第40話 変わる世界で


 セビリアの町の連中が、一堂に会してここにいる。

 否応なく、身構えてしまう。

 だけど――


「あなたが、『雷槌』さん?」


 俺のもとにやってきたのは、争いとは無縁そうな、柔和な笑顔を浮かべ、その手に紙袋と骨壺を携えた老夫婦。

 敵意なんてみじんも感じさせない二人は、俺の前に立って、


「本当に、ありがとうございました!!」

「ありがとう! 本当にありがとう!!」


 二人そろって頭を下げた。

 深々と、長々と。

 いつまでも顔を上げずに、二人はずっと俺に感謝の言葉を述べ続ける。


「え……?」


 戸惑う俺をしり目に、魔法使いは頭を下げる二人の肩に手を置いて頭を上げさせる。


「この二人はね、あなたと一緒に依頼を受けた、エウラリアさんとテネリフェさんのご両親。あなたがいつもあの子に行かせてたパン屋の人たち」


 納得した。

 そうか、この人たちが……。

 二人は顔を上げてもなお、俺の手を取って、涙を流しながら謝り続けた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……。二人を送ってくれた礼を、いつまでも言えずにいました」

「おかげで私たちは、立ち直ることができました。二人をしっかりと弔えて、前を向いて生きることができました。……本当に、ありがとうございました!!」


 頭がついていかない。

 なんで、なんでだ?


 俺はただ、骨を届けただけだ。あの二人を信じずに死なせたのに、なんで感謝されてるんだ?

 悪評ばかりの俺に、どうして頭を下げるんだ?

 なんで――っ。


「私たちも助けてもらいました」

「ありがとうございました!!」

「命の恩人です、本当にありがとう!」


 次々と、幾人もの人たちが見覚えのある骨壺を携えて俺に向かって頭を下げる。

 それだけじゃない。


「『雷槌』さん。本当にごめんなさい。あなたのことを、もっとハンターの人たちに伝えていれば、こんなことにならなかったのにっ」


 ギルドの受付嬢が、涙を浮かべながら謝ってきた。


 なんで?


 どうして?


「ハンターの人たちの暴走を止められたはずなのに、町のためにだれよりも戦ってるあなたのために、何もできなくてっ!」

「俺たちからも、本当に申し訳ない!! 何も知らずに蔑んで、遠ざけて、バカにして。本当に役立たずなのに、ずっと守ってくれたあんたには、返しきれないほどの恩ができちまった!!」

「俺も、ごめんなさい!!」

「すいませんでした!!」


 ギルドの職員も、昨日殺しに来たハンターたちも、全員が頭を下げてきた。


 かつてのような、敵意に満ちた視線はない。

 かつてのような、悪意に満ちた言葉はない。

 かつてのような、恐怖に満ちた人はいない。


 たったの一晩で、すべてが変わっていた。


「思っていた通り、とても優しそうな人ですね」


 パン屋の夫人が、俺の顔を見て、手を握りながらそう言った。


「とても優しくて、それでいて辛そうな。もういいんですよ。切り捨てなくていいんです。無理しなくていいんです」


 俺のことなんて、何も知らないはずなのに。

 なぜか、目の前にいる初老の女性の言葉は、やけに染みた。


 ……今まで、つらかった。

 ……ずっと、いやだった。


 戦えば戦うほどに、多くのものが亡くなっていく。

 だから、最初から全部切り捨てて、切り捨てるものがない俺は、自分さえも切り捨てて。


 そうしてずっと戦ってきた。

 それがずっとつらかった。


「あなたは、何も切り捨ててなんかいない。ずっとずっと、人を想って、背負って、戦い続けた強い人。どんなに傷ついても大切な思いを失くさずに、立ち上がれる優しい人よ」


 魔法使いの言葉を皮切りに――


『ようやく気付いたか?』

『もう、あの約束を交わしたときに言ったじゃない』

『ウィリアムは優しい奴だ。でも、鈍いのだけは玉に瑕だな!』


 先生、ソフィア、オスカーの幻影が現れて、笑ってくれた。

 いつもみる悪夢のような、俺を呪うものじゃない。


 最後の最後まで、俺の家族でいてくれた、大好きで大好きな三人だった。


「あ……ぅ……」


 言葉が出なかった。


 ずっとずっと、三人は一緒にいてくれた。

 死んでなんかいない。ずっと、みんなの想いは俺の中に生きている。


 切り捨ててなんかいなかった。


 知らない感情が腹の底から湧きあがる。不快じゃない。だけど、どうすればいいかわからなかった。


 混乱の極みの中で、


『ほら、ウィリアム。あなたの大事な家族が、迎えに来てくれたわよ』


 ソフィアの幻影がある方向を指さした。


 それは――


「待って!!」


 守りたかった、名もなき少女がそこにいた。



 ◆



 ずっと、優しい声が聞こえる。

 ずっと、優しい手を感じる。

 ずっと、一緒にいたい人がいる。


 でも目覚めたときにはその人はいなくて、一緒にいたはずの魔法使いの女の子もいなかった。

 おぼろげに覚えてる、あの時、彼が言ってくれた言葉。


『本当は……一緒にいたい……本を読みきかせたい……うまいもん食って、笑いたい……お前の名前を、呼びたいよ』


 深い深い、真っ暗闇の海の底に沈んでいても、その言葉は、わたしの手を引いて、力強く引き上げてくれた。


『……俺には、家族がいないんだ……お前がいないと……寂しいよ』


 わたしも、あなたと一緒に生きたい――!


 強く思ったそのとき、はじめて彼とつながった気がした。


 だけど――


「いない……どこにもいない」


 目覚めたときは夜空が白み始めていた。そんなに長く眠っていたわけじゃないみたい。でも体中が重くて、横になればすぐにでも眠ってしまいそう。

 だけど、首の後ろあたりでずっと嫌な予感がうごめいていた。


 もう一度寝てしまったら、きっと、取り返しのつかないことになるんじゃないかと。


 思った時には、もう家を飛び出していた。


「まって……! いやだ……いかないで!!」


 何度も気にぶつかり、転がり、泥だらけになりながら、それでも走って走って走り続けた。

 息苦しい、止まりたい、休みたい、眠りたい。


 だけどこんなの、苦にならない。

 だってあの人は、ずっとこんな苦しみに耐えてきたんだからっ。

 言わないけれど、強がるけれど、ずっとあの人はわたしのことを考えてくれていた。


 言葉よりも雄弁に、誰よりも勇敢に。


 嫌われることも厭わないあの人は、世界で一番勇敢な人。


 木々の間から徐々に光が差してくる。もう日が昇った。


 彼が行ってしまう!

 焦る思いをそのままに走り続け、ついに森を抜けたときに、見つけた。


 多くの人に囲まれて、泣きそうな顔をしたあの人を。


 沸き上がる思いのままに、


「待って!!」


 叫んだ。

 自分でも驚くほどの大きな声で、彼だけじゃなくそこにいたたくさんの人がわたしを見た。


「あれが……『雷槌』の」

「聖人……?」

「なんてきれいな……」


 わたしを見てつぶやく小さな声が聞こえる。

 町の人には目もくれず、わたしは彼と魔法使いの彼女がいるもとへ向かう。


 あと少しで、彼の手を取れるという直前で、


「じゃあな」

「――えっ」


 彼は背中を向けて立ち去ろうとした。


「まって、まってよ……」


 彼の背中に手を伸ばす。

 視界がにじむ。


「どうして? 一緒にいるって――」

「俺とお前は一緒にいちゃいけないんだ」

「どうして!」

「お前は! 俺とは違うんだ!」


 彼は叫ぶ。

 わたしは止まる。


「お前は、幸せにならなきゃいけないんだよ。それは俺と一緒にいることじゃないんだよ」

「そんなことない! ……わたしはあなたと生きたいの!」

「なら余計にダメだ」

「なんで……」


 背中を向けた彼の顔は分からない。

 だけどその声は、震えてる気がした。


「俺は一人で戦って死ぬ。……お前を死なせたくない。俺とくれば、お前は死ぬ」

「だったらわたしもあなたと戦って死ぬ! ……幸せにならなきゃいけないのは、あなたも一緒!」

「俺はもう! お前に幸せをもらったよ! 十分すぎるほどもらったよ! だからもういらないんだよ! これ以上、邪魔をしないでくれ!」


 強い拒絶の言葉……のはずなのに、とてもそうは聞こえなかった。


 なにより、うれしかった。

 わたしは、彼の役に立ててたんだ――。


 気づけば、彼の背中に飛び込んでいた。


「おいっ!」

「おねがい……おねがい……一緒にいよ? もう、家族でしょ?」

「……っっ」


 彼の背中に、大きくて力強くて、頼もしい背中に縋りつく。


「もう十分なんだ……最後に一目、元気な姿を見せてくれた。家族って言ってくれた……それだけで、俺はもう十分なんだ。だから頼むよ……行かせてくれよ」

「やだよ、やだよ……。あなたは教えてくれた。家族は一緒にいるものだって。ずっとつながってるんだって。まだ、名前だってもらってない、おいしいものだって食べてない、一緒の夜を過ごしてもない」

「俺から名前をもらうなんて――」

「あなたがつけた名前がいい!! じゃないといやだ! 生ぎだくない! 逝かせない!」

「――ッ」


 熱い目頭をそのままに、震える唇で言葉を紡ぐ。

 彼の服がどんどんと濡れて冷たくなっていく。

 だけど、絶対離れたくない、彼を独りにしたくない、もう独りになりたくない。


 家族を失いたくないよっ。


「血の繋がりなんて何もない俺を家族なんて言っていいのか?」

「……うん」

「大勢の人の血に濡れた俺を家族なんて言っていいのか?」

「うん」

「……俺は生きたいなんて言っていいのか?」

「うんっ!」


 抱きしめていた彼の体が一瞬離れ――


 彼がわたしを抱きしめた。


「……う……ぅう、あああっ……」


 頬に冷たい何かが落ちてきた。


 ――彼が、涙を流していた。


 初めて見る彼の泣き顔に、ますます嗚咽が止まらなくなる。


「うあああああん」

「あぁあああああ」


 わたしたちは、太陽に見守られながら、そのまま泣き続けた。

 ――うれしい時も泣けるのだと、はじめて知った。


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