錯視の盲点

森本 晃次

第1話 児玉恭介

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。また、実名作家も出てきますが、この小説は少し現実世界とは違うパラレルワールドを呈しているかも知れません、あしからずです。


 今年で五十歳になる児玉恭介という作曲家は他の人とは一線を画していた。テレビドラマや映画の音楽を手掛けられればいいと思って始めた作曲活動だったが、最近ではⅤシネマなどインディーズのような作品や、自主製作映画の音楽を手掛けていたりした。

 本当はテレビのアニメの音楽やテレビドラマの音楽を手掛けられればいいのだが、どうもミーハーな音楽になりそうで嫌だった。ただ、ホラー用の音楽に関しては作曲をしていて楽しいと思ったし、実際に大学時代に文芸サークルの自主製作映画の音楽を担当したりもした時期があったが、実際に作曲をしてみると、

「お前の音楽は暗すぎる」

 と言われたものだった。

 考えてみれば映像が怖いのだから、音楽が暗すぎると、救いようがないように思えてくる。

 本当は恐怖を煽るのであるから、暗いくらいの方がいいのだろうが、暗すぎるのにも賛否郎論があるようで、この時の主催者側にはウケなかったようだ。

 結局その一度きり依頼があっただけで、それ以降は依頼されることはなかった。

 他のミュージシャンのように、自分で楽器を演奏したり、歌を歌ったりしたいとは思わなかった。そんな時間があるなら、作曲に時間を費やして、よりたくさんの曲を作る方がいいと考えたのだ。

 自分で表に出るよりも、作曲することで、自分の意志を音楽という形で表現するといういわゆる「創造」を望んでいるのだった。

 芸術には表現というものが形となる。何もないところから新しく作るという発想が創造であるが、その創造も感じ方ひとつでまったく違ってしまうであろう。

 音楽に凝ったのは小学生の頃だった。その頃は昔のアイドルの曲であったり、海外の音楽でもユーロビートであったり、ソウル系の音楽であったりと、ジャンルも様々に流行ったものだ、

 ディスコ系の音楽も流行ったことで、いわゆる、

「お立ち台ブーム」

 の先駆けだったと言ってもいい。

 だが、彼は他のジャンルに目を向けることはなかった。クラシック一本鎗で、小学生の頃、学校の休み時間などを知らせるのに、チャイムを使うのではなく、クラシックのレコードをかけていたことで、恭介はクラシックに嵌る原因になったのだ。

 クラシックのほとんどが組曲であるということも、彼がクラシックを好む要因となったのだ。

 クラシックというと、レコードジャケットも魅力亭だった。西洋建築の建物であったり、西洋風のお城であったりと、ルネッサンスであったり、ドイツから東欧にかけての湖畔などが印象に浮かんできて、それが綺麗だったりする。

 交響曲と呼ばれる音楽であったりバレー組曲のようなもの、さらには宗教的な意味合いを感じさせる音楽としてクラシックは分類される。世界史が好きだった恭介としては、クラシックの奏でる音楽は捨てがたいものであった。

 それに比べて、世間一般に出回っている音楽は、どこか軽薄で、軽い気がして仕方がなかった。歌が乗らないと、音楽だけでは表現できない世界のように思えて、それが嫌だったのだ。

 音楽を奏でることに、本当は大げさな楽器はいらないというのも一つの考え方として尊重できると思っていたが、歌と一緒に表現する音楽は、どうにも自分の中で許せる世界ではなかったのだ。

 クラシックの奏でる音楽を聴いていると、まわりを静かにさせる雰囲気を兼ね備えている。雨だれのような音は、規則正しさを醸し出しているし、それを思えば自然の音は、すべてクラシックに通じるというイメージがあるのも大げさではないかも知れない。

 いろいろなクラシックをレコードで聴いていたが、実際にコンサートに行ったことはほとんどなかった。

 高校生の頃、学校からクラシックコンサートを見に行くというイベントがあったが、実際に行ってみると、うるさいばかりで、全然落ち着けなかったのだ。

「ずっと、レコードばかりを聞いていたからなのかも知れないな:

 と思った、

 レコードの音は自分でセーブできるが、コンサートの音はそうもいかない、想像していたものとの違いに驚愕し、結局、それ以降クラシックコンサートに行ったことはなかった。大学生の時に頼まれて作った音楽も、作曲の方法に関しては、完全に我流だった。

 大きな本屋にいけば、映画音楽などの楽譜も売っていた。さすがにいくらクラシックが好きでも、オーケストラを必要とする多人数の楽譜を作ることなどできるはずもないと自分で思っていたので、

「せめて映画音楽くらいならできるのではないか」

 という思いがあったからである。

 そんなところに映画音楽を作れる人を募集していたことで参加させてもらったのだが、映画の内容を見ることもなく、ただ、イメージを聞いただけで、作曲したのだ。作曲家にはいろいろなパターンの人がいて、同じようにイメージだけで作る人もいれば、映像が伴わないと作れないという人もいるだろう。恭介は案外といい加減なところがあり、イメージだけでも作れてしまう方だった。

 もっとも、学園祭の上映までに時間が押していたこともあって、映像が完成してから音楽を考えたのでは、間に合うはずもなかった。

 すでにクランクアップも上映までギリギリというところで、そこから編集するだけでも大変だっただろう。編集っする人の苦労が目に見えるくらいだったので、大いにその人に対して同情したものだった。

 それでも上映は何とか間に合ったのだが、次回作を練っている時、編集の人から、

「彼の作品はちょっと暗すぎて、イメージに合っていなかった」

 という話が出ているということを耳にして、さすがに恭介もその話にはショックで、これ以上彼らと関わることを嫌ったのであった。

 だが、音楽を作ることに関して、意欲がなくなったなどということはまったくなく、さらに新たな作品を作ることに邁進していた。確かに編集の人間の暗いと言われたことにはショックだったが、それよりも、自分の作品を完成させて、映画と一緒に発表できたということに満足していた。

 あくまでも趣味の世界でのことだったので、大学を卒業すれば、普通の会社に就職した。なるべく音楽業界からは離れたいと思っていた。趣味として携わろうと思っていることを仕事に密着した形にしたくはなかったのである。

 仕事にしてしまうと、自分の思い通りのことができなくなってしまうことが嫌だった。もし自分が認められるような作曲ができるようになり、プロになったとしても、自分の作りたいものではないことをさせられるのは、実に嫌だと思っていた。

 自分の好きなことができれば、それでいい。いずれはCDなどを出せるようになれればそれに越したことはない。

 自分が就職して三十代くらいまでに、そんな時代が到来していた。プロでなくても、自由に作曲ができて、それで発表できる場であった。

 ネットというものが普及してきて、社会現象を一変させたことで、文化も次第に変わってきた。底辺部分の敷居が軽くなってきたのである。

 そのため、うまいのか下手なのか分からない連中がたくさん蔓延ってきたのも事実で、そのせいもあってか、

「音楽性が低下してきた」

 と、業界全体で言われるような時代になっていった。

 恭介が音楽を趣味としてやる部分としては、ちょうどそれくらいがよかったのだ。

 インディーズと呼ばれる世界が広がっていき、作曲するための新たな電子楽器もどんどん開発されてきて、誰も自由にモノが作れる時代に入ってきた。

 それは、曲作りというだけではなく、絵画にしても文芸にしても作成ソフトが充実してきて、パソコンの普及とともに、活動が活発になってくる。

 マンガや小説などは同人誌などの発表の場が増えてきたり、ミューシャんもストリートミュージシャンなど、いかなるジャンルにも発表の場が提供されてきていた。ストリートミュージシャンなのは昔からいたが、当時ほどではないだろう。時代的にもバブルが崩壊し、仕事人間が仕事をするよりも、経費節減で、定時までになってしまった波及として、アフターファイブの過ごし方として、趣味に勤しむという生活方式に変わりつつあった時代でもある。

 そのため、言い方は悪いが、猫も杓子も、

「にわか〇〇家」

 などと言われ、○○の中には小説であったり、マンガなどというワードが入るのであろう。

 恭介はそんな時代に、音楽への趣味を貫いていった。

 彼はどうしてもクラシック系の音楽を作曲したくて、クラシックの曲をたくさん聴いた。そしてどうしてもオーケストラでなければできない音楽ではなく、一つのバンドくらいの規模でできる作品はないかと思い辿り着いたのが、

「プログレッシブロック」

 だった。

 プログレッシブロックとは、二十世紀の半ばくらいに一世を風靡した、ジャズやクラシックをロックと融合させた音楽で、その美を個々の音楽テクニックで補いというところがあり、当時のシングル中心のロックから実験的、革新的なロックとして、より進歩的なアルバムを作成するというロックを目指した。だからレコードの片面で一曲の組曲になっているようなものも多く、まさにクラシックの世界を思わせる。したがって芸術的なという意味でのアートロックと呼ばれることもあるくらいで、そんなロックは元々イギリスを中心とすた欧州で人気を博し、世界各地で、プログレバンドなるものが出現した。

 発祥地のイギリスをはじめとして、ドイツ、フランス、イタリアと欧州のロック界を魅了した。イタリアのように、中世ルネッサンスの流行った国でのプログレの流行は、再度のルネッサンスをプログレッシブロックから起こそうとするものだったのかも知れない。

 芸術的で幻想的な音楽を目指していたため、当時では最新テクノロジーと言われたシンセサイザーやメロトロンなどの楽器をフルにいかして、演奏者の技量をいかんなく発揮し、その音楽性を見せつけるバンドが主流だった。

 恭介はクラシック系のプログレバンドを中心に聞いた。発祥の地であるイギリスや、ルネッサンスゆかりのイタリアのバンドを聴いていると、やはり中世ヨーロッパの声が聞こえてきそうになり、クラシックの土壌が目に浮かんでくるようだった。

 まずは聞きこむことで音楽性を自分のものにしようとひたすら聞いたものだったが、それを自分のものにするまでにはなかなか至らない。

 まずはプログレッシブロックよりも先に、映画音楽などを理解する方が先ではないかと思うようになっていた。

 元来、映画など嵌って見る方ではなく、特に洋画ともなると、字幕を読むのに疲れるからか、なかなか見ようとは思わない。

 それでも、音楽の勉強だと思えな、そこまで苦にならなかった。映画館で見る映画、そして昔からの有名な映画はレンタルしてきて見るといった感じだが、ただ聞いているだけでは楽譜に起こすなど無理であった。

 作曲しようとは思っても、何とか楽譜を見ることができる程度で、音を聞いただけでその音階が分かるという絶対音感のようなものを持っていれば別だが、楽譜というものがなければ、分かるものではない。

 本屋で探してみたり、図書館で探してみたりした。有名な作品だったり、作曲家が有名な人だったりすると、本になっていることもある。それらを借りたり買ったりして幾種類かの教本にすることができた。

 そんな有名な映画であればm当然レンタルで借りるなど、それほど難しいことではない。楽譜をみながら音楽を聴いていると、その作曲家が何を考えながら作曲していたのかということも分かってくるような気がした。

 大学の友達に、映画が好きで好きで仕方のないやつがいた。彼に映画の内容を聞いたり、どんな映画の音楽が良かったのかなどを訪ね、まずは彼の助言にしたがって聞いてみることにした。

 確かに彼が進める作品は、それぞれのジャンルではレジェンド的な意味合いの作品が多く、SFであれば、壮大で果てしなさを感じさせるものであり、ホラーであれば、闇を永遠のトンネルの中で彷徨っているかのような音楽であり、さらに恋愛関係であれば、幻想的なお花畑の上を、無重力のように走り回っても、決して花が痛んだり傷ついたりすることのないそんな光景を思い羽化得られるような音楽が、奏でられていた。

「なあ、すごいだろう? これが映画館の巨大スクリーンに映し出され、サラウンド効果のかかったスピーカーから、幻想的であったり、恐怖のトンネルに入り込んでいたり、壮大な宇宙空間を果てしなく、前に進んでいる光景を思い浮かべながら、耳からはそれにふさわしい音楽が流れてくるんだぜ。映画を見て初めて。映画音楽の素晴らしさを感じるんじゃないか」

 と言っていた。

「そうだよな。俺も今まで映画なんかと思ってほとんど見てこなかったのが、もったいなかったと思っているよ」

 本当は映画などどうでもいいのだが、映像に似合った音楽をスクリーンとスピーカーから奏でられると思うと、本当に爽快な感じがする。

 それを自分が何もないところから新たに作り上げるのだと思うと、これ以上感無量なことはない。いずれ、

「これが映画音楽の醍醐味だ」

 という曲を作ってみたいと思うのだった。

 実際にはそんな音楽はなかなか作れるものではない。映画に関する雑誌に「キネマ情報」という雑誌があるが、そこで人気俳優の若手ホープの人が、

「私はこの映画に出演し、演技をしている時には感じなかった感動を、出来上がった作品に感じることができた。それは映像全編に彩を与える音楽の素晴らしさに魅せられたからだ」

 と答えていたが、実際に映画音楽を担当した人のインタビューでは、

「私は今まで一度として自分の作った作品に満足したことなどない。いつも自己嫌悪に襲われて、

「次こそは、もっとマシな作品を作れればいい」

 という程度にしか作品を見ていないのだと答えている。

 もちろん、芸術家である以上、どの段階で満足をすることなく、もっと自分を高みに置いて見るということは必要であるが、どうやらこの作曲家の人は、本当に自分の作品に満足していないようだ。

 そこにはもちろん、編集の人が、映像のどこにその音楽を当て嵌めるかということに関わってくるのだろうが、決して当て嵌める位置に問題があるわけではないと、恭介は思っている。そうであるならば、本当に自分の音楽が気に入らないということであり、場面に沿っている沿っていない以前の問題なのではないかということだ。

 それを考えた時、恭介は、

「これほど映画音楽を作ることって難しいんだ」

 と思った。

 一つには、最初に視聴者に対して、いかに違和感なく音楽を作品に浸透させるかということだ、最初に違和感を抱くことがなければ、きっと最後まで違和感を感じることなく見ることができるに違いない。最初に違和感を感じてしまうがゆえに、最後までその違和感が消えないということだ。

 さらにもう一つは、作品全般に漂っている雰囲気が、最初から最後まで似たような雰囲気であれば、おのずと音楽も似た雰囲気に偏ってしまう。それによって、まるで以前にも見たような既視感のようなものと、デジャブを同時に感じてしまうことで、場面に応じて微妙に音楽を変えていても、その描写が同じイメージを作り出し、べ面同様、音楽もデジャブをさらに煽ってしまい、作品をさらにつまらないものにしてしまいそうに感じるのである。

 そのことに最近では気を付けるようにしているが、インディーズの作品というと、以前からそうであったが、同じような場面をこれでもかと写し出す傾向にあるのではないかと思うようになり、作品がパノラマ上に見えるという錯覚を感じることがあった。

 パノラマ上に感じられるということは、作品がいろいろな角度に見えてくるということだ。凹凸部分をいかに感じるかということで、見えている映像が大きく広がったり、一つに焦点を当てているような錯覚をもたらすことで、その錯覚が、

「自分の精神状態を、投影している」

 ということに気付いているかというおとでもあった。

 後でならいくらでも分かるのだが、実際に映像を目の当たりにし、そこにイメージとして音楽をつける時点では、普段と違う自分が現れて、言葉での表現が難しい錯覚を、当てられているのかも知れない。

「素人の作品というと、小説のような文章であるなら、かなりの想像力を掻き立てられる作品もたくさんあるというのに、映像にしてしまうと、どれもが同じように見えてしまうのは、小説の想像力を基準に考えているからではないだろうあ」

 と、インディーズ作品に音楽をつけ始めるようになって感じたことだった。

 だからと言って、映画館で公開されているようなメジャーな作品の音楽がそれほど優れているものだとはどうしても思えない。

「俺の作品とどこが違うというのだ?」

 と誰ともなく言い聞かせてみたが、もちろん、答えてくれる人など誰もいないに決まっている。

 インディーズの作品は、最初から最後まで徹底して同じシチュエーションで終始しているものもあれば、展開が早すぎて、最後は支離滅裂になってしまっている作品もある。前者はきっと音楽やセリフがなくても成立するような、ただの映像のドキュメンタリーでしかない。しかし後者は、何とか作品をいいものに仕上げようと、試行錯誤の上で出来上がったものではないだろうか。

 そんな作品を、悪くいうだけの資格が自分にあるわけではないということを自覚している恭介であったが、いつも孤独で作曲していて、

「自分と同じようなことを考え、同じような立場にいる人など、他にあるわけなどない」

 と思っていた。

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