第39話 大魔法



「ところで、その子に本を読み聞かせたいって言ってたわよね? どんな本読み聞かせてたの?」


 疲れてきたのか、あくびを噛み殺しながら魔法使いが聞いてきた。

 もう日付けはとっくに変わり、もうすぐ朝日が昇る時間だ。


 俺は変わらずまったく眠気がやってこなくて、魔法使いとの与太話に付き合っている。


「読み聞かせって言っても、結局生きていくのに必要なものを書いた本だよ。最初は文字なんて読めないから、逐一読んで教えてたんだ。ほら、そこの本棚」


 部屋の片隅にある小さな本棚を指さすと、彼女は立ち上がって駆け寄った。


「へぇ、手作り感ある本棚と本ね。自分で書いたの?」

「ああ、あんまり眠れないと疲労で時々動けなくなるからな。そういうときは魔法の練習も兼ねて本を書いたんだ」

「あなた……休むってことを知らないの? よく生きてられるわね」


 自分でもそう思う。


 魔法使いは本を手に取り、ぱらぱらとめくる。

 ……めくる手は、途中で止まった。


「……は?」


 漏れ聞こえたのは間抜けな声。

 続いてめくったページを戻って、最初から順々に穴が開くほど凝視しだした。


「なにこれ……なにこれ! いんすーぶんかい? びぶん? せきぶん? いいきぶん?」


 ああ、数学の本か。

 不思議なもんで、人の記憶を奪っても、思い出と知識は別物で前の世界で培った知識が混濁することはあまりなかった。

 思い出や自我は混濁するのに不思議なものだ。


「こっちは……でんき? かいろ? ぷろぐらむ? すいそにさんそ?」


 おぉ、その本か。

 ほとんど趣味で深夜テンションで書きなぐった本だから、この世界では活用の仕様がない本がいくつもある。


 まあそれも、寝ている少女は面白いといって何も言わずとも読んで理解するようになったが。


「こ、ここは小さな楽園? こんなところにエデンがあったのね……」


 固まり、震える彼女に声を掛ける。


「何言ってんだ?」

「……あなた、これなに?」


 ぎぎぎと、油のさしてないロボットのように首を向けてくる。開いた本の中身を指さして、


「なにこれ! なにこの計算式! 見たことないんだけど! 分子って何? 電気って何? 微分ってなーにー!!」


 叫んだ。

 うるせぇ~。


「もっと声抑えろよ。起きちまったらどうすんだ」

「あぁ、ごめん。……でもこれほんとになに? こんなすごい知識があるなんて。どこで知ったの?」

「どこでって、さっき言ったろ? 元の世界の知識だよ。マナや神気なんてないから、その分、科学が発達してる。世界に対する理解もこの世界よりずっと進んでるんだよ」

「ほぁ~……」


 目をキラキラさせて本を読む魔法使い。

 適当に書いた本だけど、喜んでもらえるなら悪くない。


「欲しけりゃやるよ」

「え!? いいの!?」

「好きなだけもってけ」


 いうと彼女はもう自分のものだと言わんばかりに本を抱える。

 溜息を吐きながら、俺は立ち上がる。


「どうせもうここに用はない。この家もこいつもお前の好きにするといい」

「え……?」


 机の上にある骨壺と仮面、短剣を懐にしまい、俺は部屋を後にする。

 去り際に、


「世話になったな」


 一言だけ、固まる彼女に告げた。



 ◆



 唐突に告げられた別れに、あたしは慌てて家を飛び出した。

 すでに彼は森に入り、山の斜面を下っている。

 その足の向く先は、セビリアではなかった。


「ちょっと待ってよ!」


 叫んでも彼は止まってくれなかった。

 もうすぐ夜が明ける。

 きっと彼は、夜明けまでにこの地を去るつもりなんだろう。

 だけどまだ、彼女は起きてない。町もまだ眠ってる。


 斜面を滑るように降りるけど、山になれている彼はとても身軽で追いつけない。

 仕方なくほうきに跨り、木にぶつかりそうになりながら彼に追いかける。


「待ってってば!」

「来るなって言っただろうに」


 肩を掴んで、ようやく彼は止まった。竜の仮面を斜めに被り、困ったように八の字に眉根を寄せる。

 あたしはほうきから降りて、彼を逃がさないように服の裾を掴みながら歩き出す。


「もうちょっとゆっくりしていったら? あの子にお別れの挨拶くらいしていけばいいのに。というか連れていけばいいのに」

「絶対に嫌だよ」

「どうしてよ」


 彼はため息を吐く。


「あいつを信頼して任せられるのがあそこのパン屋くらいしかない。あとはお前くらいだ。……俺についてきたら、確実に死ぬ。あんな奇跡はそう都合よく起きない」

「死ぬって……何するつもりなの?」

「決まってるじゃないか」


 彼は一度息を大きく吸って、


「この国を潰すんだよ」


 息を吐き出しながら言った。

 覚悟を決めた声だった。


「一人で行くつもりなの?」

「それしかないだろ。町の連中とあんなことになったんだ。今更顔出す気にもならん。あいつを巻き込むくらいなら、一人で戦って死ぬ」

「それならせめて、起きて一言話してあげてよ。最後なんでしょ?」

「いやだよ。だって……」


 斜めにしていた仮面をしっかりと被る。

 見えなくなった顔を明後日の方へ向け――


「未練ができちゃうだろ」


 とてもか細い声だった。


「それならなおさら――」

「それにロマンじゃないか」

「ろまん?」


 あたしの言葉を遮って彼は言う。


「死んだところを見られずに済む」


 少しの笑みを含んだ、彼らしくない冗談にあたしも釣られて笑ってしまう。


「なるほどね、確かにロマンチックかもね」


 きっと生きてる――

 そう信じられることがどれだけ夢のあることか。


「愛に生きた粋人にはぴったりの別れ方だろ?」

「粋人っていうには物騒すぎる仮面だけど?」

「この仮面の良さがわからないのか? 雄々しく勇ましい竜の良さがわからないとは、飛竜を連れる資格がないぞ。エフィメラがかわいそうだ」

「エフィメラは女の子だから、雄々しさよりもかわいらしさの方が大事なの。その点あたしはぴったりじゃない?」


 徐々に明るくなる森の中、初めて彼と軽口を交わし合う。

 途中、あたしは彼の服の裾を引き、足を止めさせる。


「なんだよ」

「ねえ、ちょっとだけ寄り道していきましょうよ」

「寄り道?」


 彼の前を歩くと、存外に素直についてきた。


「どこいくんだよ」

「どうせなら、太陽を見ながら行きましょうよ。方角的にはセビリアのある方から日が昇るの。旅立ちを太陽に見送られるなんて風情じゃない?」

「……まあいいか」


 もうすぐ日が昇る。空は明るくなり始めてるから、今から行けば、開けた湖につく頃にはきっときれいな夜明けが見える。


「ねぇ」

「あ?」


 声をかければ、無愛想な返事。

 振り返らずに、そのまま話す。


「さっき、あたしが話そうとしたことの整理ができたから、言うね」

「……あぁ」


 あたしがつい泣いてしまって、言えなかったこと。

 彼の大事な人たちが、彼に見た本当の強さ。


「あなたの先生が言った、『一つのためにすべてを切り捨てる覚悟を持つことが強さ』……あれね、間違ってるわ」

「……なんだと?」


 あたしの言葉に、さっきまでの軽口をたたいていたのが嘘のような、怒りに満ちた声が返ってくる。

 だけど、あたしは止める気はない。


「先生が間違ってるっていうのか」

「間違ってるわよ。断言できるわ」


 言った瞬間――


「そんなわけねぇだろっ!!」


 彼が怒鳴る。

 びりびりと木々が揺れるほどの声量。

 そして――


「次ふざけたこと言ってみろ。本当に殺すぞ」


 あたしの胸倉を掴み、持ち上げてにらみつけてきた。

 それでもあたしはひかない。

 胸を掴む彼の手に触れて――


「ふざけてなんかいない。彼らがあなたに見た強さはもっと違うものなのよ」

「……俺に強さなんてない」

「いいえ、あるわ。とても大きくて強い、誰にも負けないあなたの力」


 彼の手が緩まり、あたしのかかとが地に着いた。

 あたしは竜の仮面に触れて、そっと彼の顔から外してみせる。


「この世界にはね。正解なんて存在しない。あるのはただの事実だけ」

「そんなわけ――」

「あるのよ。もし目的地にたどり着くための道を正解と呼ぶのだとしても、正反対の方向に歩き続けてもいずれ目的地にたどり着くものよ。ただたどり着く時間が違うだけ。すべてが正解につながるの」


 大切な恩師の言葉を愚直に信じ続ける彼には、受け入れられないことかもしれない。ただでさえ数百年生きた恩師と、十数年しか生きてない最近出会ったばかりの娘じゃどっちを信じるかなんて火を見るよりも明らかだ。

 強烈な感情とともに記憶をもらったならなおさらだ。

 だけど、それでもあたしは彼に言わなきゃいけない。

 だって、それは――


「あなたの強さと先生の強さは、正反対なのよ」


 誰が見ても明らかな、彼だけ知らない強さなのだから。



 ◆



 俺と先生の強さが正反対?

 強さは一つじゃない?

 目の前の魔法使いが何を言ってるのか、わからなかった。

 だって俺は、先生がどうしてこの答えにたどり着いたのかを、記憶を通して知っている。

 だから、先生の答えに俺は納得している。

 それが間違ってるなんて、たかが二十年も生きてない子供にわかるわけがない。

 わけがない、のに――


「あなたの先生は、きっと、とても強い人だったのね。たくさんのものを守ろうとして、守り切れずに、それでもとあがき続けたすごい人」


 目の前の魔法使いの言葉が、砂漠に湧き出す甘露のような、耐えがたいほど求め続けた言葉のようで。


「たった一つ、大切なものを見つけて、そのために全身全霊を尽くせるだけの覚悟を持った偉大な先人」


 前を向いて歩みだす彼女の背中を捕まえたくて、足を進める。


「だけどね、あなたは先生とは違う」

『ウィリアム。お前は私ではない』


 思い出す、先生に言われた言葉。


「あなたの強さは、意志の強さ」

『強さとは、意思だ』


 なぜか、全然違うのに、目の前を行く魔女と先生の姿が重なった。

 ――そうだ。

 ――先生は言っていた。


『お前の中には、他の誰にも負けないほどの力がある。魔法なんて必要ない』

『これから先は私の戦い方になる。私の戦い方はお前には合わない。これから先の道は、お前自身が考え、歩むしかない』


 最後の鍛錬の時、先生が言った言葉。

 ――どうして、忘れていたんだろう。


「俺は……、僕は……」

「どれだけ傷つき打ちのめされても、あなたは何度でも立ち上がる。

 どれだけの想いに押しつぶされても、あなたはすべてを受け入れて立ち上がる。

 誰にも負けない強い意志、人々の想いを守る大地の器」


 森を抜け、一気に視界が開ける。

 そこには――


「あなたは、想いを背負うみんなの希望」


 暁光に煌めく湖にあの町の人たちがいた。


「な、なんで……」

「いってなかったかしら?」


 あっけにとられた俺の前に躍り出て、太陽を背にいたずらっぽく笑う彼女は――


「あたしは旅する大魔法使い。あなたにすごい世界を見せてあげる」


 世界で一番美しかった。


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