第29話 煮えたぎる心の炎



「ここでカットスは死んだのか?」

「そうだよ、ここであいつの卑劣な罠がやってきたんだ。雷まで落ちてきて、最悪だったんだ」

「あの『親殺し』か。多少はやるようになったじゃないか」


 軍と戦ったあの惨憺たる川辺に、四人の人間がいた。

 燃えるように逆立った赤毛に遠目に見ても上等だとわかるギラギラ光った緋色の軍服男。

 水のように流麗な青髪に見下すような冷たい視線を放つローブを纏った女。

 岩のようにごつく分厚い肉体。頑丈な鎧を纏った切れ目に禿頭の男。


 マルコス、ヴァレリア、カベザ。

 そして前にも来たフリウォルだ。


「昨日の今日でもう来たか。マルコスの速さだけは脅威だな」


 その四人の様子を少し離れた森に隠れてうかがっていた。

 手元にある装備を確認して、舌打ちをする。


「全員しとめるには、罠が足りない……。隻腕のフリウォルとカベザから仕留めるべきだが、ヴァレリアが邪魔だな」


 全員揃ってくるのは予想外だった。

 左腕を失い重症のはずのフリウォルまで来るとは思わなかった。


 戦いを終えたのが二日前の夕方。それから一日半眠って、今は二日後の昼。

 さすがに軍を引き連れてくることはできなかったのだろうが、そもそも奴らは一人でも一騎当千。

 それが四人も来ては相手しきれない。


 ……まあでも、どうでもいいか。


 あの町は燃えて灰になるかもしれないが、どうでもいい。


 俺は俺の目的を果たす。

 約束を守る。


 決意新たに息を吐く。

 すると――


『お前もオレサマと同じだ』


 目の前に邪魔な黒衣の幻が現れた。


「うるさい」

『お前もオレサマと同じ、狂ったニンゲンだ』

「うるさいっ」

『オレサマが勝てないのに、オマエが勝てるわけがない』

「うるせぇっつってんだ!」


 幻聴が邪魔をする。

 俺の中のカットスの記憶が奴の姿をつくり、俺の前に現れる。


『オマエはオレサマと同じだ。この国のおかしさに人生を狂わされ、自己という自己をすべて狂わされた。自責の念に駆られ、自傷を繰り返す。それだけでは足りず、他人を傷つけ、浴びる非難で自己の罪悪感を慰める。その繰り返しだ。オマエはもうオレサマと同じだ』

「俺は違う、お前と同じにはならない」

『もう遅い、同じだ。精々自分を傷つけるか他人に傷をつけてもらうかの違いでしかない。オマエの中の彼女はなんて言ってる? オマエの中の父はなんて言ってる?』


 腕を振るうもカットスの幻影は消えることなく、不快な笑みを浮かべ続ける。

 奴の幻影だけでなく、他にもいくつもの幻影が現れる。


『あなたには失望したわ』

『お前になら託せると信じていたのに』


 現れた幻影のうちの二つ。


「ソフィア……先生……」


 やめろ。

 二人の姿で、俺の前に現れるな。

 そんな目で俺を見るな。


「果たそうとしてるじゃないか。今、あの時交わした約束を」

『私が作った記憶の魔法を悪用するなんて――』

『私が鍛えた力を人殺しに使うなど――』


 聞きたくない。

 耳を抑えて目をつむるも、二人の声はやまない。

 挙句の果てに――


『よくも殺しやがったな』

『返せ! 俺の首!』

『まだ生きたかったのに! 死にたくなかったのに!!』


 今まで殺してきた連中までが俺を指さし非難してくる。


 うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇ!


 今、ようやく怨敵が目の前にいるんだ、邪魔すんな!


「この先に町があるんだろ? ちょっとフリウォルとカベザ、見て来いよ」

「えぇ、マルコスも来てよ。あいつがいたらどうするのさ」

「そんときは呼べよ。町ごと全部燃やしてやるからさ」

「言ったね、すぐに来てよ。僕は死にたくないからさ」

「おう、すぐに行ってやるからよ」


 幻影がうるさい中、奴らの声が風に流され聞こえてきた。

 見れば、フリウォルとカベザが揃って空に飛び立ち、町の方へと向かっていった。

 その場にはマルコスとヴァレリアが残った。


 気付けば、周囲の幻影は消えていた。


 ――これは好機だ。


 木陰に隠れたまま、少し離れた川辺に佇む二人に向けて手を伸ばし、


「《霹靂神ディエス・イレ》」


 拳を握る。

 途端に頭上に雷雲が巻き起こり、地面に向かって光の大樹が現れた。


 目を焼くほどの閃光。

 鼓膜を破るほどの轟音。


 二つが一瞬で地上に降り注ぐ。


 しかし――


「……チッ」


 雷が落ちる直前で、ヴァレリアがマルコスごと覆う結界を張った。

 雷はまるで見えない籠に阻まれるかのように二人をよけて周囲に落ち、川の水を蒸発させて地面を焦がす。


 雷なんて亜光速に近い。普通反応なんてできない。

 つまり、マナの異常を察された。


 ということは――


「見つけたぜ」

「――ッ!」


 俺の居場所を知られた!


 後ろから聞こえた声に、振り向きざまに剣を振るう。

 だが背後にはもう誰もいない。わずかな熱気が残るだけ。


 次の瞬間、視界全部が紅炎に染まり――


「おっせぇなぁ」


 俺の身体が吹き飛ばされた。


「ガハッ!」


 いくつもの木々をへし折りながら、それでも止まらず吹き飛び続ける。

 何度も木をへし折り、地面をボールのように弾んだ。

 川辺に派手な水しぶきを上げてようやく体の勢いは止まった。


「ゲホッ!!」


 すぐに水から起き上がり、周囲を見やる。

 離れた森にいたはずなのに、俺はさっきまで見ていた川辺に吹き飛ばされていた。


 仮面の下に入り込んだ水を吐き出しながら、顔を上げる。


「マルコス、ヴァレリア……」


 俺の頭上に見下すように赤と青の二人の天上人が佇んでいた。


「よう、『親殺し』。元気そうじゃねぇか。カットスをやって天狗にでもなったか?」

「……」


 軽々なマルコスと眉を顰め口をつぐむヴァレリア。

 ヴァレリアは絨毯の上に人の身長ほどの長さの杖を持っているが、マルコスは違う。

 奴の両手には剣があり、その刀身からは真っ赤な炎が噴き出していた。


 マルコス。

 天上人最強の男。


 その戦い方は、両手に持つ剣から放たれる炎を利用した圧倒的な火力と速さ。


 自然に囲まれていて、開けたこの場所では最悪の戦い方だ。

 必死に頭を回しながら、言い返す。


「飛び回るハエめ。今日、二度と飛べなくしてやるぞ」

「ハッ、ハエはどっちだ? 星の前じゃ、すべてがただの塵芥。お前なんかすぐに黒焦げだ」


 炎の尾を引いて、目にもとまらぬ速さでマルコスが目の前に降りて、いや、落ちてくる。

 豪快な水しぶきと炎の光をまき散らし、川の上に着地した。


 しぶきが落ち切ったとき、奴は俺に剣を向ける。


「百年の英雄であるこのマルコス様が、お前に引導を渡してやるよ」


 俺もやつに剣を向け、短剣を構える。


「ほざけクソ野郎。名もなき俺が、お前のすべてを奪ってやるよ」


 頭上にいるヴァレリアは黙って見下ろしたまま。


『雷槌』と『火星』がぶつかった。



 ◆



 町にいても感じる。

 遠くで大きなマナの動きがあった。


 近くに何かいる。

 それも複数。


 町の人は何も気づいてないの?


 周囲を見ても、誰もが先勝ムードに浸っていてろくに警戒していない。

 ついこの間大きな軍の攻撃があったばかりだから、しばらくはないと高をくくっているのかもしれない。


「今回はまずい、本当にまずい! ……魔法を隠すなんて言ってられない!」


 あたしは魔法使いだとばれるのも構わずに帽子からほうきと杖を取り出す。

 タイミングよく、目の前にハンターと思しき大柄でどことなくゴリラっぽい男の人がやってきたので、声を掛けた。


「ちょっと! いい!?」

「ん? なんだ嬢ちゃん」


 嬢ちゃんと言われたことにムッとしたけれど、今はそんなこと気にしてられない。


「すぐに住民を避難させなさい! いい!? 絶対に戯言だと流さないで! 死にたくなかったら、すぐに隠れるように全員に伝えなさい!! ハンターはすぐにでも迎撃態勢! わかったらすぐに動きなさい!!」

「え? お、えぇ?」

「早くっ!!」


 動きの悪いハンターのけつをひっぱたき、あたしはほうきに跨り地を蹴って空へと一気に舞いあがる。


「おぉ!? 嬢ちゃん何者だ!? まさか!?」

「いいから動け!! 死にたいのッ!!」


 叫ぶ。

 帽子をとり、杖でたたく。


「来なさい、


 途端にボコボコと、帽子がうごめき、クラウンのサイズからは信じられないものが飛び出した。

 それは――


「グォオオオオッッ!!」


 巨大な飛竜。


「飛竜が出たぞぉーーー!!」

「きゃああああっ!?」

「女子供は中に入れ! 弓使いは外だ!」


 途端に下方から警戒する声があがる。

 あたしの警告よりも結果的に飛竜の方がハンターたちの警戒心を煽るには効果てきめんだった。


 あたしはほうきから呼び出した飛竜の背中に飛び乗った。

 鞍も何もないから乗りづらいけど、飛竜の背中はとても大きく、鱗もごつごつとやすりのように固く粗いため、滑ることはない。


 ほうきはそばに浮かせたまま、あたしは杖を構える。


 空の向こうに視線をやる。

 視線の先、街の外の上空には二つの人影。


「あれ? もしかしてハンターはついに飛竜までも従えるようになったのかな?」

「だが飛竜たった一体だ。たまたまうまくいっただけのようだ。脅威にはならないだろう」


 数日前に見た緑髪の少年と大柄で禿頭の男。

 確かフリウォルとカベザって言ったっけ。


 ちらりと下を見る。

 どうやら飛竜の襲来でハンターや住民は迅速に避難したらしい。でもまだちらほらと人影が見える。

 幸いにも飛竜のおかげであたしが魔法使いとばれてはいないみたいだけど、まあそれはこの際どうでもいい。

 目の前にいる天上人二人もあたしのことをただの魔物使いのハンターだと思っているらしい。


 猟師であるハンターは軍との戦いに魔物を利用する。

 その一種だとでも思ったんでしょう。


 ならとことん利用してあげましょうか。


 あたしは飛竜の上に立ち、帽子を取って優雅に礼をする。


「初めまして、天上人様。あたしはただの旅人です。ご用件は何でしょうか?」


 挨拶をしたあたしを見て、二人は一瞬驚くも一気に笑顔を咲かせた。


「旅人か、そういえばヴァレリアが言っていたな。外から来た魔法使いがいると」

「うわーお! 聞いてはいたけど予想以上だね! 少し幼いけどすごく美人だ! ヴァレリアが誘おうとした理由がわかるよ!」


 あたしは自分の見た目がいいことを否定しない。

 むしろ誇っている。

 だけど、フリウォルの言葉は、一切あたしには響かなかった。

 それどころか、不快ですらあった。


「こっちはあいさつしたのに、あんたたちは挨拶もなしかしら。この国の男はどいつも礼儀というものを知らないのね」

「おっと、そういえばそうだったね。挨拶なんてしなくてもみんな知っているから忘れちゃったな」


 フリウォルは細長い楕円形の板の上で直立し、あたしの見よう見まねで腹に手を回して軽々に礼をした。


「僕はフリウォル。天上人第四席、『烈嵐』のフリウォル。隻腕なのは男の勲章さ」


 言い切ると同時にすぐに顔を上げ、笑って白い歯を見せてくる。

 続いて禿頭男もほんのわずかに頭を下げる。


「俺はカベザ。天上人第五席、『厳磒』のカベザ。以後よろしく頼む」


 フリウォルとは対照的にむっつりと述べる。


「それで、君の名前は? そういえば、さっき言っていなかったよね」

「あら、名乗らなきゃいけないなんてあるのかしら。あたしは挨拶だけっていったつもりだったけど」


 あたしの言葉に、フリウォルは目を丸くしてまた笑う。


「あははっ、そういえばそうだったね。名乗りたくないのかな? もしかして恥ずかしい? 大丈夫、僕は君がどんな名前でも受け入れるよ。恥ずかしがることはないよ。ほら、言ってごらん? 僕に名前を教えてくれよ」


 フリウォルの寒い発言に鳥肌が立った。


「冗談、あんたたちに名乗る意味を感じられないわ。あの子たちのために名乗らないほうがよっぽど意味を感じられるし」

「あの子たち? 友達がいるのかな? なるほどね。この街を守るのはそういう理由かな」


 何を理解した気でいるのか、フリウォルは右腕を顎に手を当て、一度頷きあたしに向かって手を差し出した。


「もし君がこの街に守りたい人がいるというのなら、その人の命も僕が保証しよう。だから、どうかな? 僕たちと来る気はない? 魔法使いなんだろ? こんな下等な連中とつるんでるよりさ、僕たちといる方がよっぽど有意義だし世界のためになるよ。ねぇカベザ」

「そうだな、ちょうど第三席が空いた。飛竜も従えるとなると、上級の座は固いだろう。となれば、悪い扱いはまずされない。それどころか、最上級の扱いを受けられる。悪い話じゃないはずだ」


 カベザまでもがあたしを勧誘しようとしてくる。


 まあ? あたしを欲しいと思うのは仕方ないし必然ともいえるけど。

 もっとも、これに対する答えなんてこの国に来た時から決まっている。


「お断りするわ。あんたたちについていっても、楽しいことなんて何もなさそうだから」

「心外だな。僕たちはみんな毎日楽しんでいるよ。今だって、こうして君と話せる機会ができた。これ以上楽しいことなんてあるもんか」


 いちいち口説いてくるこの男は、聖人だから実際はあたしよりもかなり長生きなんだろうけど、見た目が子供だからマセガキにしか思えない。

 何より、彼との会話からは知性と成長を感じない。


「エフィメラ」

「グルゥ」


 足元の飛竜の名を呼ぶと、彼女も不快だとばかりに一鳴きした。

 あたしは帽子を被り、杖を構える。


「あたしに楽しい日々を送らせてくれるというのなら、いますぐここから消えてくれないかしら」

「……なんだって?」

「聞こえなかった? あたしの前から消えてくれって言ったのよ」


 一瞬理解できないとばかりにアホ面を晒した二人に向けて。

 エフィメラがブレスを吐き出した。


「グオオオッッ!!」

「ッ! 羽付きトカゲが!」


 ブレスをよけるように二人は一気に後方へ飛びすさる。


「さて、いよいよこの街の歪みを正そうってときに邪魔してくれた礼は、かならずしないとね」


 杖を振り回し、あたしは一気に二人に襲い掛かっていった。



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