦を洋楽の虜にした。しかも、世額を聞いているということで、少し背伸びしている気分だったことも、音楽に入るにはよかったのであろう。
中学時代というと、友達の間でも洋楽派と、日本のニューミュージック派に分かれていた。ニューミュージックにはアイドルも入れていたので、どうしても日本の音楽を聴く気にはなれなかった。
しかも、日本の音楽でもカバーという名目で、海外の曲をアレンジして、まるで日本の曲のようにしているのが嫌だった。別に盗作しているわけはないのに、マネをしているということが嫌だったのだ。
せっかく音楽を作るのだから、オリジナルでなければいけないと思うのはいけないことなのだろうか。今まで音楽以外のことでも、誰かお¥のマネをするということは自分の中で、許されないことの一つとして考えてきた。
「楽してできてお、満足感が得られないで、何が楽しいというのだ」
というのが、一番の考えだった。
そお思いがあったから、日本のお額は好きになれなかった。中学時代にユーロビートから入って、ディスコ系の音楽、そしてラテンからフュージョン系へと、ジャンル的には共通背のない順番で聞いていった。
どれかに嵌って聴くということはなく、他のジャンルを聞き始めたとしても、それまで聞いていた音楽を聴くのをやめるというわけではなく、聞く教区の範囲が増えていくという感じだった。
だから、それまでは、
「狭く深くだったものが、広く浅くに変わっていった」
といってもいい。
そのうちに本当に好きな音楽が見つかればいいという考えで、なかなか見つかれなかったというのが実情だった。
「いろんな曲を聴いてみたい」
という思いがあったのも事実だろう。
そのうちに音楽のジャンルの中でも違うジャンルであっても、バンドのメンバ^の行き来があるのを知った。同じジャンルでは結構あると思っていたが、ジャンルを超えてそれがあるということは、今では別れてしまったジャンルが、あるのではないかということだった。
例えば、ハードロックやヘビーメタルなどと、実際には局長などまったく違うプログレッシブロックなどのバンドのメンバーが行き来していたり、アルバムでゲスト出演していたりする。
そもそも、ハードロックやヘビーメタルと、プログレッシブロックというジャンルでは音楽性がまったく違い、相いれないものだと思っていた。
実際晴彦は、
「ヘビーメタルは嫌いだが、プログレッシブロックは好きだ」
というタイプだった。
同じ人間が好き嫌いで別れたジャンルが、元は同じものだったとは、いかんとも信じがたいものだった。
プログレッシブロックというのは、元々がジャズやクラシックを融合したような音楽と言われているではないか。そもそもロックと呼ばれることに、晴彦は違和感を持っていたほどだ。
恭介の方はプログレッシブロックも聞いていたが、彼の場合は言うまでもなくクラシックから入った。しかし晴彦の方は、ジャズから入ったのである。
「クラッシックを聴く人は年を取ると、演歌を聴くようになるが、ジャズを聴いている人は、ずっとジャズを聴き続ける」
という話をしていた友達がいたが、晴彦がジャズを聴き始めたのは、その友達の影響だった。もっと言えば、音楽を聴き始めたのも、その友達の影響が大きかったような気がする。その友達とは小学生の頃からの腐れ縁で、中学に入っても同じクラスのことが多く、お互いに趣味の共有をしていた。
晴彦が本を読むのが好きだというと、
「どんな本が好きなんだ?」
というので、昭和のミステリーを教えてやると、彼はすぐに本屋で飼ってきて、読破していた。
その集中力たるや、羨ましいと言わんばかりであった。本を読むというのは集中力を必要とする。何しろ想像力が大切なので、想像力を養うためには集中力が不可欠である。また集中力が高まってくると、時間の感覚が短く感じられる。年齢とともに感じる時間の違和感を感じなかったのは、本を読んでいる時の集中力から、時間の感覚の短さを感じたからではないだろうか。
このあたりは、映画音楽を製作している恭介と考え方は似ているかも知れない。映像を見ながら音楽を製作するのも一つの想像力である。晴彦の場合は、本を読んでいて聞いている音楽でイメージを膨らませることで集中力を養っていった。
中学時代よりいろいろな音楽に染まって聞いていると、クラスメイトからも一目置かれるようになったことは嬉しいことだった。
「あいつに聞けば、音楽のことならいろいろ教えてもらえる」
という話が定着した。
ただ、それはあくまでミーハーのような日本の音楽やアイドルを除いての話であった。さらに、日本でも深夜の時間帯であるが、洋楽のプロモーションビデオを特集する番組が本格的に始まり、毎週楽しみにしていた。この情報に関しても誰よりも詳しいということで、晴彦は、生き字引であるかのように言われるようになった。
ちょっと大きな本屋にいけば、洋楽の歴史であったり、その中でジャンルがどのように推移してきたか。有名バンドメンバーの入れ替わりなどが書かれた本が置いてあったりした。
少々高いが、その本は音楽を趣味にしている人間にとっては、バイブルのようなものだった。晴彦は中学時代に小遣いを貯めて、思い切ってそれを購入し、今でもお宝として部屋に飾っていた。
それと一緒に音楽関係の楽譜なども少しずつ収集し、やはりお宝本の近くに数冊置いていた。
さらに、これは大学に入ってからだが、キーボードを買い、自分でも作曲ができるようになっていた。晴彦が大学生になる頃には、すでにパソコンで作曲専用のソフトなどが発売されて、素人でも、簡単に作曲を楽しめるようになっていた。他に趣味というと、本を読むくらいなので、音楽と本であれば、そこまでお金を使うことはなかったので、少々音楽の本を買うくらいのことは大したことでもなかった。
ミステリーも、読むとすれば大正末期から昭和初期くらいの作品が多い。昭和も途中に戦争を挟むといういわゆる動乱の時代である。
ただ、日華事変が始まってから大東亜戦争が終わるまでの時代は、国家総動員法が可決され、戦時体制一色になったことで、小説、特にミステリーなどは検閲にかけられることが多く、ミステリーに限らず娯楽に分類されるものは、その発刊が難しくなり、すでに販売されているものも販売禁止になったり、廃刊になったりするという憂き目を受けることが少なくなく、それが日常になってしまった。
死、いわゆる殺人という世界を描く、ミステリー、昔でいうところの探偵小説は、戦時体制でいうところの、
「死というものを美化する」
という路線に逆行して見えるのだろう。
「お国のために、天皇陛下のために戦って死ぬこと、あるいは、虜囚の辱めを受けるくらいなら、自害を選ぶこと」
それが日本国民の義務であるかのように言われた時代である。いわゆる、
「戦陣訓」
と言われるものであり、戦争というものは、どうしても死と背中合わせの生は、あくまでも自分のものではなく、国家や元首のものだという考えであった。
もっとも、この時代は世界のどこに行っても戦争に巻き込まれる時代で、いwゆる「世界大戦」の時代である。
晴彦は歴史が好きだった。小学生の頃に歴史というものの障りを習ったが、その時点で歴史に魅了されていたようだ。
今までに興味を持った時代は誰もがそうであるように戦国時代から始まり、平安から鎌倉までのいわゆる「源平合戦」(今ではそうは言わないようだが)、そして、飛鳥時代、高校時代まではこのあたりには造詣が深かったが、他の時代はぼラックボックスだった。
室町時代、江戸時代以降はまったく興味がなかったのだが、大学に入って友達に幕末以降に詳しいやつがいて、彼との話の中で出てきた「南京大虐殺」というものを知らないという、
「歴史が好きだ」
と言っているやつが、南京大虐殺という言葉すら知らなかったということで、まさに、
「そんなバカな」
と言われるほどであった。
それをさすがに恥だと感じた晴彦は、幕末くらいから昭和初期くらいまで大いに勉強した。
「近代史を知るには、幕末から」
とその友達が言っていたので、その教えにしたがって幕末から始めた。
さすがに幕末というと、自分が考えていたよりも、結構面倒くさかった。覚えることも多く、その思想が難しかったのだ。
「尊王攘夷」、「大政奉還」、「明治維新」などの四文字の言葉が飛び交う。これはその後の明治、大正、昭和初期に一律にあるものであったが、戦国時代にも「風林火山」のように四字熟語も存在していることを思い出した。
日本の三大クーデターと呼ばれるものの二つはそれなりに知っていた。造詣の深い時代のものだったからだ。
「大化の改新(乙巳の辺)」、
「本能寺の変」
「坂本量あの暗殺」
それぞれに、謎が多く、いろいろな説が浮かんでいるが、この中で幕末というと、
「坂本竜馬の暗殺」
ということにあるであろう。
坂本龍馬に関しては人物としても謎が多い。歴史を見てきて、竜馬に対しての一番の謎は、
「彼が興した事業の資金源はどこなのだろう?」
ということである。
長崎で起こした最初の株式会社の設立資金。さらに京都を中心に活動するための潜伏お呼び旅費。さらに、日ごろの生活費。少なくとも脱藩した一浪人にそんな資金があるわけもない。きっと大いなる黒幕がスポンサーとしていたに違いないと思われるが、誰がスポンサーなのか、候補は多すぎるくらいにいるのだが、そのどれも信憑性からすると非常に薄い。それだけ、彼は一匹狼で、あったからだ、
晴彦は、そんな竜馬のスポンサーを、
「英仏以外の諸外国のどこか」
と考えていた。
国家ぐるみであれば、考えられないわけではない。さらに諸外国は幕府、朝廷とそれぞれにフランス、イギリスとついているので、日本での影響力を高めるには、そのどちらかだけでは難しい、まずは、一本にすることが中心であり、それが薩長同盟の発想の始まりではないかと考えると辻褄は合っている。
そういう意味で考えられるとすれば、アメリカ、ドイツ、ロシアなどであろうか。
それでも考えられるのは、アメリカ、ドイツくらいである。ロシアに関しては、まだ遠い存在だったこともあって、信憑性はないような気がする。
ただ、隣国の清国を始めとして、東南アジアの小国は、ほとんど漏れなくどこかの列強の植民地化していて、日本も朝鮮半島も秒読み状態であった。幕末の黒船来航もそれに由来してのことであるが、幕末の動乱が始まり、諸外国の暗躍がなかったというのは、考えられないことなので、竜馬の後ろについていたのが、諸外国であったと考えれば、その挙動も別に不思議ではないだろう。
幕末だけで、いや坂本龍馬だけでこれだけの発想があるのだから、ここから明治、大正、昭和と続く歴史がどれほど莫大なものなのか、考えただけでも大いなるものであろう。
それに伴って、幕末以降の本がたくさん販売されている。歴史の本を見るのも結構好きで、晴彦の場合は、歴史小説などは、ノンフィクションを読み、ミステリーやホラーなどは、フィクションを好んで読むようにしている。
昭和に近くなれば、映画も結構公開されていて、レンタル屋さんで戦争などのコーナーに結構立ち寄る、晴彦は音楽は洋楽がいいと思っているにも関わらず、歴史の勉強は日本史が中心である。西洋史に関しては古代が好きだったが、興味はなぜかそこまでだった。
中世に入ってくると、興味は日本史に移ってしまい、歴史が好きだという気持ちに変わりはないが、なぜ世界史に興味を持たなくなったのか、自分でもよく分からなくなっていた。
近代史のビデオを見ていると、イメージとしての音楽が中国、アジア系の音楽に倒傾していくのを感じた。クラシックを聴いていると、ルネッサンス時代の欧州を、そしてジャズを聴いていると、中南米のイメージを受けるようになり、プログレッシブロックや、テクノポップなどは、中国、アジア系を想像してしまっていた。プログレッシブロックから中国アジア系を想像するのは、その発展形であるテクノポップの第一人者であるバンドがアジアや中国系の音楽を奏でているからだった。
中国というイメージを頭に描いてしまうと、お香の匂いや、北京にある紫禁城のイメージが頭に浮かんでくる。これも、以前映画であった「最後の皇帝」をテーマにしたものが頭に描かれたからである。
ちなみに、その時の映画音楽を担当したのが、テクノポップの大御所と言われるバンドのメンバーであるということも大いに造詣を深めるに十分さであった。
中国という国の広大さと同様、この時代における中国とのかかわりは、日本の歴史上、切っても切り離せないものであることはいまさら言うまでもないことである。
中国音楽や、アジア系の音楽を聴くと、今度はワールドミュージックに造詣を深めようと考えるようになった。
そうやって、音楽における、
「世界一周」
を果たすことになったのである。
そして、ワールド音楽の中にはアフリカや中東などの曲もあり、それを聴いていると、どうにも宗教的なニュアンスが強いのではないかと勝手に思えてきた。
もちろん、欧州や、中国、アジア系の音楽も宗教と密接に結びついているように思えてならないのだが、特に中東などはイスラム圏というイメージで、まったく知らない世界が繰り広げられていると思うと、興味も深まるのだった。
そして、ここにある程度音楽の暗るを網羅することができたと思うようになると、今度は、
「どの音楽に手を出す多」
というのが、次の脅威になってきた。
そして、晴彦が手を出したのは、実に以外なものだった。
――これを音楽としてジャンル付けしていいのだろか?
そんな思いを抱いたのも無理もないことで、何と彼が次に手を出したものは、
「お経」
だった。
お経というと、淡々と経文を読むだけに思えるが、実は読経の最中にはリズムもあれば抑揚もある。そんなお経は、実に難しいように思われる、教本はそのすべてが漢字で書かれている。さらに抑揚もその時々で決まっているわけではなく、楽譜があるわけではない。そういう意味では、坊さんというのは、アーティストであると言っても過言ではないだろう。
お経に走ったという人の話は、後で聞いたことがあった、その人も晴彦と同じように、いろいろな音楽を聴きまくって、最後に行き着いた先がお経だというのだ。
お経の世界は、あくまでも宗教である。お経の目指すものは、お釈迦様や仏様の教えであり、ただ、そこにいろいろな宗派があるというのは、歴史を勉強していても、そのあたりの定義はできていないので、どうして宗派が生まれたのかという詳しいことまではよく分からなかった。
だが、宗教というのは、種類があって。現世の人間を救うという意味と、死後の世界で救われるという発想の二つがある。しかしどうしても宗教と言うと後者のイメージが強いことから、音楽として考えるのは。無理があるような気がする。
晴彦がどのようにしてお経に辿り着いたのか、無意識だった気がするのだが、それも導かれたと考えるのが、一番しっくりくるのではないだろうか。
お経に走ったことをもし、自分が他人事として聞いたならば、
「ウケ狙いではないだろうか」
と考えるに違いない。
まともに真正面から受け入れようとしないと思えば、無関心になるということがどれほど怖いものであるかということを認識できそうな気がする。
宗教というもの、歴史や音楽、どちらからも結び付けられるという意味で、無意識であるが、やはり導かれたと考えるのが無難なのではないかと思えた。
そんな晴彦であったが、大学では心理学を専攻していた、人間の行動を分析し、心理を解明するということを主に研究していたが、主に臨床心理に近い研究をしていたと言ってもいい。
あまり成績もよくはなかったので、ほとんど勉強したことが役に立っているというわけでもなく、ただ音楽をやるうえで、それなりに役立っているように思えた。
大学を卒業してから、晴彦は薬品会社に就職したが、営業というものに、最初から向いていなかった晴彦に、薬品会社のプロパーのような仕事ができるはずもなく、三か月も立たないうちに辞めてしまい、新たに職を探したが、さすがにすぐに見つかるはずもなく、アルバイトでその日を暮らしていた。
時間があるので、学生時代の心理学の本を引っ張り出して、図書館に行って読んだりもしたが、受けた講義すらよく分かっていなかったのに、今教材を見て分かるはずもない。
それでも、読み込んでいくと、大学時代に勉強した意識がよみがえってくるもののようで、ところどころ覚えている。
専門的なことまではさすがに覚えていないが、入門書と言われるものくらいなら、少しは分かる気がした。
そもそも心理学を志したのは、高校の頃に読んだ小説で、ミステリーだったのだが、心理学を駆使した内容の本で、
「心理学を志してみるのも面白いかも知れない」
と思わせるような本だった。
内容は躁鬱症と、二重人格が入り組んだような話だった。躁鬱症と二重人格というのは、似ているようにも思うが、理屈からすれば、二重(多重)人格というものに、躁鬱症も含まれるという意識があった。
だが、中には二重人格ではない躁鬱症もあるというもので、その意識を捜査員が持てるかどうかが、事件解決へのカギとなるのだった。
小説を読みながら、晴彦は他人事のように漠然と読んでいた。その方が一点に集中して読まないために、袋小路に入り込まない秘訣だと思っていた。
そもそもミステリーを読んでいて、犯人当てや、トリック解明などを楽しむという方ではなく、ストーリー全体を見渡して楽しむ方なので、作者のトラップに引っかかる方ではなかった。
本当であれば、トラップに引っかかって、
「やられた」
と作者の罠に敢えて嵌る方が本当はミステリーの楽しみ方としては楽しいのかも知れない。
だが、晴彦はそんな楽しみ方よりも、本を冷静に見る方であった。余計なことを考えると、そこまでせっかく読み込んできたことを忘れてしまいそうになるからだった。
まだ未成年だというのに、晴彦は忘れっぽい性格だ。ひどい時には風を引いてクスリを呑まなければいけない時、八時間置かなければいけないのに、前に飲んだのが何時だったのかをハッキリと覚えていないのだ。覚えていないというよりも、
「五時に飲んだのは昨日のことだったか、おとといのことだったのか」
とm平凡な毎日を歩んでいることで、どれがいつのことだったのかということを覚えているつもりで覚えていない。
「忘れるはずなんかあるわけないではないか」
という思い込みが覚えていないことへの伏線になってしまう。
そんな晴彦が小説を読む時に忘れないようにするには、
「無理に自分が、と思わないようにすることだ」
というのが、結論であった。
小説を読んでいるうちに、忘れっぽいということに気付き、そして、大学に入ってから何を専攻しようかと考えた時、最初に思い浮かんだのが、自分の健忘症に対しての勉強であった。
実益を優先するなら、心理学しかなかったのである。
二重人格にない、躁鬱症、その答えは結局分からなかったが、躁鬱症にはある意味での制約があるようだ。
鬱状態と躁状態を一定期間繰り返す。繰り返すタイミングを自分自身で分かる。
「躁鬱症というのは、本当に人格なのだろうか?」
という疑問も生まれてきたりするのだった。
また、一つ気になったのは、
「覚えられないということと、忘れてしまうということとを同じレベルで解釈してもいいのだろうか?」
ということだった。
どちらも同じ感じがするが、何かが違う気がする。考えると堂々巡りを繰り返しそうで、先が見えなくなるのが怖いのだった。
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