第28話 火の星が落ちてくる



 気分は最悪だ。

 でもやらなければならないことがある。


 俺は今、山小屋から降りてセビリアの町にやってきた。


「……『狂人』だ」

「聞いたか? ついにハンターどころか少女を襲ったって話」

「まじかよ……かわいそうに。女の子は死んだのか?」

「幸い誰かが助けに入ってくれて無事らしい……あと一歩遅かったら殺されてたに違いない」


 そこかしこからこそこそと話が聞こえる。

 くだらない馬鹿ども。

 直接ものを言うこともできない役立たずの臆病者ども。同じ空間にいるだけで虫唾が走る。


 本当なら今すぐにでもこの街から出たいところだが、先の戦いでだいぶ装備が破損したし、罠に使う道具も数が減った。

 ここらで調達しなければいけない。


「……空からやってくる。……対空の罠……何がある?」


 歩きながら、準備しなければいけない罠について考える。ぶつぶつと、回らない頭を整理するために口に出す。


 すると余計に、周囲の声が騒がしくなる。


「気色悪い奴だ……」

「呪詛を吐いてる、呪われるぞ」

「あの仮面の下には、いったいどんな顔が――」


 この街の連中はよほど平和ボケしているな。くだらない噂を垂れ流す余暇があるなんて。

 聞こえてくる話をすべて無視して歩いていると、やがてハンターギルドの前にやってきた。

 両開きの木製のドアに、木で覆われた隠れ家のような建物。

 その入り口を、いら立ちも込めて蹴り開ける。

 中に入れば、驚いていたり、椅子から腰をわずかに開けたり、武器に手をかけたハンターたちがこっちをにらみつけていた。


 彼らは入ってきたのが俺だとわかると、舌打ちをかましながら再び椅子に腰を下ろし、元通りになる。

 だが、その視線はずっと俺を睨んでいた。


 気にせずに、奥にある受付に真っ直ぐ進む。

 並んでいた者たちも、俺の姿を見て十戒のように道を開けていく。途端に俺の前には椅子に座り、笑顔を張り付けた職員だけとなる。


「こ、こんにちは。ほ、ほんじつは、どのようなご用件で?」

「いつも通りだ。武具一式と紐。……あと伸縮するゴムのようなもんはあるか」

「はい、いつものはすでに用意ができておりますが、伸縮するものですか……手配するのに時間がかかります。いかほどをご所望で?」

「あるだけだ」


 びくびくしながらも、職員は慣れた手つきで準備を進める。机の下にすでに用意してあったようで、見慣れた数うちの短剣と紐、剣が包まれた荷物を渡される。


「それで、あの……川辺の惨状ですが、あれは、あの……」

「知るか」

「ひっ、は、はいっ!」


 雑に扱っただけでわかりやすくビビり、甲高い声を出す受付嬢。

 耳に触る声だ。

 荷物を受け取り、踵を返して出口へ向かう。

 またハンターたちが通る道を続々と開けていく。


 だが途中、出入り口の目の前で。


「おい」


 ずいぶんと大柄で精悍な顔つきをしたゴリラが立っていた。

 正確には、ゴリラのようなごつい顔、といったところか。


「邪魔だ」

「邪魔はお前だよ。『親殺し』」

「……あぁ?」


 一瞬で殺意が沸いた。


「お前、こないだの魔氾濫で何やったか忘れたわけじゃないよな」

「……知らねぇな」

「てめぇ!!」


 胸倉をつかまれる。

 背の高い男が俺の身体を持ち上げる。

 わずかに踵が浮いた。至近距離で、男の怒りに満ちた瞳が俺の顔を覗き込む。


「お前のせいで、俺の仲間が怪我をした。後遺症もあるかもしれない。……どうしてくれんだよ」

「はぁ?」


 こいつは一体何を言ってんだ?


「知らねぇよ。生きてるだけありがたく思え」

「ふざけんじゃねぇよ! お前のせいで多くのハンターが死んだ! 魔氾濫もお前が勝手なことしなければ、あいつも怪我なんてしなかった! 全員無事に終わらせられたんだ!」

「ハッ、平和ボケもここまでくればお笑いだ。怪我をするのはお前らが弱いからだ。雷が落ちて助かった、幸運だなんてはしゃいでる暇があったら、尻尾撒いて逃げたらどうだ。幸運が味方してもダメなら、お前らはどうせすぐに死ぬ。よかったじゃないか。早く死ぬって知れてよ」

「んだとてめぇ!!」


 男が唾を飛ばし啖呵切り、拳を振り上げる。

 向かってきた拳は簡単に受け止められた。


「ぐっ、テメェ!」

「弱いな」


 ぎりぎりと拳を握る手に力を入れれば、ミシミシと音を立てて男は膝をついていく。


「おまえ! 人の心ってもんはないのか!?」

「何の話だよ」



 額に脂汗をかきながら、男は必死に言い募る。



「お前! 昨日の騒ぎに乗じていたいけな女の子を殺そうとしたんだろ! 受付嬢のフィデリアさんのこともずっと脅して! 軍と戦うなら何しても許されるとでも思ってんのか!?」

「まったくもって身に覚えがないな」

「それだけじゃねぇ!」


 まだ何かあるのか。

 腕は立たないくせに口はまわるらしいな。


 いっそ、その口も引き裂いて――


「お前! 昨日の天上人の連中と仲良く話していたらしいな!」

「はぁ?」


 あまりにも突拍子な言葉に、一瞬怒りが飛んだ。


「見たってやつがいるんだよ! お前が槍持った天上人に手を伸ばしてんのを! どうせ金目当てで言い寄ったんだろ! 今までずっと天上人に執着してたのも俺たちを売るためだったに違いねぇ! だからあいつらは死んだんだ!」


 言葉が言葉として入ってこなかった。


 こいつは一体何を言ってんだ?

 ぜんぜん理解できない。


 訳の分からないことを言うこんな馬鹿の相手をしていられない。

 俺はすぐに準備をしないといけない。


「お前らもいい加減こいつを追い出さねぇと――」


 未だ大声で話し続ける男をどうしようかと思ったその瞬間に。

 背筋に戦慄が走る。


「――ッ」


 すぐさま男の手首をひねり、ギルドの中に投げ飛ばす。


「ぐわぁ!」

「きゃー-!!」

「大丈夫かッ!」


 張りつめて静かだったギルドに悲鳴が響き、男が飛んでいったテーブルが真っ二つに割れた。


 だけど、俺はそれを最後まで見届けることなくギルドから飛び出した。

 背筋に走る悪寒を信じ、ひたすらひたすら足を進める。


 ひたすらに街の外を目指して。


 人にぶつかることも厭わずに、走り続け、ついに防壁を飛び超えて街の外に出た。

 そこで、見た。


「……火の星」


 遠くに見える火球。

 予想以上の速さに釣られるように、俺の心臓まで痛いくらいに早鐘を打つ。


 抱えている荷物を見る。

 ちょうどいい。手元には武具もある。


「……今日で全部、終わらせてやる」


 めまいも耳鳴りも動悸も吐き気も、この時だけは気にならなかった。

 剣を腰に差し、短剣を袖に忍ばせ、ロープを結わく。


 仮面に手を添えて。


「殺してやるぞ、クソ野郎ども」



 ◆



 あたしは感じた答えを確かめるために、セビリアの町、そこにあるあの子と出会った細道に隠れたパン屋にやってきていた。


 こないだと違って、昼過ぎに来たから焼き立て、というほどはないけれどそこそこ暖かな香りが周囲にまだ漂っていた。


 店先には少しふくよかなおばちゃんが店番をしていて、あたしを見つけると嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。


「また来てくれたのかい、もうすっかり常連さんだね」

「まぁねー、ここ隠れた名店って感じがして、雰囲気が好きなの。見つけられたのは運がよかったわ」

「そう言ってくれて助かるよ。本当はもう少し店は大きくして目立つようにしたかったんだけどね」


 改めて店先をじっくり見回すと、確かに周囲にわずかにスペースがある。パンを並べる場所を広くとるためかと思っていたけど、悲しいかな、売り切れるほど売れている店じゃないし、そもそもそんなにパンが並んでない。


「どうして小さくなっちゃったの?」

「単に人手が足りなくなっちゃったのさ」

「バイトとか募集しないの? あたし立候補するよ?」

「あはは! こんなにかわいい子がいたら売り上げも伸びそうだね! だけどいいのさ。旦那も私もほそぼそとやれればそれで十分だから」


 それだけ言って、おばちゃんはやることがあるのか奥に引っ込んだ。

 その間にあたしはパンを見るふりをしながら考える。


 この店の夫婦が他の人といるのを見たことはない。

 二人で十分回るから、ということなんだろうけど、普通店を開くのだから商売繁盛を願うはず。

 大きくできるスペースがあって人手を雇えばできることをやらないのはどうしてか。


 答えは簡単。


 ――この店は二人が始めようとした店じゃないからだ。


 問題は誰がこの店をやろうとしたのか。

 戻ってきたおばちゃんに買いたいパンを渡して包んでもらっている間に尋ねることにした。


「おばちゃん、ちょっと答えづらいかもしれないけど、聞いてもいい?」

「なんだい?」

「おばちゃんたちの店を継ぐ娘さんとか息子さんはいないの?」

「…………」


 聞いたとたんに、おばちゃんは手を止めて、いつもの柔らかな雰囲気を少し沈ませた。


「いた、っていうのが正確かね」


 おばちゃんは再び手を動かしながら話し出した。

 明るい話でもない、だけど聞きたい話だったので、確認をする。


「詳しく聞いても大丈夫?」

「いいよ、誰かに打ち明けたほうがいいこともあるからね」


 おばちゃんはパンが入った袋を持ったまま、店の奥を指さした。

 あたしは頷いて、店の奥に入っていった。




 ◆




「あれは、店を開く前のことさ」


 店の奥で、おばちゃんは話してくれた。

 旦那さんはちょうどパンを焼いているようで別のところにいるようだった。


 出されたお茶と買ったパンを広げて、あたしは椅子に座ってただ黙って聞いていた。


「私たちには娘がいたのさ。生きていれば、一か月前に結婚式を挙げる予定でね。娘の相手も正義感の強いいい子で、結婚したらパン屋を開いて二人で一緒に暮らすんだって、それはもう嬉しそうに話してくれたのさ」


 しみじみと、もう触れられない娘の代わりのように湯飲みを撫でる。


「この店も二人がハンターとして頑張って開店資金をためたんだ。娘は彼の正義感が強いところに惚れたのか、二人揃ってハンターとしてみんなのために戦う、悪逆の限りを尽くす軍に正義の鉄槌をってさ」


 俯きながら、滔々と語ってくれた。


「勇敢な人だったのね」

「どうだろうね。今思えば、正義のヒーローや英雄になりたがる子供のようなものさ。あのときに止めていればと、何度思ったことか」


 部屋の扉を開けて、おばちゃんの旦那さんが入ってくる。

 話の内容が聞こえていたのか、おっちゃんも少しばかり沈んだ声で椅子に腰かけながら話してくれた。


「無駄が過ぎる正義感が祟ってな。半年前に軍の動向調査の依頼を受けて、そのまま死んだ。ちょうど見どころのある新人が入って、ハンターの心意気と一緒にいろいろ教えてやるんだと意気込んで、そのまま帰らぬ人になった」

「開店資金も溜まって結婚式の日も近づいていよいよってときだったのにね。結局二人がいなくなって、資金が浮いちゃってね。ならせめてもと、私たちが店を開いたのさ。まあパンのことなんて何もわからないから、その勉強のためにいくらか使っちゃってね。さっき言った通り、想定より店は小さくなっちゃったのさ」


 たいして仲良くもない、ただ最近店に来たばかりのあたしにも、二人は気を悪くすることなく教えてくれた。

 とてもやさしくて、いい人たちだった。


「軍の動向調査に連れて行った新人って、誰かわかりますか?」


 あたしの質問に、二人はそろって首を振る。


「残念だけど、わからないのさ。だけど、きっと優しい人だってのだけはわかるよ」


 おばちゃんの言葉にあたしは首をかしげる。


「そもそもその新人は生きてるんですか?」

「わからない。ギルドに問い合わせても何も教えてくれないんだ」

「でも一つだけ、わかるものが送られてきたのさ」


 おばちゃんが立ち上がり、あたしを手招きする。

 おっちゃんはそのまま店の方に戻っていった。あたしは店のさらに奥、二人が普段いる生活感あふれる部屋に入った。


 なんてことない普通の部屋。少しだけ散らかっていはいるけど、充分にきれいな部屋。


 その奥の一角にそれはあった。


「軍との戦闘があった場合、勝ちでもしない限りは遺体が戻ってくることはないのさ。軍人はハンターの死体をその場で燃やすからね。大抵の場合は、死んだこともわからない。行方不明になってそのまま、数か月か数年か経ってようやく死んだとわかるなんてざらなのさ」


 真ん中正面の壁に十字架、その下に二つの人の絵。

 さらにその下に――


「だけど二人の死はすぐに知れた。その新人さんが二人の遺骨を届けてくれたのさ」


 見覚えのある骨壺があった。


「この壺は……」

「これのおかげでずいぶんと救われたものさ。何に、どこに、祈ればいいのかわからない。覚悟していたけど、その新人さんのおかげで二人の冥福をしっかりと祈ることができる」


 おばちゃんは祭壇の前に膝をつき、手を合わせ、目を伏せる。

 あたしも倣い、祭壇に向かって手を合わせる。


 どうか、安らかに、ゆっくりとお休みください。


 後のことは、任せてください。


 目を開けると、先に祈祷を済ませていたおばちゃんがあたしを見て微笑んでいた。


「ありがとうね、二人のことを祈ってくれて」

「いえ、教えてもらったんだし、これくらいは。……これくらいしかできないけど」

「十分すぎるくらいさ。それに、暗いばかりじゃ二人も浮かばれないだろうから」


 立ち上がり、さっきいた部屋に戻りながら話をする。


「骨を拾うなんて、並大抵のことじゃないんだけどね。軍を退けないといけないし、そうでなくとも軍が退くまで退避しないといけない。大人数の軍の目をかいくぐるなんて簡単じゃないのに、ここまでしてくれたんだ。その人に一度会って礼をしたいんだけどね」

「…………」


 とんとんとんと、どんどんと答えが揃う。

 それと同時に、この街のいびつさが露わになっていく。


 最後にもう一つ、聞くべきことがある。


「ねぇ、いつも来るあの黒髪の女の子は、いつごろから?」

「あの子は、ちょうど二人がいなくなってから来るようになったんだ。あの子のおかげでふさぎ込んでた旦那も少しずつ元気になったのさ」


 かくいう私もそうさ。

 と、おばちゃんは笑った。


 丁寧に教えてくれたおばちゃんたちに、感謝を込めて帽子を取り、頭を下げる。


「答えづらいことを教えてくれて、どうもありがとうございました。このお礼は必ず」

「いいってことさ。娘たちに手を合わせてくれただけで十分。それに、また来てくれるんだろ?」

「はい、もちろん」


 笑って答え、もう一度頭を下げる。

 店から出る直前に、


「そういえば、娘さんたちの名前って聞いてもいいですか?」


 振り返って聞いた。

 おばちゃんは笑って教えてくれた。


「娘のエウラリア、婿のテネリフェさ」


 これで最後のピースが出揃った。

 あとは、問い詰めるだけだ。



 店を後にして、あの家に向かおうとした、その時に。



 ――空から星が落ちてきた。


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