第38話 名も無きぼくら



 涙を流せない俺の代わりのように、突然堰を切ったように泣き出した魔法使い。

 ベッドで寝ている少女が治った時も泣いていたのに、俺の話を聞いただけで泣くとは、ずいぶんと感受性豊かな奴だ。


 ……少しだけ、うらやましいと思う。


「ぶーーっ!」

「落ち着いたか」

「う゛ん゛。ありがど……」


 盛大に鼻をかんだ魔法使いは、赤くなった目と鼻をこする。

 ろうそくで暖かな暖色系の明かりに染まる部屋の中でも、魔法使いの銀髪は変わらず白く、少し赤くなりうるんだ瑠璃色の瞳は吸い込まれそうな輝きを秘めていた。


 あの事件が起きてから、この世界の人間が心の底から大嫌いだ。

 男女関係なく、むしろ交わることが可能ということを考えれば、女の方が嫌いになるほどに。

 だけど不思議と、目の前の少女二人に対しては、特に何も思わなかった。

 良くも悪くも、ではあるが。


「それで、なにを言おうとしたんだ?」

「うーんと……うまく言えないわ。ちょっと時間ちょうだい」

「あぁそぉ」


 さして興味のない話だから、時間を置いたら忘れる気がするな。

 ベッドの横、寝ている少女の足元と頭のほうに向かい合うように置かれた椅子、その間には骨壺と仮面、短剣が置かれている。

 そのうちの仮面を手に取った。


「その仮面はどうしてつけてるの? やっぱり、人が嫌いだから?」


 彼女の疑問に、少しだけ笑う。


「そうだよ。この世界の人間と顔を突き合せる気もない。本当なら、お前に顔を見られた時も本気で殺すか悩んだくらいだ」

「え……こわっ……あたしはいったい何回あなたに殺されそうになればいいのかしら」

「はっ、殺す気で戦っても勝てないんだから、問題ないだろうに」


 彼女と戦ったのは全部で二回しかないが、不意打ちだったり本気だったりしたのに、どれも一撃も食らわせられなかった。

 完敗だ。

 どれだけ自分を犠牲にしても、年下の彼女にも勝てないなんて。


 自分の人生が無駄だったのかと、全く以ていやになる。


「この短剣は?」


 彼女は机の上にあった短剣を手に取った。


「それはオスカーの形見の短剣だ。この仮面はソフィアの形見だ。……この二つと骨壺は、ずっと持ってる。二人と一緒に肩を並べて戦いたかった」

「そ……。会ってみたかったわ、その二人に」


 俺も会わせてやりたかった。自慢したかった。

 こんなにすごい人たちが、俺の家族なんだって。


 もう叶わない夢だけど。


 と、思っていると。


 ぐぅううう。


 誰かの腹が鳴った。

 俺だ。


「そういえば、ずっと何も食ってなかったな」

「あ、そうよ。あの子の作ったご飯がまだ残ってたわよね。持ってこようか?」

「どうせ食え……いや、やっぱ食う」


 言うや否や、彼女はさっさと部屋から出てまたすぐに戻ってきた。その手には一抱えもある大きな鍋。


「冷えちゃってるけど、あっためればおいしいよ」

「味なんてわかりゃしねぇよ」

「あなたねぇ……。もうちょっと言い方に気を付けたほうがいいわよ。今だからわかるけど、昼にその言葉聞いたときは、本気で怒ったんだから」

「言い方もなにも事実だろうに。こいつもお前も、会話に気ぃ使い過ぎなんだよ。疲れるだろ」

「だってそんなに親しくないし、使わないとあなたに殺されそうになるんだもの」


 しゃべりながら、彼女が魔法で料理を暖める。ついでに持ってきた食器に中身をよそう。


 昼に食った肉団子。湯気が立ち、たれが光沢を放っていて野菜と肉のうまみが出ていそうで体に良さそうだ。


 ……だけどやっぱり、うまそうに見えない。食いたいとも思えない。


「……大丈夫? 食べられる?」

「平気だ。こんくらい食える」


 スプーンですくい、口に入れた瞬間に。


「――ンゥ!」


 いつかのカットスの首を噛み切ったときの感触が脳裏をよぎる。味はしない。

 ただぐちゃぐちゃとした感触が舌を舐め、あふれた肉汁と絡んだタレが血と油を思い出させる。

 呑み込もうとしたときも、体が拒否反応を起こして喉が震える。


 ――それでも食べる。


「……うめぇな……」

「そうね……」


 喉の途中で止まりそうになるのを、胸を叩いて落とし込む。流れやすくなるようによく噛んで、勢いよく呑み込んでいく。

 次々と一口サイズの団子をほおばる。


「ま、まだ食べるの?」

「全部食う。……腹減ってんだ」


 昨日から何も食ってない。

 この鍋全部食べるくらいじゃないと、つり合いが取れない。


 胸を叩きながら、水を飲みながら、鍋の中身を全部完食した。


「御馳走様」

「おそまつさまでした」


 魔法使いが笑った。俺も笑う。


「初めて作ったにしては、上出来だな」

「ま、あたしが教えたんだかんね。当然よ!」


 彼女が胸を張る。

 意外にも料理には自信があるようだ。


「これ以外にも作れるのか?」

「あったりまえよ。旅人なんだから、自分で料理できなきゃね。一通りのことはちゃんとできるのよ。教えてほしい?」

「別に」

「ぶー」


 誇らしげに鼻を高くする彼女は、戦っている時とは違ってどこか年相応の愛嬌がある。


「俺にはいいからさ。こいつと仲良くしてやってくれよ」


 俺の言葉に、彼女はキョトンとした顔を浮かべる。


「それは言われなくてもだけど、あなたは? 自分で言うのもなんだけど、あなたともそれなりに仲良くなったと思うんだけど」

「本当に自分で言うのもあれなやつだな。しかも俺の前で……。まあいいけどさ。……俺はもうこの街を出る。だから彼女をお前に預けたい」

「え?」


 今度こそ彼女は驚き、腰を浮かして眉を顰める。

 さっきとは一転して、少しだけ怒った声で、


「彼女を捨てて出て行くの? 彼女がどれだけあなたのことを大切に思ってるか、知らないわけじゃないんでしょ」

「だから捨てていくんだよ」

「あなた……」


 これは、ずっと前から決めていたことだ。


「こいつの知る世界は狭すぎる。さっき言ったろ? ……こいつは、世界で一番いい奴なんだ。俺の隣にいていい人間じゃないんだよ」

「……やっぱり、そうだったのね」

「やっぱり?」


 怒った顔を一転して沈ませて、彼女は立ち上がり、俺の近くにやってくる。


「あなたは最初から、ずっと彼女のために動いてたんでしょ?」


 ――っ。

 じっと顔を覗きこんでくる彼女の瞳が居心地悪く、視線を逸らす。

 すると彼女はゆっくりと手を持ち上げて、


「あなたが彼女を突き放すのも、彼女に知識を与えたのも、彼女に買い出しを頼むのも、全部全部彼女のためなんでしょ」


 俺の胸を指さした。

 とんと、軽い細い彼女の手が当たる。


「……戦いに集中するのに雑務を任せたかっただけだ」

「まあ確かに、それもあるんでしょうけど。それだけにしては、おかしいと思わない?」

「なにがだ」

「すべてが」


 彼女は俺の目を至近距離で覗き込んだまま、話し出す。


「あなたは彼女に知識を与えた。それはまあ雑用を任せるという意味では当然ね。でもそもそも、あなたが彼女に雑用を頼む意味は? だってあなたもあの町に降りるんだから、そのたびに買えばいいだけの話。わざわざ彼女に大金持たせて、人目につくななんて面倒な指示を出して、そのために必要な知識を与える。どう考えても、雑用を自分でやるより面倒だと思わない?」

「日常的に雑用を頼むなら、別におかしな話じゃない。お前だって、仕事終わりに飯ができてたら助かるだろう」

「まあ確かにね。こんなにかわいい子が家で待ってくれるってだけでも、やる気がでるってもんよね。でもあなたはそうじゃないんでしょ?」


 知った風な口を利く。

 目を険しくして彼女を睨む。しかし、どこ吹く風と気にした様子もなく、続ける。


「ご飯なんて依頼の帰りに買って帰れば済む話。それでもあなたは彼女に知識を与え、同じパン屋に通わせ続けた。初めて会った時、彼女の仕草と話し方からは知性と品を感じたし、とても孤児だとは思えなかったわ。必要だった、というけど、明らかに必要以上に彼女にいろいろ与えてるわよね」

「……ただの気まぐれだ」

「始まりはそうかもね」


 魔法使いは俺から離れ、寝ている少女のベッドの端に座る。


「あなたは自分が言った通りに、彼女を幸せにしたかったんでしょ?」

「……」


 ――言葉が出なかった。

 なぜだろう。


「彼女にいろいろ教えたのは、一人で生きていくために必要だから。お金をたくさん渡したのは、いつでも自分の元から離れていけるように、彼女に選択肢を与えたかったから。あのパン屋にずっと行かせ続けたのは、あのパン屋の事情を知っていたから」


 俺も寝ている少女の顔を見る。

 健やかな寝息を立てている彼女の頬をそっと撫でる。


「……そんなに深く考えてたわけじゃないんだけどな」

「よく言うわ。……彼女が来るようになってから、あのパン屋のご夫妻は娘さんは失ったショックから立ち直れたって言ってたわ。遺骨を届けてくれたあなたにお礼を言いたいってさ」

「なら会わなくて正解だな。俺だと知れば、きっと失望するだろう」

「あの人たちは、そんな人じゃないわよ」


 そうだろうとも。

 だから彼女を通わせ続けたんだから。

 わかっていても、俺は自分の悪評を覆すようなことをするわけにはいかなかった。


「あの町で世間を知れば、誰だって俺といたくなくなるだろう。彼女もそうなると思っていた。だけどいつまでたっても、彼女はパンを買って帰ってくる。嬉しそうに、楽しそうに。自分が他の子どもと比べておかしいだとか、微塵も思わずに」

「だからあなたは自身の悪評を正すことはしなかったのね」

「もともと興味もなかった。でも利用できると思ってからは、正すことはしなかった。それに、ほとんど間違ってないからな」

「どこがよ。全然違うじゃない」

「そうか? 的確じゃないか」


『躯作り』、『トカゲ野郎』、『狂人』、そして『親殺し』。

 どれも俺にぴったりだと思う。


「『雷槌』だけは、あなたが自分で名乗ったんでしょ?」

「……そんなことまで知ってたのか」

「これはあくまで予測よ」


 一体何をどう知れば、そんな予測が立つのだろうか。

 ちょっとした探偵の推理を聞くようで、少しだけ興味がわいた。


「あなたが最初に依頼を受けた時、同行した人がいたでしょ。なまえ、覚えてる?」

「……ああ、覚えてるよ。名前も顔も、過去も夢も何もかも」

「まさか、記憶奪ったの?」

「家族について知りたかったからな」


 俺が首を刎ねるのは、不完全な記憶魔法を完成させるためでもあった。

 新鮮な生首なら、充分に記憶を読み取れる。

 ……テストも兼ねただけの、ただの余興のつもりだった。


「『雷槌』っていうのは、二人があなたにつけたものね」

「ああ。……名乗る名前がなかったんでな。二人にもらったんだ」

「エウラリアさんとテネリフェさん。二人は正義感が強くて、軍に対して鉄槌を! なんて叫んでる人だったらしいわね。ちょっと暑苦しいけど、いい人だったって」

「ああ、そうだよ。暑苦しいお人よしさ。見るからに怪しい俺の指導を引き受けて、あまつさえ軍に見つかったときは身を挺して逃がそうとしてきたんだから」


 たった半年前程度なのに、もうずっと昔に感じる。

 あの依頼が失敗に終わったことで、それからの俺のセビリアの生活のほぼすべてが決まってしまった。


「正義の鉄槌。それと天の裁きと言われる雷をかけて、二人はあなたを『雷槌』と呼んだのね」

「死の間際に決めた名前の割に、いい名前だろ?」

「そうね。由来を知ってからは、より好きになったわ。あなたのこと」

「ヴォエッ!!」

「……あなたねぇ」


 歯の浮くようなセリフに、食事の時より吐き気がした。

 さっき苦労して食った肉団子が全部弾丸のように飛び出しそうになるのを必死にこらえる。

 深呼吸、深呼吸。


「ねぇ、どうして二人の遺骨を家族の元へ届けようなんて思ったの? 人が嫌いなんでしょ?」


 彼女の言葉を鼻で笑って頷いた。


「ああ、大っ嫌いだよ。どいつもこいつも馬鹿で無能で自己中心的、人の話なんて聞かないし、簡単に人を裏切る。そんなやつをどうして信用なんてできる? エウラリアもテネリフェも、逃がそうとしてくれたとはいっても、俺は最後まで二人を信用しなかった」

「なら、なんで――」

「死んだからだよ」


 言葉の途中で強引に被せた。


「死んだ彼らは裏切らなかった。最後まで戦って死んだ。……それならせめて、疑った詫びとして……家族のもとに返してやりたかったんだ」


 一部でも、大事な人の遺骸があるというのは、心の拠り所になるものだ。

 机の上にある骨壺を見る。

 おかしなことだとはわかっている。だけど、二人と一緒に戦いたかった。

 俺と同じく、誰かにとってのソフィアとオスカーを、野ざらしにする気にはなれなかった。

 あの時から俺は、同じ依頼で軍と戦って死んだハンターたちは、できる限りで遺体を回収した。そのまま持ち帰るのは無理だったから、燃やして骨と遺品だけ回収して、ギルドを通して遺族に渡した。


「ギルド職員には口止めをした。俺からだと知れれば、疑うかもしれないからな」

「結果的に、あなたが職員さえも脅しているとされ、『躯作り』という名前は着実に広まっていったってわけね」

「本当に噂が好きな連中だよ」


 苦笑する。

 嫌われるのはわかっていたが、まさかあそこまで殺意を向けられるとは思わなかった。


「結局、あなたが自分の名前を名乗らないのも、彼女のためでしょ」

「それだけじゃあないけどな」


 名乗らないのは、俺自身のせいでもある。


「俺はもう自分が誰なのかわからない。奪った記憶の持ち主の誰かなのか、元の世界の俺なのか、この世界で記憶を失っている間に生きた僕なのか、自信がなかった」

「そして、名前もない彼女に自分も同じだよと、示したかったんでしょ?」

「それはお前もそうだろ?」


 お互いに肩をすくめる。

 類は友を呼ぶというのだろうか、やることも仕草も少しだけに通っている気がした。

 魔法使いはまだ、名前について話し続ける。


「そもそも彼女に名前を付けないのも、いつか彼女が自分の元を離れるための配慮、ってとこかしら」

「……そこまで考えたつもりもない」

「嘘ばっかり」


 本当なのに。


「あなたは自分の悪評を広めて彼女を自分の元から離れたがるようにした。離れた時、悪名高い自分がつけた名前を嫌悪すると考えたあなたは、そもそも名前を付けることをしなかった。名前を付けなければ、なおさら他の人に彼女を保護してもらえる理由にもなる」

「よくもまあ、そこまで理由をこじつけられるもんだ」

「でも事実でしょ?」


 否定する気も起きなくて、鼻を鳴らす。

 彼女がそれを否定ととったか、肯定ととったかはどうでもいい。


「でも結局、こいつは俺の元から離れようとしなかった。残ったのは、ただの名無しの三人だ」

「必然よね。まあでも名無しは名無しでいいんじゃない? 何より気楽だし」

「それもそうだな」


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