第37話 本当の強さ



 月明りだけでは過ごしづらいほど暗く染まった丙夜の時間帯。

 少女はまだベッドの上で眠っており、あたしはその傍らの椅子に座っている『雷槌』と向かい合っていた。

 向かい合う、といってもそれは体だけで、彼の視線はあたしに向くことはなく、ずっと眠っている少女の顔を見つめていた。


「……よかったわね、助かって」

「……ああ」


 そっけない返事。だけど、今までで一番落ち着いた声。

 奇跡が起きた後、あたしはこらえきれずに泣いて疲れて眠ってしまったけど、やっぱりというべきか彼は一切眠らなかった。

 あたしが目覚めたときもずっとベッドに持たれるように彼女の手を握って、眺めているだけだった。

 彼の目元には相変わらずひどいクマがある。でもその目つきは、今までのような怒りに満ちたものではなく、優しくもどこか悲しい色がにじんでいた。


 今なら、きっと全部話してくれる気がした。


「ねぇ、この子とはどこで出会ったの?」

「……どこでもない、セビリアの、誰も通らないような細く狭い路地裏さ」


 彼は教えてくれた。


「路地裏?」

「前に聞いただろ? こいつは孤児だ。金も身寄りもないこいつは、雨風が凌げそうな路地裏でひっそりと生きてたんだ。食料は森の恵みを、飲み水は木から滴る雨水を。そうやって隠れながら、毎日必死に生きていたんだ」


 以前、彼女が言っていた。住む場所も食べるものもない自分に食料と家を与えてくれたと。


「こいつと会ったのは、今日みたいな月が出ていた夜だった。あのときも俺はボロボロで、金もなかったから路地裏で夜を明かそうと思ったんだ。そんで、腹が減ったから支給されたレーションを食おうとしたときに、こいつが寄ってきた」

「支給?」

「ああ、言ってなかったか。……俺は元軍人、天上人の末席さ」

「……そう」


 言われても不思議と驚かなかった。心のどこかで、そうだろうと思っていたのかもしれない。

『親殺し』なんて具体的な名前を天上人が呼んでいる時点で、何かしら関係があるとは思っていたから。

 彼は続ける。


「こいつと会った日に、俺は味覚を失くした。レーションはまるで味がしなかった。だからこいつにやった。……最初は殺そうと思った。大嫌いなこの世界の連中が卑しくも俺の飯を取りに来たと思ってさ。でも、そのときに――」


 ――こいつは俺を癒してくれた。


 そう、彼は少しだけ笑っていった。

 その顔は、とても嬉しそうだった。


「最初見たときはびっくりしたさ。加護なんて見たことなくて、存在すら疑ってた。それを目の前で見たときは、少しだけ感動したよ。同時に思ったんだ。これは使えるってな」

「使える? 何に?」

「決まってる。……復讐にさ」


 平坦な声とは対照的に、放たれた単語はひどく物騒だった。

 彼はあたしの方を見て、問いかけてきた。


「旅人って言ったよな。この国のことはどこまで知ってる?」


 袖から手帳を取り出して、目を通しながら答える。


「この国は外部との関係を断っていて、さらに内部を上中下と三つの層に分けていること。中層と下層が上層に反旗を翻していることかしら。上層は中層以下の人を家畜のように虐げている」

「ああ、その通りだ。でも上層の、いや、天上人が虐げているのは中層の人間だけじゃない」

「……どういうこと?」


 始まったのは、身の毛もよだつおぞましい話。


「天上人。天上という名の通り、天上人はみな死んでいる。この世界の人間をいけにえとして捧げることで、異界の人間は殺されて魂だけとなり、天上人としてこの世界にやってくる。理由は分からないが、そのせいで天上人は聖人に近くなり、またマナがない世界で生きていたことで、この世界で違和感としてマナを感じ、魔法を使うことができる」

「そ、そんな……」


 自国の人間を殺して、異界の人間を呼び寄せる?

 それも、異界の人間さえも殺して?

 どうしてこの辺境の国に魔法使いがいるのか不思議だったけど、こんなおぞましいことをしているなんて。


「天上人は全部で十人。といっても、さすがにこんな大仰なことはそうぽんぽん行えない。今は一人欠員がいて、半年前に二人、そしてこないだ俺が一人殺した。今は全部で六人だ。俺を含めてな」

「……どうして、あんたは彼らと別行動をとってるの?」

「連中に殺されかけたからだよ」


 彼は視線を机の上にある壺と小袋に向ける。


「上層が中層以下の人間を人とも思わないように、十人いる天上人の上位は、下位の天上人を仲間とは思ってない。せいぜいが活きのいいおもちゃ程度だ。半年前、俺と同期の四人の下位の天上人は、選別と称して、軍の残虐な行動を受け入れるかどうかを迫られた。何も聞いていなかった俺と、仲の良かったもう二人の仲間は反抗して、殺された。……無残に、あっさりと殺された」

「それが、その壺の……」


 あたしの歯切れの悪い言葉に彼は頷き、あたしに向き直って静かに頭を下げてきた。


「その二人が、その壺に入っている二人だ。……改めて、丁重に扱ってくれてありがとう」


 普段とは違うしおらしい彼に少しばかり戸惑った。


「……人として当然のことをしたまでよ。あいつらのしていることは、許せなかったから」

「それでもさ。……結局俺は、あのときも今回も、二人のことを守れなかった」


 顔を上げた彼は、自嘲気味た笑顔を浮かべる。

 その顔は、とても痛々しかった。


「二人の名前は、ソフィアとオスカー。記憶のなかった俺の、唯一の家族といってもいいほど仲の良かった二人だった」

「記憶がない?」

「天上人の召喚の際に不手際があったのかは知らないが、俺はこの世界に来た時、記憶が一切なかった。自分の名前も家族も過去も何もわからない。……怖かったよ。何をすればいいのかも、自分に何ができるのかもわからない。世界で自分だけが独りなのかと、本当に怖かったんだ」

「……」


 記憶を失ったことがないあたしには、その孤独も怖さも理解できない。

 知ることすらできないものだ。

 彼は俯き、手に取った骨壺を大事そうに撫でる。


「怖かったから、俺は必死こいて鍛錬に励んだ。どんなに痛くて怖い鍛錬も耐えて、ようやく認められるってときに、選別の時が来た。そのときに、約束したんだ」

「約束?」

「そう、約束だ」


 ――とても大事な、忘れてはいけない約束。


「ソフィアは俺の記憶を取り戻す魔法を作ってくれた。その魔法を使って俺が天上人として胸を張れるようになった時、初陣から帰ってこれた時。本当の家族になろうって」

「それって――……」

「そうだよ……でも、果たせなかったんだ」


 生涯を誓った相手と交わした約束を、彼は守れなかった。

 彼女と親友を失うという最悪の形で。


「目の前で、腕の中で、大事な人が死んでいく。絶叫を上げながら親友が死んでいく。それでも俺は何もできなかった。俺も無残に殺されるんだと思った時、先生が助けてくれたんだ」

「先生?」

「俺に戦い方を教えてくれた、強さとは何かを教えてくれた、父同然の……いや、俺の体を作るいけにえとなった人物の実の父親だよ」

「……」


 家族を失う気持ちをあたしは知らない。

 いや、たとえ失っていたとしても、彼の先生の気持ちなんて誰も理解できない。

 あたしは目を伏せた。


「それは……とても複雑な関係ね」


 彼は頷いた。


「そうだな。複雑だ。……それでも先生は俺を守ってくれたんだ。二人は死んだけど、俺は先生の手引きで生き残って、ソフィアの死の間際に渡された記憶の魔法で記憶を取り戻した。そしてそのまま、先生の記憶を奪ったんだ」

「え?」


 記憶の魔法なんて聞いたことがない。

 だけどそれ以上に、どうして彼が父同然の人の記憶を奪うに至ったのか。


「先生は天上人じゃない。超人的な戦闘力は持つけど、数百年生きた先生の力はもう伸びしろがない。だからだろうな。魔法が使える俺に記憶を奪わせて自分の経験と技をすべて俺に渡そうとしたんだ。その力と魔法でもって、人々を虐げる天上人を倒せ、この国を守ってくれってさ」

「……そんなことが……」

「結果から言って、記憶の魔法は不完全だ。……記憶を奪われた先生は、何もできない廃人になった。一度に幾人もの記憶が流れ込んだ俺は混乱していたけど、先生の仲間は俺をこの隠れ町、セビリアに逃がしたんだ」


 そうして、彼は彼女に出会った。

 傷ついた体を彼女が癒してくれたのだ。


「……あなたが親殺しと呼ばれるようになったのは、その先生を廃人にしたことが原因なのね」

「たぶんな。先生の力は天上人にとっても無視できないものだった。その先生が戦士として死んだんだ。ほかでもない、息子同然の俺の手によって。そりゃ、連中にはおかしくてたまらない出来事だろうな」


 そりゃあハンターに言われてキレるわけよね。

 記憶と感情は強く結びつく。

 楽しい時や悲しい時の思い出は強く残り続けるように、彼の中には、彼を思う先生の記憶が多く残っているはずだ。

 その記憶をもらいながら、自分をいかに愛してくれたかをいやというほど痛感しながら、だけどその相手を自分の手で廃人へと変えていく。


 家族になるはずだった人を目の前で殺されて、家族だった人を自分の手で廃人へと変えていく。

 ……それはいったい、どれほどの苦痛だったんだろう。


「たくさんの人の記憶をもらって、俺は自分を呪ったよ。俺より賢くて強い人は、みんな俺を守って死んだ。俺は何もできなかったのに、みんな俺に全部託して死んだんだ。……はっきりいって、死にたかったよ。だけど、二人の思いが俺を死なせてくれないんだ」


 俯いた彼の顔は、前髪に隠れてよく見えない。

 涙は流れていないけど、彼は泣いているように見えた。


「それで、味がわからなくなったのね」

「精神的なもんだろうな。ぷっつりと何も感じなくなったんだ。気分は最悪の一言だ。……それからは、俺はソフィアとオスカー、そして先生と交わした約束を果たすためだけに、全部を切り捨てる覚悟で今日まで生きてきた」


 ――家族と親友の三人であの場所に帰る。


 彼が守ると誓った、たった一つの約束。

 その約束のために、彼は人間性も何もかもを捨て去って、今日まで果敢に生きてきた。

 だけど――


「結局俺は弱いままだった。……彼女を切り捨てることもできず、突然現れた魔法使いに簡単に負ける、ハンターたちに二人の遺骨を蹂躙される。……今は彼女の加護のおかげで落ち着いてるが、もう少しすれば、また約束も自我も忘れてしまう。それだけいろいろなものを切り捨てても、俺は強くなれなかった」

「切り捨てる?」

「先生に教わったんだ。強くなるっていうのは、大事なもののために全部を捨て去る覚悟を持つことだって。それだけの覚悟があるから、人は強くなれるんだ。……だけど、それだけの覚悟を持っても俺は強くなれなかった」


 彼の言葉を聞いて、すっと何かが胸に落ちる気がした。

 そして入れ替わるように、猛烈な感情が沸き上がり、のどから飛び出しそうになる。


「……どうしてみんなは、俺を生かしたんだ? 俺よりも強い、生きるべき人はたくさんいたのに」


 違う、そうじゃない。そうじゃないのよ。

 目の前で頭を抱える彼に、声を大にして伝えたかった。

 ソフィアとオスカー、そして先生が感じたあなたの本当の強さは、そんなものじゃないんだよ、と。


 だって彼は、こんなにも――


「違うよ、違うのよ……あんたの家族は……きっと――」

「おい?」

「あんたの強さは、そんなものじゃない! だって、だって――!」


 伝えたい。

 だけど、伝えられないっ。

 堰を切ったように大粒の涙があふれだした。自分でも、どうしてこんなに涙が出るのかわからないっ。

 鼻の奥がじんとしびれる。


「う、えぐっ……うぅっ!」

「……たく」


 震える肩に、大きな手が触れた。

『雷槌』が優しく背中をさすってくれた。

 それでも涙は止まることなく、ますます肩を震わせて泣きじゃくった。


 彼は何も言わず、ずっと背中をさすってくれた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る