第36話 愛しき月夜
ごつごつした何かに乗せられ、俺は空を飛んでいた。
涼しくも強い風が体中を叩きながら通り過ぎていく。そのたびに体中に痛みが走る。
あの魔法使いは、俺をどうするつもりだろうか。
頼みを聞いてくれるだろうか。
そもそも伝わっただろうか。
どちらにしろ、俺はもう助かるまい。
ハンターにあれだけ殺されかけた。魔法使いがあいつを助けることはあっても、俺を助ける義理はないはずだ。
でも、それでいい。
狂ってしまった俺の命であいつの命が助かるのなら、十分すぎるというものだ。
諦めかけたそのときに。
『それでいいのか?』
幻聴が聞こえた。
力強く、安心するこの声は――
「先生……」
もはや黒しか写さない俺の瞳には、確かに先生の姿が見えていた。
『お前にはお前にしかない強さがある。私たちは、それに託したのだ』
「……そんなもの……俺にはありません」
これはただの幻覚だ。
俺の中の先生の記憶が生み出しただけの、俺が言ってほしいだけの言葉だ。
先生の幻覚を皮切りに、次々と俺が奪った記憶の持ち主たちの幻影が現れる。
『ウィリアム、私の最愛の人』
「ソフィア……」
『ウィリアム、お前は俺の大事なダチだ』
「……オスカー?」
なぜか、記憶を持っていないオスカーまでも現れた。
ふっ、記憶にない妄想まで見れるなんて、死の間際も意外に悪くない。
……結局俺は、何もできなかった。
狂っても、それでも何も為せなかった。
『オマエはオレサマのもう一つの可能性。少し期待してたんだがな』
現れたつぎはぎだらけの男の、意外な言葉に思わず笑う。
「……何が可能性だよ……お前のように……狂うことすらできなかった」
もし、俺が選別のときに奴らの下に下っていれば、きっとカットスのようになっていただろう。
だけど俺は、たくさんの人を犠牲にして生き延びて、何も残せず死んでいく。
『お前はまだ、死んでいない』
『生きて、あの時の約束を――』
『お前には、待ってくれる人がいるんだ』
『精々アガケ。オレサマの記憶を活かしてミセロ』
次々と幻影が声を掛けてくる。
意味が分からない。
だって俺はもう、自分が何者かもわからないんだもの。
自分は目の前にいる人たちのような気もするし、記憶をなくしていたころの何も知らない自分のような気もする。
こことは全然違う元の世界で、平和に生きていた自分かもしれない。
この世界で生きていた本物の『ウィリアム』かもしれない。
たくさんの人の記憶を奪って、俺自身の記憶のほとんどはひどくあいまいで混濁している。
俺の周囲にいた幻影たちも、次々と薄れて消えていく。
最後に残った先生が、俺に手を伸ばす。
その手を掴もうと、火傷を負った手を伸ばす。
『周りを見渡せ。月と太陽がお前を導いてくれている』
掴む直前に、先生の影は消えた。
――伸ばした手の先に、昇り始めた月が見えた。
◆
俺を乗せて飛んでいた何かがゆっくりと地面に降りる。唯一無事な触覚だけが振動を伝え、冷たくも柔らかい地面に自分が降ろされたのだと教えてくれた。
「ここは……どこだ?」
夜になったせいか、ぼやける視界は真っ暗になり、いよいよ何もわからなくなった。
時折、生暖かい吐息のようなものが頬に触れ、固い何かが体に触れる。
あの魔法使いが使役する飛竜だろうか。
俺を乗せてきたということは、巣にでも連れてきたのか?
食べる気なのかもしれないな。まあ、歯を砕いたり電気流したりしたのだから、殺されるのは仕方ない。
……最後が、魔物の餌とは、まったくもってみじめ極まりない。
「静かに死ねるならいい方か」
やわらかな土の感触を感じながら、上から感じる吐息を受けて最後の瞬間を待ち続ける。
だけど、いつまでたってもその時が来ない。
このまま、眠ってしまおうか? 実はもう死んでるのだろうか。
倒れながら自問自答し続ける。
数分か、数時間か。
ずっとそうしていた。
しかし、やがて。
「―――、―――」
誰かの声が鼓膜を揺らした。
そして、俺の肩に誰かの手が回されて、ふらつきながらも立たされる。
「―――!」
誰だろう、細くて力はそんなに強くない。
俺が重いのかもしれないが、運ぶ腕は頼りなく揺れていて、なすがままにどこかに連れていかれる。
「……だれ……だ?」
「――――」
聞いても、答えてくれているのかもしれないが、何も聞こえない。さっきの幻覚の声はやたらはっきり聞こえてきたのにな。
そのまましばらく、ゆっくりと運ばれる。
何が起きているのかわからない。
だけど――
わずかに残った嗅覚が、嗅ぎなれた家の匂いを感じてくれた。
ここは、俺の家だ。
誰かが、いや、あの魔法使いがこの場所に連れてきてくれたのだ。
「……ありが、とう」
聞こえているかもわからないけど、感謝を伝えたかった。
優れた魔法使いの彼女がいれば、あいつは助かるかもしれない。希望はまだある。
いそげ、いそげ、いそげ。
動かない足に力を入れて、わずかなりともあいつがいる部屋へと急いで向かう。
――最後に一言、伝えたいことがあるんだよ。
◆
ハンターたちの始末をつけた後、ほうきに乗って、彼を例の家に連れて行ったエフィメラに合流した。
きっと彼なら、彼女のもとに自力で向かっていると思ったけれど、彼はエフィメラに降ろされた家の前で、力なく倒れこんでいた。
死んでいるのかと思ったけれど、わずかに背中が動いていて息がある。
急いで彼を運ばなきゃ。でもその前に――
「エフィメラ、これを届けてくれる?」
「グルゥ」
「ごめんごめん、これが終わったら、休んでいいから」
エフィメラに二通の手紙を預けると、また夜空の向こうへ飛び立った。
ほどほどに見送って、すぐにあたしは彼の方へ向き直る。
「あの子のもとに、連れて行ってあげるから」
彼の肩に手を回し、息を止めて持ち上げる。
「おっもー!」
泥を含んでいるからか、彼の身体がとっても重い。自力で立つこともままならないのか、全体重をあたしが支えなければいけないから、すごくきつい。
それでも歯を食いしばって、目の前にある家に彼を連れていく。
途中で、
「……だれ……だ?」
彼が蚊の鳴く声で聞いてきた。
よかった、まだ意識はある。それなら彼女と彼を救う手はある。
見えていないだろうけど、それでも安心させるために微笑んだ。
「あなたを導く旅の魔女」
冗談めかした答え。
すると彼は、少しだけ笑ってくれた。
そして――
「……ありが、とう」
感謝の言葉を口にした。
「……っ」
その言葉が、今までで一番心に届いた。
鼻の奥、ジンと来た。
「感謝はまだ、もう少し先に取っておいてよ」
歯を食いしばり、全身に力を入れて彼を運ぶ。心なしか、彼の身体にも力が入り、少しだけ進むのが早くなった。
そして見おぼえのある、いつも彼が寝ている部屋にたどり着く。
部屋の扉をくぐる。
そこには――
「ひどいッ!」
全身に酷い火傷を負い、真っ黒になったあの子がいた。
彼女の胴を斜めに横切るように深い谷が出来上がり、彼女の赤い瞳は溶けてくっついてしまったかのように閉じられている。
口からは、ひゅーひゅーと笛のようなおかしな吐息。
死に瀕しているのは、明らかだった。
「あ、ああ……」
「あ、ちょっとッ!」
部屋に入った途端に、彼は彼女に近寄ろうとあたしから離れるも、立つことができずに倒れ込む。
派手な音を立てて彼は倒れ、木製の床が軋む。それでも彼は動かない体を必死に動かして、まるで虫のように緩慢な動きで手足をばたつかせる。
再びあたしは彼の体に手を回し、ベッドの上にいる彼女の手を取らせる。
――あたしには、二人を救う力は無い。
そもそも回復魔法なんて存在しない。体内のマナを操る必要がある魔法なんて、高度過ぎて使える者なんてこの世界に存在しない。
だけど、体を癒す力はある。
「聞こえる? ……彼女を救うには、あんたの力が必要なの」
「……?」
「彼女を救う方法は一つだけ。……彼女自身が持つ、加護の力を使うしかない」
一度見た彼女の強い意志が生み出す奇跡の力。
しかも彼女は聖人に近い体を持つ。
聖人は、その体を神聖な気配、いわゆる神気で作っている。そして加護の力の源もまた神気。
聖人が行使する加護の力は、常人をさらに上回る。
だから、彼女の加護ならば、死んでないならば治すことができるはずなんだ。
だけど――
「彼女に力を使ってもらうには、あんたの力が必要なの。彼女に声を掛けてあげてよ。なんでもいい、あんたの本当の想いを」
「……」
彼は何も反応しない。
聞こえていないのだ。
だけど――
「お願いだ……」
彼は語りだす。
「本当は……一緒にいたい……一緒に本を読みたい……一緒にうまいもん食って、笑いたい……お前の名前を呼びたいよ。俺の名前を呼んで欲しいよ」
ぼろぼろの焼けた手で、彼女の黒い手を握る。
痛みすら誘う悲痛な声。
「……俺には、家族がいないんだ……お前がいないと……寂しいよ」
彼女の手を、自身の額に押し抱く。
「俺の家族に、なってほしい」
その一言が。
「……ぁ……」
奇跡を呼んだ。
ほんの僅かな、小さな吐息に紛れた彼女の声が漏れだした。
「――っ」
「……あ」
ベッドのうえで、かすかに目を開け、うるんだ瞳を彼に向ける少女。
彼女が、彼の声で目を覚ました。
こらえきれずに視界が滲む。
いけない、二人の邪魔をしちゃいけないっ。
あたしは口を押えて、嗚咽をこらえる。
彼女は、焼けた原形をとどめていない顔を綻ばせて。
「……わたしも……生きたい」
つぶやく顔は、今まで見た中で、一番きれいな笑顔だった。
――そして、奇跡は起こる。
「加護が!」
いつかのように、いや、いつかの時以上に部屋全部を神聖な輝きが包み込む。
窓から差し込む月明かりと同じ白く暖かな輝きは、そっと二人の傷ついた体に溶け染みる。
二人の焼けた赤黒い体が、みるみるうちに綺麗になり、元の姿を取り戻す。
焼けてもなお綺麗だった少女の顔は、元の白く整った形に戻り、おかしかった呼吸は穏やかな寝息に落ち着いた。
彼女の手を握る彼の身体も元のたくましく張りのある肉体に戻り、手の震えも視線のぶれも収まっていく。
そして。
「あたしにも?」
二人だけでなく、あたしの身体にあった不調も癒えていく。
魔力が体中に満ちていく気がする。
気力が心の底から湧いてくる。
母の腕に抱かれているかのような、心の底から安心し、眠気すら誘う神聖な力。
体が十全になったとき、光は収まり、部屋の中は元の月明かりだけが差し込む質素な光景へと戻っていった。
奇跡を起こした少女は、再び安らかな眠りに入る。
「よかった、よかったっ」
彼女の無事を確信した瞬間に、全身から力が抜けた。
「はぁ~……」
だらしなく床に座り込む。
本当に、よかった、よかったッ!
「うぅっ! ううぅぅ!!」
こらえきれず、今度こそ嗚咽が漏れてしゃくりあげた。涙が、止まらない。
「ああぁあああ~……」
絶対に忘れてはいけないきれいな景色を目の前に、あたしはしばらく泣き続けた。
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